“帝国の慰安婦 告訴事態” 経過

2005年 9月

朴裕河『和解のために:教科書・慰安婦・靖国・独島』(韓国語版)がプリワイパリ社から刊行される。翌年、韓国政府の文化体育観光部の優秀教養図書に選ばれる。

2006年 11月

朴裕河『和解のために:教科書・慰安婦・靖国・独島』(日本語版、佐藤久訳)が平凡社から刊行される。

2007年 12月

日本語版『和解のために』が第7回大佛次郎論壇賞を受賞する。

2008年 9月

韓国ハンギョレ、徐京植のコラム「妥協を強要する「和解」の暴力性 」掲載。
徐京植は当該コラムで朴裕河及び朴裕河に同意する「リベラルマジョリティー」を一緒に批判。

2009年 7月

ハンギョレ、尹健次のインタビューで「『和解のために』という本で日本の右翼知識人の賛辞を受けた朴裕河」と表現。尹健次は朴裕河を「似非右翼の心情主義」と批判。

2009年 12月

ハンギョレ、尹健次の本を「日本の右翼の賛辞を受けた『和解のために』を批判した本」と紹介。

2011年 2月

徐京植、朴裕河を批判した『言葉の檻から』刊行。

2011年 4月

徐京植に対する朴裕河の反論:「「右傾化」の原因を先に考えなければ」-教授新聞

2013年 8月

朴裕河『帝国の慰安婦:植民地支配と記憶の闘争』(韓国語版)がプリワイパリ社から刊行される。刊行後の秋から、慰安婦の方たちとの交流。当事者の考える「謝罪と補償」について意見を聞く。中でも、ナヌムの家に居住していたペチュンヒさんと頻繁に交流。家族がおらず、日本語の堪能だったぺさんは朴によく電話をかけてきた。

2014年 4月

朴、慰安婦問題の解決方式に疑問を持つ日本学者、元駐日特派員らと<慰安婦問題、第三の声>と題するシンポジウムを開き、それまで公けに聞こえることのなかった元慰安婦の声を公開。

2014年 5月 13日

ぺさんに会いにナヌムの家を尋ねるが所長によって拒否される。その後もぺさんとは電話で話すが、告訴の話はなかった。

2014年 6月 9日

ぺさん亡くなる。

2014年 6月 17日

ナヌムの家の所長と弁護士、元日本軍「慰安婦」9人の名前で韓国語版『帝国の慰安婦』記述の109箇所を、虚偽であるがゆえの名誉棄損として、著者と出版社代表を相手に全面販売禁止を求める刑事訴訟を起こす。同時に2億7000万ウォン〔約2700万円〕の損害賠償を求める民事訴訟を起こし、出版差し止めおよび元慰安婦への接近禁止の仮処分を申請する。7月から仮処分審理が始まる。

原告側が「慰安婦は自発的慰安婦」「慰安婦を非難した」とする報道資料を出したため、朴はその後現在まで国民的な非難にさらされることになる。告訴の根拠となった本の分析はナヌムの家の弁護士の学生たちが行った。告訴状には『和解のために』執筆やシンポジウム開催などの朴の行為は「慰安婦像を汚すもの」であるため、「慰安婦問題の解決のためにならない」とあった。

2014年 7月

ナヌムの家の顧問弁護士、『和解のために』を「青少年有害図書」として文化観光部の優秀教養図書選定を取り消すように申請。

2014年 9月

朴、A4 150枚の反駁文を提出。原告側、9月の裁判を延期申請。

2014年 10月

原告側、告訴内容を53箇所に減らし、全面販売禁止の当初の告訴内容を一部削除を求める内容に変更。このとき、『帝国の慰安婦』が「戦争犯罪を称えている」もので、朴の歴史認識は「公共善に反するもの」とする。

2014年 10月

元慰安婦ユヒナムさん、仮処分裁判で「朴裕河が日本から20億円もらってやると言った」と偽証。

2014年 11月

朴裕河『帝国の慰安婦:植民地支配と記憶の闘い』(日本語版)が朝日新聞出版より刊行される。

2014年 11月

言論仲裁委員会、歪曲報道に関する朴の申請を受け入れ、連合ニュース、ハンギョレ新聞など4社に対して告訴に関する記事の修正や削除を命じる。

2014年 12月

検察、「犯罪リスト」としてまとめられた53箇所に対して2回の調査。しかし嫌疑無しと決定する。

2015年 1月

検事による調査が三回にわたって行われる。しかし担当検事は結果を出さずに2月に移動。

2015年 2.17

ソウル東部地裁、『帝国の慰安婦』の出版禁止仮処分の申請の一部を認め、34カ所の記述が名誉棄損であると決定する(仮処分)。接近禁止申請は棄却。
<帝国の慰安婦> 起訴対象箇所 日本語翻訳 ダウンロード

2015年 4月

新しく事件を担当した検事、調停を勧める。以降検察による調停作業進む。

2015年 5月

損害賠償訴訟始まる。

2015年 6月

朴裕河『帝国の慰安婦:植民地支配と記憶の闘争』の「34カ所削除版」(韓国語第2版)がプリワイパリ社から刊行される。

2015年 9月

仮処分への意義申し立て申請。10月、調停決裂。原告側の和解条件は、

1)謝罪、2)韓国語削除版の絶版、3)日本語版の削除。

2015年 10月

日本語版『帝国の慰安婦』の第27回アジア・太平洋賞特別賞の受賞が決定される(11.11授賞式)。日本語版『帝国の慰安婦』の第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞の受賞が決定される(12.10授賞式)。

2015年 11月19日

ソウル東部地検、韓国語版『帝国の慰安婦』の著者を名誉棄損の容疑で在宅起訴。

2015年 11月26日

日米の学者ら54名が「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」を出す。

2015年 12月2日

韓国の知識人194名が「『帝国の慰安婦』の刑事起訴に対する知識人声明」を出す。

2015年 12月9日

韓国内外の研究者・活動家ら380名が「『帝国の慰安婦』事態に対する立場」を出す。

2015年 12月16日

朴、損害賠償請求の民事訴訟に最終答弁書提出。

2016年 1月13日

ソウル東部地裁、民事訴訟の判決を下す。韓国語版《帝国の慰安婦》著者に対し、9名のハルモニに損害賠償金計9千万ウォンを支払うよう命じる。

2016年 1月19日

朴、損害賠償請求の民事訴訟判決に控訴。

2016年 1月20日

第一回 刑事準備裁判始まる。朴、国民参加裁判を申請。

2016年 1月24日

原告側、朴の給料の差し押さえを西部地裁に申請。

2016年 1月27日

第2回 刑事準備裁判

2016年 1月31日

朴、『帝国の慰安婦』韓国語第2版をホームページで無料公開する。

2016年 2月

ソウル西部地裁が損害賠償金の差押えを認めたことを受け、世宗大が朴裕河氏の給与を二回にわたって差押える。朴、強制執行停止申請。

2016年 3月7日

仮処分異議申立てに対する1回目の裁判

2016年 3月14日

控訴審を担当する高等裁判所、強制執行停止申請を認め、賠償金の半額に当たる4500万ウォンの供託金提供を命ずる。朴同額供託、差し押さえは4月から中止される。

2016年 3月28日

東京で擁護派と批判派の研究集会。

2016年 4月

3・28集会で出た批判を韓国のハンギョレ、シサインなどが報道。韓国と日本の批判者による『帝国の弁護人-朴裕河に問う』刊行。刑事本裁判のための公判準備裁判が1月から7月までの間に合計6回行われる。

2016年 6月

城南市図書館、『帝国の慰安婦』を19歳以下は読めないようにしていたことが知られる。出版社、経緯を問う抗議文を送る。

2016年 8月 30日

第1回公判が行われる。
(リンク:刑事訴訟 公判記1――アイロニのるつぼ)

2016年 9月 20日

第2回公判が行われる。
(リンク:刑事訴訟 公判記2――笑えない皮肉)

2016年 10月 11日

第3回公判が行われる。
(リンク:刑事訴訟 公判記3)

2016年 11月 8日

第4回公判が行われる。
(リンク:刑事訴訟 公判記4)

2016年 11月 29日

被告人尋問が行われる。

2016年 12月 20日

最終陳述が行われる。
(リンク:刑事訴訟 最終陳述)

2017年 1月 25日

無罪宣告。
(リンク:刑事訴訟 判決文(要約))
(リンク:刑事訴訟 判決文(全文))

<帝国の慰安婦> 起訴対象箇所 日本語翻訳 ダウンロード