フェイスブックから、2017年5月11日

今回の大統領選挙で安哲秀候補を支持した私に対して、フェイスブックの友人の多くが失望あるいは憤慨したようです。私のことが革新的に見えていたのは、表面的なものに過ぎなかったと思われたようですね。
日本について意見を述べるというだけで、私のことを、日本との「妥協」支持者あるいは担当者だと考えたがっていた人々の「念願」あるいは「呪文」が表面化したと言えるかもしれません。しかし、私にはその現象が、安哲秀は洪準杓と連帯するはずだとしてきた、間違っているだけでなく、悪意に満ちた期待と、とても似ているように見えます。
実際、どこに焦点を置くかによって、革新の基準は異らざるを得ません。私は、私たちの社会の革新、保守という区分が、もはや意味のないものになっていると考えており(最も革新的な男性が最も家父長的でもありますから)、あえて言うなら、私の価値観はむしろ急進(という表現も実は適当ではありませんが)に近いということを長い間の付き合いのフェイスブックの友人たちはご存知でしょう。
それでも、私の志向が、資本と国家の問題をわかっていないことに由来する無邪気なものだという人もいました。疎通が十分でなかったせいでしょうが、そのような断定から、私はフェミニズム論争の頃から考えていた「概念の浅薄化」とでもいうべき状況がもたらした現場を再度発見しました(これについては、いつかまた書きます。今は詳しく書く気力がありません)。
私が葛藤の治癒に関心が高い理由は、憎悪と差別と敵対が、不和と戦争をもたらし、他者の生命を奪う根源にあるものだからです。そして多くの場合反知性主義的な態度が作る偏見と敵対が、いかなる暴力を生み出すのかは、私をめぐって起こったことが十分に説明しています。
私が今回の選挙で悩んだ末に、保守/進歩の既存の構図を打ち破るという安哲秀候補の試みを誰よりも進歩的な試みだと考えた理由も、そこにあります。それは政策ではなく、方向性への支持でした。
そして、失敗はしましたが、その試み自体は、韓国社会に未だ訪れていない、それゆえに「革新的」な価値であると考えます。その到達点は、恐らく統一であり、東アジアの平和でしょう。私の志向性を、単に分裂を「無化」させるものだとか、国家間の政経癒着的な和解とみなそうとする理解は、学問と政治の違いを無化させる大変単純な理解だと言えます。私はいわゆる「政治」に大きな期待はしていないけれど、それでも時に全ての学問を超える価値の実現が可能となるものとして、なおその役割に期待しています。それは、学問的には厳しい批判が可能でも、政治的にはその曖昧さを許すことに繋がります。
今回の選挙では、どんなに革新的な候補であっても、彼らの支持者たちが、口にするのもおぞましい悪態を私に浴びせかけたり、よく知りもせず嘲笑した人々でもあるというアイロニーが、私には存在しました。そのため、私には、代議民主主義を具体化させられる候補自体が存在しませんでした。そのようなアイロニーを抱きながらロウソクデモに参加し、投票に参加したのは、ただ、その多数の隙間のどこかにいたはずの「彼らの中の別の存在」と連帯したかったからです。フェイスブックが私に教えてくれた存在、つまり皆さんです。

選挙は終わりましたが、文在寅大統領を誕生させるための自らの運動を、書きたい小説を書くことに集中したかったからだと述べた作家の言葉を遅ればせながら見つけました。また、新たに始まる文在寅大統領時代を「詩だけを書いて研究にだけ専念できる太平聖代」の始まりだと見做す詩人もいました。
しかし、私にはそのような時間はまだ来ていません。長い苦痛の果てに無罪判決が下されたにもかかわらず、むしろより陰湿な石が私に飛んで来ます。何よりも、私をそのような苦難に陥れ、積極的に加担した人々が保守ではなく、「革新」層だということが、私のジレンマです。彼らと最も近い場所にいた候補が、文在寅候補でありましたが、社会構造に対する問題意識を彼から見出すことができなかったために、私は彼を支持できませんでした。
私の本は、革新の中の欺瞞について問題提起しているだけです。しかし、待っていたのは公開討論ではなく、長い沈黙と、口封じでした。また、同じような欺瞞と暴力を今回の選挙でも、見せ付けられました。
私にとって、文在寅政権が新しい時代になる日は、<革新>層の中に存在する欺瞞と暴力を、革新層みずからが認識する日です。私への嫌悪や抑圧に対する「主流革新層」の沈黙が破れる日です。その日が来ない限り、私にとって文在寅時代も朴槿恵時代と変わりません。
参考までに申し上げれば、私を非難していた人々も、慰安婦問題をもっと知るようになれば、考えが変わると確信しています。もちろん、守らなければならないものがある人には期待していません。
3年近く、裁判の反論のために止むを得ず多くの資料を見ましたが、私の考えを修正する必要を感じませんでした。さらに大きなアイロニーは、私の苦難が、実は本の問題でさえなかったということです。排斥は、知識人の偏見と排斥主義が、告訴は、ロースクールの学生と弁護士の蛮勇さと運動家の策略が作り出したものでした。
このことについてもっと詳しく書かなくてはなりませんが、まだできずにいます。判決後、3ヶ月以上経ちましたが、緊張が解けたのか、気力と体力が回復していないためです。彼らの中からもこの問題を提起する人が出てくることを期待しています。

少しフェイスブックをお休みします。その間、フェイスブックの友達を削除したい方はどうぞなさってください。無罪判決の出た日、「いいね」を押してくださった方が2千数百名いました。その方たちだけが残ってくださったとしても、とても多いのです。
選挙結果について、「パルゲンイ(赤)国家」云々する方については、私から削除させていただきました。
フェイスブックの友人の整理をする余裕がないため、これまで承認を待ってくださった多くの方には、心から申し訳ないと思っています。もう少しで友達承認できるようになると思います。

17年前に最初の日韓関係論を出した時から、私は綱渡りをする心境で書いて来ました。
17年が過ぎた現在、私が立っている空間は、ようやく足がつける程度の面積です。あえてこのような空間に立っているのは、稚気や周りに逆らおうとする情熱があり余っているからではありません。その面積がいつかはもっと広くなるという確信を持っているからであり、その空間が必要な人々がいると思うためです。
狭くて危なっかしく見えるその空間に、共に立ってくださったり、支持してくださる方だけが残ってくだされば嬉しいです。可能なら、私が会いたいと思っていた方々とまた会えると嬉しいです。
(1月に行った「無罪判決を記念する毎月の会合」も継続できず、個人的に会いたい方にも連絡できませんでした。心身の状態があまり良くなかったためです。しかしまたすぐに連絡できるでしょう)
近頃私を非難したツイートを添付しておきます。このすさんだ「言葉」に、改めてやるせない気持ちになります。「和解は加害者が先(許しを請うことから)」だと説教した方が多くいましたが、この言葉もやはり、私の本を理解できていないだけでなく、先に述べた「概念の浅薄化」が生み出した言葉です。

2017・5・11

翻訳: 金良淑