日韓関係、問題はどこにあるのか ― 2.「歴史司法化」を超えて (1)新日鉄徴用判決を読む<3>

<3>少数の法官の判断

 つまり、「強制された併合」(不法体制)の下で、欺罔や殴打などの暴力的な「不法行為」の伴う労働をさせられたとするのが多数の判事の考えであった。このことに対する補償要求(慰謝料請求)が、1965年の協定の時点ではなされていなかったから、個人請求権も外交的保護権もまだ有効、と考えたわけである。
 しかし、この考えに反対した判事たちの意見も、判決文には書かれている。
 その中の二人は、1965年の日韓協定によって「個人請求権」は消去してもう残っておらず、その後の韓国政府が協定に定められた義務を果たしてもいるので、個人請求権はもはや存在しない、と述べている。この件のために政府が動くこと、つまり国民に対する外交的保護権もないとしていた。
 二人の判事はこの問題が「基本的には請求権協定の解釈をめぐる問題」であることを明示しつつ、条約解釈は、「条約の文言に与えられている通常の意味に基づいて誠実に解釈」されねばならないとしている。意味が曖昧な場合は協定当時の文脈を見るべきとし、請求権協定には明確に「両国および両国国民の財産と両国および両国国民間の請求権に関する問題を解決することを希望」、「完全かつ最終的に解決」、「いかなる主張もできな」いと書かれているので「両国の国民はこれ以上、請求権の行使が不可能」との意味に解釈せねばならない、としているのである。
 「締約国の間においてはもちろんのこと、国民の間においても完全かつ最終的に解決されたと解釈するのが文言の通常の意味に合っており、単に締約国の間で外交的保護権を行使しないことにした、という意味には読めない」とするのが、多数の意見に反対した判事たちの考えだった。
 また、韓国側の条約協定解説に「我々の要求はすべて消滅、韓国人からの各種の請求権などが完全かつ最終的に消滅」したと書かれており、当時の張基榮(チャン・ギヨン)経済企画院長官が「無償3億ドルは被害国民に対しての賠償の性格」と発言し、実際に韓国政府は何度かにわたって補償を実施した、というのが少数判事たちが示す別の根拠である。1965年の協定はすべてのことを一括処理した協定であり、一括処理協定は国際慣習法的な観点から見て一般的なものであるため、国家が補償あるいは賠償を受けたならば、その国家の国民は個人請求権を行使することができず、「請求権協定を憲法や国際法に違反するものとして無効とみなしのでなければ、否応なくその文言と内容に従わなければならない」と言うのである。
 個人請求権そのものが残っていないので訴訟を起こす権利もないとし、徴用者を含む労務者たちに1970年代の91億ウォンの他にも、2005年以後およそ5500億ウォンが支給されたことも少数判事たちは付言している。
 その他、植民地支配に対する慰謝料としての請求権は1965年条約には含まれていなかったのでまだ残っているが、外交保護権は(国家が外交手段で国民の問題を解決せねばならないとする、政府の義務)当時の両国間の合意によって消滅したとする意見を述べた判事も4人いた。
 「大韓民国と日本の両国は、国家間の請求権に関してだけではなく、片方の国民にとっての相手国およびその国民に対しての請求権も協定対象としたことが明白で、請求権協定に対する合意議事録(1)に請求権協定上の請求権の対象に被徴用請求権も含まれるということを明らかにして」おり、「当然<植民地支配の不法性を前提とした賠償>も請求権協定の対象とするものとして相互に認識しているように見える」と判事たちは述べる。
 また2005年に、官民共同委員会も1965年の協定によって受け取った3億ドルには被徴用損賠請求権が含まれていると見なし、政府が「請求権協定から長期間にわたってそれに基づく賠償の後続措置を取っ」たとした強調している。
つまり少数の判事たちは、日韓両国が当時「補償」と「賠償」を区別していなかったと考えていた。ただ、国家間に合意したとしても個人請求権自体が消えるわけではないので、訴訟の権利はまだ有効としていた。
 判決は、個人請求権は有効とする結論を下した。しかし、個人請求権はもう残っていない、もし残っているとしても政府がその権利を保護せねばならない(保護に乗り出ねばならない)ものではないとする意見を持っていた判事は、全13人の中、6人であった。

<1> <2> <3> <4> <5>