渦中日記 2015/12/13

내일이라는 통지를 받았던 형사재판이 연기되었다. 날짜는 모르지만 판사가 하나인 단독재판이었던 것이 복수가 심의하는 합의부재판으로 옮겨진 것이 이유라고 들었다. 따라서 이번주엔 16일 민사재판만 있게 되었다. 1심 마지막 재판이라 출석해서, 의견을 말할 예정이다.

일거수 일투족이 감시와 비난의 대상이 되는 경험을 하면서, 여러가지가 보인다.
꼭 해야 했던 몇가지 일들을 온힘을 다 해 하고 나니, 약간의 무기력증이 왔다.

나눔의집 소장이 음해메일을 퍼뜨리는 일에 나서기까지 했다는 걸 알았다. 고발 직후부터 해 왔던 얘기라 놀라울 건 없지만 그가 안쓰럽다. 그는 불교도라고 들었는데, 무엇을 지키려 하는 것일까.
그의 말을 요약해 페북에서 공개질문장을 쓴 이도 있다고 들었다. 거짓과 비방을 퍼뜨리는 이들에게 어떻게 대처할 것인지가 아직 숙제로 남아 있다.

누군가가 얼마전 마이니치 신문 인터뷰를 번역해 주었다. 번역이 만족스럽지는 않지만 감사한 마음으로 올려 둔다.
이 안에는, 대중들에게 읽히기 전에 “논문으로 써야 했다”고 비난했던 이에 대한 대답부분이 있는데 “나는 내 분야에서 충분히 학자로 인정 받고 있으므로 굳이 ‘학자’에게 인정받기 위한 학술서형식으로 써야 할 이유는 없었다”는 의미였다.

http://dbzlanfk.blogspot.kr/2015/12/blog-post_13.html?spref=tw&m=1

본문: https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1245723022121276

渦中日記 2015/11/11

오늘은 원래는 아시아태평양상 수상식 날이었다.
하지만 일본에 가는 대신, 우연히도 겹쳤던 네번째 민사재판에 참석했다. 재판은, 참석자와 쌍방이 제출한 서류를 확인 후 향후 일정을 잡기만 하고 10분만에 끝났다.

민사재판 마지막 날은 12월16일로 잡혔고, 1월에 선고가 내려지게 되었다. 조정위원회에서 검찰로 다시 돌아간 형사소송도 조만간에 기소여부 결정이 날 것이다. 약 1년 반만에, 또하나의 전환점을 맞게 될 것 같다.

법원으로 가기 전 아침에, 저녁에 있을 수상식에서 편집자가 대독해 주기로 된 스피치를 써서 보냈다.

오늘은 빼빼로 데이라는데, 내게도 앞으로는 해마다, 바다 하나 사이에 두고 내게 일어나고 있는 이 극명한 대조가, 오래 기억될 것 같다.

일본어지만 기념으로, 오늘 아침에 주최측 언론사인 마이니치신문에 난 “심사평”과 스피치를 올려둔다.
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アジア太平洋賞 受賞スピーチ(2015・11・11、朴裕河)

このたびは『帝国の慰安婦』にアジア太平洋賞特別賞を授けてくださり、心から感謝しております。11月11日の朝、ソウルでこのスピーチを書いています。本当は日本に赴いてご挨拶すべきでしたのに、足を怪我して行けなくなったことをまずお詫び申し上げます。
受賞のお知らせを聞いたとき、嬉しいながらも複雑な心境でありました。というのも、みなさんのご存知の通り、現在この本は韓国で、慰安婦支援団体によって、慰安婦の名誉を毀損したとして訴えられているからです。そのような状況の中にいるので、賞を受け取るべきかどうか、少し迷いました。ひとつには、わたしの意図とは別であるにしろ、原告として名前を連ねているおばあさんたちを無視したとみなされるだろうということ、もうひとつは、「日本」の賞であるだけで「日本の味方をしている、日本政府を代弁している」とする、原告側やその周辺人物の主張を証明するものと見られることが分かっていたからです。
しかし、そうした迷いの時間は長くありませんでした。わたしは、ある選択をめぐって迷うとき、そのことが発生させるであろう様々なことが、わたしたちの守るべき、考慮すべき、モラルと本質的に関係があるかどうかということを考えながら決めてきました。そして、今回の受賞は、誰かを傷つけるものでは、本質的にはないと考えたからです。そして私への評価や裁判に不利か有利かは、受賞自体が決めるのではなく、受賞を眺める人々の良識が決めるもの、と考えたからです。そして、その結果を、わたしは引き受けるつもりです。さらに言えば、現在私に向けられている批判より、わたしの拙い本を高く評価してくださった方々の「心」を受け止めることこそが、おそらく閉塞の中にある今の時代を切り開く方向のものと信じているからです。

この日本語版は、私が書きましたが、もはや私だけの本ではないと思っています。装丁を見たとき、とても嬉しかったのですが、装丁をデザインしてくださった方は、わたしがこの本に込めた意図を、本当に的確に受け止めてくださったと思っています。一輪の、韓国では国の花となっている、可憐なむくげの花は、少女であれ大人であれ、不遇な時代に生まれて耐え忍びながら生きた慰安婦の方々、そして砲弾の飛び交う中で亡くなった方々、そして病気で与えられた命を全うできずに亡くなった方々の悲しみと強さを、あますところなく表現していたからです。本の編集者である岡恵里さんは原稿を読んでいて涙が出そうになったと言ってくださり、日本人の最初の読者であるお二人にそのように受け止められたことは大きな励みになりました。そして、その二人をはじめ、出版するまで、そして出版してから多くの方たちの理解と気持ちが込められているわけですから、この本はもはやわたしだけのものではありません。書評や個別の感想の形で高く評価してくださった日本の方々との「合作」のようなものです。ですから、この賞はそうした方々と「一緒に」受け取るものと考えています。

日韓基本条約さえも締結まで14年かかりましたが、慰安婦問題は、はや四半世紀になろうとしています。この二十数年間わたしたちが経験してきたことが、後日どのように受け止められるのか、わたしたちはまだ分かりません。しかし、この本を評価してくださった方々の気持ちこそが今後を開いていけるとわたしは確信しています。わたしの本がよいからではなく、みなさんの気持ちをわたしがよく分かっているからです。様々な批判にさらされながらも、自分が考えていることを書いてこられたのには、ひとえにわたしが信頼する方々が支えてくださってきたからにほかなりません。
思えば数十年前に出会った日本人の方々がそうした信頼を最初に植え付けくれました。様々な事柄や人々が存在するなかで、信頼すべきものを見つけ、 大切にしていくことこそが世の中を平和に導いていくものと考えます。過去を考えるときも今を考えるときも。
悪い記憶や経験をみつめながらもそれに振り回されず、暗黒の中でも一筋の光のようなものを見つける心を維持していきたいと思います。それこそが、今を生きるわたしたちが次の世代のためにすべき、もっとも価値のあることと考えます。今後もそうした姿勢を維持していきたいと思います。ほんとうにありがとうございました。

2015年11月11日
民事裁判4回目の日の朝に、ソウルにて、 朴裕河

본문: https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1228221010538144