日韓関係、問題はどこにあるのか ― 2.「歴史司法化」を超えて (1)新日鉄徴用判決を読む<5>

<5>「日韓併合不法論」の問題

しかし、このような国際社会の状況は、2012年と2018年の判決の際、ほとんど参照されなかったように見える。そういう意味で、この判決はその是非はさておくとしても、<外国を相手にしながら極めて国内的な視座に基づいて下された判決>と見るべきだ。そうである限り、このような判決に基づく考えが国際社会に出会った時(仲裁委員会や司法裁判所)、相手を説得できるとは言いがたい。

にもかかわらずこのような「異見」が国民に向けて発信されることはほとんどない。勝者の声しか伝わらない「判決文」というものの構造上、少数(政府の外交保護権がないとしたのは13名の中の6名なので半分近くだが)の判事たちの意見に注目する者はいないのである。新日鉄判決は、90年代以後から声を発してきた一部の法律家・法学者たちの主張に権威を与え、結果的にメディアの報じる勝者の考えと「異なる」考えは、受け入れないし参考にもしない全体主義的な社会への加速化に一助した。

労働にせよ徴用にせよ、日帝時代の労働者たちのオーラルヒストリーは、厳しい体験の数々で、粛然とさせる。社会の死角地帯に潜む矛盾が現れてその矛盾が生じた被害を救済するための法は、常に遅れを取るものだから、そういう意味では必要ならば新しいシステム=「法」が作られて当然である。
しかし、今回の徴用判決における要求が未払賃金=財産ではなく「慰謝料」であるなら、すなわち日帝時代の動員(を含んだすべての「国民」に対しての義務の負荷)自体を「不法」と見なした上での慰謝料であるなら、その対象は労働者だけではない。「精神的な苦痛」という被害にまつわる要求ならば日本語使用や日本式姓名などのあらゆる強制に対して慰謝料の請求が可能だと強弁することもできる。また、提岩里教会事件、関東大震災による被害者など、いまだに可視化されていない被害者も少なくない。そのような被害者をめぐる歴史清算はいかに可能かを考えるのも残された課題である。

しかも司法府は、「日本人の個人請求権」のことは念頭に置いていないようだ。徴用問題が浮上する中で、「個人請求権は存在する」と主張してきた弁護士側の主張しか報じなかったメディアは、河野外務大臣が「個人請求権は存在する」と述べたことを取り上げ、「表裏不同」(京郷)、「ファクトの吐き出し」(ハンギョレ)、「詭弁」(連合・JTBC)と非難したが、河野外務大臣の発言は「日本人の個人請求権」を念頭に置いてのものだったと見るべきである。原告側の弁護士たちと韓国のメディアの指摘した「(日本官僚)柳井の個人請求権に関連する国会での発言」で、実は柳井が言及したのは「日韓両国の個人請求権」であった。

日韓政府の処理した韓国の個人請求権が有効なら、アメリカが処理した日本の個人請求権も有効である。周知の通り、日本人が朝鮮で所有した土地や炭鉱や会社などは、解放後、アメリカの仲裁を経て朝鮮人の所有となった。にも関わらず、いまだに日本人名義の土地が少なくないということは(2019年2月27日付<民衆の声>)植民地支配の後遺症は韓国だけのものではない、ということを語ってくれる。日韓協定は、朝鮮人だけではなく、日本人の個人請求権も放棄した協定でもあった。

韓国政府は、国際社会では司法による外交や政治への介入に慎重だと指摘する国際法学者たちの助言を傾聴すべきである。日韓会談で「植民地支配」に対する謝罪がきちんと議論されなかったのは、参加国のほとんどが植民地を所有していた連合国が中心であったサンフランシスコ講和条約の限界と言える。講和条約の時代的な限界を見据えることと、当時の補償金に徴用者たちの死亡、行方不明、負傷に対する補償が含まれていたという事実を直視することとは、相矛盾するものではない。
多数の判事たちは日韓会談の過程で韓国が「要求額を満たしていない3億ドルだけ受け取った」ことを、原告側の正当性を裏づける資料として用いたが、80年代以後、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領が日本に100億ドルを要求し、最終的に40億ドルが再支給されたという事は認識されていなかったようだ。

「司法府」の判決はもちろん尊重されなければならない。だが、歴史問題が政治外交問題と化した以上、「司法府の判断」が絶対的な権威を有する必然性はない。
全国民が注目する問題であるがゆえに、国民大多数の納得も必要である。が、判決の前提であった「日韓併合不法論」は韓国内においても少数の学者による意見に過ぎず、しかも日本に受け入れられにくい論理である。そうである以上、この判決に日本が納得する可能性は皆無に近いと考えなければならない。2018年の判決はそのようなものであった。

判決文には大韓民国の徴用者を含んだ労務者たちに、1970年代に91億ウォンを、2000年代に約5500億ウォンを支給した、という事実も記されている。漏れた人が存在するのであれば当然配慮されなければならないが、そのためにも日本と韓国政府の行ったことは全国民に共有される必要がある。

この問題が仲裁委員会に付され韓国政府がもし国際社会で失敗した場合、韓国政府に与えられる打撃は決して小さくない。前面に出たのは少数であっても、その後の打撃はすべての国民が受けねばならないのである。であれば、すべきことは明確だ。もう一度、事態の原点に立ち戻って考えてみることである。(以上、原文は2019年6月4日。朴裕河ホームページに掲載)

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