原口由夫, 「鄭栄桓-忘却のための和解 :『帝国の慰安婦』と日本の責任」批判

〔鄭栄桓『忘却のための「和解」』について〕

  本書には、確かに朴裕河氏が言うように、数多くの「誤読」「曲解」がある。私が気づいたそのいくつかを提示したいが、全体の3分の2ほど読んだところで読むのを止めてしまった。何ものをも証明せず、ひたすら恣意的な読み替えで『帝国の慰安婦』を批判する本書に、これ以上読み続ける意味が見出せなくなったからである。したがって、本投稿は中途半端なものとなってしまったが、自分自身の備忘ということもあり、投稿することにした。
【略記号等】
1)最初のページ番号は、本書のページ番号。
2)≫で始まる部分は、本書掲載の、鄭氏による『帝国の慰安婦』の引用。
3)(帝、P.135)の「帝」は『帝国の慰安婦』を、(忘、P.46)の「忘」は『忘却のための「和解」』を指す。
4)>で始まる部分は、本書の地の文(鄭氏の文)。
5)――で始まる部分は、私の文(コメント)。
6)「Soh」は、Sara Soh “The Comfort Women: Sexual Violence and Postcolonial Memory in Korea and Japan, 2008.
7)[ ]内は私の補注。

P.17 ≫当時すでに挺身隊に行くと慰安婦になるという誤解があったから(中略)場合によっては当時のユン教授もそのようなうわさを聞いていたのかもしれない。また、実際に挺身隊に行ったあと、慰安婦になるケースもあったから、そのうわさが必ずしも嘘だったわけではない。
 おそらく、このような混同が生じたのは、実際のケーズに基づくものではなく、そのような「うわさ」自体によるのだろう。(中略)植民地特有の恐怖がそのよう嘘を誘発した可能性が高いのである。(帝、P.135)
>この短い記述のなかには、(a)噂は「誤解」である、(b)噂は「必ずしも嘘だったわけではない」、(c)噂は「植民地特有の恐怖」が誘発した「嘘」である、という一見矛盾する三つの主張が併存している。このため内容への賛否以前に、著者の「噂」についての認識を理解することができないのである。
――この簡単な記述が鄭氏は理解できないのであろうか。鄭氏自ら「一見矛盾する」と言っている通り、「一見」であって実はそうではない。それが分かっていながらこのように(a)(b)(c)などとことさらに分けるのはなぜなのか(分けてみせている、と言うべきだろう)。内容は、挺身隊に行けば慰安婦になるという噂は「誤解」であり、真実ではないという意味で「嘘」であるが、中には実際に挺身隊に行ったあと慰安婦になったケースもあった。誰でも理解できることである。「一般」と「特殊」の違いにすぎない。恣意的に「矛盾する三つの主張」と分析し、曲解しているのである。

P.24-25 ≫「慰安婦」とはいったい誰のことだろうか。韓国にとって慰安婦とはまずは<日本軍に強制連行された朝鮮人の無垢な少女たち>である。しかし慰安婦に対する謝罪と補償をめぐる問題-いわゆる「慰安婦問題」をなかったものとする否定者たちは、<慰安婦とは自分から軍について歩いた、ただの売春婦>と考えている。そしてこの二十年間、日韓の人々はその両方をの記憶をめぐって激しく対立してきた。(帝、P23)
>朴裕河が提示する二項対立は奇妙である。対立の一方が「韓国」であるのに対し、「売春婦」と考える側は「日本」ではなく「否定者」とされる。「二十年間、日韓の人々」が「激しく対立してきた」というのならば、「否定者」を除いた「日本」もまた対立の内部にいるはずである。にもかかわらず二項対立はその存在を曖昧なものにする。この奇妙さに気づくかどうかが、本書の評価の分岐点となる。
――ここでも鄭氏は朴氏の文を「二項対立」と解釈し、この「奇妙さ」に気づくかどうかが本書の評価の分岐点になるとし、「二項対立の恣意性」とも述べているが、この解釈こそが恣意的である。朴氏は韓国で一般化している記憶-強制連行された無垢な少女-(20万人と付け加えてもよい)と日本の一部の極端な否定者-「自発的売春婦」派-を対置しているだけである。鄭氏はこの解釈の後、強制性と軍の関与の問題に若干議論を展開し、否定者が論点を強制性の問題に移しているのであるから朴氏の主張は「否定者の争点の設定を受けいれることを意味する」としているが、大きな間違いである。強制性を問題としているのは否定者だけではない。その強制性の問題も含めて、日韓の対立があるということだ。鄭氏は強制性の問題を否定者の見解とすることで、この問題を矮小化し、朴氏が提起した問題を争点とせず、朴氏の著作の「二項対立」という自らが設定した論理に問題をすり替えることで、この問題からの争点ずらしを図っているのである。実際に、本書には資料に基づいた強制性についての議論は展開されていない。鄭氏はP.28で「もちろん日本軍「慰安婦」制度全体をながめれば、軍による直接的・暴力的な強制連行も存在したことが明らかになっており」としているが、「全体」と一応書いてはあるが、直接的・暴力的な例があるのはフィリピン、インドネシアなどについてであり、朝鮮については確認されていないのである。朝鮮における強制性の問題が大きな疑問となっている現在、それを争点化させないために、あえて強制性の問題を否定者の争点とし、自ら設定した「二項対立」の図式の中に埋め込んでしまっているのである。そもそも、『帝国の慰安婦』を問題とするのであれば、何を置いても、強制性、自発性を問題とすべきであるはずなのに、本書は朴氏の「奇妙な」、「恣意」的な論理の解説に終始しているのである。

P.31 >慰安所設置は兵士の強姦防止に何ら役立たなかったと指摘されている
――不十分な研究成果の理解である。集団的強姦は減少しているという指摘がある(Soh, P.142)。また慰安所設置の目的は性病の予防でもあった。

P.32 ≫そういう意味では、慰安婦たちを連れていった(「強制連行」との言葉が、公権力による物理的力の行使を意味する限り、少なくとも朝鮮人慰安婦問題においては、軍の方針としては成立しない)ことの「法的」責任は、直接には業者たちに問われるべきである。それも、あきらかな「だまし」や誘拐の場合に限る。需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても「法的責任」を問うのは難しいことになるのである。(帝、P.46)
>結局のところ日本国家の法的責任は否定されるのである。
――否定しているのではない。「「法的責任」を問うのは難しい」としているだけである。ここにも恣意的な読み替えがある。

P.32 >一方で朴は「軍属扱いされた業者」が女性たちを連れていったことを認めている。軍属とは日本の陸海軍に勤務した軍人以外の構成員の総称であるから、当然ながら「軍属扱いされた業者」による徴集は、軍による直接的な連行への関与を示す証拠となる。右のような業者=軍属との規定が自説と矛盾することに気づいていないようである。
――これを証拠とするのは初耳である。大体「軍属扱いされた」と朴氏が述べているように、業者は「軍属」ではない。「朝鮮人慰安所管理人の日記」にもあるように、軍属ではない朝鮮人管理人は軍属にのみ許された場所への出入りを断られている。

P.34 >だが、吉見の指摘を支持するならば…..軍が女性の徴集を命じなければ、人身売買も起きようはずがなく、その責任を軍もまた負うべきであることは当然であろう。にもかかわらず朴は、徴集の命令は「物理的な強制連行を想像させる」から「繊細な規定」が必要であるとして、日本軍の関与の事実に関する議論をイメージの問題にすりかえる。
――この章で鄭氏は軍の関与問題について朴氏を批判しているが、永井論文の指摘も含めて軍による慰安所設置と関与(兵站部への帰属、消耗品の給与等)は明らかな事実である。ただすべての慰安所がそうではなかったことは、慰安婦問題を少しでも齧った人間なら周知の事実のはずだ。そのことを朴氏は言っているにすぎないのである。また、吉見氏の指摘を持ち出しているが、さすが吉見氏は鄭氏の言うような、軍による「徴集」、「徴集の命令」などとは言っていない。吉見氏は次のように述べている。「もうひとつは、派遣軍からの要請を受けて、日本の内地部隊や台湾軍・朝鮮軍が業者を選定し、その業者が慰安婦を集めるやり方である」(吉見義明「従軍慰安婦」岩波新書、P42)。その通りである。「研究の成果をまったくふまえていない謬論」とは鄭氏に返されるべき言葉であろう。「まったく」ではないかもしれないが。

P.35-36 ≫軍が慰安婦募集過程でだましなどの違法な行為を取り締まろうとした….このような権力の存在こそが、軍の<管理>事実や主体的な関与を示すものであろう。つまり、たとえ軍が募集に直接関わっていないとしても、そのことが即、軍の関与がなかったことになるわけではないのである。不法で強引な募集を「取り締まった」ことこそが、この問題に対する軍の認知と権力と主体性を示す。
 つまり、だましであれ拉致であれ、国から遠く離れた地域に持続的な需要を作り、業者たちが、ともかくも強制的な手段を使っても女性たちを連れていきさえすれば、商売になると考えるようなシステムを維持したこと自体が問題なのである。(帝、P.224-225)
>・・・・日本軍の役割は業者の「不法で強引な募集を「取り締まった」こと」にあるという理解は、朴がそれでも認めていた業者の不法行為を「黙認」した責任、という主張すらも覆す。「黙認」とは、文字通り黙って認めることを意味する。当然ながら、日本軍が業者の違法行為を取り締まったのならば、これを「黙認」したとの主張は成り立たなくなる。業者が軍の目を盗んで違法行為を行ったとすれば、「黙認」とはいえないからだ。朴裕河が「よい関与」論を採用した結果、「黙認」責任すら否定されてしまうのである。
――ここにも「奇妙な」言い替え、鄭氏の言葉を返すと「トリック」がある。「日本軍の役割は業者の不法で強引な募集を取り締まることにある」などとは朴氏は言っていない。そういう事実があったことが軍の主体的な関与があったことを示していると指摘しているにすぎないのである。理解力が足りないのか、恣意的に解釈して言い替えをしているのである。そこから「黙認」責任論との矛盾、「「黙認」責任すら」の否定に結論付けるのだが、暴論というしかない。これは恣意的に朴氏を貶めるための「謬論」である。

P.40-41 >本書は日本軍「慰安婦」制度が軍による「性奴隷制」であることを認めないが、その際の「性奴隷」説批判も….特異な用語法で行われる。….「奴隷」概念を改変したうえで言明される「「奴隷」だった」という主張は、事実上「奴隷ではなかった」と言っているに等しい。
――ここでは鄭氏が引用している朴氏の文章は挙げないが、それは、慰安婦が「性奴隷」であるかどうかは議論の分かれるところであり、朴氏が「性奴隷」という表現を拒否しようとそれは議論の問題であり、それを批判すればそれですむことなのである。しかるに鄭氏はその批判において、ここでもまた、朴氏の言説の言い替え、曲解を行い、朴氏の主張を「改変」しているのである。朴氏が身体的な拘束を伴った「奴隷」概念と、構造的に強制される存在としての「奴隷状態」を区別して論じているのを、概念の「改変」として、その結論を転倒させている。さらに根拠もなく「国際法学の議論や挺対協の主張を正確に理解せず批判する」とか、「「性奴隷制」概念を「性奴隷」イメージの問題にすりかえ….「慰安婦」の「すべてを表現」していないと的はずれな非難を行うのである」と、朴氏の議論が様々な「慰安婦」証言に基づく実態解明を前提に行われているにもかかわらず、その議論には入らず、概念理解が間違っていると切り捨てることで、鄭氏自身の言葉を使えば「論点のすりかえ」を行っているのは鄭氏自身である。慰安婦・慰安所の多様性についてや性奴隷制概念の政治的側面に関するSarah Sohの研究も参照すれば、鄭氏自身こそ政治的な言説を展開していることを知るであろう。研究者として実態に迫れば、「強制」や「性奴隷」の概念が単純ではないことを知るのである。

P.44 >まず、朴裕河の事実認識には数多くの誤りがある。朴は米国の戦時情報局心理作戦班作成の「日本人捕虜尋問報告書」第49号にある、ビルマ・ミッチナで捕虜となった朝鮮人「慰安婦」20人の記録を根拠に、平均年齢が「25歳」だと主張する。….しかも捕虜時の平均年齢も23.15歳であって「25歳」ではない。また、朴裕河は被害者たちの証言から「「少女慰安婦」の存在が必ずしも一般的ケースではなかった」(帝、P.64)と主張するが、証言した朝鮮人被害者たちの大多数は徴集時の年齢が20歳以下であり….
――ここでは朴氏の原文がなぜか省略されているが、原文は「….尋問を受けた朝鮮人慰安婦たちの「平均年齢は25歳」だった(「Japanese Prisoners of War Interrogation Report No.49」、船橋洋一 2004から再引用)。そしてある元朝鮮人日本兵も慰安婦たちが「20、21歳」だった自分たちよりも年上で、「お姉さん」と呼んでいたと語る(『海南島へ連行された朝鮮人性奴隷に対する真相調査』…2011、P.69・72・120)。」である。
 どこが事実認識の誤りなのであろうか。貶めるための誇張である。言うまでもなく、この25歳という数字は証言記録に書かれている「average Korean girl…is about twenty-five years old」から来ているに過ぎない。つまり計算による正確な平均年齢なのではなく、証言記録者の印象なのである。そして実際の年齢も、同報告書の付録のリストにある記録番号順に記せば、21、28、26、21、27、25、19、25、21、22、26、27、21、21、31、20、20、21、20、21、であり、記録者が「about 25」としたのもうなづける(大体、平均値は鄭氏も書いているが、23.15であるから、「about 25」と大差はない。事実誤認ではない)。しかも、「徴集」時(1942年。尋問時は1944年)の年齢は、19、26、24、9、25、23、17、23、19、20、24、25、19、19、29、18、18、19、18、19、であるから、「徴集」時の年齢が20歳以下の人数は、20人中12人である。これを鄭氏は「大多数」としているが間違いであり、これこそが事実誤認であり、欺瞞である。さらに「名乗り出た被害者たち52人のうち、徴集時の年齢が20歳以下だったものは46名にのぼる」とか、「鄭鎮星によれば、1993年12月時点で韓国政府に申告した元「慰安婦」被害者175人のうち、「徴集」時年齢が20歳以下だった者は156人であった」と表まで付けて示しているが、戦後50年前後の時点で生き残っている人が若くして「徴集」されている人が多いのは当たり前である。高年齢者ほど鬼籍に入っているからである。つまり、鄭氏が挙げた52名と175名の年齢は、「徴集」されたのが20万人であろうと3万人であろうと、いずれにしても、50年以上前の「徴集」時の慰安婦全体の年齢については未成年がいたという事実以外は何も語ってはいないのである。1944年の20名の記録では不十分と言うなら、最近タイで発見された終戦直後の数百名の慰安婦の記録を精査すれば、より多くの知見を得ることができるであろう。ちなみに、私が、KBSで放送されたテレビ画面に映る25人の年齢を平均してみたところ、それは26.8歳であった。
 以上の慰安婦の年齢問題に続けて、鄭氏は上野千鶴子の慰安婦パラダイムを紹介し、朴氏が「少なからぬ影響」(忘、P.46)を受けているとするのみならず、「『帝国の慰安婦』がその基本的なモチーフを上野論文から借用していることがわかる」(忘、P.47)、「上野千鶴子のレトリックを本書が借用している」(忘、P.47)とまで述べているが全く無意味な指摘であるのは、内在的な批判にはなっていないからである。

P.57  ≫そこで考えられるのは、親たちが娘たちの行く先が、単なる「挺身隊」ではないと考えていた可能性である。その形が<自発>だろうが<強制>だろうが、娘たちを待っているのが「慰安婦」の仕事と考えての悲しみであったかもしれない。そこには、娘たち自身の悲しい<嘘>――性に関わる仕事ではないと自分と親に納得させるために、内容が分かっていながら「挺身隊」に行くと話すような――があったかもしれないし、娘を貧しさゆえに売った親たちの<嘘>が介在していたかもしれない。多くの売春女性や強姦された女性たちが、その事実を公には言えなかった差別的な社会構造こそが、挺身隊と慰安婦の混同を引き起こし、いまだにひきずっている根本的な原因とも考えられる。(帝、P.62)、
>衝撃的な解釈である。もし朴のいうように親たちが「挺身隊」を「慰安婦」と理解していたとするならば、その最大の要因は日本軍や業者が挺身隊の名目で朝鮮人「慰安婦」を集めた事実があったからであろう。それが、当事者女性やその親たちの<嘘>の責任にされる。
――「衝撃的な解釈である」。本書P.17ですでに扱われた箇所に出てきているように、「挺身隊に行ったあと、慰安婦になるケースもあった」という<噂>がその要因であることは著者である鄭氏は承知のはずである。しかも、「当事者女性やその親たちの<嘘>の責任に」などされてはいない。日本軍や業者を免責していると言いたいのだろうが、全く文脈からずれた読み替えである。さらに鄭氏は続けて言う。
>そもそも、朴のいうように、自発的に行った女性も娘を売った親もみんな「挺身隊」に行くと嘘をついていたならば、なぜ親たちは挺身隊動員を「慰安婦」への徴集だと考えることができたのか、まったく説明がつかない。
――この理解からは「説明がつかない」。理解できないのか(そんなはずはない)、理解できないふりをしているのか、先行するP.17の著者の言葉とすれば「説明がつかない」。

P.59 ≫おそらく、このような混同を生み出したのはまずは業者の嘘によるものだったはずだ。「挺身隊に行く」と偽って、実際には「慰安婦」にするために戦場に送るような嘘である。それは自分の利益のためのみならず、軍が要望する圧倒的な数に応えるためにも、「挺身隊」という装置が必要だったのだろう。合法的な挺身隊の存在が、不法なだましや誘拐を助長したとも言える。そこに介在した嘘は、慰安婦になる運命の女性たち自身や周りの人々、そしてその家族をその構造に入りやすくする、無意識のうちに共謀した<嘘>でもあった。そこで行われている最後の段階でも民族的蹂躙を正視しないためにも必要だった、<民族の嘘>だったのかもしれない。
 つまり、彼女たちのみならず、彼女たちを守れなかった植民地の人々すべてが、<慰安婦でなく挺身隊>との<嘘>に、意識的あるいは無意識的のうちに加担した結果でもあったのである。そして、そのような嘘を必要とする事態こそが、「植民地支配」というものであった。(帝、P.62)
>・・・・周到に日本軍の嘘のみを排除したうえで、<民族の嘘>なる驚くべき言葉が作られるに至る・・・・
この「共謀した<嘘>」なる言説が破綻していることは、上の引用だけからでも明らかである。女性や親たちが嘘をついていたとするならば、業者は嘘をついていないことになる。業者が連れていく目的を伝えていなければ、親や女性たちは嘘などつきようがない。結局朴のいう「共謀した<嘘>」「民族の<嘘>」論は、日本軍だけでなく業者すら免責し、末端の民衆たちに責任を転嫁する言説なのである。この<民族の嘘>なる言説は日本の植民地支配下を生きざるをえなかった朝鮮民衆の経験を不当に貶めるものといわざるをえない。
――鄭氏は理解できないのではなく「結局」以下に続く結論に持っていくために朴氏の言説を改変しているのである。「女性や親たちが嘘をついていたとするならば、業者は嘘をついていないことになる。」とはどういう理解なのか。曲解である。業者がつく嘘を嘘と思いながら内心を納得させる親や女性の自分自身や互いへの嘘という構造が植民地支配の桎梏もとであったのであり、その構造的な<嘘>を朴氏は「民族の<嘘>」と呼んでいるのである。日本軍や業者を免罪しているわけではないことは明らかである。

P.63 >2 千田夏光『従軍慰安婦』の誤読による「愛国」の彫琢
――「彫琢」というのは「宝石などをきざみ磨くこと。そこから、詩文の字句に磨きをかけること」(広辞苑)ということらしいから理解不能な見出しである。「・・・の誤読による、「愛国」意識の恣意的造作」とでもいうことであろうか。後に登場する「簒奪」といい、大げさな言葉である。しかも、誤用である。

P.63 >・・・・朴は・・・・千田が「慰安婦」について取材するきっかけとなった写真にふれ・・・・和服姿の朝鮮人「慰安婦」とそれを「蔑みの目」でみる中国人の写真を想像[させる記述をしているが]、・・・・能川が明らかにしたように、そのような写真は存在しない。
――存在している。現に本書のP.63の写真がそれである。渡河する二人の女性の写真と混同しているわけではない。鄭氏自身が理解していないだけのことである。

P.64 >実際『従軍』[千田夏光『従軍慰安婦』]をどれだけ探しても、朝鮮人「慰安婦」の本質が「愛国」的存在だったとの主張は見つからない。驚くべきことに、「どの研究よりも」「本質を正確に突いた」と称えるにもかかわらず、千田がどこでそう指摘したかも記されていない。
――ここでも朴氏の言説を巧妙に言い替えている。朴氏が「慰安婦」一般について述べているにも拘らず(「千田は慰安婦を、兵士と同じように、戦争遂行を自分の身体を犠牲しながら助けた<愛国>的存在と理解している」(帝、P.25))、「朝鮮人「慰安婦」」と限定することで、「どれだけ探しても」それは「見つからない」と言うのである。さらに「千田がどこでそう指摘したかも記されていない」としているが、それを「朝鮮人「慰安婦」」という文言に限定する限りは存在しないだけのことである。
P.66 >そもそも、日本人女性たちの「お国の為に働ける」という証言にしても、戦争遂行を助ける「愛国」的存在という解釈にはおさまりきらない側面がある。女性たちがこのように考えたのは、いずれも募集の際や「戦場に着いた当初」である。斉藤の証言はむしろ後方では「共同便所」扱いされる現実があったことを物語っている。
――この文の前に鄭氏が引用している千田の文は朴氏も引用(帝、P.73)しているにも拘らず、そのことは全く指摘されていない。それは、P.64で「千田がどこでそう指摘したかも記されていない」と朴氏の論拠を批判した手前、そう指摘するのを避けたのかもしれないが、それはともかく、誤読である。まるで「当初」は「お国の為に働ける」と思っていたが、後にはそうでないことが分かった、と言っているのだが、引用されている斉藤キリの証言は「第一線」と「後方」の扱いの違いを述べているだけのことなのである。真面目に書いているのなら誤読であるが、朴氏の「愛国」的存在論を否定するための嘘と言うことができる。

P.66 >朴裕河は証言以前に、千田の「声」を理解していないのである。
――「千田の「声」を理解していない」ということを示すために朴氏の言説の改変が行われているのである。

P.66-69 >この解釈の問題点は明らかである。朝鮮人についての証言でないにもかかわらず、<朝鮮人「慰安婦」=日本人「慰安婦」>という図式に従って、ただちに朝鮮人もそうであったろうと推測する。・・・・朴は検証すべき仮説をあたかも証明された命題であるかのように用いて個々の事例を演繹的に解釈する誤りを犯すのである。「女性たちの声にひたすら耳を澄ませる」こととは程遠い。
――鄭氏は朴氏が数多く挙げている「証言集」(挺対協編)からの引用(帝、P.80-88)を全く無視して千田からの引用のみを取り上げ、朴氏の論拠を「不可解」「飛躍」「誤謬」と断じているが(忘、P.68)、「証言集」 「女性たちの声にひたすら耳を澄ませる」朴氏の姿勢を無視して、自らの命題に結論付けるための恣意的な論法である。

P.72 >朴裕河の解釈には明らかに無理がある。「同族」という言葉や「同志意識」は「春江」や「梅千」のものではなく、「私」「おれ」の言葉だからだ。もしこれらの小説から読み取れるものがあるとすれば、それは「慰安婦と自分を同一視」する「私」「おれ」の姿である。
――これも詭弁である。「同族」という言葉が登場するのはまず兵士の言葉としてであるから、そのような意識は慰安婦たちにはないと言うのである。慰安婦が軍人を自分と同一視した、「春江」の言葉はここで全く消されることになる。「同族」という言葉が使われた意味を無視して、言葉としての「同族」だけを取り上げるからである。その結果、慰安婦が軍人を自分と同一視したことはなかったことになるのである。恣意的な論法である。

P.78 >2 証言の簒奪
――「簒奪」とは「帝位を奪い取ること」(広辞苑)らしいから、これも意味不明の見出しである。大げさな言葉を使っているが誤用である。一例しか挙げていないが、「証言の略取」とでも言いたいのであろうか。

P.80 > ・・・・重要な個所なので引用しよう(【 】部は朴裕河が引用した箇所である)。
 「私は口が上手じゃなかったからうまくも言えないし、私は思った通りにしか言えない人間だから。【日本人に抑圧はされたよ。たくさんね。しかし、それも私の運命だから。私が間違った世の中に生まれたのも私の運命。私をそのように扱った日本人を悪いとは言わない。】同じ韓国人だけど韓国人が主人になってからどれほど私を殴ったかわからない。客をとらないからって。股が痛くて死にそうなんだ。たくさん涙も出てくる。ご飯も食べられない。夜は軍人が来ないから自分の世界だと思えて大丈夫なんだけど、夜が明けると軍人が来ると思うと、ただそのまま地獄に入るような気がする。地獄で生きているみたいだ。軍人たちが怖くて。(中略[ママ])いま思うとなんであんな目にあったのかと思う。私は犬も同じだ。・・・・アイグ、日本の軍人のことを考えると本当に恨めしい。恨めしいのは恨めしいけど、あの軍人たちもみんな死んだはずだよ」。

P.80 >「苦痛を作った相手」とは、自分を銃台で殴り続けた軍人をさすが、黄さんの力点は「運命」にあり、許しではない。「悪いとは言わない」とはあるが、「許す」とは一言も語っていない。
――「「苦痛を作った相手」とは、自分を銃台で殴り続けた軍人をさす」とあるが、それだけではないであろう。だからこそ「運命」という言葉が登場するのである。また鄭氏は言外の意味というものを全く認めないらしい。それはともかく、朴氏自身の言葉を正確に引用しておこう。朴氏は証言を引用した後、「自分の身に降りかかった苦痛を作った相手を糾弾するのではなく、「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している」と述べている。「許すかのような彼女の言葉は」「ひとつの道筋を示している」としているのである。どこが「簒奪」なのであろうか。私もこの黄さんの言葉に感動する者の一人だが、そこから感じ取れるものは、やはり「運命」という言葉で「許すかのような」彼女の広く深い心なのである。朴裕河氏はその心の声を聞き取り、そこから新しい道筋を見出そうとしているとしか思えないのである。

Original Link 2016年8月21日