二度目にハルモニに会いに行った時は、NHKソウル支局の記者たちと一緒だった。NHKの記者とは、韓国語版が発刊された時インタビューに応じたのがきっかけとなって知り合った。『帝国の慰安婦』に対する韓国メディアの反応が悪くなかった((盧 志炫) 朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』)ことに対して興味を持つたようで、この本が韓国社会にどのように受け入れられるのかを記録しておきたいと言い、私の学生たちにもインタビューを行った。
そして、慰安婦問題をめぐる私の足取りを追いたいので、関係ある日程などあれば教えてほしいと頼まれた。
私は彼に協力した。『帝国の慰安婦』は日本を向けて書いた本でもあり、アジア女性基金解散以降、慰安婦問題にあまり興味を示さなくなっていた日本のが慰安婦問題に興味を示してくれているのだから、拒む理由はなかった。
また、その記者は、偶然にも私が留学中に在学していた大学の後輩でもあった。そのため、何回か会ううちに打ち解けた話もできるようになった。慰安婦問題解決にも役立ちたい、と言っていたので私は彼を信頼した。ぺ春姫さんと電話で二度目の訪問の約束をした時、記者にその日程を教えたのはそのためである。
そして前日、ナヌムの家の所長にも明日訪問する旨のメールを送った。返事がなかったので、翌日の朝に再度電話文字を送った。やはり返事はなかったが、いざ訪ねてみると安所長は事務所にいた。事務所を通してはじめて会えるシステムなので、ぺさんに会う約束をしたと告げたが、所長はNHK記者とともに訪ねてきた私を露骨に警戒した。そして、映像撮影はだめだと言った。
この日の訪問目的は、食堂で始めて会って少ししか話せなかったぺさんにあって時間をかけて話を聞くことにあった。なので所長の拒否は納得もいかず残念だったが、仕方がなかった。私たちは録画をあきらめ、ぺさんの部屋で話を聞いた。
私たちがぺさんの話を聞いている間、ナヌムの家の職員が何度も様子を見に来た。話の内容が気になったのだろうか。ともかくその日わかったのは、ナヌムの家の元慰安婦の方々には自分の意志とおりに外部の人に会える自由がないという事実だった。そうした状況はその後もっと繰り返し確認できた。
私を訴えた直後に、ナヌムの家の所長はこの日の訪問について、記者が 「朴さんがボランティアをやっているところを撮りたかった」と話したと、悪意のある嘘をフェイスブックに書いて私を非難した。また、関係者たちに同じ話メールで送りつけた。さらに、2015年12月、 起訴抗議んの記者会見を私が開いた直後にも、この話をメールでいろんな人に送りつけていた。しかも、その後、日本の支援者たちの集会でも同じことを話したと聞く。日本の北原みのりさんなどは所長の言葉を信じ、その話を SNSで拡散させた。
これまで私はこの件に関して積極的には解明しなかった。そうした話は一笑に付されるものと考えたし、時間もなかったからである。
しかし、日韓合意の後、これまで運動を担ってきた人たちによる攻撃はさらに強まり、いまや学者による曲解や非難までも周辺の人が確認せずに信じて拡散させるにいたっている。
私がこの文を書くことにしたのは、そうした内容のものが「証拠資料」という名前で刑事裁判部に出されているためである。自分を守るためでもあるが、友人たちの名誉を守るためでもある。
それにしても、こうしたことを書かないといけない状況を心から悲しく思う。あるいは、喜劇というべきだろうか。
以下の下線の引用は、ナヌムの家の所長が関係者たちに送ったメールからの抜粋である。
パクユハ氏、ナヌムの家の所長に電話し、挺対協反対行動に参加することを強要
2014年2月頃、なんの面識もないパクユハ教授がナヌムの家の所長に電話をかけ、所長もそろそろ挺対協に反対の声をあげる活動に参加せよと強制し、電話を切るときは親切に応答してくださってありがとうと言いました。そしてパクユハ氏が一度会おうというので、所長は毎週月曜と木曜以外は週末もナヌムの家で勤務しているので、そこで会おうと言いました。これに対してパクユハ氏は、外交部で発表をするため時間がないので、セジョン大学で会おうと言いました。しかし、所長の日程上、セジョン大学で会うことはなかった(以上、安信権利、2015年12月はじめのメール)
私の携帯に残っている文字テキストによると、ナヌムの家の所長に電話したのは2013年11月15日だった。 慰安婦関連の外交部の会議に呼ばれていたが(学者としての意見を述べただけで、「発表」ではなかった)、出席者名簿に所長の名前もあったので、彼がソウルに来る機会を使って会って、慰安婦問題をめぐる謝罪と補償についての考えを聞いてみたかった。そこで彼に電話したのである。そして、会議の前にでもソウルに来ることがあれば、会いたいと言った。私は世宗大学で会おうとも、挺対協に反対しようとも言っていない。もちろん 、「強制」したこともない。
最初の出会いの翌日、私はともかくも当惑させたことへの誤りの言葉とともに、「私も解決方法を模索しているので出来れば本を読んでほしい。その後、また会いましょう。必要であれば本を送ります」と電話メールを送った。彼はこのとき私に「忙しい中、ナヌムの家を訪ねてくれたことに感謝します。本は自分で買います」との返事をくれた。
ということは、彼が私を敵対視するようになったのは、必ずしもこの訪問ではなかったかもしれない。既に書いたこともあるが、安所長が私を訴えた背景には、ぺさんと親しく交流したこと、そしてそのぺさんを含む元慰安婦の方々数人の声をシンポジウムを通して世に送り出したことがある。
さらに所長は、多くの人にばらまいたメールで次のようにも書いていた。
パクユハ氏、ナヌムの家の訪問申請やハルモニたちの許可もなくNHK-TVの撮影を試みる
パクユハ氏がナヌムの家に訪問し所長と初めて会った時、事前に「ナヌムの家」やハルモニたちに知らせたり許可を得ることなく、一方的に日本NHKの記者を連れてきました。そしてNHK-TVの記者は、ハルモニたちとパクユハ氏が交流している姿を撮影したいと言いました。所長が、ハルモニたちに事前に同意をしてもらわなければならないのに何事だ、と問いただすと、パクユハ氏は謝りもせずに「ナヌムの家」は誰もが撮影するところではないかと言いました。 NHK-TVの記者は、所長に、パクユハ氏がボランティア活動をしている姿を撮りたいと言ってきました。そこで所長が「日本軍慰安婦被害者」ハルモニたちのためにパクユハ氏がボランティアをしたことなどないのに一体何を撮るのか、と聞き返しました。そして撮影は不許可となりました。
すでに書いたように、私はこのときぺさんと前もって約束をしている。元慰安婦の方に会いたがっているNHK記者がいるのでよかったら一緒に行く、と事前に了解をとってもいる。撮影するとすれば対象は私ではなくぺさんだったし、日本に向けての撮影なのだから当然のことだ。 「朴裕河さんがボランティア活動をする姿を撮りたい」と記者が言ったというのは、所長の嘘でしかない 。
ともあれ、わたしたちはその日、一時間ほどぺさんの話を聞いた。