「『軍艦島』に被害者はいない」韓国の教授が映画を分析し批判=韓国ネットは反発

数日前に映画軍艦島についてFacebookに書いたところハフィントンポストが転載しました。その後キリスト教系のCBS系列と見える「ノーカットニュース」がこれを記事のようにして報道してもいました。(両方とも承認済みです)
その記事を日本語に翻訳して日本の読者向けに報道したところがありましたが、いくつか誤訳があったので直しておきます。
なお、この記事が紹介している非難を私は見てませんが、それはこの文を書く前に私が書いた一連のフェイスブックでのポスティングを読んでないゆえのものも多いかと思われます。私はこれを書く前に鉱夫と言う職業の悲惨さについて書いてます。さらに、この映画が韓国の劇場を構造的に独り占めしていたことを批判しました。
もちろん韓国のネットでは「朴裕河」との名前に悪い印象を持っている人が圧倒的多数なので、私が書いたということだけで警戒の目で見られている傾向はあります。上映館を独り占めしていることに関しては多くの人が批判しているものの、朴裕河の批判となるとどのように受け止めるべきか悩んでしまう傾向が見えるのです。この全てが、訴えられた結果ですが。
しかし少なくともFacebookでは多くの方の支持を得られました。だからこそ転載されたり記事になったりしたのです。韓国の状況を理解していただくため付け加えてみました。
以下、翻訳の修正です。
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軍艦島からは「過去の人間が起こしたことに対するつらさ」しか感じられないため
“。。。起こしたことに対する痛みが感じられないため”
その上で「過去の傷への顧慮はなく、すぐに“今日の誇り”として21世紀の大韓民国を描き、満足感を補っている。
“。。。過去の痛みを、深く考えることなくそのまま今日の誇りに置き換えた21世紀大韓民国の代理満足のみがある。”
制作者や出演者の意図とは関係なく、映画の中の『被害者』とはただの観念であり、そのように形式化された被害者は“消耗品”でしかない」と主張した。
“。。。そこでは被害者はただの観念でしかなく、形骸化された「被害者」は消費されるほかない。”
『軍艦島』は日本と朝鮮の対立構造を描いているという点でこれまでの映画と変わらない」と強調した。
“。。。日本と朝鮮を対立構造として描いているという点で、”

「『軍艦島』に被害者はいない」韓国の教授が映画を分析し批判=韓国ネットは反発