(<帝国の慰安婦>と裁判をテーマにした修士論文) <国民感情と歴史問題:『帝国の慰安婦』をめぐる裁判より>より抜粋

(高松好恵修士論文抜粋)

<帝国の慰安婦>について

 

“それは、慰安婦問題をこれまでのように「戦争」に付随する問題ではなく、「帝国」の問題として考えたことです。「慰安婦」を必要とするのは、普段は可視化されない欲望――強者主義的な〈支配欲望〉です。それは、国家間でも、男女間でも作動します。現れる形は均一ではありませんが、それをわたしは本書で「帝国」と呼びました。”[1]

それまで戦争犯罪としてのみ扱われてきた慰安婦問題を朝鮮人慰安婦に限定しつつ植民地支配が引き起こした問題として考え、しかし、これまで日本がその点を認識したことはなかったことを強調し、したがって、それに基づく謝罪と補償が新たに必要、としたのがこの本だった[2]

 

“本書で試みたのは、「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませることでした。というのも、一九九〇年代に問題となって二〇年以上時間が経つうちに、いつのまにか当事者たちの声はかき消され、日韓両国の政府や市民団体の声ばかりが大きくなった気がしたからです。確かに人前に現れた元「朝鮮人慰安婦」たちは何人もいますが、それでも全体からするとごく少数だったと言えるでしょう。そこで、より多くの人たちの声を集め、改めて聞こうとしたのです。しかし、彼女たちの声を元に「朝鮮人慰安婦」の総体的な像を描きなおす作業は、孤独な作業でもありました。というのも、それは「韓国の常識」や「世界の常識」に異議申し立てをすることだったからです。”[3]

 

“現在まで出ている慰安婦証言集を読む限り、『日本軍に強制連行』されたと話している人たちはむしろ少数である」としながらも、軍による慰安婦の募集要請に関する資料が多く発見されていることから「軍が慰安婦を必要とし、そして募集と移動に関与したことだけはもはや否定できない」とする。”

 

“日本軍の責任は「他国に軍隊を駐屯させ、長い間戦争を遂行することで巨大な需要を作り出したという点」にあるとする。その「〈巨大な需要〉に誘拐やだましの原因を帰せずに、業者のみに問題があるとするのは、問題を矮小化することでしかない」とする。そして、「数百万の軍人の性欲を満足させられる数の「軍専用慰安婦」を発想したこと自体に」軍の問題があり、「強制連行があったか否か以前に」、巨大な需要にこたえるために誘拐やだましが横行しても〈黙認〉してきたことに日本軍の責任があるとする[4]。さらに、軍の問題は戦争を始めた「国家」に責任があるとする。

 

“からゆきさんが「最初から軍人を慰安するために動員された「軍慰安婦」と同じ存在ではない」としながらも、慰安婦の本質は「からゆきさんの後裔」にあるとした。経済・政治的勢力拡張のために移動した男性たちをその地に縛っておくために、からゆきさんが動員されたとしており、「性的慰安を含む〈故郷〉の役割を果たすことで男たちの郷愁を満たし、故郷へと向かう心を抑制する」のが慰安婦の役割であり、「国家とその共犯者たちに身体を管理されながら、本格的に帝国主義に乗り出した国家に協力する存在となっていった」とする。”

 

“「植民地化」とは、「国家(帝国)に対する協力を巡って、構成員の間に致命的な分裂を作る事態」であるとする。”

 

 

“1990年代の「慰安婦問題」の発生後、「「慰安婦」をめぐる韓国における集団記憶を形成し固めてきた」のは挺対協であるとする。挺対協は、韓国内で「「慰安婦」に関する情報提供者として絶対的な中心位置に存在してきた」歴史があり、その「運動は成功し、今や〈強制的に連れていかれて性奴隷となった20万人の少女〉の記憶は、〈世界の記憶〉となった」とする。”

 

“また、挺対協の「アジア太平洋全地域に渡る各国の未婚女性が慰安婦になったが、その中の80%が韓国人未婚女性だった」とする説明では、「だまされて行ったとはいえ、「朝鮮人の未婚女性」が〈帝国支配下の日本国民〉として戦場へと移動させられたこと」がみえにくく、「朝鮮人女性が「日本人」として動員された、日本人女性を代替・補充した存在だったこと、軍人を励まし補助するために動員された存在であること」がみえないとする。”

 

“「植民地だったことが、最初から朝鮮人女性が慰安婦の中に多かった理由」ではなく、「内地という〈中心〉を支える日本のローカル地域になり、改善されることのなかった貧困こそが、戦争遂行のための安い労働力を提供する構造を作」り、「朝鮮を政治的のみならず、経済的にも隷属する、実質的な植民地として、人々を動員しやすくした」とする。朝鮮人女性は、日本語の理解度も他地域の女性に比べて高かったこと、外見も日本人女性に近かったことにふれ「日本人を代替するにもっともふさわしかったからであろう」とする。”

 

“「朝鮮人慰安婦」という存在を作った原因として、「植民地の貧困、人身売買組織が活性化しやすかった植民地朝鮮の社会構造、朝鮮社会の家父長制、家のために自分を犠牲することを厭わなかったジェンダー教育、家の束縛から逃れたかったため」などを列挙しつつも、それらを考慮しても、最も大きな原因は「朝鮮が植民地化した」ことであるとする。だからこそ、「日本軍の強制連行」のみに慰安婦の原因を帰すのは、「朝鮮人慰安婦を多く出した植民地の矛盾をかえって見ないようにするだけ」であるとする。

 

“そして、朴教授は自らのこうした指摘を「慰安婦の悲惨さを軽く扱うためではない」とする。「戦争に動員されたすべての人々の悲劇の中に慰安婦の悲惨さを位置づけてこそ、性までもを動員してしまう〈国家〉の奇怪さが浮き彫りになるから」であり、「それぞれの境遇が必ずしも一つではなかったことを認識して初めて、「慰安婦問題」は見えてくるだろう」とする。”

 

“「性奴隷」というイメージについては植民地の国民として、日本という帝国の国民動員に「抵抗できずに動員されたという点において、まぎれもない日本の奴隷だった」とする。しかし、慰安婦=「性奴隷」という認識が「〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り、朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような「奴隷」でない」とする。「性奴隷」は「性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽してしまう言葉」であることを指摘し、「「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる」とする。”

 

“「韓国が植民地朝鮮や朝鮮人慰安婦の矛盾をあるがままに直視し、当時の彼らの悩みまで見ない限り、韓国は植民地化されてしまった朝鮮半島をいつまでも許すことができないだろう」とする。それは、「植民地化された時から始まった韓国人の日本への協力――自発的であれ強制的であれ――を他者化し、そのためにできた分「日本は1945年の大日本帝国崩壊後、植民地化に関して実際には韓国に公式に謝罪したことはない」とする。裂をいつまでも治癒できない」、つまりは、「いつまでも日本によってもたらされた〈分裂〉の状態を生きていかなければならないことを意味する」とする。「〈責任〉を負うべき主体を明確にし、その責任を負わせることが運動の目的なら、まずは慰安婦問題をめぐる実態を正確に知る必要がある」とする。”

 

日韓基本条約は「少なくとも人的被害に関しては〈帝国後〉補償ではな」く、「あくまでも〈戦後〉補償でしかなかった」とする。だから、「日韓協定自体を揺るがすのは、あまりにも問題が複雑になる」が、「いま必要なのは、当時の時代的限界を見ることであり、そのうえでその限界を乗り越えられる道を探すことではないだろうか」と問いかける。“

 

“1995年に、戦後初めてアジアを相手とした戦争や植民地支配について公式に謝罪した村山富市首相による「戦後処理問題についても、我が国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私はひき続き誠実に対応してまいります」[5]とした言葉を受けて、「基金」が発足したことを指摘し、「談話の志は果たして引き継がれてきたのだろうか」と疑問を投げかけるも、「いまだ全うされていない」とし、日本政府はこの「「志」の完遂を、めざすべきであろう」とする。

 

“しかし、支援団体を否定しているわけではなく、「当事者主義を取り、誰よりも慰安婦たちの身になって考え行動してきたであろうことは疑いの余地がない」とする。しかし、「正義自体が目的化してしまったために、皮肉にも慰安婦は、そこではすでに当事者でなくなっていた」とする。”

 

“そして、「そのような日本国内の左右の対立こそが、慰安婦問題を解決させなかったもの」とする。韓国においてもまた、「戦時の性暴力と女性の人権を訴え」るはずの挺対協の運動が「「慰安婦問題」自体の解決以上に〈左翼が世界を変える〉政治問題により関心があった」とし、そうした構造が見えてこなかったのは、「冷戦的思考を引きずったものであるにもかかわらず、単に民族と女性の運動に見えた」ことに起因するとする。”

 

“しかし、「日韓や左右の分裂と対立によって生まれる苦痛は、結局のところ、慰安婦たちが受け持つことになる」とする。「日韓政府はただちに、この問題の解決を話し合う国民協議体(当事者や支援者や識者をまじえた)を作るべき」であり、「期間を決めて(半年、長くても一年)ともかくも〈合意〉を導きだすことを約束して対話を始めるのが望ましい」とする。さらに、「日韓のマスコミは、この20年の誤解を正し、お互いへの理解を深められるような記事を書くべき」であるとする。「両国の植民地・帝国経験者たち」、つまり「当事者たちの生存中に」問題を解決する必要があるとし、「日本が、日本人の犠牲を中心においた戦争記憶だけでなく、〈他者の犠牲〉に思いをはせるような、反支配・反帝国の思想を新たに表明することができたら、その世界史的な意義は大きいはず」であるとする。 「民族の違いや貧困という理由だけで他者を支配し、平和な日常を奪ってはならないという新たな価値観を、慰安婦問題の解決に盛り込みたい」とする。“

 

 

<鄭栄桓の朴裕河批判について >

 

“鄭のいう「慰安婦」の本質が〈日本軍に強制的に連れて行かれた少女〉のことであるなら、朴教授はその本質を修正しようとしたのではない。その理由は、第一に朴教授は「日本軍に強制的に連れて行かれた少女」のイメージを否定しているのではない。これについての直接的な言及として、千田による研究を引用し「「日本軍に強制連行」されたと話している人たちはむしろ少数である」と指摘している程度である。第二に、朴教授は「「慰安婦」の本質を見るためには、「朝鮮人慰安婦の苦痛が、日本人娼妓の苦痛と基本的には変わらないという点をまず知る必要がある」と指摘するが、この言葉は、韓国社会において慰安婦の本質であると考えられてきた〈日本軍に強制的に連れて行かれた少女〉の姿さえも包括する、植民地支配の被害者としての慰安婦を朴教授が描き出そうとしていることを示すとみることができる。したがって、少なくとも鄭の指摘する本質の修正にはあたらない。

 

“鄭書は『帝国の慰安婦』をどのようなものとみているのか。鄭は『帝国の慰安婦』の特徴について、「日韓対立を『慰安婦』のイメージの修正により調停し『和解』を図ろうとするところにある」[6]としている。”

 

(鄭のいうような)“ 日本において『帝国の慰安婦』を絶賛する状況が実際にあるとすれば、朴教授を擁護する知識人たちがすべきことは、例えば、日本が元慰安婦に対してこれまで取ってきた措置を細かく検証し、そうした措置では達成されなかった部分を補うような措置、あるいは過去の試みを包括した、より誠意ある対応が実行されるよう政府にも国民にも働きかけることではないだろうか。なぜなら、朴教授は『帝国の慰安婦』全体を通じて、慰安婦問題は植民地支配が引き起こした問題であるとの認識の下、日本に対し植民地支配への反省に基づく謝罪と補償を求めているからである[7]。そして、そのために思念するのも議論するのも実際に実行するのも、日本の側が主体となるべきであると考えていることが読みとれる。”

 

“だからこそ、鄭が『帝国の慰安婦』の絶賛状況を問題視するのであれば、それは結果として日本の側が自らの責任や謝罪および補償について再考する機会を失わせることにすらつながるのである。”

 

“繰り返しになるが、日本の謝罪や補償を求めているという点では、朴教授と鄭は同じである。鄭が日本の知識人たちについて、朴教授が日本を免責した書籍を出し、それにもともと日本の責任を否定する立場の者が呼応したというように考えているのであるとしたら、これも明らかな状況の読み誤りであるといえる。朴教授は、実際に一部の保守派の人間が、この意味で『帝国の慰安婦』を利用したことを指摘もしたが[8]、それも保守派が書籍の内容を理解しなかったために起きたことにすぎない。結局は『帝国の慰安婦』の叙述が明晰さを欠くというのも、根拠のない批判であるとするよりほかにない。”

 

(鄭による)「(b)日本軍には制度を「発想」し、「需要」を作り出した責任だけがある」という指摘は朴教授の論旨からは導き出すことはできない。朴教授は、兵士たちの人間としての自然な性欲を、戦時という特殊な状況の下で慰安所の設置によって解消しようとしたことが日本軍の責任であると述べているのであり、兵士個々人に責任を転嫁したのではない。その慰安所という「発想」も、それに対する「黙認」も、鄭のいう性欲自然主義を「需要」として作り出すに至ったと読みとれるため、兵士たち個人の「性欲」に責任があることにはならないのである。”

 

“本論では『帝国の慰安婦』にいち早く反応し、批判的な検証を試みた書籍として『忘却のための「和解」』を取り上げた。この書籍でなされるすべての指摘を検証することはできないが、恣意的な判断に基づく批判を含んでいると考えざるを得ない。”

 

<裁判について>

 

“第三審においてもし朴教授が有罪とされた場合、韓国社会において確たるものとして築かれてきた「慰安婦」のイメージと対立する別の「慰安婦」イメージを提示することは、犯罪行為として認定されることになる。

 

“(朴裕河は裁判所で)「『帝国の慰安婦』は、慰安婦問題に無関心だった日本に向けて、慰安婦問題を思い起こしてもらい、解決に乗り出すべきだと促すために書き始めた本」であったが、「日本のみならず韓国でもこの問題を考え直すことが急務だと思い、結局先に出したのは韓国語版」となったとする。だからこそ、「当初は日韓両国で同時に出したかった」が、起訴後、和田春樹が「日本で慰安婦問題を喚起させる機能がある」としたことは、「私の努力が無駄ではなかったということを証明」するとする。”

 

“(朴裕河は裁判所で)『帝国の慰安婦』は、民族とジェンダーが錯綜する植民地支配という大きな枠組みで、国家責任を問う道を開いた」とする加納実紀代[9]の発言などを取り上げ、「こうした評価が、『帝国の慰安婦』の日本への批判をきちんと受け止めてのものであることは言うまでもありません」とする。”

 

“朴教授の『帝国の慰安婦』は、何よりもまず「日本に向けられた」書籍である。朴教授の頭の中には常に傷ついた慰安婦の姿があり、彼女たちに対し未だ責任を果たしていない日本へのメッセージが込められた書籍である。これまで「解決のために」行われたはずの措置がその目的を果たせずに終わり、朴教授はその方法に問題があったとしたが、彼女の「既存の「常識」を見直して、それに基づいて「異なる解決法」があるかどうかを考え」[10]るという言及は、慰安婦問題が戦争によって引き起こされたとする通念を見直し、「帝国」に付随する問題であると考えることで新たない解決法を見出す余地が生まれるということである。

だからこそ『帝国の慰安婦』を正確に読んだ者は、日本人であれ韓国人であれ、あるいは第三国の人間であろうとも、日本が未だに果たしていない責任に改めて気付かされ、河野談話やアジア女性基金、さらには日韓合意を経ても、元慰安婦のための措置が必要だということを痛感するはずである。“

 

“つまり、原告側代理人や検察等は、自分たちとはその方法や論拠は違えども、朴教授もまた日本の責任を追及する論旨を展開する立場にあるということに気がついていないということになる。したがって、「日本の責任を免罪する意図がある」という非難はやはり誤読によるものでしかないが、裁判を通していろいろな資料を提示されれば、彼らの「誤読」はより浮き彫りになるはずである。”

 

“つまり、彼らは『帝国の慰安婦』の論旨を実は正確に捉えていながら、それを意図的に歪曲したということになろう。そして、意図的な歪曲を行わざるを得なかったのは、朴教授の元慰安婦への名誉毀損の罪を成立させることによって、元慰安婦と朴教授との関係を完全に断ち切り、元慰安婦らを支援団体のこれまで築いてきた「慰安婦」イメージの中に留め、また、日本の責任を追及する運動の力を維持するためであるといえる。したがって、朴教授の民事裁判の敗訴は、結果として司法によって意図的な歪曲が守られてしまったことになり、想像以上に重い問題であるといえよう。”

 

“支援団体の築いた「慰安婦」イメージとは「強制的に連れて行かれた少女」であるが、朴教授はこれを否定しているのではなく、「慰安婦」といえば「強制的に連れて行かれた少女」というように、慰安婦を代表するイメージとして成立していること、さらに言えば、もともとは慰安婦の中でも一部のものでしかなかった記憶が、韓国国民に受け入れられ公的記憶にさえなり得たことを問題視しているのである。

そしてこれこそが、支援団体や原告側代理人、検察が見過ごすことのできなかった記述である。慰安婦イメージを「強制的に連れていかれた少女」として定着させることで、その悲惨さを強調し(もちろん悲惨であったことは間違いないが)、ひいては植民地支配を受けた韓国という国自体の悲惨さを物語る象徴の役割を慰安婦に与えた。しかし、ただでさえ慰安婦の中では少数派であった「強制的に連れていかれた少女」は、象徴の役割を与えられたことによって、強制的に連れていかれた少女ですらなくなったのである。朴教授がソウルの日本大使館前の少女像に〈まったき被害者〉のみが表象されているとするのはこうした理由からである。そしてそのような指摘は、支援団体の運動の根拠そのものが揺らぎかねない指摘であり、彼らは当事者の名前のみを借りて裁判を起こしたが、結果として運動そのものに当事者がいなかったともいえる状況も明らかになったといえよう。“

 

“学問の自由を阻害する判決であることも間違いないが、何より司法が「慰安婦」の認識を決定づけるような判断をしたという点に着目すべきであろう。”

 

 

“繰り返しになるが、朴教授の『帝国の慰安婦』での指摘は、挺対協の側に立てば自らの運動の根拠が脅かされるものであった。『帝国の慰安婦』が裁判の俎上に載せられたことで、そこで展開される論の根幹であった多様な慰安婦の存在は、今後韓国では再び認知される可能性は限りなく小さくなった。なぜなら、朴教授は民事裁判の判決によってこれにかかわる記述を削除させられたからである”

 

 

“『帝国の慰安婦』の内容は本論第2章において示したとおりであるが、これを正確に読むことができれば挺対協が構築してきた「強制連行によって連れていかれた少女」イメージに固執しなくとも、日本の責任を追及することは可能であると理解できるであろう。”

 

“つまり、日本国民の間には、韓国が謝罪や補償を何度も繰り返し要求してくるというとらえ方が浸透している。(それは韓国国民の間で、慰安婦が「強制的に連れていかれた少女」と理解されている状況と非常によく似ているとみることもできるのであるが)、そうした認識が、韓国に対するいわゆる「呆れ」となって現れるのであり、もはや挺対協が声高に日本の謝罪や補償、そして真相究明を求めたところで、大多数の日本人、そして日本政府にとっては意味をなしていないとさえいえよう。”

 

“では、挺対協の運動がもはや意味をなさないというのであれば、朴教授が提供した解決方法はどのように考えることができるであろうか。朴教授は、これまで慰安婦問題の議論において当事者が主体的にかかわることができなかった状況を危惧しており、『帝国の慰安婦』においては「日韓政府はただちに、この問題の解決を話し合う国民協議体(当事者や支援者や識者をまじえた)を作るべき」であり、「期間を決めて(半年、長くても一年)ともかくも〈合意〉を導きだすことを約束して対話を始めるのが望ましい」とする。これからなされるべき解決に向けての議論には、当事者が加わるべきであるとする考え方である。”

 

 

“そういった意味でも、慰安婦問題が「帝国」による支配の枠組みの中で起きたこととらえ、さらに韓国が解放後も帝国と切っても切り離せない関係の中で国家を構築してきたことを指摘した朴教授の論旨が理解されたときに初めて、日本への責任追及も意味を成すのである。朴教授は、これまで韓国の支援団体によってなされてきた運動以上に、日本政府や日本国民に対し重くのしかかるような指摘をしているのである。”

 

[1] 朴裕河(2014)『帝国の慰安婦』朝日新聞出版、10頁。以下、引用に当たっては原著である韓国版を(韓)、日本版を(日)との表記を題名に添える。

[2] 朴裕河(2016年10月4日)「慰安婦問題との出会い、『帝国の慰安婦まで』<http://www.huffingtonpost.jp/park-yuha/meeting-with-former-comfort-women_b_12303834.html>(参照2017年11月13日)

[3] 『帝国の慰安婦』(日)、10頁。

[4] 本論第2章で取り上げた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」から、朴教授がここで指摘する日本軍による黙認を読みとることができる。

[5] 「村山談話」の一部。「これらの国々」とは、談話のこれより前の部分で「近隣アジア諸国」と表現した部分を指す。

[6] 鄭書、8頁。

[7] 本論2-3参照。

[8] 朴裕河「[裁判関連]『帝国の慰安婦』刑事訴訟 最終陳述」<https://parkyuha.org/archives/5737>(参照2017年12月29日)

[9] 敬和学園大学教授

[10] 朴裕河「[裁判関連]『帝国の慰安婦』刑事訴訟 最終陳述」<https://parkyuha.org/archives/5737>(参照2017年12月29日)

 

【原文情報】

「国民感情と歴史問題:『帝国の慰安婦』をめぐる裁判より」

著者:高松好恵

東京外国語大学大学院 博士前期課程 総合国際学研究科世界言語社会専攻・国際社会コース修了

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