日韓関係、問題はどこにあるのか ― 2.「歴史司法化」を超えて (1)新日鉄徴用判決を読む<1>

2.「歴史司法化」を超えて

(1)新日鉄徴用判決を読む

<1>判決文の前提―日韓併合不法論

韓国大法院(日本の最高裁判所に当たる)の徴用問題判決に抗議し、仲裁委員会の設置を要求(2019/5/20)した日本に対する非難の声が高い。しかし、2018年10月に出された新日鉄徴用判決を含む朝鮮人徴用問題に対する政府間の協議を2019年1月に要請した日本が、韓国政府からの答えを待たずに仲裁委員会設置の要請に移ったのは、「韓国政府のできることには限界がある」とした李洛淵(イ・ナギョン)総理の発言が原因だった(2019/5/21、河野外務大臣の記者会見)。国内的な対応が困難であれば仲裁委員会の設置に応ずるべき、とした河野外務大臣の指摘は、残念ながら論理的には正しい。
今からでも韓国政府は日本の要請した政府間の協議に応じるべきだ。第三者が介入することになる仲裁委員会が動くことになれば、決して韓国に有利にはならないからである。国際法の専門家による意見に関しても後述するが、韓国の論理と態度は、世界に共有されている普遍性とはかけ離れているように見える。

4ヶ月間も政府が大した動きを見せなかったことの表面的な理由には、「司法に対する尊重」というものがあった。しかし、肝心なのは司法そのものではなく、判決における正当性である。
重要な事案であるだけに大統領は当然この判決を読んだはずだが、だとすれば青瓦台の無対応は(注-2019年6月19日に両国の企業による財団設置を提案。この文の原文は5月に書かれている)単なる「司法府尊重」を超え、「判決内容自体に対する同意」である可能性が高い。実のところ文在寅大統領は、2000年に釜山で起きた三菱重工業に対する初訴訟において、原告側の弁護人をつとめた人でもある。

新日鉄が被告となった徴用判決において、大法院は新日鉄に、徴用「被害者」に対して一億ウォンを賠償すべしとする判決を下ろした。ところで、ここでの一億ウォンとは世間の理解とは違い、未支給賃金に対しての賠償金額ではない。大法院の判事たちが被害者への支給を命じた金額は、「不法な植民地支配および侵略戦争の遂行と直結する日本企業の反人道的な不法行為」に対する「慰謝料」である。
したがってこの判決は、「徴用者たちが日本企業で働いたのに賃金が支払われなかったから、賃金を支給しなさい」とするものではなく、「日本は、自国国民に対して行ったことと同様に朝鮮人を戦争遂行のための労働に動員した。しかし、日韓併合は‘強制的’に行われたものであり、朝鮮が日本になったことはない。よって動員自体が不法になるので、それに対する慰謝料を支払うべき」とする判決である。この判決には「日韓併合は不法である」という思考が前提とされている。

強制的に押し付けられた日韓併合だから不法、とする主張は、ソウル大学の李泰鎭(イ・テジン)教授によって90年代から訴えられた考えである。だが、この主張は、90年代半ばに日本人学者たちとの激しい論争を巻き起こし、未だにアカデミズムにおいては両方の接点は見出せていない。
そのような合併不法論を大法院が採択したことは、その是非はともかくも、学界でなお議論中の主張を定説として採択した、ということになる。言うならば2018年の判決は、アカデミズム内で議論中の事柄であるにも関わらず、一部の学者たちの主張のみを採択して下された判決である。

このことだけでも、以前言及した「歴史の司法化」の孕む問題が見えるはずだが、問題はさらに他のところにもある。よく知られているように、日本は「日韓併合」が合法であったと考えている。「韓国皇帝陛下は,韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与」し、「日本国皇帝陛下は,前条に掲げた譲与を受諾し,かつすべて韓国を日本帝国に併合することを承諾する」という文章ではじまる条約文を用意しただけでなく、日英同盟と桂・テフト協定をもって朝鮮に対する支配権を欧米に認めさせる手続きも忘れなかったからである。
そういうわけで日韓併合の「不法」性を認めない日本が、合併不法性を前提とする判決を受け入れる状況は想定しにくい。日韓併合不法論は、原告側に味方するための決定的な根拠として用いられたはずだがが、この説に頼る限り、いかなる要求にせよ日本の同意を得ることはかえって難しい。そうした構図を、原告側はもちろんのこと、大法院の判事たちは全く考慮していなかったようだ。

判決文を見れば、日本が1938年に「国家総動員法」を制定し、1942年に「朝鮮人内地移入斡旋要綱」で官斡旋によって人手を募集し、1944年には国民徴用令を制定して国家が主導する徴用対象に朝鮮人も含ませたという事実を明記している。言い直せば、時期によって動員の仕方が異なっており、「法」に基づく動員であったことを明示している。にも関わらず、その差異を区別せず、すべてを「不法の植民地支配および侵略戦争の遂行と直結する日本企業の反人道的な不法行為」と規定するのは、他ならぬ「日韓併合不法論」を前提とするからだ。この判決を下した人々は、「日帝時代に朝鮮人は(法的にも)日本人ではなかった」と考えていたことになる。

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日韓関係、問題はどこにあるのか ― 1.歴史の司法化 (4)日本人と天皇―大統領と文喜相国会議長へ

1.歴史の司法化

(4)日本人と天皇―大統領と文喜相国会議長へ

 

慰安婦問題関係者たちは、2000年の女性国際戦犯裁判で裕仁天皇を「有罪」と断罪した。当時弁護士だった朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は、そのような判決が下されるように働きかけた「検事」の一人でもある。

明仁天皇を「戦犯の息子」と呼んだ文喜相(ムン・ヒサン)議長の認識がこの裁判の影響を受けたものである可能性は大きい。そうだとしたら、この発言はあの(模擬)「法的判断」が日韓関係を悪化させたケースであろう。

もっとも、国際女性戦犯法廷は、慰安婦問題が浮上して以降、冷戦崩壊とグローバル化の結果として距離を縮めることができた世界の女性たちが交流の時間と場を増やせた結果として、国境を越えて一つの声を世に出した場だった点において評価できる。しかし、先述したように、「日本人慰安婦」はこの場でも排除されたのであり、そうである限りこの「女性」法廷はその役割を半分しか果せてないことになる。しかも、「法廷」判決としての権威は。慰安婦問題に関する理解をかえって停滞させた。

 

日本と戦争を闘った連合国さえも、裕仁天皇を「戦犯」にはしなかった。軍部と天皇とを分けて考えたからである。ここで、その判決の是非は重要ではない。重要なのは、慰安婦問題に関して十分に理解しないまま、また裕仁天皇を「戦犯」にして処罰する代わりに「象徴」ではあってもなお「天皇」としておいた理由を理解しないまま、50余年後の現代の法官たちが性急な判決を下してしまった、ということである。

 

「処罰」にこだわる人たちは、とかく売春行為を強制した軍人を死刑に処したスマラン事件と比較するが、スマラン事件に対する判決は、国家や軍隊の首長に対してではなく、個人に対するものだった。そして、裕仁天皇が「処罰」されなかったのは、日本国民の動揺に配慮したからである。そこまで連合国は日本のことを理解していた。天皇は、戦争ができないようにした憲法9条と引き換えられ、まさに「平和」を象徴する存在となり、その後の44年間を生きた。

 

しかし、過去の連合国の判断に対する国際女性戦犯裁判の関心は、もっぱら「処罰」に集中された。その判決は、時代的な進歩/革新の様相を呈したが、実際には時代を停滞させた。そして当然の成り行きとして、この判決は慰安婦問題に対する日本の世論を急激に悪化させた。

 

日本の天皇は、日本人にとって政治というより文化である。日本人にとって、国際女性戦犯裁判の判決や文喜相議長の発言は、自らのアイデンティティが否定されたかのように受け止められたのだろう(ただし、文喜相議長の天皇に対する謝罪要求は、支援者たちが主張してきた「法的謝罪」とは対峙する発言でもある。日本はそうしたことも読み取る必要があった)。

 

しかも、天皇でも上皇でも、日本を象徴・代表する者による謝罪があったとしても、慰安婦問題そのものおよび問題の解決過程に対する正しい理解(日本の謝罪など)がない限り、そのことが友好的な日韓関係につながることは望めない。天皇の謝罪で日韓の友愛関係が可能になることを期待するには、誤解と誇張と独善が作り出した相互不信と嫌悪の月日が長すぎる。今のままではたとえ天皇の謝罪があったしても、韓国社会はただ、「一度も謝罪してこなかった厚かましい日本が、国際社会の圧迫に耐えられずようやく屈服した」としかとらえないだろう。

 

この四半世紀の間、歴史問題は法律家・法学者に牛耳られ、法廷は個人の口を塞ぎ政府を操って他国を脅迫する道具と機能するようになった。公正かつ正義の場でなければならない空間、責任を取らされる主体ですら尊敬の念を持つべき空間を、このようなものにしてしまったのは誰なのか?複雑に絡み合う歴史問題を外交・政治問題化し、単純なYes or Noで答えさせるようにしたのは誰なのか?

 

「裁判が(日本企業財産の)差し押え判決を下したのは当然のことだ。日本と韓国政府が司法府の言葉を受け入れれば全ては解決される」(崔鳳泰弁護士)とする主張は、まさに今日の司法の権力化の現場を露にしている。

 

もちろん、その措置が正しければ、司法という権力の使用は尊いものになりうる。しかし、政府が支援者たち及び日本と協議を重ねて作り得た「日韓合意」に、支援者たちはその中身に問題があるとして反対した。発表直後に(合意を)受け止めると話した元慰安婦もいたにも関わらずその声は埋もれてしまい、そうした状況は現在まで続いている。そうした声を出した元慰安婦・家族に対して、単に「懐柔されたに過ぎない」とする視線は、「当事者中心主義」に重きをおきつつも実際には別の「当事者」の声には耳を傾けなかった、この四半世紀の韓国社会を象徴している。

 

日韓合意に関しては後述するが、その是非とは別に、上記のことは記憶されるべきだ。つまり、司法が歴史を動かし管理する主体となり、個人と政府と他国に対しての圧迫道具として使われたが、いざ「当事者」の声は無視された、ということを。

 

したがって私は、大統領と国会議長に提案したい。日韓関係を回復し、長期的な和解平和を志向するのであれば、対話プロジェクトが必要であると。そして、そこで行われる全ての議論をメディアが国民に伝えることでそれぞれの国民がその議論を聞いて考えることができるようにすべきだと。早く接点を作るべき問題は1年単位で、より長い時間を必要とする議題は5年もしくは10年単位で対話を続けながら学者と関係者が議論し、その議論をメディアが報道するようになれば、両国の国民はそれに基づいて考えつつ喧嘩せずに交流することができる。10年、30年、50年、100年が経過した時点において、それまでの論議を整理し、合意された事項を両国の教科書に反映していけば、いつか、日韓両国は歴史認識における接点にたどり着くことができるだろう。もちろんこのようなプロセスに北朝鮮が参加してもいいはずだ。人はこうしたことを百年の計と呼んだ。

 

あわせて政府は、2005年に日韓協定の文書の公開で浮上した、徴用問題は日韓協定をもって解決されたとする民間合同委員会の見解と、その結論に基づいて政府が被害者たちに補償したこともきちんと知らせる必要がある。議論はそこから始められるべきだ。韓国の人々は、この問題を考えるための十分な情報を、未だ得ていない。

 

洪吉童伝の作家は許筠(ホ・ギュン)ではない、ということが最近になってようやく明らかになったことが示すように、歴史理解には時間がかかる。にも関わらず、支援者たちと法廷は歴史問題に関して自分たちの理解と判断のみが正しい、だからそれに従えと、およそ四半世紀にわたって主張してきた。しかも、新たに知った事実をメディアや国民に公に伝えることもしなかった。その結果が、現在の日韓関係である。(以上、原文は2019年5月12日。朴裕河ホームページに掲載)

日韓関係、問題はどこにあるのか ― 1.歴史の司法化 (3)「歴史の司法化」から歴史「対話」へ

1. 歴史の司法化

(3) 「歴史の司法化」から歴史「対話」へ

ところで、今現在、慰安婦問題と同様のことが、徴用問題をめぐって生じようとしている。「徴用」そのものに対する共通の認識すらいまだに定着していない状態なのに(外村大『朝鮮人強制連行』、李宇衍(イ・ウヨン)の論文などが参考されるべきだ)、司法府は歴史学者の学問的な成果を排除し、法律家たちの主張にのみ応えて彼らの肩を持った。慰安婦問題の場合、支援者たちは司法府の権限に頼って行政府を動かし、国民の税金と(政府支援・自治体支援)国民の寄付金を使って国民のほとんどが自分たちと同じように考えるように働きかけた。先述した崔鳳泰弁護士は、昨年10月の大法院の徴用判決が下されるまでの流れの形成に寄与した核心的な人物でありながら、2006年に挺対協とともに、政府が慰安婦問題に取り組まないのは憲法違反だと主張する訴訟を起こした主役でもある。昨年の秋の判決以降、英雄扱いされつつ多くのメディアに登場した彼は、現に「両政府が自国の司法府の意見を受け入れれば、すべての問題は解決」されると主張している。しかし、今必要なのは、この四半世紀における「法」の関与が、歴史問題の解決に果たして役に立ったかどうかをめぐる検証だ。

「法」は、葛藤解決の最終的な手段として機能し、人類の悠久なる慣習および約束の地位を守ってきた。そこで「法」は共同体の全ての構成員が守るべき「ルール」として作動してきてもいる。その結果として、法は時に人権保護の最後の砦にもなる。そういう意味では「法」の介入そのものは、依然として有効だ。

しかし、だからといって歴史問題をめぐる葛藤に対しての最終的な判断主体が、必ずしも法律家や法廷であるべきということになるわけではない。日韓両国はそのことを知っていたはずで、歴史問題をめぐる認識の接点を探るために、歴史共同研究委員会を稼働させたこともある。この試みは失敗に終わったが、学者同士でさえ接点を見出し得なかった問題を法廷に送り出したということは、相手の主張に耳を傾けることや接点を見つけ出すことを放棄して自分の主張だけを対抗的に言い続けることにしたということでしかない(さらに言えば、歴史共同委員会の失敗の原因は人選にもある。言うまでもなく、相手の主張に耳を傾けつつ接点を見出そうとしたり、より鋭い批判でもって議論を続けていくのではなく自分の主張だけを正しいとする人は学者の中にも少なくない)。

さらに、法廷も、歴史問題に関する判断を下す際は学問を参照しないわけにはいかない。結局、その法廷では「学術的」応酬が行われるようになる。だとしたら、歴史をめぐる学術的論争の場を法廷にするべき理由はどこにあるのか。
歴史学者でさえ、自分の思考を動かない正言として発することは不可能だ。学問というものは、常に更新されるべき運命にあるからである。そういう意味では、ある時点における一つの事態に対する認識において当事者と周辺の人の「全員が完全に」一致することは、構造的に不可能だ。可能なのは、関係者大多数の「合意点」を見い出すことでしかない。周知の通り、実際に法廷でも「合意(示談)」という名のもとでの接点探しはよく行われる。

法廷とは、ある事態を前にして、YesかNoかを明確にしなければならない空間である。YesかNoかという問いかけに答えるとは、問題を限りなく単純化させることでもある。単純化が行われる理由は、法廷という空間で重要視されるのはすでに存在する「法」を違反したかどうかだからだ。その法を違反したことが明瞭で「犯罪」と確定できない限り処罰が不可能になる「法」の性格上、そうしたことを避けることはできない。

慰安婦問題に関わってきた者たちも、まさにその理由で、慰安婦の動員および慰安所という場所が「不法」か否かに注目しつつ、「法」を違反したと強調してきた。関係者たちがいつまで経っても「強制連行」と強調する理由はまさにそこにある。
もっとも、最初の頃は関係者たちは、慰安婦動員は軍人による強制動員だと信じていた。だが時間が経つに連れて、動員過程における物理的な強制性を通せないことが分かると、今度は慰安所での生活における強制性の強調に移行した。後述するが、その主張は、もはや成立しない。
もちろんこのことは、慰安婦問題において日本や日本軍の責任がないということではない。

より大きな問題は、そのような「強制性」の強調が、慰安婦問題を国家と国家(民族と民族)との間の問題としてしか理解しないようにしてしまった、という点にある。「日本人慰安婦」の存在が忘れられた理由もここにある。「日本人慰安婦」の存在は、「日本軍(国家)」による強制連行」に対する疑問を起こすほかないものだからだ。慰安婦問題が、関係者たちが強調してきた結果として今や大統領までも口にするようになった「人権」問題ならば、当然「日本人慰安婦」の存在も注目されなければならなかったにも関わらず、彼女たちはこの四半世紀の間、徹底的に忘却されてきた。他ならぬ「人権」問題に直接関わってきた者たちによって、である。

他の理由もあろうが、日本人慰安婦問題が注目されなかった理由は、「慰安婦問題の司法化」にもある。慰安婦問題は民族同士の問題以前に男女問題であり階級問題との認識を全く持っていなかった「法至上主義」は、慰安婦問題をもっぱら<日本軍が「他国」女性を奴隷同様動員した国家間問題>、というふうに理解させた。

もちろん「歴史の司法化」には良い機能もあろう。しかし慰安婦問題の場合、問題そのものに対する理解が不十分なまま過去の「戦争犯罪」としてのみ理解されて問題を複雑にしただけでなく、可視化されなかった「被害者」を排除した。

徴用問題の判決をめぐって大統領と外交部が、司法府の決定なので関与できないとしているのは、このような過程を認知していないゆえのことだ。同時に、大統領本人が弁護士として「歴史の司法化」に関与したことがあるゆえのことである可能性も高い(先述した崔鳳泰弁護士によれば、文大統領は2000年に釜山で提起された最初の徴用者訴訟に原告側弁護人として参加した)。

しかし、四半世紀にわたる「歴史の司法化」の過程と結果を、今からでも検証する必要がある。そうでなければ、「歴史の司法化」はさらなる矛盾を生み出し、現在だけではなく、次世代の平和をまで脅かすだろう。その兆しはすでに見えはじめている。

ある事態をめぐる正義を見極める能力は法官たちの専有物ではない。いや、司法がかえって暴力と化した歴史は遠いところにあるわけではない。冷戦時代の人革党事件はそうしたことを象徴する事態だった。

「歴史の司法化」の歳月を振り返らなければならない。支援者たちの主張通り、当事者主義が肝心ならばなおさら、「歴史の司法化」の主役だった代理人・代弁者ではなく、当事者自身の声が聞き取れるような通路が必要だ。私たちがその声を今だ聞き取れていない「当事者」は、実は少なくない。

司法の場は、対立する意見の中、片方の肩を持つことで複雑な事柄を単純化し、それ以上考えさせない。「法」は、歴史問題を扱うのに最適の道具ではないのである。

何よりも、歴史問題が政治かつ外交問題となって国民全体の問題となった以上、その解決は、当事者にとっては言うまでもなく、国民も納得できるものでなければならない。接点にたどり着くための全過程は、内部/外部に向けてそれぞれの接点を見い出すための努力であるべきだ。もちろん、自分と異なる意見を力ずくで抑圧するやり方も退けられるべきだ。そのすべての過程は、同時代のみならず次世代のためのものでなければならない。

日韓関係、問題はどこにあるのか ― 1.歴史の司法化(2) 「法的謝罪」の主張と「訴訟」の武器化

1.歴史の司法化

(2)「法的謝罪」の主張と「訴訟」の武器化

慰安婦問題や徴用問題を政治外交の問題にしたのは他ならぬ支援者たち、特に「法」の専門家の法律家・法学者たちであった。長い年月にわたって、日本のすべき謝罪とは「法的謝罪」であるという主張を展開したのも、その理論的な根拠を提供してきたのも、法律家・法学者たちである。

しかし、ある時代の歴史によって巻き起こされた問題への謝罪が、なぜ「法的」謝罪でなければならないのかに関する議論は今までなかった。詳しくは後述するが、彼らの主張通り、「強制連行―国家責任」であるとしても、それに対する責任を負う仕方がなぜ「法」に基づくものでなければならないのかをめぐってはきちんとした社会的な議論がなかったのである。

90年代以後、日本は幾度かにわたって謝罪と補償を行い、慰安婦ハルモニたちの声と支援者たちの要求に応じたが、そんな謝罪は無意味であり、国会で「賠償」法を制定して謝罪・補償しなければならないとするのが「法的謝罪」の中身である。

ところで、日本の一部の国会議員は1990年代から2000年代初頭にかけて、そのような賠償法を制定するための努力を惜しまなかった。だが、「国家による強制連行でもないのになんで国家犯罪なのか」という反発に会い、結局その努力は挫折した。

であれば、そのような反発の生じた原因を分析するのが手順であろう。しかし、関係者たちはこの反発に耳を傾けたり分析しようとはしなかった。自分たちの主張を省みて日本を動かすため的を射た批判の模索、もしくは新たな接点探しではなく、内容をすり変えた「強制連行」の主張と、「罪の意識も責任意識もない」日本に向けての糾弾、そして訴訟があっただけだ。

2015年末の「日韓合意」に支援者たちが反対した理由はただ一つ、それが「法的」謝罪ではなかったという点にある。そのような主張の問題点に関してはすでに述べたこともあるが、本論の後半でもう一度具体的に述べる。

実のところ、「慰安婦は売春婦だと書いた」とする、文を捻じ曲げた主張も私に対する告訴の表面的な理由に過ぎず、告発者たちが『帝国の慰安婦』を訴えたのは、「朴裕河の活動が私たちの慰安婦問題解決のための運動を邪魔する」という理由からであった。このことは『帝国の慰安婦』に対する告訴状に明記されている。付け加えておくと、そのようなとんでもない主張が盛り込まれている報告書を作ったのはなんとロースクールの学生たちであり、そのような読みのほうへ誘導したのは慰安婦居住施設ナヌムの家の弁護士であった。

慰安婦支援者たちが政府を訴えて勝訴し、政府を動かしたということに関しては先述したが、問題の解決手段として司法府や国際裁判所をすぐさま利用するのは韓国だけのことではないようだ。このような現象について「政治の司法化」「外交の司法化」とする人もいる。だが、より深刻なのは「歴史の司法化」現象だ。

20世紀末に生じ、21世紀に引き継がれた慰安婦問題の中心にいたのは、歴史学者以上に法律家・法学者たちであった。

実際に、慰安婦問題をめぐる議論でよく使われる論理作りでは、歴史学者より法律家の役割が大きかった。その先頭に立った者が、戸塚悦郎という日本人弁護士である。彼は80年代から人権問題を国連にアピールする活動を展開したが、その経験をもとに、国際社会へのアピールを心がけていた挺対協を積極的に手伝った。彼によると、今ではすっかり定着した「性奴隷」という言葉を造ったのも彼である。

90年代以後、挺対協も国連に向けて情熱的に活動したが、クマラスワミ報告書(クマラスワミも法学者である)やマクドゥーガル報告書の提出を可能にしたのは、戸塚のような日本人弁護士たちであるとしても過言ではない。日本では弁護士協会が団体レベルで早くからこの問題に向き合っていた。慰安婦問題や徴用問題などの「被害者」問題に早くから関わってきた崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士は、彼が被害者問題に関わったきっかけは、日本留学時代に日本人弁護士たちがこの問題に情熱的に取り組んでいる様子を目にしたからだ、と述べている。このような彼の言葉にもそうした状況が象徴的に現れているのである。

慰安婦問題が台頭して間もない頃の1994年に国際法律家委員会が報告書を提出したのも、日本の法律家たちの努力の賜物なのであろう。そういう意味で、国際社会が慰安婦問題を見る視座作りに決定的な役割を果たしたのは、歴史家や証言者以上に、法学者・法律家たちだ。

法律家たちを歴史問題に積極的に関与するようにしたのは、「東京裁判」もしくは「ニュルンベルク裁判」であった。つまり、過去の歴史に生じた問題が法廷で「処罰」されたということを知っている者らが、新たに向き合うようになった過去の問題に対しても、かつての問題と同じ問題と受け止め。似たようなやり方で「処罰」しようとしたわけである。

国連報告書は、慰安婦問題を「戦争」中の敵対国家の間で生じた事柄、つまり「戦争犯罪」としてしか理解していない。報告書は慰安婦問題を、同時代に発生したアフリカ・東ヨーロッパの内戦における部族レイプや拉致などの被害と似通うものとして理解していたのである。

もっとも、それは挺対協をはじめとする支援者たちが、慰安婦問題をそうした問題と同様の問題であるかのようにアピールした結果であるはずで、国連人権委員会や国際法律家委員会はそのような意見をそのまま受け入れ、同時代の悲劇と慰安婦問題を同一視した。

同じ時期に、慰安婦動員は公娼制を利用した間接的な動員であったとする研究はすでに存在し、発表されてもいた(金富子、宋連玉、山下英愛など)。しかしこのような「学問」の内容が、問題を理解するための参考資料として国連に提出されてはいなかったのだろう。慰安所には朝鮮人・台湾人だけではなく日本人も多く存在し、むしろ日本人女性たちが慰安婦制度の中心であったという事実が強調されたことも、言うまでもなく、ない。

既存の学者たちは1932年の上海に初の慰安所が設けられたと説明するが、日清戦争の際の朝鮮半島には軍人のための日本人女性たちがすでに入っていた。日露戦争の後、1910年に作られた鎭海の日本軍基地が「慰安」を求めたのは、朝鮮ではなく日本居住の女性たちであった。

日本と朝鮮は「戦争」ではなく「植民地化」を媒介とする関係であった。結果、この時期の朝鮮は「日本帝国」の治下に置かれていたがゆえに、日本と国家単位の敵として戦った中国とは、満州国を除けば、立ち位置は根本的に異なる。したがって、朝鮮人慰安婦問題は「戦争」ではなく「朝鮮の植民地化」という視座から考察しなければならない問題であった。私が『帝国の慰安婦―植民地支配と記憶の闘争』というタイトルであえて「帝国」「植民地支配」という語を用いた理由もそこにある。相互の関係を見極めなければ、正確な批判が不可能だからだ。正確な批判のみが解決を可能にする、というのが『帝国の慰安婦』の主張でもあった。

『帝国の慰安婦』が出てから、20年以上「戦争犯罪」という言葉しか使わなかった研究者・活動家たちは、「戦争責任」の代わりに「植民地支配責任」という言葉を用いるようになった。にもかかわらず、彼/
彼女らは 『帝国の慰安婦』を法廷に送り出した者たちに同調して今でも『帝国の慰安婦』を非難している。

90年代以後、日韓の葛藤をめぐる問題において、もちろん「法」関係者たちは善意と情熱をもって解決に取り組んだ。その努力は高く評価されなければならない。
しかし、そうした主張と活動は、残念ながら四半世紀以上過ぎても解決をもたらしていない。司法府が彼/彼女らの味方となり政府まで動き出したにもかかわらず、である。善意から関わったはずだが、その過程は慰安婦問題に対する世間の誤解と対立を増幅させ、結果的に葛藤を維持させた。

日韓関係、問題はどこにあるのか ― 1.歴史の司法化 (1)はじめに

1.歴史の司法化

(1)はじめに

日韓関係が瀕死状態だ。1965年に国交を回復して以降、「史上最悪」という表現を使う専門家も少なくない。毎年開いてきた日韓経済人会議が延期され、今のような状況が続く限り、6月に日本で開催されるG20会議で日韓首脳会談が開かれる可能性も大きくはない。

ところが、韓国人の多くはそのような状況をそれほど深刻とは考えない。「悪いのは日本」、と考えるからだ。だから言いたいことを包み隠さず言うようになった日本の態度を居直りとだけ思っている。日韓関係が良くないのは、日本の政治家が国内政治に利用するからだと話した大統領の認識もまた、こうした認識と大差ないようだ。

しかし、このような認識は間違っている。大統領も今では、日韓関係の回復を望んでいるようだが、分析が正しくないのに正しい方策を見出せるはずがない。

私は6年前、『帝国の慰安婦 ― 植民地支配と記憶の闘い』という本で、現在のような状況が起こり得ることを予告したことがある。私の問題提起は、自分たちの運動と研究の妨げになると考えた人たちによって法廷に押し込められる事態を迎えたが、その本はひたすら今日のような日が来ないことを願いながら書いた本だった。今の日韓関係は端的に、私の口を塞ごうとした人々とその周辺にいる者たちが作ったものだ。

昨年の秋に新日鉄住金(現日本製鉄)の徴用工判決が出た後、日韓関係は、以前に比べて極端に軋んでいるが、そのような葛藤の根源には、慰安婦問題がある。日本が以前に比べて性急に、時に感情をストレートに語るようになったことも、すべて慰安婦問題のためといっても過言ではない。もちろん韓国も、慰安婦問題が続いた四半世紀もの間、繰り返し聞かされた「謝罪しない日本」観が定着してしまったせいで、不信感を募らせてきた。つまり今の日韓関係を難しくしているのは、それぞれの問題以前に、葛藤の歳月を経て積み重なってきた不信とあきらめの方である。G20が日本で開かれるというのに最も近い国である韓国との首脳会談の日程を日本がいまだ組まないのも、その結果だ。

いわゆる「日韓関係」の専門家と、慰安婦問題や徴用工問題の専門家、運動家たちの間には実は接点がほとんどない。前者は一般に、「国益」を語りつつ「未来へ行こう」と話し、後者は「国益よりも個人」としながら「被害者」の名前で自分たちの主張を繰り広げる。その両方が出会うことはほとんどないのも、問題の解決を妨げる理由の一つである。大統領が就任初期とは異なり、日韓関係の改善を望む発言や行動をとるようになったにも関わらず実質的な変化がないのは、実際の政策は後者によって動かされているからでもある。大統領の発言はその両方が共存しつつ分裂している状況を示す。

日韓葛藤を生じさせているそれぞれの問題は、表面から見えるよりもはるかに複雑で難しい。しかし、政治経済の問題を前面に出して考えてきた人々はそれらの各問題自体には大きな関心がなく、その結果としてそれらの問題に関する発言権を片一方の人たちに独占させている。またそのような意見が正しいかどうかを問うような、調査と取材によって「発言の独占」状況を打破しようとするようなメディアもない。メディアのほとんどは、ただともに嘆息するか、後者と同じ声になって「運動」に参加する。日韓が対立する問題が、多くのメディアの参加のおかげで全国民が知っている問題になっていながら、いざその内容に関してはちゃんとした知識は増えず、認識も千編一律的な理由もそこにある。

その意味では最近、元ソウル大教授イ・ヨンフン(李榮薰)教授が情熱的に慰安婦問題について論じているのは望ましい。おそらくリベラル側の人々は李教授の講座を日本の右翼と同一視して見ない可能性が高いが、長い間慰安婦問題をめぐる言説を主導してきた人たちは、李教授の講義に答える義務がある。日本との接点を見つけることは、韓国内部の接点を見つけることでなければならない。

90年代には慰安婦問題に対する国民の関心は大きくなかった。そして、日本に対して柔軟な姿勢を取った金大中時代を迎え、2000年代初頭には国交正常化以来最高といえるほど日韓関係は良かった。そして盧武鉉政府時代に日韓協定文書公開訴訟で敗訴した韓国政府が文書を公開し、個人に支払われるべき補償金を日本政府から受けとった事実が明らかになると、韓国政府は、もう一度法を作って「強制動員」被害者たちに補償した。徴兵/徴用者はいうまでもなく、元「慰安婦」もその対象となった。

ところが、一部の元慰安婦と支援者たちは、同じ頃に、今度は外交部を相手に別の訴訟を起こす。「政府が慰安婦問題の解決に出ないのは違憲」という訴訟である。5年が過ぎた2011年の夏、韓国外交部は敗訴し、同年冬には、いわゆる「水曜デモ」1000回を迎えて日本大使館の前に慰安婦少女像が建つようになる。

90年代に発生しながら国民的な関心を受けてはいなかった慰安婦問題が、全国民の関心を集めて運動の流れが変わったのはこの時からだ。この頃から、いわゆる「平和ナビ(蝶)」と呼ばれる大学生組織ポスターが多くの大学に貼られ始め、ソウル市の後援で様々なイベントを企画して水曜集会に参加するようになり、程なく中・高校や小学生までが集会に参加するようになった。

敗訴した外交部は、自分たちの(非)行動が「違憲」にならないよう慰安婦問題に積極的に関与し始めたが、関与の方法と内容は、脈絡上全て支援団体の主張に沿ったものだった。そうして慰安婦問題は、本格的に「外交」の問題となり、「政治」の問題となった。
ところで、政府を相手に訴訟までして慰安婦問題を「外交」問題にしてきた支援者が、今では、慰安婦問題は「政治/外交問題ではなく人権問題」と主張する。政治経済中心の国家間の問題などではない、歴史の中で疎外された「人間」の問題だというのだ。だからこそ政府が、優先的に取り組んで解決しなければならないという主張である。

言葉自体は正しい主張だが、その主張は、慰安婦問題を先頭に立って「政治/外交」の問題にしてきたのが他ならない運動家や弁護士など、支援者自身だったことを隠蔽する。

藤原 帰一、「厳しさ増す日韓関係 − 映し鏡の犠牲者意識」[朝日新聞夕刊『時事小言』2019.2.20]

厳しさ増す日韓関係 − 映し鏡の犠牲者意識

東京大学政策ビジョン研究センターセンター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2019/2/25

 

<一部引用>

「『帝国の慰安婦』は慰安婦自身の言葉を踏まえてこの問題の抱える多面的で時には矛盾する側面を解き明かした著作であるが、著者の朴裕河(パクユハ)は慰安婦の名誉を毀損(きそん)したとして起訴され、ソウル高裁は歴史を歪(ゆが)め被害に苦痛を与えたとの理由から有罪判決を下した。
朴は慰安婦を連れ去った中間業者に注目してはいるが軍の役割は否定しておらず、むしろ女性をモノに還元してしまう男性のための社会を告発しており、慰安婦の存在を否定する議論とはまるで違う。朴の示した単純化のできない多面的な歴史認識は、韓国国民の共有する、明確な信念としての歴史と相容(あいい)れないものであるかのようだ。」

<일부인용(한국어 번역)>
” <제국의 위안부>는 위안부 자신의 말을 바탕으로 이 문제가 안고 있는 다면적이면서 때로 모순적인 측면을 풀어낸 저작인데, 저자인 박유하는 위안부의 명예를 훼손했다면서 기소되었고, 서울고등법원은 역사를 왜곡하고 피해자에게 고통을 주었다는 이유로 유죄판결을 내렸다.
박유하는 위안부를 데려간 중간업자에게 주목하면서도 군의 역할을 부정하지는 않으며 오히려 여성을 물건취급한 남성(을 위한)사회를 고발하고 있으니, 위안부의 존재를 부정하는 논리와는 전혀 다르다. 박유하가 보여준 단순화시킬 수 없는 다면적 역사인식은, 한국 국민들이 공유하는 명확한 신념으로서의 역사와 공존할 수 없다는 듯 하다. “

朝日デジタル:(時事小言)厳しさ増す日韓関係 映し鏡の犠牲者意識 藤原帰一 2019年2月20日16時30分

日韓関係は国交樹立以来もっとも厳しい情勢を迎えた。まず、2018年10月、韓国最高裁は元徴用工による訴えを認め、新日鉄住金に損害賠償を命じた。1965年の日韓請求権協定で最終的に解決したとされた請求権に関する合意は個人の賠償請求権に及ばないという判断である。
 翌月、韓国政府は慰安婦財団の解散を発表した。2015年に当時の朴槿恵(パククネ)政権が安倍政権と結んだ日韓慰安婦合意によって生存している被害者への支払いを行う財団であり、かつて村山政権の下で設立されたアジア女性基金が民間の募金に多くを頼ったのと異なり、日本政府の拠出によるものだった。この財団の解散により、日韓慰安婦合意は事実上破棄されたことになる。
 事態はさらにエスカレートする。12月には海上自衛隊の哨戒機がレーダー照射を受けたと日本政府が発表し、照射は行っていないと主張する韓国国防省と対立した。最近では、韓国の国会議長文喜相(ムンヒサン)が慰安婦問題解決のために天皇陛下は謝罪すべきだと発言し、批判を受けた後も発言撤回を拒んだ。
     *
 どうしてこんなことになるのか。日本で広く行われる解釈は、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が左派のポピュリストであり、反日感情を煽(あお)ることで政権を支えているというものだ。確かに韓国政治における左派は、朝鮮半島における南北対話と並んで慰安婦問題を筆頭とする歴史問題を重視しており、文在寅大統領は金大中(キムデジュン)、盧武鉉(ノムヒョン)につながる左派に属している。だが、文在寅政権が煽ったから問題が生まれたというだけでは、なぜ韓国で反日感情が強いのかという問いが残される。
 国際的には徴用工と慰安婦について韓国政府の主張に賛同する声が多いといっていい。私も慰安婦は性犯罪であり、売春一般と慰安婦を同視する議論は暴論に過ぎないと考える一人だが、それでも日韓両国における歴史の言説の極度な違いにはたじろいでしまう。
 『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)は慰安婦自身の言葉を踏まえてこの問題の抱える多面的で時には矛盾する側面を解き明かした著作であるが、著者の朴裕河(パクユハ)は慰安婦の名誉を毀損(きそん)したとして起訴され、ソウル高裁は歴史を歪(ゆが)め被害者に苦痛を与えたとの理由から有罪判決を下した。朴は慰安婦を連れ去った中間業者に注目してはいるが軍の役割は否定しておらず、むしろ女性をモノに還元してしまう男性のための社会を告発しており、慰安婦の存在を否定する議論とはまるで違う。朴の示した単純化のできない多面的な歴史認識は、韓国国民の共有する、明確な信念としての歴史と相容(あいい)れないものであるかのようだ。
 日韓の歴史問題を論じた木村幹は、歴史認識問題は沈静化するどころか1990年代に入って悪化したと指摘し、この問題は過去の事実ばかりでなく現在の政治、ポピュリズムの台頭とナショナリズムの高揚のなかで捉えなければならないと主張した(『日韓歴史認識問題とは何か』、ミネルヴァ書房)。木村は韓国政治の展開を振り返りつつ日本における「新しい歴史教科書をつくる会」の活動にも触れ、ポピュリズムを韓国だけの現象とは見ていない。
     *
 やるせない思いに襲われる。日本の犠牲者という認識を韓国国民が共有し、その韓国の訴えが国際合意を踏みにじる行いとして日本で伝えられるとき、「われわれ」は「やつら」の犠牲者だという認識が両国で加速し、鏡で映し合うように犠牲者意識とナショナリズムが高揚してしまう。
 韓国で語られる歴史が「正しい」わけではない。それでもここで問いかけたいことがある。植民地支配のもとに置かれた朝鮮半島の社会、そして戦時に動員された労働者や女性が強いられた経験について、日本でどこまで知られているのか、ということだ。
 日本の朝鮮半島支配を正当化し、徴用工は強制的に動員されていない、慰安婦は売春婦だなどと切って捨てる人が日本国民の多数だとは私は信じない。だが、そのような言説が日本で行われていることは事実であり、さらに植民地支配と戦時動員という過去を見ようとせず、知らないことのなかに自分たちを置いている日本国民が少なくないことも否定できない。これでは、過去を知らない責任を問われても仕方ない。
 歴史問題では謝罪の有無が繰り返し議論されてきた。日本政府が謝罪を行ったと私は考えるが、何が起こったのかを知らなくても謝罪はできる。謝る前に必要なのは、何が起こったのかを知ることだ。自分たちを支える国民意識に引きこもって日韓両国民が非難を繰り返すとき、ナショナリズムと結びついて単純化された国民の歴史から自分たちを解放する必要は大きい。 =敬称略 (国際政治学者)

(HUFFPOST寄稿)不信と諦めを乗り越えて「日韓協議体」を

朴 裕河パク・ユハ 韓国・世宗大教授

これ以上手遅れにならないうちに、いったい何が問題だったのか、この四半世紀の葛藤から振り返る必要がある。

日韓関係が最悪の方向へとエスカレートしている。

帝国・植民地時代が残した様々な問題が90年代以降本格的に提起されて以降、日本と韓国の両政府は初期には比較的協調していた。

政府間協調が軋みだしたのは、90年代後半に元「慰安婦」を対象に日本政府が主導して民間基金の形で作った<アジア女性基金>が、慰安婦支援団体の強い反対を受けて受け入れられず、韓国政府が元「慰安婦」たちに補償金給付を実施して以来のことである(それでもこの時は60人あまりの元慰安婦たちが、補償金とともに日本の総理の謝罪の手紙を受け取った)。

それでも2002年にワールドカップ大会を日韓両国が共同開催できたのは、当時はまだ政府間の協調機能が生きていたということである。金大中元大統領という、日本でも尊敬されていた存在がまだいたからかもしれない。

2005年にも独島(竹島)問題が一触即発の事態を招いたが、両国の平和を維持すべく努力した人たちが当時はいて、事態は一段落した。平和な解決の背後には思慮深く有能な外交官たちがいた。

反復的に葛藤を引き起こしながらもなんとか平和を維持した日韓の間に、微細な亀裂が入り始めたのは2011年末、駐韓日本大使館の前に「慰安婦」を象徴する少女像が建てられてからのことだ。諦めの声がその頃から日本側から聞こえ始めたのである。「私は韓国が好きなのに、韓国はいつまでも日本を憎んでいる」といった声を、経験を積んだ政治家から若い学生までが発するようになっていた。彼らは、「韓国とどのようにつきあえばいいのか分からなくなった」と、悲しみあるいは怒りを込めて言ったものである。

しかし、韓国にはそうした日本の声があまり伝わらなかった。たまにそうした諦めの感情が伝わっても、90年代と2000年代を通して被害者支援団体が強調してきた「謝罪しない日本・厚かましい日本」のイメージを内面化してきた多くの韓国人たちは、反省もしないくせに、とか、日本との関係などどうなってもかまわないといった「プライド」高い態度を貫き通した。

日本は多くの努力を払ったが、植民地支配という過去が作った必然的な「感情」についてもう少し理解しようとする努力をしなかったし、韓国は現代日本が過去清算をめぐってどのような努力をしてきたのかを、見ようともしなければ評価もしなかった。相手と正面から向き合おうとする思慮深い態度を持つ人々が両方で減っている今日の状況はその結果である。

しかし知るべきは、現在両国民が相手について持っている認識の多くが、学者や支援団体など当事者周辺にいる人々、あるいはごく一部の歴史学者や法学者が作ったものだということである。メディアは、そのなかから自分の気に入った認識を争うように拡散したが、その競争は左右の闘争、言い換えると冷戦体制終息後のアイデンティティ闘争でもあった。

たとえば、現在問題視されている徴用工裁判の判決は、一部のリベラル系の学者が90年代以降ずっと主張してきた考え方に基づく判決である。つまり、1910年の日韓併合は不法行為によるものだったとする「日韓併合不法論」、1965年日韓協定を破棄すべきだとする論、そして慰安婦問題など過去の「国民」動員問題の解決策として、日本が法的に賠償し責任を負うべきだとする論を、最近の判決は深く反映している。もちろん、並行して韓国で現在行われている、過去の裁判所と政府関係者たちに対する再審—捜査・取り調べ・処罰もまた同様である。近い過去の判決が徹底的に右派の考え方によるものならば、現在行われていることは左派的考え方によるものである。

問題は、「左派」なのか「右派」なのか自体にあるのではない。その考え方が(1)学問的に正しいのか、(2)未だ議論が続いている諸説(学問)のうちの一つを司法が無批判的に使っていいのか、(3)左派と右派が混ざっている「国民」を代表する政府が、そうした司法判断をそのまま受け入れていいのか、にある。そして私は、今の韓国政府が過去の政府の愚行を引き継がないことを願っている。

先般の徴用工判決の核心は、賠償金の要求が過去の虐待と差別への「慰謝料」であるということにある。日本が今回の判決をただ批判しているのは、ここのところをきちんと理解していないからのように見える。判決文の趣旨は(中には様々な意見があったことも記しておきたい)自ら明記しているように、植民地支配がもたらした、そしていまだ日本において十分に認識されているとは言えない、帝国統治下におかれていた人たちの精神的・物理的な苦痛に対する賠償金の要求だった。そしてそうした要求自体は、冷戦体制の頃はまだ可能ではなかったという意味で、時代的な要求でもある。

しかし、であるならば、「植民地支配』に対する謝罪要求を、徴用者など日本帝国時代に「国民」として動員された人々が(時代によって状況は異なるが、大きな枠組みではそう考えるべきだ)代表すべきかとなると、それはもう少し議論を必要とするだろう。

「植民地支配」による差別が作った最大の被害者は、「帝国の国民」とみなされて動員された人々以上に、「帝国の国民」のはずが突然「帝国を脅かす敵」とみなされ、道ばたで殺害された関東大震災の被害者だと私は考える。あるいは、物理的な苦痛と無関係でも、総体的な精神的苦痛を受けていた全ての被支配者たちであろう。そこで私は、そうした過去に対する謝罪の心を込めて、植民地支配に対する総体的な謝罪を、日本の国会が国会決議という形で表すのがいいと数年前から主張してきた。「国会」こそ、「国民」の代表だからである。

もっとも、「被害」とは主観的なものでもあって、他者がその大きさを断定していいことではない。大事なのは、どのような被害でも尊重されるべきだということ、そして私たちはそのとき、今は声を出せない死者たちも思い起こさねばならないということである。

同時に、個人の被害が政治・外交問題となり、「国民」の問題となった以上、「国民的合意」を作り出せる時間と努力の枠組みを作らないといけない。それこそが、「国民」を代表する「政府」の役割であろう。朴槿恵政権が作った日韓合意は、両国の外交官たちの努力の賜物だったが、事態に対する正しい理解に基づく「国民的合意」がいまだ存在しないという点を見落としていた。そういう意味では、長い歳月をかけて自分たちの考えを「国民の常識」化することに成功した支援団体の反発が、政府を動かして日韓合意を揺るがし、「和解・癒やし財団」解散という事態をもたらしたのは予想可能なことだった。

日韓両国は過去において、日韓歴史共同委員会を作って接点作りを試みたが失敗した。その失敗は、相手の意見に耳を傾けるよりも自己主張が勝った結果であろう。そもそも、「学問」の領域にあることをめぐって政治的な接点を作るのは初めから無理な試みだったというべきかもしれない。「学問」は動き続けるものだからである。

しかし、「政治」の領域は時に接点を必要とする。集団の問題を扱う共同体領域にあってはなおさらである。共同体とは、個人がそれぞれ歩み寄ることを約束した空間だからでもある。

したがって提案したい。もう一度、過去の歴史がもたらしたいくつかの問題を議論する日韓協議体を作ろうと。そして政府と学者が共に、これまでの不和を乗り越える知恵を見いだそうと。メディアには、議論を傾聴して、問題の論点がどこにあるのか、それぞれの問題とどのように向き合うべきかをめぐって国民的合意を作ってほしい。それだけが、わずか数人の主張がメディアを通して全国民の認識になってしまうような、これまでの構造をゆるがすことを可能にするだろう。

重要なのは、結果以上に対話自体である。対話が続く限り、過去の不幸な時間は克服可能だ。これ以上手遅れにならないうちに、いったい何が問題だったのか、この四半世紀の葛藤から振り返る必要がある。問題はつねに、足下にある。

私は2013年に日韓協議体の形成を提案したことがある。今もう一度、同じことを提案したい。両国の政府と、相手の主張を傾聴するような日韓の学者と、その他の関係者たちが共に議論できる機構を、両国政府が作ってほしい。

「和解・癒やし財団」が残した資金と、韓国政府が新たに設けた資金を合わせて、その対話やその他の和解のための事業に使えるのなら望ましいことだろう。葛藤が残した遺産でも、時に新しい未来を作れるということを、両国政府が次世代に示してくれることを願いたい。

2019・1・11

(この文を韓国語で書いて発表した1月8日の次の日に、日本政府が徴用工判決に関する協議を求めてきたというニュースを見た。韓国政府が日本と対話を始め、徴用工判決以外の問題も、それぞれ議論できる枠組みを作ることを期待したい。)

(インタビュー記事)「韓国のドレフュスか、ハイデガーか」

 [クォン・ジェヒョンの心中一言]
韓国のドレフュスか、ハイデガーか

『帝国の慰安婦』以後を扱った本二冊を同時に刊行した朴裕河世宗大教授

 朴裕河・世宗大日本語・日本文学科教授(61)はたいそう有名になった。慰安婦ハルモニたちの名誉を毀損したという訴訟のおかげだ。これによって朴教授を、「日本の右翼の手先」として有名な嫌韓作家、呉善花と同列に置く人々がいるほどだ。だが、そのような判断の根拠がきちんと示されることはほとんどない。訴訟の直接の対象とされた朴教授の著書、『帝国の慰安婦』を読んだ人の多くは、「いや、この本の何が問題なんだ?」という反応を見せる。

 彼女に対するこうした反応は、少し大げさに言えば、「韓国のドレフュス」か、「韓国のハイデガー」かに二分される。ドレフュスは、フランス人の集団的反ユダヤ主義の犠牲になって軍法会議にかけられ、有罪判決を受けることになったフランスの陸軍大尉だ。その不条理さを告発したエミール・ゾラの「私は告発する」で有名になった人物だ。ハイデガーは、二十世紀を代表するドイツの哲学者だが、ナチスドイツ治下でナチズムに免罪符を与えたと批判されている。師や同僚の多くが、ユダヤ人だという理由で迫害されている状況下でナチ党に入党し、ナチズムを擁護する発言を繰り返したからだ。

 朴教授が先月2冊の本を同時に出した。『「帝国の慰安婦」、法廷での1460日』と『「帝国の慰安婦」、知識人を語る』だ。前者は、2014年6月に提訴されたあと、最高裁の上告審が進行中の現在まで、4年間にわたる法廷闘争の記録だ。後者は、その法廷闘争の間、自らに向けられた数多くの知識人による批判と攻撃に対する反論である。論争の発端となった『帝国の慰安婦』を正しく理解しないまま性急に断罪する雰囲気の中で、彼女の抗弁を読む人はどれぐらいいるだろうか。

 なので、じかに会って抗弁の機会を提供することにした。本の出版後、英国のオックスフォード大学招請の講演のための二週間のイギリス訪問から帰国した7月11日、ソウル忠正路の東亜日報本社でお会いした。風邪気味でインタビューが一日延期されたので、まず健康状態をうかがうと、意外にも「なんとか頑張っています」という言葉が返ってきた。

闘争の二つの記録

 「最初は本当に大変でしたが、以前に比べればずいぶんマシになりました。 売国奴と決め付けられ、あらゆる個人攻撃を受けたので、本当に孤独で辛かったですが、私の本を読んだ一般の方々がまず手を差し伸べ、励ましてくれたことで元気づけられました。私の本を誤読している学者や専門家を見て絶望的な気持ちになりましたが、むしろ一般読者のほうが私の本を偏見なく理解してくれているのを見て、希望を持つようになりました」 

 朴教授が『帝国の慰安婦』を刊行したのは2013年7月。当初、何の反応も示さなかった慰安婦支援団体は、その10か月後の2014年6月、9人のハルモニの名で、名誉毀損の訴訟を起こした。 2017年1月の刑事裁判一審判決は無罪。しかし原告側が控訴し、その年の10月27日、二審で1000万ウォンの罰金という有罪判決が下された。その三日後に朴教授は最高裁に上告、現在最高裁の判決を待っているところだ。

 「一審の裁判官は、私の本はもちろん私が提出した膨大な資料をていねいに読みこんで判決を下してくれたので感動しました。ところが五十代の高裁判事たちは検察の主張をそのまま受け入れたのです。最高裁に上告すると普通一年ぐらいかかるそうですが、私の事件を担当する判事の任期が今年の夏に切れ、新しい判事が着任するうえに、難しい事件ほど先延ばしにされるといいますから、今年中に判決が出るのは難しいでしょう。損害賠償を求める民事訴訟も進行中ですが、刑事訴訟が終わるまで中断状態です」

 彼女に、なぜ一冊ではなく二冊に分けて本を出すのか尋ねた。学問の領域で扱われるべきものが法廷に持ち出されたアイロニーに対する朴裕河らしい対応だった。

 「一冊は裁判記録が中心です。私が訴訟に巻き込まれたのが、本の内容のせいではなく、支援団体が私を社会的に葬るためであったということを、法廷闘争の記録を使って示そうと思いました。私の訴訟が、本の刊行直後ではなく、一年近く経ってからなされた理由は何なのか。本を出した後、謝罪と補償についての当事者たちの意見を聞くために、ハルモニたちにもう一度会うと、慰安婦支援団体が警戒し始めました。私が一部のハルモニとの深い対話を通じて2014年4月に「慰安婦問題、第三の声」というシンポジウムを開催したのが、決定的でした。第三の声を代弁した最も重要な人物であるペ・チュンヒハルモニがその年の6月9日に亡くなられると、その一週間後の6月16日に訴訟が起こされたというのは、はたして偶然でしょうか?」 

 もう一冊は、法廷の外で繰り広げられた学者や専門家たちの批判に対する反論だ。2008年、『和解のために』(2005年刊)について、「右翼勢力とは違うとはいえ、植民地支配の責任を負うまいとする日本のリベラルの代弁者」と批判した「在日知識人」徐京植、訴訟の一週間前、「ファシストは和解ではなく断罪の対象」という批判を発表した朴露子、一審の裁判が行われている最中に、『誰のための和解か:「帝国の慰安婦」の反歴史性』を刊行した鄭栄桓…。

 「私を本当に苦しめたのは、訴訟を起こした支援団体と検察ではなく、学者仲間と信じていた、それも進歩的知識人を自認していた者たちが、私に向けて放った非難の矢でした。彼らは私の文章の趣旨を捻じ曲げたうえで滅多切りにしたのです。そのうえ、彼らが私に対する批判として書いた文が検察によって証拠資料として提出されるに及んで、学問的な批判は裁判が終わった後にしてくれと頼んだのですが、無駄でした。なので裁判中に必死の思いで書かざるをえなかった反論の文もあり、当時はきちんと対応できなかったので、時間の余裕ができたときに追加で書いたものもあります」

案山子論法の打破

 朴教授への非難は、ほとんどがが文章全体の趣旨を変え「彼女の文はこういう意味」だといって恣意的に解釈したという点で、典型的な案山子論法(訳注:相手の意見を歪めたうえで反論する誤った論法。ストローマン論法)だ。「朴裕河がこう言った」と批判を加えれば、メディアと大衆を通じて拡大再生産された。朴教授はこれについて「私はそのように言っていない」というふうにネガティブな対応をしてきた。記者は、そのようなやり方では彼女に押し付けられた「緋文字」を取り除くのは難しいと思ったので、案山子の論点に対する直接的な反論を求めた。

朴裕河は「慰安婦は本質的に売春婦」と言ったのか

 「本の中で「からゆきさんの末裔というのが慰安婦の本質」と書いた小見出しに対する歪曲です。からゆきさんは、「外国に出稼ぎに行く女性」を意味する日本語です。貧しい地域の若い女性を、ほかの人が行きたがらない海外へ送り、辛い仕事を押し付けたことを美化する用語です。その役割が植民地朝鮮の貧しい女性に押し付けられたという意味で書いたのです。ところが、からゆきさんのほとんどが売春婦であって、慰安婦の本質が売春にあると曲解したのです。本の中でも書いたように、そこで私が言う本質とは、「国家間の移動がより容易になった近代において、帝国主義の勢力拡大のために海外に送られた男性たちを、現地に縛りつけておくために動員された者たち」というものでした。からゆきさんの話を持ち出したのは、朝鮮人慰安婦が民族的差別の結果ではなく、貧しい日本人に加えられていた差別が植民地朝鮮人に投影されたということを言うためであり、それが国家による階級的搾取だったという点を指摘するためだったのです」 

朴裕河は「慰安婦は日本軍と同志的関係にあった」と言ったのか

 「そのような表現を使ったのは事実です。しかし、これは帝国主義日本によって、日本人として動員された植民地朝鮮の女性の認識が、当時の日本の敵国だった中国、オランダの女性の認識と同じではありえないことを説明したものです。中国、東南アジア、西洋の慰安婦が、意のままに強姦したり殺したりしてもいい「戦利品」だったとすれば、日本、朝鮮、台湾から動員された慰安婦は、日本軍が敗北の瞬間まで保護しようとした「軍需品」だったという違いが存在します。これは朝鮮人慰安婦もまた、戦場でまもなく死ぬことになる日本軍兵士―ここには朝鮮人兵士も含まれていました―に対し同病相憐むという感情を抱く余地があったことを、さまざまな証言が裏付けているためです。これは貶めるための表現ではなく、同志的な関係を強要した帝国主義的構造の問題を批判するために使ったものです」

朴裕河は「日本軍慰安婦の強制連行はなかった」と言ったのか

 「日本軍が直接的におこなった強制連行の証拠は、朝鮮人に関する限り存在しないと指摘したことはその通りでです。今まで日本軍によるものとして知られている事例について、私は軍属待遇を受け、日本の軍服が支給されることもあった民間人の業者たちではなかったかと考えています。また、幼すぎたり、騙されて連れてこられたと訴える女性たちを送り返した事例がいくつも見られることから、国家が直接的に少女たちを強制連行したという主張は成立しにくいです。しかし、民間人の業者や抱え主が表に出ていたとしても、慰安所というシステムを維持し、管理した主体が日本軍だったという事実のために、究極的な責任を免れることはできないという点は、はっきりと指摘しています。「結果的に、日本は自分たちの手を汚さずに、植民地人たちに不法行為を全面的に担わせ、同族に対する加害者に仕立て上げた」という点で、植民地支配の構造的な責任を免れることができないということも明確にしました」

なぜ魔女狩りの対象になったのか

 このように朴教授に対する非難の多くは、歪曲と曲解から出発している。では、いったいなぜ彼女はこんなにも激しい魔女狩りの対象になったのだろうか。

 「1990年代以降、韓国で進歩的知識人と活動家が独占してきた日本観に亀裂を入れたためではないかと思います。過去の歴史について謝罪しない日本を絶対悪と想定し、そのような日本との関係回復を妥協、屈従とみなす民族主義左派の見方に対し、貧しい女性を対象とした階級搾取と、男性の性搾取として眺める必要があるという私の主張が、ひどく気に障ったようです。進歩的と言うけれども、彼らの多くは娼婦と貞淑な女性を峻別する家父長的ジェンダーの規範に浸かっています。そのため、往々にして慰安婦を穢れのない無垢な少女として理想化することにこだわります。そんな家父長的民族主義の見方から、無力だったために娘や妹を守れなかったというのは許せても、金のために娘や妹を売り渡したという自我像を受け入れるのは難しかったのではないかと思います。したがって、均一な民族主義的自我観に亀裂を入れる私に、いかなる手段を使ってでも罰を与えなければならないと考えたのではないかと思います」 

 『帝国の慰安婦』は、二つの固定観念の打破を狙った本である。一つは、日本軍慰安婦を「日本軍の軍靴に踏みにじられた十五歳の少女」としてのみ記憶に刻もうとする韓国人の集団無意識である。未成年の慰安婦も存在したことは事実だ。しかし、複数の資料が、二十歳以上の大人の女性が多かったことを示している。また、日本軍によって強制連行されたものよりも朝鮮人業者に騙されたり、父親または兄によって売られたケースが多かった。それにもかかわらず少女像にこだわる理由は、日本に対する憎悪を強めることで、自分の娘や妹を売り渡したわれわれの罪の意識を薄めようとする集団的無意識のためではないかという疑問を投げかけたのだ。

 もう一つは、慰安婦問題について、日本の謝罪と補償がないと思っている韓国人の記憶の問題だった。大部分の韓国人は、これが理由で日本に強い反感をもっているが、逆に多くの日本人は、贖罪の気持ち(つぐない)を込めて誠意を示したにもかかわらず、無視されたと感じている。1993年、慰安婦の強制動員を認めて謝罪と反省の意を表した河野談話と、1995年、村山内閣が日本政府のお金と国民募金によって立ち上げた「女性のためのアジア平和国民基金」がその証左だ。韓国では当時、これを低く評価して門前払いにした。しかし、安倍内閣の発足以来、河野談話を発表した河野洋平官房長官(当時)と村山富市元総理に対する評価が上昇したのを見ると、「完璧ではなかったとはいえ、あのときに謝罪と補償を受け入れておけばなあ」という気もする。

 朴教授は、「日本が誤りを犯したのは確かだが、謝罪と補償のために努力したのも事実だ。だが、こうした事実がきちんと知られていないことが、私たちの怒りを招いた面もある」と述べ、「きちんと知ること、正確な批判」によって、慰安婦問題の解決を図るべきだと提案した。これは慰安婦問題を利用してヘゲモニーを掌握してきた「進歩的知識人勢力」の目に、脅威と映った可能性が大きい。

 「私も進歩的知識のグループに属していると考えていましたので、民族主義的な感性にとらわれた一元的な見方から抜け出し、階級搾取とフェミニズムの観点からも、この問題を眺めてみようという私の主張が、これほどの拒否反応を引き起こすとは思いませんでした。むしろ彼らは、私の後ろに、韓米日三角同盟を維持するために韓日間の和解と協力が必要な新自由主義勢力が隠れていると言って攻撃します。韓日和解という目的のために、牽強付会の本を書いたというのです。そんな発想こそ、学問が中立を守るべき対象ではなく、政治や運動の論理のために従属させるべき対象という、彼らの無意識が露呈したものだと思います。慰安婦問題をどう解決していくかが重要なのではなく、韓国が正しく、支援団体が正しいということを立証しようという目的意識がまさっているということを露呈していると思います」 

怒りを乗り越え、雅量を

 米国政治哲学の碩学であるマーサ・ヌスバウム・シカゴ大教授は最近、韓国で翻訳された『怒りと許し』という本の中で、怒りと許しの感情の下に潜む不純さを批判した。怒りは、大部分、被害者を考慮したものではなく、加害者を標的にしており、加害者に屈辱を味わわせたいという加虐性の爪を隠していると告発した。また、われわれがしばしば目にする「許しのドラマ」にも、相手を侮辱する加虐性が隠れていると告発した。つまり、加害者が過ちを告白して懺悔の涙を流せば、被害者は加害者を許すというドラマにも、加害者の屈辱を見て満足するナルシシズムが潜んでいるというのだ。

 アヌスバウム教授は、このような怒りと許しの悪感情に陥らないためには、怒りは、過去志向的な因果応報の感情から抜け出し、未来志向的な制度改善を目指すべきであり、許しも、相手を無条件に受け入れる雅量と愛へと発展しなければならないと忠告している。

 これを韓国社会にあてはめると、韓国の右派と左派の過去指向的な怒りと、条件付きの許しの対外的対象が相互に交錯するということに気づく。韓国の右派が、「ああ、どうしてあの日を忘れることができよう」という歌を歌って、相手に屈辱を味わわせないかぎり、決して許しなどありえないと、歯ぎしりをする対象が北朝鮮であるとすれば、韓国左派が、歴史的正義の実現のために、ぜひ国家による謝罪をさせなければならないと執着する対象は日本だ。韓国の左派は、南北首脳会談と米朝首脳会談の過程で、未来志向的な南北関係を作るために、怒りの噴出を抑制し、雅量を通じて北朝鮮を武装解除させる道を模索する必要があると力説する。一方、未来志向の韓日関係のために、韓国が過去の歴史に対する怒りを鎮め、まず雅量を示す必要があるという声には、まるで無反応だ。

 「被害者の怒りは、ある意味、当然だろうと思います。問題は、韓国では、被害の経験が他の被害者に対する理解へと発展せず、「私の被害のほうが大きくて、つらい」というような主張ばかりがなされるようで、残念に思うことが多いです。被害の経験が、加害者に向けた鬱憤と他者の拒否にしかならないとしたら、何の意味があるでしょうか。被害の経験が、他の被害者への共感と理解へと発展するときに、人類社会の次元で意味があるのではないでしょうか。すべての民族主義は、受難を経るのが当たり前なのに、韓国人の受難だけが、いっそう大きくてつらいと、退行的反応を見せる時が多いように思います。「私たちのほうがまず日本を許したら、日本が変化するのではないか」という言葉を、亡くなったペ・チュンヒハルモニから聞きました。口では当事者主義というけれど、慰安婦ハルモニの中に、すでにそんな気持ちをもった方もいらっしゃったということを、私たちは知らなかったではありませんか。日本がアジア女性基金を作った当時、謝罪の気持ちがあると答えた日本人が大多数でしたが、その気持ちが受け入れられなかったため、20年後の今、嫌韓社会になってしまったという事実を知るべきです。慰安婦活動家の中には「天皇をひざまづかせるのが私たちの目標だ」と話す人もいます。結局、当事者たちの心の癒しと両国国民の間の互恵が私たちの目標なのであれば、相手に屈辱を与えることが果たして正しい道なのかと問うべき時が来ているのではないでしょうか」 

 筆者は、記事の冒頭で朴教授が韓国のドレフュスか、韓国のハイデガーかと問うた。もちろん大げさな問いではあるが、筆者は、彼女がドレフュスでもハイデガーでもないことを願う。韓国社会では当たり前になっている通念に対し問題提起をしたといって、知識人の良心を監獄に閉じ込めるほど、韓国社会が野蛮でないように、『帝国の慰安婦』というタイトルにおいて、「帝国」が帝国主義日本を批判するためにつけたことに気づけないほど愚かだとは思いもしないからだ。


(『週刊東亜』2018年7月17日)

帝国の慰安婦訴訟支援へのご参加をお願いします

さる10月27日、ソウル高等法廷裁判部は、元慰安婦の方たちの名誉を損なったとの嫌疑で起訴された朴裕河教授に罰金一千万ウォンの判決を下しました。韓国を、学問と表現の自由を尊重する国と信じてきた国内外のすべての人々にとって実に衝撃的なことと言うほかありません。2017年1月の第一審は、およそ一年をかけて、あたかも学術討論のような裁判を10回以上行い、朴教授に無罪を宣告しました。しかしこうした判決を軽く翻した二審の有罪宣告に、私たちは深い憂慮を禁じ得ません。

『帝国の慰安婦』の中で名誉毀損の証拠として検察が示した言葉は全て、証拠として有効とは言えず、著者に名誉毀損の意図があったとは考えられないというのが第一審の判断でした。同時に慰安婦問題は、社会の公的な関心事であるだけに、活発な公論形成のためにむしろ表現の自由を幅広く保証すべきだとして無罪の判決を出したのです。しかし、韓国司法部の合理性と公共性をあますところなく示してくれたその判決は二審で完璧にひっくり返りました。

有罪判決の根拠は二つに要約できます。そのひとつは、著者が「虚偽の事実」を提示したのであり、二つ目は、名誉毀損の「故意」があったとするものです。裁判部が、著者の慰安婦認識を「虚偽」とみなしたのは、韓国社会と国際社会の「正しい」認識とは異なるという理由でした。そして「故意」の判定は、慰安婦に対する「社会的評価」を「低下」させる効果のある主張であることを著者が知っていながらそうした主張をした、という判断に基づいていました。

しかし、これは学問的著作に向き合う態度として大変危険なものと私たちは考えます。慰安婦問題と関連して、「正しい」認識と「虚偽」の認識が最初から決まっているとみなすのは、慰安婦問題を活発な研究と討論の対象としないように方向付け、結果として慰安婦問題を日韓葛藤の原因として残しておく発想です。さらに、朴教授の本に名誉毀損の「効果」があると見るのは、その本のいくつかの効果の中の一つ、しかも、読者の側の特殊な利害関係のために生じやすい効果を誇張したものです。わたしたちは、二審裁判部が普遍的な学問の自由に関する関心より、特定の意図や目的を持つ学問活動や読書行為を奨励するのではないかとの疑問を持たざるを得ません。

『帝国の慰安婦』に対する賛否とはかかわりなく、私たちは二審裁判部の判決が韓国の学界・文化界に重大な危機をもたらすものと考えます。有罪宣告でもって裁判部が示唆したのは、韓国の学界・文化界は、今後身の安全を確保するためには国内の主流集団が「正しい」と認めた歴史認識のみに従わないといけないということでもあります。

学問の自由を保障した韓国の憲法条文は聞こえのよい修辞でしかなく、主流集団の利益や見解と異なるすべての研究は、処罰の対象になることでしょう。こうした二審裁判部の判決を前に、軍事独裁政権とともに消えたとみなされていた思想的統制が新たに復活したかのような感覚を覚え、画一的な歴史認識がもう一度強制されるかのように感じる人は少なくないでしょう。

有罪判決を出された朴教授の前におかれた道は険しいです。「正しいと認められた見解」と異なる、自らの意見を表現しようとする全ての韓国人の将来への道もまた、険しいです。

朴教授が刑事起訴されたとき、韓国・日本および欧米の学界をはじめ社会の各分野の多くの方々が事態の深刻性を理解し、司法部の思慮深い判断を促す嘆願にたちあがりました。一審の無罪判決はそうした努力が無駄ではなかったことを確認させてくれました。
しかし二審の時代錯誤的な有罪判決は、「異なる」意見を許さない国家および社会権力の存在とその抑圧性を明確に見せつけています。こうした状況に対抗する市民の意志を表すべき時と考えます。

そこで、わたしたちは朴教授の訴訟を支援し、そのための募金を始めます。歴史と政治のある問題について異なる考えを持つとしても、その考えを語る権利は守られるべきというのが、この募金を始めるわたしたちの基本的な考えです。朴教授を始めとする韓国の学者と文化人たちが、「異なる意見を語る」という理由で犯罪者の鎖につながれるようなことが、今後はいっさい発生しないよう、どうか多くの方々のご関心とご参加をこころより願っております。

2017年12月7日

賛同人
姜信杓 Shin-pyo Kang (仁済大学名誉教授)
姜運求 Kang Woongu (写真家)
高榮範 Young B. Oh (劇作家)
高宗錫 Koh Jongsok (作家・言語学者)
金京玉 Kim kyungok (演劇評論家)
金成姬 Seonghee KIM (桂園芸術大学)
金映圭 Kim YoungQ (仁荷大学)
金英鎔 Kim YoungYong (元 韓国経済新聞社長)
金容均 Yong Kyun Kim (梨花女子大)
金容雲 Yong-Woon Kim (漢陽大学名誉教授)
金禹昌 Kim Uchang (高麗大学名誉教授)
金源祐 KIM Wonwoo (作家)
金澤秀 Taik Soo Kim (図書出版 ディ オリジン社長)
金哲 Kim Chul (延世大学 名誉教授)
南基正 Nam Kijeong (ソウル大学)
羅鍾一 Ra Jongyil (元駐日・駐英韓国大使)
朴慶洙 Park Kyungsoo (江陵原州大学)
朴三憲 Park Samheon (建国大学)
裵琇我 Bae Suah (作家)
徐賢錫 Seo Hyun-Suk (延世大学)
辛炯基 SHIN HYUNG KI (延世大学)
安秉直 Byong Jick Ahn (ソウル大学名誉教授)
劉峻 Yoo Jun (延世大学)
尹聖晧 Yoon Songho (東西大学)
尹海東 Hae-Dong Yun (漢陽大学)
李康民 Kangmin Yi (漢陽大学)
慶順 Kyung Soon (映画監督)
李京塤 Lee Kyounghoon (延世大学)
李大根 Dae-Keun LEE (成均館大学名誉教授)
李淳在 Lee, Soon-Jae (世宗大学)
李栄薫 Lee Younghun (元ソウル大学教授)
李祭夏 Je Ha Lee (作家)
鄭鍾柱 JEONG Jong-job (図書出版プリワイパリ社長)
趙寛子 Jo Gwanja (ソウル大学)
曺碩柱 Seok-ju Cho (成均館大学教授)
趙容来 Cho Yong Rea (国民日報編集代表)
崔圭承 Choi Kyu Seung (詩人)
崔範 Choi Bum (評論家)
黄永植 Hwang Youngsik (韓国日報主筆)
黃鍾淵 Jongyon Hwang (東国大学)
黃鎬贊 Ho Chan Hwang (世宗大学)
金學成 HAK SUNG KIM (タボッ法律事務所)
金香勳 Kim HyangHoon (法務法人 セントロ )
李成文 LEE SEONG MUN (法務法人 明渡 )
李東稙 Dong Jik Lee (法務法人 新源)
李敏錫 Minseok Lee (李敏錫 法律事務所)
崔銘奎 Choi Myung Kyu (崔銘奎 法律事務所)
許中赫 Hur ZungHyuk (許中赫 法律事務所)
洪世旭 Hong Sae Uk (法務法人 H’s)
韓政澔 Han Jung Ho (忠北大学教授)
50名

浅野豊美 (早稲田大学)
天江喜七郎 (元外交官)
岩崎稔 (東京外語)
池田香代子 (翻訳家)
上野千鶴子 (東京大学名誉教授)
大江健三郎 (作家)
小倉紀蔵 (京都大学)
尾山令仁 (牧師/神学者)
加納実紀代 (元敬和学院大學教授)
清眞人 (元近畿大学教授)
金枓哲 (岡山大学)
熊木勉 (天理大學)
古城佳子 (東京大学)
小森陽一 (東京大学)
佐藤時啓 (東京芸術大学・写真家)
篠崎美生子 (恵泉女子大学)
竹内栄美子 (明治大学)
東郷和彦 (京都産業大学・元外交官)
東郷克美 (早稲田大学名誉教授)
成田龍一 (日本女子大学)
中川成美 (立命館大学)
中沢けい (法政大学/作家)
西成彦 (立命館大学)
西田勝 (文芸評論家)
朴貞蘭 (大分県立芸術文化短期大学)
朴晋暎 (写真家)
深川由起子 (早稲田大学)
藤井貞和 (東京大学名誉教授)
和田春樹 (東京大学名誉教授)
Gregory Clark (国際大学)
四方田犬彦 (映画史、比較文学研究者)
千田有紀 (武蔵大学)
榎本隆司 (早稲田大学名誉教授)
33名

Andrew Gordon (Harvard University)
Brett de Bary (Cornell University)
Bruce Cumings (Chicago University)
Chizuko Allen (Hawaii University)
Daqing Yang (George Washington University)
Jin-Kyung Lee (University of California, San Diego)
John Treat (Yale University)
Mark Selden (Cornell University)
Michael K. Bourdaghs (University of Chicago)
Miyong KIM (University of Texas at Austin)
Noam Chomsky (MIT)
Sakai Naoki (Cornell University)
Sheldon Garon (Princeton University)
Tomi Suzuki (Columbia University)
Thomas Berger (Boston University)
William W. Grimes (Boston University)
Sejin Park (Adelaide University, Retired)
Alexander Bukh (Wellington Victoria University)
Reiko Abe Auestad (Oslo University)
Amae Yoshihisa (Chang Jung Christian University)
20名

合計 103名

「帝国の慰安婦」訴訟支援の会

問い合わせ先:日本語 [email protected]
韓国関連事項:英語・ 韓国語[email protected]

 

 

[email protected] (東アジア和解と平和の声)

 

 

 

『帝国の慰安婦』 刑事裁判 二審判決文を読む

朴 裕河

1、恣意的な判決

2017年10月27日、ソウル高等裁判所は私の著書『帝国の慰安婦~植民地支配と記憶の闘い』を、慰安婦に対する名誉を棄損した本と判断し、罰金1000万ウォン(約100万円)の有罪判決を下した

2017年1月の一審での無罪判決以降、有罪とするべき新しい証拠が出たわけでもないにもかかわらず、無罪判決をひっくり返したのである。つまり、二審は同じ本に対する判断を、証拠ではなく恣意的な解釈だけで有罪とした。

当然ながら認めるわけにはいかず、私と弁護士はすぐに上告した(2017年10月30日)。裁判所に出す上告理由書はより詳しく具体的に書くことになるが、以下は裁判所だけでなく、より多くの人たちにこの事態を理解してもらうべく、ひとまず書いた文章だ。 二審判決の内容をまとめると以下のようになるだろう。

『帝国の慰安婦』は、「日本軍によって強制的に連れていかれて性奴隷になった朝鮮人慰安婦」とは異なる慰安婦像を提示している。同時に著者は「朝鮮人慰安婦」の苦痛に関しても同書に書きとめている。

しかしそうした認識を本の記述全てにおいて書いているわけではない。そのため、「自発的売春婦だった日本人慰安婦とは異なる性奴隷の朝鮮人慰安婦」といった、韓国社会と国際社会が共有する認識とは異なる認識を読者が持つようになる可能性がある。すなわち「朝鮮人慰安婦=自発的売春婦」といった認識だ。

また、国連報告書など国際社会と日本の河野談話の認識によれば、慰安婦を「自発的売春婦」だとするのは明確に虚偽である。著者の認識の方を虚偽とみなすのは、国際社会の認識こそが最も正しい認識だからである。そうした国際社会の認識を著者はよく知っていたはずでありながら、それとは異なる認識を語った。言うなれば虚偽を書いたのみならず、そうした事柄について書くことによって対象の社会的評価が低下されることを認識していたかどうかをめぐる判断も名誉棄損の判定においては重要だが、著者は長い間慰安婦問題を研究してきており、そうした本がもたらす結果を知っていたはずだ。したがって虚偽の「事実」提示と執筆目的において「故意(犯意)」が認められるので有罪とする。

シンプルに言えば、二審の判決は、「読者の読解に著者が責任を持つべきである」との判決であった。「著者が持つべき責任」の金額として私に課された「罰金1000万ウォン」をもって、検事が求刑した懲役3年より軽いのでよかったと言う(あるいは軽過ぎると非難する)人々がいた。しかしこの金額は懲役ならば5年に値する、名誉棄損関連の処罰が選択しうる最高金額だ。裁判所は寛大な処分を出したかのように強調したが、懲役刑を選択しなかったに過ぎず、実際には3年以上の懲役刑にあたる処罰とも言える。でありながらも、裁判所はあたかも学問の自由を擁護したかのようなポーズをとった。

名誉棄損で有罪が成立するためには、問題とされた内容が事実であることが最初の条件となる。無罪とみなした一審は検察側が「犯罪」として指摘した35カ所のうち30箇所を「意見表明」とみなし、残る5箇所は「事実」に関する記述としながらも、慰安婦の社会的評価を低下させる表現ではない、あるいは個々人を特定した表現ではないので名誉棄損ではない、とした。また、著者に名誉棄損をする目的(故意)があるとみなすことはできないとして、「慰安婦問題は国民が知るべき公共性・社会性を持つ公的関心事項であるので、活発な公開討論と世論形成のために表現の自由を幅広く保障」するべきとして無罪を言い渡したのである。

このように判断するまで一審のソウル東部地裁は1年に渡って、準備裁判を含むと10回以上、本裁判以降は毎回朝から夕方まで長い時間をかけて裁判を行った。検事は私を批判した学者の論理を掲げて私の「犯罪」を主張し、結局、法廷での攻防は学術セミナーのような内容となった。それに比べて二審は4回しか開かれず、毎回1、2時間にしかならかった。であれば一審に提出された膨大な資料を詳細に検討してこそ、この事件をまともに判断できたはずだが、二審判決を見る限りそうだったようには見えない。

2、歪曲と訴訟の本質

この判決のもっとも大きな問題点は、検事が提出した、歪曲された内容をそのまま使っているということだ。以下に引用しておいたが、一方では私の本の趣旨をある程度理解しまとめておきながらも、結局は読者の誤解のないようにもっとも気を配って書いたところに関して、裁判所は検事が勝手に曲解した要約を持って来て、あたかも私が書いた内容そのものであるかのように歪曲している。

しかし私は、慰安婦は強制連行されていないとは書かなかった。日本軍の募集と関与・管理も否定するどころか、むしろどのように関与したのかを詳しく書いた。

「朝鮮人慰安婦がやるべき仕事の内容を知っていながら、本人あるいは親の選択によって自発的に行った」と要約されたところもいいかげんな要約であり、「本人の意志に反して慰安婦になる場合はなかった」というのは私の言葉ではなく、そのように主張する人たちを批判するところで引用した、慰安婦問題を否定する者たちの言葉である。

「1996年の時点で慰安婦とは根本的に売春の枠組みの中にいた女性たち」(42)というのも国連報告書の内容である。こうした論理なら、「朴裕河が”慰安婦は自発的売春婦”と書いた!」と言ったすべてのメディアと個人も名誉毀損で訴えられなければならないことになる。

また、私は、「法律上の賠償責任や公式謝罪を受けることができない」(2)とは言っていない。そうした形のみを唯一の解決方法と考えて来た支援団体の運動のあり方や論理に疑問を提示したまでである。「公式謝罪を受けることはできない」と書いたのではなく、20年以上、法的責任のみを主張してきた支援団体の考えにも問題があるから、日韓で協議体を作って議論し直すことが必要、と本には書いた。韓国語版刊行の後に出た日本語版では国会決議が必要と書いた。

「被告が主張する解決方式を提示」(39)したという言葉は検事の主張だが、先に書いたように、私は韓国語版では解決方法を具体的には提案していない。にもかかわらず原告側も検事も、裁判中繰り返しこうした言葉で非難したが、実はこうした主張こそが『帝国の慰安婦』訴訟の本質を示しているものである。原告側(支援団体)が訴訟を始めたのは実際、「慰安婦の名誉」というより運動体の運動の正当性を守るためのものだった。実際にそのことは告訴状に明確に現れている。『帝国の慰安婦』は、「植民地支配と記憶の闘い」とのサブタイトルを通して表したように、90年代以降の慰安婦支援運動の問題を批判した本でもあるが、それこそが告訴の原因となった。しかし、支援団体が主張してきた「法的責任」について知る人は、少なくとも私が会った慰安婦の方々の中にはいなかった。

3、「事実を摘示」との前提について

この判決は『帝国の慰安婦』についてこうも書いている。

被告人がこの事件の図書において、全ての朝鮮人慰安婦が自発的に慰安婦になったのではなく、直接の暴行・脅迫・あるいはだましや誘惑によって慰安婦になった場合があり、日本国や日本軍が公式に強制連行をした証拠は存在しなくとも責任がないとはいえず、民間人の抱主(売春斡旋業者)や業者によって強制力が施され、性的虐待の代価として支給されたのは少額であり、それさえも搾取され、一部(だけ)の朝鮮人たちが日本軍と協力的な関係を結んでいたなど、内容をともに記している。(32)

被告人はこの事件の図書において「朝鮮人慰安婦を募集した主体は日本軍ではなく業者だったがその過程において不法な方法が使われた。一部の慰安婦たちは日本軍によって強制的に連行された場合もある。朝鮮人慰安婦たちは貧困、家父長制、国家主義によって慰安婦になった。慰安所内で民間人抱主や業者によって強制力が使われ、性的虐待の代価で支払われたのは少額であり、それさえも搾取された。朝鮮人慰安婦たちは植民地の人として愛国が強制され、一部の慰安婦は日本軍と同志的関係にあった。」と記述している。(37)

被告人の主張するように日本軍慰安婦問題には社会構造的な要因が存在し、朝鮮人慰安婦たちの姿やおかれた状況は様々であり、この図書は被告人がすでに出ていた資料をもとに、現在の韓国社会の主流的な観点とは異なる立場から慰安婦問題に関する自らの主張を披瀝する内容であり、この図書の所々に例外的な姿や多様な慰安婦の姿やおかれた状況が記述されている。(41)

「例外的」と記述するところなど、すでに書いた人の見方が見えていて、必ずしも全て正しいわけではないが、それでもある程度私の本の趣旨を理解した要約と言える。であれば、いったいどうして有罪としたのだろうか?

実のところ、私は名誉毀損を巡る訴訟では「意見」なのか「事実」なのかが重要だと聞いたので、学術的な本の全ての記述は基本的に「意見」であるほかないと述べた。もちろん学問とは「真実」を求める過程でもあるが、どんなに自らの知る事柄を「事実」と主張したとしても、自らが信じた「事実」もまた、いつでも新しい探求と学説によって否定されうることを知っているからである。そうした意味では全ての学問は「意見」でしかない。

実際に、ヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』(1973)以降、客観的な事実を記述したかのように見える歴史書さえも、入手された資料を前に学者が文学的想像力で編んだ「文学」であるほかないとの認識は、常識になりつつある。多数の支持と検証を経た仮説が歳月や空間を乗り越えて「真理」や「事実」と定着してはきたが、そのすべては文学的プロットを必要とし、そうしたプロットを作るのは見えないイデオロギーだとの見方は、過去の歴史に謙虚になるためにも必要な認識である。言うなれば、全ての歴史書・学術書は真実・事実を追求するものではあるが、一つの事柄を最終的な「真実」と断定できる者は論理的にはいない。あくまでもその時点での「認識」を語るものでしかないのである。

しかも指摘された部分は、文脈を見ても分かることだが表現自体も「意見」として表したところが多い。『帝国の慰安婦』は歴史自体より、証言を含む歴史をめぐる言説を分析した学術的批評書だからである。

4、「社会的な評価を低下させる」との認識について

裁判所は結果的に、私の本を元慰安婦の方々の「社会的な評価を低下させる」ものと判断している。裁判所が言う「社会的評価の低下」とは、元慰安婦が強制連行を主張しているのにそれに反するような言葉を発するのは、そうした元慰安婦の主張に問題があると読者に受け止められる可能性がある、という意味である。

しかし、『帝国の慰安婦』を読んだ人々の中にはむしろ、「慰安婦問題にもっと共感するようになった」とか、「それまで感じることのなかった悲しみを感じた」と言ってくれた人たちが多い。必ずしもそうした読解のみが正しいとは主張しないが、この判決はそう読んだ全ての人々を無視した判決である。代わりに、著者の意図とは異なった読み方をする(しうる)人々の存在と、そのように仕向けた人々の「誤読」の可能性を偏向的に優先した。私に対する有罪判決はそのようにくだされたものだ。

繰り返すが、『帝国の慰安婦』は、歴史書というよりは歴史をめぐる言説を分析した「メタ歴史書」である。韓国と日本の異なる読者を対象に書かれ、一つの「真実」自体より目の前にある「真実」(対象・状況)らしきものと「どのように」向きあうべきかを模索した理由でもある。必要に応じて「事実」に接近しうるように努力したが、それ以上に、その「事実」をめぐって対立している人々がお互いをもっと深く理解し合えることを目指しながら書いた本なのである。接点を見いだすべく両国の政府と支援団体を批判したが、慰安婦に関しては否定も批判もしなかった。

私が試みたのは、むしろこれまで支援団体が見過ごしたり隠蔽してきたりした声をよみがえらせることだった。長い間意識・無意識に埋もれてきた全ての声に耳を傾けることこそが、過去との対面において誠実なやり方――望ましい「歴史との向き合いかた」と考えたからである。

にもかかわらず裁判所は、私のそうした試みを認めながらも「例外」とみなし、私の本に反発した支援団体(と検察)の『帝国の慰安婦』に対する曲解を額面通りに受け止めた判決を出した。裁判所でさえある程度素直に読んでいた痕跡を残しながらも、この判決は結局、裁判所自らも含む全ての読者を無視した結論を出したのである。

判決文に一部要約されたように、私は「慰安婦の自発性」を強調するよりは、むしろそうした構造を作った日本の植民地支配を批判した。たとえ自発的に行った人がいるとしても、そのほとんどは家族のために自ら犠牲になったケースとも書いた。「(管理)売春」という単語は裁判所が引用した国連報告書や多くの学者が使用している、価値の評価とは関係のない、中立的な一つの状況説明でしかない。文脈や意図と関係なく単語を使っただけで有罪となるのなら、1996年に国連報告書を作成した国連の報告者、そして日本軍慰安所を国家が管理した公娼から派生したものと見ているほかの多くの学者も起訴され、有罪となるべきだ。

5、「虚偽」との認識について

裁判所が<帝国の慰安婦>を「虚偽」とみなすために引用した資料は、90年代半ば、つまり20年以上も前の資料である。たしかに河野談話は日本政府が調査を経て出した見解であるが、ほかの国連報告書や国際司法委員会の資料は、慰安婦問題が問題として発生しはじめた初期に、支援団体などが提出した資料などを専門家でない人たちが検討して出した資料である。

もちろん国連のクマラワスワミ報告は日本や韓国、そして北朝鮮から学者や慰安婦の証言を聞いてまとめた報告書だ。そして彼らの意見を公正にまとめたものとも言える。

しかし、この報告書は基本的に今では否定されている吉田証言(慰安婦問題解決のために長い間努力してきた和田春樹教授さえも、昨年出した本で同証言を否定した)などを根拠にして出された報告書である。しかも、慰安婦問題を同時代の東ヨーロッパなどの内戦で起きた強姦・虐殺と同じものであるかのように理解した痕跡がある。

しかし学界はその後20年以上研究を進め、今では学界において「日本軍による朝鮮人慰安婦の物理的強制連行」を主張する人は私の知る限りいない。強制連行を主張していた学者たちは今では、動員における強制性ではなく慰安所で不自由だったというように、内容を変えて同じ「強制性」であるかのように主張している。

もちろん、学者や支援団体関係者たちがそうした状況を知らないはずがない。それでも相も変わらず「強制連行」に執着する理由は、関係者が主張して来た「法的責任」を守るためである。その方法のみが正義に近い謝罪方法と考えるからだ。そして支援団体が私の本を「虚偽」として訴えた理由は、私が元慰安婦を侮辱したからではなく、支援団体が長い間主張してきた「法的責任」の可能性に私が疑問を呈したからだ。

にもかかわらず支援団体の考え方に疑問を提起した私を「日本を免罪」するとして声を大にして非難し、挙げ句の果てに民事提訴・起訴に至った原告側と検察の主張を、二審判決はそのまま受け入れた。裁判所の判決文は、一審で私が提出した膨大な量の資料を完璧に無視したことを露にしている。

裁判所は『帝国の慰安婦』を「朝鮮人慰安婦たちは自発的に慰安婦となって経済的代価をもらって性売買をした(31)」「日本国と日本軍は強制動員や強制連行をしなかった」 と要約している。

そして「朝鮮人慰安婦の多くは、日本国や日本軍の指示に従って自らの意志に反して強制的に動員され、日本軍慰安所の中で性的虐待を受けながら性奴隷としての生活を強制された」(31)ということこそが「事実」だとしている。

しかし、私はそのようには書いていない。募集はしたが日本軍が拉致やだますことを許可した状況が見あたらず、「公的には」(すなわち公式的には強制連行を指示した痕跡がなく、むしろそれに反する状況が証言や手記などに見える)むしろそうした状況を取り締まった状況が見えると書いただけだ。

だからといって元慰安婦たちの語る強制連行を否定したわけでもない。当事者の証言は基本的に尊重したかったからだ。(ただ、警察と一緒にあるいは一人で現れた「軍人」のように見えた人は、軍属待遇を受けて軍服も支給されていた業者である可能性が高いと考える)。なのにそうした状況に反する説明を付け加えなかったという理由だけで、その部分を「犯罪」と断定した。しかしそうした部分はほとんど、そう語った人たちを批判する文脈、あるいは全体内容をまとめる部分で使った内容である。指摘された部分のほとんどに反論・批判が入っているにもかかわらず、そうした文脈を無視して単語にのみ反応したことになる。

裁判所は国連報告書の中の「日本政府が強姦収容所(レイプセンター)の設立に直接に関与した」「慰安婦の調達のために軍部は物理的暴力、誘拐、強制やだますことをした」(34)、日本軍が女性や少女たちに「自発的に申請したかのように取り繕うため、業者に積極的な支援策を与えた」(36)ということこそが真実としている。『帝国の慰安婦』はこうした「重要なところが事実と合わない」ため「虚偽」だというのである。

裁判所が国連報告書を真実と考えるのは、「国際社会」という単語を無条件に権威と考えるからである。もちろんそうした判断は原告側と検察がそのように主張したからである。原告側は、これまで出た国連報告書や河野談話を、私の「犯罪」を主張する資料として裁判所に提出した。彼らの告訴(起訴)の趣旨は、言うなれば「国際社会はもちろんのこと、日本さえも共有する認識を朴裕河一人が否定している」だった。

しかし私は河野談話を否定するどころか、かえって高く評価した。ただ異なる形で解釈しただけだ。支援団体は昔は、河野談話を「強制性を否定した」とみなして不十分なものとみなして批判していた。ところが安倍政権で河野談話が検証対象になると、突如河野談話を「強制性」を認めたものとみなして「河野談話を守る」行動に出た。

ところで河野談話を出した河野洋平元官房長官は、私の起訴に反対する声明参同してもいる(2015・11)。私の解釈が間違っていたとしたら、河野氏が声明に参加することはなかっただろう。

裁判所は国連報告書の「性奴隷」認識が正しく、私の本はそれに反するものであるかのように言っているが、私は支援団体の「性奴隷」認識には疑問を投げかけたが、同時に慰安婦はうたがうべくもない「性奴隷的」存在と書いた。

にもかかわらず裁判所は「しかし被告人は、初めは一部そうしたケースもあるとしたり、いろんなケースがあるというような記述をしたりしておきながら、こうした例外的なケースを除いて叙述したり、断定的な表現を使用したりすることで、こうした表現に接する読者は<全体ではなくてもほとんどの、あるいは多くの朝鮮人慰安婦は自発的に慰安婦になって経済的代価をもらって性売買をし、愛国的に日本軍と協力し、ともに戦争を遂行し、日本国と日本軍は朝鮮人慰安婦を強制動員したり強制連行したりしなかった>と受け止めるように記述しており、こうした内容が客観的な事実と異なるのは明らかである。この事件の表現は虚偽の事実に当てはまる」(37)と言う。

こうした裁判所の認識は「自発的売春婦」ならば被害者ではないという認識が作ったものでもあるが、もとはといえば支援団体の認識でもある。言うなれば、慰安婦問題の中心にいた人々は、むしろ「売春」に差別的な考え方を自ら持っていたり(彼らがひたすら「純潔な少女像」にこだわる理由もそこにある)、20年以上人権運動をしてきながら社会が必要としつつ差別してきた問題を、問題として変える努力をしていない。そしてそのことを試みた私を罪人とみなし訴えたのである。

裁判所はそうしたことを知らないまま、「社会が慰安婦を差別(社会的な評価低下)しうるのだから(著者の意図がそうでなくても)処罰する」としたことになる。

6、人物の特定について

裁判所は『帝国の慰安婦』が特定の慰安婦を指し示して名誉毀損をしたという。しかし一審はそのようには判断しなかった。そして二審の主張が正しいなら、むしろ原告として名前のあがっている11人の元慰安婦の「日本軍の強制連行」が個別的に証明されないといけないだろう。しかし私はそのようなことはしたくなかったので、誰の名前も意識せずに本を書いた。ところが原告側が私の「虚偽」を証明するために裁判所に提出した、元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」居住者5人の口述書によれば、誰もそうした体験をした人はいない。しかもそのなかには「報国隊」へ行ったと話した人もいる。

しかし裁判所は私が執筆目的について書いた序文から、

「いうなれば日韓両国は、20年余りの歴史問題の葛藤を経て深刻なコミュニケーション不全症に陥った。(中略)その葛藤の中心に慰安婦問題があり、彼ら(日本の否定論者)は、韓国が世界に向けて嘘をついてまで日本の名誉を損なっていると考えている。そこで私はもう一度原点に戻って慰安婦問題について考えてみることにした』(韓国語版38−39)と書いた序文の一部と、以下に引用する部分を持って来て、私が具体的に問題解決のために先頭に立っている慰安婦を特定したとしながらこのように主張する。

「しかし現在韓国と日本の間に横たわる慰安婦問題の中心には、自ら慰安婦だったことを明かして日本の謝罪と賠償を要求する元慰安婦の被害者がいる。被告人もこの図書で<慰安婦たちと支援団体はその後も、日本政府と世界を相手に謝罪と補償を要求している。それは日本が謝罪を認めないためである。そうした意味では世界的な問題とみなされている慰安婦問題とは、実は数十人の元慰安婦と慰安婦支援団体が主体となった韓国人慰安婦問題でもある>(171)と書いたとしながら、「自ら慰安婦だったと公表した人にのみ名誉毀損問題が生じる」ので、「第三者が日本軍慰安婦を考える時は、全ての韓国人慰安婦より、まずは自ら日本軍慰安婦だったと公表した<元慰安婦の被害者>を思い浮かべることになる」と。こうした理由から私が慰安婦を「特定」したとみなすことができるというのである。

しかし、上記の引用部分で私が強調したのは「日韓の葛藤の中心に慰安婦問題がある」という事実であって、「葛藤を引き起こしている特定の元慰安婦」ではない。この部分においても本全体においても、私は元慰安婦が間違っているとか謝罪を要求することが問題だとは言っていない。一部の元慰安婦に与えられた情報が果たして正確だったのか、そう考えるように導いた支援団体の考え方が果たして最善の考え方だったのかを疑問視しただけだ。

何よりも、300ページを超える『帝国の慰安婦』を読んで慰安婦の悲しみを感じたとする人たちは、ほとんどが原告の言う「特定された慰安婦」ではなく「名もない慰安婦」「戦場に動員された慰安婦」を思い浮かべた人たちであろう。そうした読者が実在する限り、二審の判断は偏向的で恣意的と言わざるをえない。

もし私が慰安婦問題をただ「謝罪や補償を要求する特定の慰安婦の問題」と考えたなら、「慰安婦の悲しみと苦しみ」を伝えるような本を書こうとはしなかったはずだ。むしろ私は慰安婦問題を否定する人たちを具体的に批判した。これまでの支援団体のような糾弾ではなく、彼らがそのように考える理由に耳を傾けながら問題的な考えを批判したのである。

私たちの前には「過去の慰安婦」の実像を示す抽象的な「慰安婦」があり、現在の日韓問題の中心となる具体的な「元慰安婦」がいる。私の本は後者にも注目したが、考察対象はあくまでも前者だった。検察が売春・強制性・同志的関係、この三つの部分を問題視したということは、前者を問題視して起訴したということでもある。「過去の、名も知らない慰安婦」を含む全ての(抽象的)慰安婦について書いた部分に注目しておきながら、私が「謝罪と補償を要求する(現在の具体的な)元慰安婦」を特定したという言葉は、彼らの起訴内容に照らし合わせても論理的ではない。たとえ私の本を読んで現在の元慰安婦だけを思い浮かべる人がいたとしても、私がそれを意図しないかぎり、それは著者の責任ではありえない。

私の考察対象があくまでも戦場で死亡した慰安婦を含む「彼女たち全て」だったのは、慰安婦について説明した本の第1部を以下のように締めくくったことでも明らかであろう。(2部と3部は90年代以降の葛藤について書き、4部は現代が過去を反復している構造について書いた)

思うに、私たちが今耳を傾けるべきは、誰よりもこうした女性たちではないだろうか。戦場の最前線で日本軍と最後まで一緒にいて命を失った人々――声を発することのない彼女たちの声。日本が謝罪すべき対象はもしかしたら誰よりも先に彼女たちなのかもしれない。言葉と名前を失ったまま、性と命を「国家のために」捧げなければならなかった朝鮮の女性たち。「帝国の慰安婦」たちに。(『帝国の慰安婦』104)

7、目的(故意)について――「社会的評価」を下げたのは誰か

裁判所は、『帝国の慰安婦』が多様な慰安婦の姿を示したものとみなしながらも「しかし被告人は、この事件の表現では、例外的な場合を除いて叙述しなかったり、断定的な表現を使ったりすることで、これに接する読者はあたかもほとんどの、あるいは多くの”朝鮮人慰安婦”たちが自発的に慰安婦となって経済的代価を受けて性売買をし、愛国的に日本軍に協力し共に戦争を遂行し、日本国と日本軍は朝鮮人慰安婦を強制動員したり強制動員したりしていないと受け止めうる。被告人もこの点を認識していながら、この表現を記述したと見える」とした(41)。

そして、 「こうしたことを考えると、被告人がこの図書を執筆した目的、この事件図書の性格および全体内容を勘案したとしても、被告人はこの表現の中で嫡示した事実が虚偽であることと、その事実が被害者の社会的評価を低下させうるものであることを認識したとみられる。被告人に名誉毀損の故意が認められる」(41-42)というのである。

つまり裁判所はただ「可能性」を処罰しようとし、その可能性を防ぐために本の全ての部分において、裁判所自らが正しく要約してもいる本の趣旨を反復すべきだったと言っているようなものだ。本という媒体が一人の個人の表現でもある以上、こうした考え方は個人の表現のスタイルにまで国家が関与すべきとしたものである。

私は韓国と日本の読者を同時に念頭におきながら本を書いた。したがってそれぞれのところでその読者を思い浮かべながら書いていった。同じ素材をもって少し異なるニュアンスで記述したところがあるのもそのためだ。先ほど書いたように、真実をできるだけ見ようとしながらも、より大切なのはその真実を「どう考えるのか」の方だと考えるからである。

原告側と検察と裁判所は、私の本がまさしく「慰安婦は売春婦」と主張する人たちを批判する本でもあることを知りながらも、そうした部分を完全に無視して単語だけに執着した。しかし単語だけが問題なら、私を訴えて以降、メディアが私を非難しながら「”慰安婦は自発的売春婦”と書いた朴裕河」などと繰り返し報道してきたこの3年半の時間こそが、元慰安婦にはつらい期間だったであろう。

私は慰安婦を誹謗する意図がないことを、普通の読解力を持つ人なら分かるように書いた。本の趣旨を理解できなかったり、さらには「悪意をもって」読む読者がいたりしたとしても、それは著者の責任ではない。

私がこの本で強調したのは「強制的に連れて行かれた純潔な少女」だけを被害者と考える韓国社会の認識が、そうしたケースではない女性たちを排除し、差別する状況だった。たとえ自発的に行ったとしてもその事実が隠蔽される理由はないと強調した理由でもある。解放以降50年近く、慰安婦だった人々が沈黙しなければならなかった理由も、まさしく彼女たちが声を上げられるように助けた支援者さえも、そうした構造を固めてしまったのは、単なる誤解や時代的な問題によるものとみられるが、以後の運動の拡散のために戦略的に変わっていった側面がある。私はそうした戦略を理解するが、時がすぎ、そうした戦略が決して問題を解決しないことが明らかになったので異議申し立てをしたのである。

にもかかわらず裁判所は、明確に記しておいた私の執筆目的を曲解してまで、支援団体が主張するとおり故意・犯意を見ようとした。

もちろん、韓国社会の売春に対する認識――「社会的評価の低下」を裁判所が憂慮するのはありうることだ。しかし本が出た後、私の本を根拠に「慰安婦は売春婦」と考えて慰安婦に批判的になった人は私の知るかぎりいない。そのように読んだと主張する人たちは、ただ私の本を曲解して、すでに自分たちが主張してきたことを補完するために利用した人たちのみである。重要なのは売春したかどうかではなく、その女性たちの人生を理解できるかどうかである。私はただ、昔の少女・女性の苦痛に満ちた人生を、より多くの読者が理解できることを目指して資料と文のスタイルを選んだ。

そうした私の本を歪曲した点では、その反対側に立っている人たちも変わらなかった。私は対立してきた人々の接点を探すため本を書いたが、結果的に私の本をあるがままに受け止めてくれたのは、彼らとは関係のない一般読者であった。今回の判決は、そのように「誤読する読者」あるいは「意図的に歪曲する読者」を優先した、社会的成熟をむしろ退行させる判決だ。

8、植民地のトラウマ

原告側と検察と裁判所の考えと判断の底辺には、私たちの植民地トラウマがある。

たとえば裁判所は、私が日本人慰安婦と朝鮮人慰安婦が日本軍と「基本的な関係は変わらない」と書いたところを問題視した。もちろん私はまったく同じではないと明確に書いたし、朝鮮人は基本的に差別構造の中にあったと書いた。しかし国家に動員され、多数の軍人を相手にしないといけない生活がもたらした「女性」としての苦しみに差異があるはずはない。韓国挺身隊問題対策協議会の元代表をはじめ何人もの学者が、慰安婦の中にあえて日韓の差異を見ようとするのは、彼らが人のアイデンティティーを性より民族として見ようとした結果でしかない。

しかし人間のアイデンティティーは多様で、朝鮮人女性が慰安婦になった理由が「女性」だったからなのか「朝鮮人」だったからなのかは一言で決めることはできない。そして私はその両方に理由があると書いた。しかし古くからの慰安婦研究者は、「女性の人権」を唱えて運動と研究をしてきながらも「日本」国籍を持って生まれた「女性」の人権はあえて無視したり見過ごしたりしてきた。それは世界の連帯のため「女性問題」であることを主張しながらも、朝鮮人慰安婦の「女性」としての苦難は実のところ度外視したということでもある。彼女たちは「女性」でありながら公には「男性」を批判できなかったし、自分たちを搾取した「階級」の問題を語ることもできなかった。もちろん証言ではそうした構造を十分に語ったが、誰も耳を傾けてはいなかった。私はそのように埋もれていた言葉を言語化しただけである。

私は自分の考えのみが正しいとここで言うつもりはない。しかし、支援団体と一部の学者は、自分たちの認識だけが絶対的に正しいものとみなし、異なる考えを持つ人の口を塞ごうとした。あるいは裁判中に私を批判することで直接・間接的に告訴に加担した。歴史学者は「歴史書」を目指したわけではない私の本を指して「歴史書」の形式を取らなかったと非難した。しかも彼らは、『帝国の慰安婦』がいわゆる日本の右翼の本のようなものではないことを知っていながらも、日本の右翼と変わらないと主張することで、私に対する国民の非難を誘導し、大衆によるおぞましいミソジニー的な非難と脅迫を放置した。それが、韓国と在日の「フェミニスト」と慰安婦関連の学者と支援団体関係者たちのこの3年半の姿であった。しかし二審は結局彼らの手を上げたのである。

裁判所は「同志的関係」も虚偽と判断したが、私は「軍需品としての同志」と明白に書いた。裁判所は判決文に私の本が「愛国を強制」したと書いたと認定しているのだから、私が強調したメッセージは確実に受け止めたことにもなる。にもかかわらず裁判所は原告側と検察の歪曲された要約をそのまま引用し、『帝国の慰安婦』は「慰安婦が誇りを持って愛国的に協力した」と書いている(もちろん、実際に誇りを持っていたと自ら語った資料も存在している。私たちがすべきことは、そうした声までも含めて、慰安婦の声を「聞き直す」ことであるべきだ。一人の人間を本当に尊重したいのなら)。

原告側の訴え、検察の起訴、そして今回の刑事二審判決まで、彼らが歪曲して言及するごとに、そして彼らの言葉をそのままメディアが報道しSNSで拡散されるたび、彼らの「虚偽」の拡散によって学者としての私の名誉は傷つけられる。

そうした意味で、『帝国の慰安婦』の刊行によって実際に「社会的な評価が低下」したのは私である。そしてそれこそが原告側――私を訴えた者たちのもくろみだった。私にこの3年半注がれたおびただしい数の非難と脅迫は、彼らの目的が成功したことを証明している。

公正に評価すべき司法府が、自ら国家の顔をした民間人の手をあげて一人の学者に刑事処罰を下した、2017年の韓国の空間が私にはめまいのするほかない理由でもある。

(これは11月4日にハフポスト韓国版に掲載した韓国語の寄稿文を自ら訳したものである)

Source: http://www.huffingtonpost.jp/park-yuha/girl-statue_a_23271549/

「『軍艦島』に被害者はいない」韓国の教授が映画を分析し批判=韓国ネットは反発

数日前に映画軍艦島についてFacebookに書いたところハフィントンポストが転載しました。その後キリスト教系のCBS系列と見える「ノーカットニュース」がこれを記事のようにして報道してもいました。(両方とも承認済みです)
その記事を日本語に翻訳して日本の読者向けに報道したところがありましたが、いくつか誤訳があったので直しておきます。
なお、この記事が紹介している非難を私は見てませんが、それはこの文を書く前に私が書いた一連のフェイスブックでのポスティングを読んでないゆえのものも多いかと思われます。私はこれを書く前に鉱夫と言う職業の悲惨さについて書いてます。さらに、この映画が韓国の劇場を構造的に独り占めしていたことを批判しました。
もちろん韓国のネットでは「朴裕河」との名前に悪い印象を持っている人が圧倒的多数なので、私が書いたということだけで警戒の目で見られている傾向はあります。上映館を独り占めしていることに関しては多くの人が批判しているものの、朴裕河の批判となるとどのように受け止めるべきか悩んでしまう傾向が見えるのです。この全てが、訴えられた結果ですが。
しかし少なくともFacebookでは多くの方の支持を得られました。だからこそ転載されたり記事になったりしたのです。韓国の状況を理解していただくため付け加えてみました。
以下、翻訳の修正です。
—————
軍艦島からは「過去の人間が起こしたことに対するつらさ」しか感じられないため
“。。。起こしたことに対する痛みが感じられないため”
その上で「過去の傷への顧慮はなく、すぐに“今日の誇り”として21世紀の大韓民国を描き、満足感を補っている。
“。。。過去の痛みを、深く考えることなくそのまま今日の誇りに置き換えた21世紀大韓民国の代理満足のみがある。”
制作者や出演者の意図とは関係なく、映画の中の『被害者』とはただの観念であり、そのように形式化された被害者は“消耗品”でしかない」と主張した。
“。。。そこでは被害者はただの観念でしかなく、形骸化された「被害者」は消費されるほかない。”
『軍艦島』は日本と朝鮮の対立構造を描いているという点でこれまでの映画と変わらない」と強調した。
“。。。日本と朝鮮を対立構造として描いているという点で、”

「『軍艦島』に被害者はいない」韓国の教授が映画を分析し批判=韓国ネットは反発

[竹内 友章] 朴裕河とイレーヌ・ネミロフスキーの「知識人的あり方」をめぐって 「初期社会文学研究26号」

2016. 6

時空間を越えて「ここより他の場所」を求め、絶えず自分の生まれた場所を相対化し続ける姿勢をとることを、私は「知識人的あり方」と呼びたい。この対極にあるのが、アメリカの歴史学者ジョン ダワーが2015年8月4日付け朝日新聞の取材に応えて語ったナショナリスト的あり方だ。彼は、「グローバル化による格差が緊張と不安定を生み、混乱と不安が広がる。そんな時、他国、他宗教、他集団と比べて、自分が属する国や集まりこそが優れており、絶対に正しいのだという考えは、心の平安をもたらします。」と述べている。

東日本大震災が発生した後に、原発事故によって故郷を追われた多くの人たちの気持ちを私は上手く理解することができなかった。自分の意思ではなく、原発事故によって無理やり強いられたものであることを踏まえても、故郷に強く執着する人たちの思いに寄り添うことができないでいる。自分がどの時代にどの場所に生まれるかを自分で選択できない以上、なぜたまたま自分が生まれた場所にこだわるのかがわからないでいる。自分が生まれた場所を「故郷」と呼ぶ時、その場所に特別な意味づけを見出すことができない。固有名詞の「福島」を語る文脈が、そこで生まれなかつた人々によって相対化されたFUKUSHIMAとなって初めて自分と対置させることができる。

朴裕河が『帝国の慰安嬌』において描きだした慰安婦像を前にして、激しい対立を繰り返してきた韓国の「挺対協」及び日本国内の支持者や現在の韓国政府と、日本政府並びに国内の保守派の論客達は、双方共にかなり戸惑うだろう。「挺対協」及び日本国内の支持者は、やがて彼女の主張に怒りを覚えるだろう。なぜなら彼女の慰安婦に関する記述は、全ての慰安婦は日本軍により強制されたものだという「挺対協」の従来からの主張に対して、実際には慰安婦の徴集に多くの朝鮮人商人が関与していたとしているからである。しかも彼女は、慰安婦たちが単なる性的奴隸に留まらず、兵士のあたかも母や妻のような感情を時には持ちえたことを指摘している。こうした説明は、慰安婦を36年間にわたる日本の朝鮮民族に対する植民地の圧制の象徴として、日本政府への全面的な謝罪を求める「挺対協」が主導してきた反日運動に水差すものとして受け止められた。その結果として、彼女は「挺対協」やその支持者たちから出版差し止めを含む訴訟を受けることになつた。他方で、日本政府や国内の保守系論客達は、最初は彼女があたかも自分たちの側の味方であるかのような錯覚を感じるだろう。なぜなら全く妥協の余地のない「挺対協」に比べて、彼女の説明はより柔軟で日本軍の関与を低減してくれるように見えるからだ。しかし、彼女は日本軍の加害者責任を少しも低減などしていない。実際の慰安婦徴集の現場において日本軍が強制しようがしまいが、直接関与したのが朝鮮人商人であろうがなかろうが、日本兵に性的奉仕を行う慰安婦というあり方自体が、日本による朝鮮の植民地体制を前提に行われたというより大きな歴史的事実をいささかも曖昧にしていない。彼女が問題にしているのは、慰安婦問題を追及する方法において、「挺対協」が採用している考え方が、むしろ問題の本質をゆがめているのではないかという点だ。ソゥルの日本大使館の前にいたいけな少女をかたどった慰安婦像を立て、欧米諸国の議会において反日決議を促す運動を遂行し、日本政府による全面的な謝罪と慰安婦への補償以外の解決策を認めないという「挺対協」の運動のあり方は、日本植民地下における朝鮮人の生き方を「日本人=加害者、朝鮮人=被害者」としてステレオタィプ化し、全ての問題の原因を日本軍=日本による植民地に見出すことで、現在まで続く韓国社会のはらむ様々な課題の解決への道をむしろ正視できなくしているのではないかという指摘が含まれている。端的に言えば、いつまでも反日運動にこだわっていても未来は描けないのではないか、もつと近現代の韓国社会の在り方自体を自分達の問題として捉えなければならないのではないかと述べているように思える。

さて一方でイレーヌ・ネミロフスキーは、ロシア革命により「故郷」を追われフランスに亡命をしたユダヤ系ロシア人の作家である。彼女は、一貫して自らの出自であるユダヤ系ロシア人の視点にこだわりながら、知識人の目で亡命先である二つの大戦間のフランス社会を描いていく。そもそもユダヤ人である彼女にとつて「故郷」は、そのまま素直に同化できる対象ではなかった。自分が生まれる前のどこかの時点で、別の場所から彼女の一族が移動してきた結果として、ロシアは彼女の「故郷」となった。ユダヤ系ロシア人の彼女の家族にとって、「故郷」ははたえずポグロムの恐怖を抱え、たとえ経済的には恵まれた状況にあろうとも緊張を強いられる場所であった。富裕な家庭に生まれた彼女は、ロシアで生まれながらロシア語を母語とせず、幼少時から外国語であるフランス語によって構成されたフランス文化を母体として自らの精神を組み立ててきた。亡命によって、そうした自分自身の文化的母国ともいえるフランスに移動をし、ごく自然にフランス語で小説を書き始めた。彼女にとって「故郷」は、記憶というフィルターを通してフランス語で記述された小説の中に挿入され、あらかじめ抽象化され実体を持たない。亡命ユダヤ系ロシア人として、はるか昔に追い出されたユダヤ民族発祥の地とロシアという二つの「故郷」を喪失していながら、いまそこにあるフランス社会に生きている。

彼女の遺作で代表作でもある『フランス組曲』は、そうしたユダヤとロシアという二つの「故郷」を実体ではなく内面化された意識としてしか持ちえない立場で、ナチスドイツによって占領された第二次世界大戦時のフランスの社会を克明に描いている。戦後、加藤周一らによって日本との比較において高く評価されたレジス夕ンスのフランスではなく、ナチスドイツ並びにその傀儡政権であるヴィシー政権下のフランスに生きる様々な階層の人々の生活を描いている。私自身も昔、ナチス占領下では多くのフランス人がレジスタンスに身を投じ、ドゴール派や共産党といったイデォロギーや政策の違いを超えてナチスやヴィシー政権に対抗して粘り強い戦いを長期に渡り継続したと考えていた。ハリウッドが作り上げた「カサブランカ」のような映画は、そうしたプロトタイプ化したレジスタンス神話を忠実に描いて見せた。しかし実際には、大多数のフランス人はレジスタンスに身を投じるのではなく、ナチス占領下で何らかの妥協をしながら生きる他なかった。中にはナチスやヴイシー政権とうまく折り合いをつけて、上手に金儲けをしたり、出世を図ろうとした人たちもいた。そうした人たちの一部は、よく戦後のドキユメンタリー映像に描かれているような髪の毛を坊主頭にされたナチスのフランス人情婦たちのように、戦後厳しく糾弾された。

ネミロフスキーは、一部の英雄的なレジスタンスの闘士や海外に亡命することのできた少数の恵まれた人々ではなく、ナチス占領下でどこにも逃げることもできず、留まってそこで生きていかなければならなかった貴族、政治家、実業家、商人、農民、労働者、教師、芸術家、学生、主婦といった様々な階層の人々の生態をパリと地方の小都市を舞台に淡々と描いていく。彼女の描写は、そうした人々にとりたてて同情的でもなく批判的でもなく、どこか冷めたい視点で丹念に細部を描く。旧家のブルジョアのしきたりにとらわれ、強権を持つ母親に対してなんら抵抗することのできない夫に嫁いだ妻は、たとえ夫が捕虜としてナチスの収容所にとらわれていようとも、彼への同情を少しも感じることができず、むしろ彼の粗暴さと戦前の浮気を許すことができない。彼女は、自宅に逗留するナチスの将校の繊細な文化的教養や洗練された立ち居振る舞いに次第に惹かれていく。戦前のフランス社会の階級性にどっぷりとつかり、社会の指導者としての意識に凝り固まっている貴族は、ナチス占領下でも何ら変わることなくヴィシー政権の構成員として社会秩序を守ることに汲々とする。階級的に虐げられた女性は、ナチスの兵士の情婦となることでその威を借りて、自分を見下した社会を見返そうとする。こうした生き方を大多数のフランス人がナチス占領下で余儀なくされたことに、私は納得する。数多くの抵抗文学によって描かれたレジスタンスは、むしろごく例外的な状況として理解すべきだと思う。戦時下のフランス社会は、レジスタンスに参加したごく少数の人たちの英雄的な行為ではなく、ナチス占領下でも強固に継続された社会の在り方、枠組み、人々を根深く拘束する様々な伝統的な慣習や偏見によって構成され、それは戦後崩壊することなく今でも継続していることに注視すべきだと思う。先年ノーベル文学賞を受賞したモディアノが執拗に追求しているのも、むしろナチス占領下に浮かび上がったフランス社会の矛盾や欺瞞が、戦後解消されることなく人々を拘束し続けている状況だ。最近頻発したイスラム過激派によるフランス国内でのテロも、フランス社会がグローバル化の進展の中で、多くの人々を不安に陥らせ、その解決の糸口をある者はナショナリズムへ、そしてある者は対抗上異なる宗教であるイスラムに求めようとする動きの中でとらえるべきだ。パリの通りをフランス大統領を先頭に『シャルリは私だ』というスローガンを抱えて行進するさまは、民主主義を奉じるフランス社会が盤石ではなくむしろ大きな危機に直面していることを示しているのではないか。

ただ残酷なのは、多くのフランス人がレジスタンスではなくナチスやヴィシー政権と折り合いをつけながら生き延びようとしたのに対して、ネミロフスキーは生き残ることができなかつたことだ。普通のフランス人には許容されていた生き方が、彼女には与えられなかった。知人や友人たちの必死の努力にもかかわらず、皮肉なことに実体を伴わないロシアとユダヤという彼女の刻印は、彼女をフランス社会から引き離し強制収容所へと送り込んだ。友人の元にかくまわれた子供たちによつて『フランス組曲』の未完原稿は保管され、戦後随分とたってから十年ほど前にようやく出版され、大きな反響を呼び起こした。

『帝国の慰安婦』を読んで、著者の朴裕河はネミロフスキーと同様に「故郷」を喪失している人ではないか、あるいは知識人としての立場を選択した人なのではないかと感じた。彼女がこの著書の中で繰り返し指摘しているのは、慰安婦が日本軍の強制によってのみ生み出され、日本政府による徹底した謝罪と補償なしでは全く解決することはないという「挺対協」並びに現在の韓国政府の主張は、それ自体現在の韓国社会が直面する問題をはぐらかし、解決への道を閉ざすものではないかという問いかけだ。実際には、日本の植民地下の朝鮮においては、大多数の朝鮮人は植民地政府に対して抵抗ではなく何らかの妥協をしながら生きてきた。そこでは植民地政府の日本軍のみが権力者として存在するのではなく、数多くの朝鮮人もまたその権力構造の一翼を担った。慰安婦自体もすベて日本軍の強制によって遂行されたのではなく、そこに数多くの朝鮮人商人が関与していた。ナチスの占領に比べてもはるかに長期に渡った日本による植民地体制下においては、それを受け入れその中で自分の生活を組み立てていかなければならなかったのが大多数の朝鮮人であったはずだ。そしてフランス社会の様々な矛盾や課題がレジスタンスによって解消されず、社会の底に澱のように堆積し、それがグローバル化の浸透の中で新たなナショナリズムやテロリズムの温床となっていったのと同様に、現代韓国社会の抱える課題は過去の日本植民地化の日本政府や日本軍の悪行や現在の日本政府の対応を糾弾するだけではいつまでも解消されない。さらにグローバル化の進展の中で生み出された現代韓国社会のはらむ大きな断層をこそ直視していくべきだと主張しているように思える。

もし彼女と同じことを日本人が主張した場合は、表面上日本の保守系の政治家やメディアが声高に叫んでいることと一見区別が難しくなってしまうだろう、自分たちの責任を回避し、朝鮮民族に大きなダメージを与え続けた自らの歴史に蓋をする者と受け止められかねない危険さを伴う。事実、北朝鮮による「拉致被害者」の運動が本人たちの意図するものとは異なり、日本が戦前朝鮮民族に対してしでかした大きな加害者責任をすっかり忘却させる上で大きく貢献し、完全に保守政治家のナショナリズムの高揚に利用されている状況をみるとその主張の難しさが容易に想像できる。朴裕河が韓国において、「挺対協」や彼らに後押しされた慰安婦によって訴訟され、日本国内の慰安婦問題の解決を目指す運動家たちによっても批判されているのは、そうした困難さを示している。

日本大使館の前に慰安婦の少女の像を建立することは、問題の解決を図るのではなくむしろ遠ざけることにしかならない。自分が属する国や集まりこそが絶対に正しいのだという考えは、恐らく心の平安をもたらすのだろう。そうではなく「故郷」を突き放すこと、そのことによって自らの属する国や集まりから場合によっては敵視され疎外されたとしても、知識人はそうすべきだと私は思う。

2015年6月13日に法政大学で開催された日本社会文学会の如周年記念大会で朴裕河の講演を聞いた。その時の彼女は、決して先入観や多数意見をそのまま受け入れず、絶えず批判精神を持って物事を見極めようとする強靭でしなやかな精神の持ち主のように思えた。朴裕河とイレーヌ・ネミロフスキーという二人の優れた知識人に学ぶ事は多い。厳密な実証も注意深い歴史的考察もされずステレオタィプの言論が跋扈する現代のよぅな時代には、「知識人的あり方」を自分自身の基準として改めて凝視すべきではないかと思ぅ。

 

<完>

 

追記

「慰安婦問題」に関しては、日韓両国政府間で一定の合意が成立したものの、韓国国民の一部は、頑なに拒否している状況がある。朴裕河は、韓国検察に名誉毀損で在宅起訴された。

最近都内では『フランス組曲』を元にした同名の映画が封切られた。原作とは全く異なるものだが、比較の為に観てみるのも一考だ。

*ホームページ管理者注:著者は訴えた主体を挺対協と考えていますが、訴えた支援団体は<ナヌム(分ち)の家>という福祉住居施設団体です。

 

 

 

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