【記事】韓国左派も右派も『帝国の慰安婦』を誤読した(朝鮮日報)

90年代に東京で慰安婦の証言集会…涙を流しながら通訳したのが最初の縁
だが『帝国の慰安婦』を出版した後、あるがままを読む読者は少数
9年4カ月ぶりの無罪判決で、執筆の動機を理解されたという思い
ハルモニたちは常に疎外されてきた…冥福と平安を祈る

韓国左派も右派も『帝国の慰安婦』を誤読した【朴裕河教授寄稿】

2023/11/05

[記者会見]『帝国の慰安婦』訴訟と韓日関係に関する朴裕河記者会見(2022年8月31日、韓国プレスセンター)

『帝国の慰安婦』訴訟と韓日関係に関する朴裕河記者会見文

2022年8月31日、韓国プレスセンター

 

お忙しい中、このように集まってくださった報道関係者の皆さん、そして私を取り巻く状況に関心を持って参加してくださった方々に、まず深い感謝の言葉を述べさせていただきます。
私は今日で私の職場だった世宗大学を定年退職することになりました。30年近く、一人の学者として研究と教育に最善を尽くしてきたつもりです。
ところが、2014年6月16日に告訴・告発されて以来、平穏だった私の日常は壊され、その後8年の歳月が流れました。この8年間、私の著作『帝国の慰安婦』が慰安婦の強制連行を否定したとか、慰安婦ハルモニを侮辱したなど、私に覚えのないことで絶えず非難されてきました。定年を迎えた今日もなお、本はまだ法廷に閉じ込められており、私がまだ「被告人」の身分から脱することができないでいるのは、そんな非難のためでもあると私は思います。

1.告発は運動批判の結果
ところで私の本は出版当時、メディアにむしろ好意的に受け入れられました。告訴・告発されたのは、実に10か月も後のことです。この10か月間に起きた新しい変化といえば、私が「ナヌムの家」に住んでいらっしゃった一人の慰安婦ハルモニと親しくなったということぐらいしかありませんでした。そんな私をナヌムの家の所長が警戒し、ある弁護士に本の検討を依頼しました。弁護士は慰安婦問題について何も知らない学生たちに『帝国の慰安婦』に関する報告書を作らせ、109か所にもおよぶ記述を削除すべきだと言って、刑事、民事、そして販売禁止など仮処分申請という三つの訴訟を起こしたのが、いわゆる『帝国の慰安婦』告訴・告発事件です。
ところが、実はこれに先立って挺身隊問題対策協議会(現正義連)も告発を検討していたということを、私は後日知ることになりました。挺対協代表だった尹美香(ユン・ミヒャン)氏の相談を受けたという元民弁(民主化のための弁護士の会)会長のチョン・ヨンスン弁護士は、『帝国の慰安婦』が「挺対協に対する名誉毀損」にあたるとはっきりと語っています(チョン・ヨンスン フェイスブック、2015年12月31日)。
この二つの事実は『帝国の慰安婦』訴訟が慰安婦ハルモニではなく、周囲の人々によって起こされた訴訟であることを明確に物語っています。
そして、徴用問題に関して挺対協と同じくらい長く活動してきた崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士がナヌムの家の訴訟を主導していたということを、私は今年3月まで知りませんでした。チェ弁護士は、李容洙(イ・ヨンス)ハルモニの弁護士でもありますが、当事者である李容洙ハルモニは、私の本を読んだことがないと、私に向かって二度もおっしゃったことがあります。

2. 時機を逸した判決
「挺対協に対する名誉毀損」という言葉が示すように、『帝国の慰安婦』が慰安婦ではなく支援団体を批判した本であるということは、誰よりも関係者たちが最もよく知っていました。実際に削除を要求された109か所のうち3分の1以上が挺対協関連の記述です。
その後の法廷闘争で、私は刑事裁判の1審では勝訴(無罪判決)しましたが、2審では敗訴(有罪判決)しました。その判決の要旨を簡単に言えば、「朴裕河が慰安婦を売春婦と言ったわけではないが、読者がそのように読むおそれがある」というものでした。読者の読解力に対する責任が著者に負わされたのです。
それで私は当然上告しました。2017年10月のことです。以後、大法院(最高裁)に係留されている年月だけでもまもなく5年になります。もし無罪(破棄差し戻し)判決が出たとしても、再度2審を行わなければなりませんし、2億7千万ウォン(原告1人当たり3千万ウォン)の損害賠償を請求されている民事訴訟、そして本の一部が削除された仮処分申請結果に対する異議申し立て裁判もまだ残っています。
このまま行くと10年を超えるかもしれないとの思いに、今日この会見をすることにしました。せめて定年退職前には終わってほしいと切に願っていましたが、結局私の望みはかないませんでした。一人の一生において10年という歳月がどんな意味と重さを持つのかは、この場におられる皆さんがよくご存じのことと思います。
この8年の間、私はSNS、ホームページと3冊の本を通じて、またインタビューなどの機会を得るたびに、『帝国の慰安婦』は告訴・告発者たちが言うような本ではないと言ってきました。そして国境を越えた支持者たちも、二度の抗議声明、セミナー、シンポジウム、本などを通じて、同じことを言ってくれました。彼らのほとんどは、リベラル革新系の知識人です。私のホームページ(パク・ユハ『帝国の慰安婦』法廷から広場へ、https://parkyuha.org/)に詳しく載っていますので、ご参照ください。
この間、私だけでなく支持者のみなさんも高齢化しました。中には亡くなった方も数名いらっしゃいます。それほどに長い歳月でした。私もそうですが、支えてくださった方々にとっても、疲れるしかない長い時間でした。結者解之という言葉があるように、私をこうした状況に追い込んだのは、いわゆる「リベラル革新」陣営の人々なので、私は文在寅政権のときに無罪判決が下されることを切に願っていました。さもないと政治的判決とみなされかねないと思ったからです。その意味で、大法院に対しては深甚なる遺憾を覚えます。

3. 慰安婦問題をめぐる根本的誤解
(1) 学界で否定されている「強制連行」
私は本の中で強制連行を否定しませんでした。ただ「公的には」強制連行がなかったようだと言っただけです。実は学界でも、もはや文字通りの「強制連行」の主張はみられなくなっています。ある学者が「(慰安婦)運動から始めてみたら、正確でない事実が多かったことが、研究の過程で分かった」と言った背景にはこんな変化もあります。
さらに今年5月に出たある日本人進歩学者の慰安婦関連論文でも、日本軍部による「直接、そして計画的な」強制連行はなかったと言われています(外村大東京大教授)。今では、いわゆる進歩陣営からもこうした主張の本格的論文が出てきたのです。また、慰安婦問題の第一人者とされてきた日本人学者の主張がいかに根拠のないものであったかを正面から批判する韓国人学者の論文も、やはり今年3月に出ました。どちらの論文も実力ある中堅学者による重厚な学術論文です。
しかし、30年間慰安婦問題で主流をなしてきた学者たちがこれらの論文を受け入れるかどうかは未知数です。こういう声は少数なので、これまでそうだったように、中では議論しながらも、外に対しては口をつぐむということが起きるかもしれません。
韓国社会の慰安婦認識が30年前の認識とほとんど変わらないのは、関係者たちがそうした話をただの一度もメディアや大衆の前で公式的にしなかったからです。その代わり、学者たちと運動家たちは「強制連行」から「強制性」へ、「動員」ではなく「慰安所での不自由」へと、「強制」の内容を変えながら、「強制」という言葉を維持してきました。しかも慰安婦問題で第一人者とされる学者自身が、そんな欺瞞の先頭に立っていました。なぜ彼らはこのように「強制」という言葉に執着するのでしょうか。強制かどうかで慰安婦被害が変わるはずはないにもかかわらず。

(2) 慰安婦問題と北朝鮮
周知のように、慰安婦問題は1990年代の初めに「問題」になりました。同じ時期に北朝鮮は日本と国交正常化交渉中でした。北朝鮮は慰安婦問題を、日本から「賠償」を受け取ることができる問題と考えていました。冷戦期には交流できなかった南北は、この時期に日本、中国、ヨーロッパなどで接触してこうした問題意識を共有し、北朝鮮の対日賠償問題はいつの間にか韓国の慰安婦運動においても重要な位置を占めることになります。実際、1992年という早い時期に尹美香前挺対協代表は、北朝鮮が賠償を受け取れるように慰安婦問題をうまく解決しなければならないと言ったこともあります。
「賠償」を受けようとするなら、対象となる行為が不法でなければなりません。国連の慰安婦認識を盛り込んだ「クマラスワミ報告書」には、慰安婦の首を切ってスープにしたなどという話が出てきますが、これは北朝鮮出身の慰安婦の証言でした。このほかにも、韓国社会に広がっている最もひどい慰安婦の話は、北朝鮮出身の慰安婦の話である場合が多いです。わが国のメディアでよく取り上げられる、いわゆる「国際社会の認識」とは、このように作られたものでもあります。
「不法行為」となり「賠償」を受けようとするには、慰安婦動員が軍人=国家機関による「強制連行」でなければなりません。その言葉が指す内容を変えてまで、「強制」という言葉を維持しなければならなかった理由は、こんなところにもあります。

(3) 異民族間のレイプと同一視
慰安婦問題は、国連など国際社会向けには、同時代のヨーロッパやアフリカで起きた「部族/民族間のレイプ」であるかのようにアピールされました。もともと過去の問題は取り上げなかった国連が慰安婦問題に関心を示したのは、そのためでもあります。ところで、部族間のレイプが「不法」として成立するためには、2つの集団間の関係が「交戦国」である必要があります。同等の位置で「戦争」を遂行中の関係でなければならなかったというわけです。
北朝鮮は独立戦争を通じて国家を作ったという自己認識を持っています。そのため、日本との関係でも自分たちを「交戦国」だったと考えます。
問題は、このような認識を当時活発に交流していた韓国も引き継いだということです。尹美香前挺対協代表だけでなく、早くから慰安婦問題に関与してきた法学者など、その他の関係者たちも「北朝鮮の対日賠償」を意識していました。
ところが、2002年の「平壌宣言」で北朝鮮は日本の経済支援を受けることに合意します。その平壌宣言がそのあと現実のものとなったならば、慰安婦問題をめぐる対立がその後20年間も続くことはなかっただろうと、私は確信します。しかし、北朝鮮の核問題と拉致問題が飛び出し、平壌宣言は有名無実化され、以後20年が過ぎても日本と北朝鮮の国交正常化は進んでいません。そして慰安婦問題をめぐる韓日の対立も続きました。

(4) 「植民地」ではなく「交戦国」となった韓国
昨年春に出た慰安婦裁判の判決文には「交戦国」という言葉が登場します。裁判所は韓国を交戦国とみなし、慰安婦と日本軍の関係を、敵対視する民族間の集団レイプと規定しました。もちろん、この判決は原告の主張に沿った判決でしょう。
こうして慰安婦問題は、植民地犯罪ではなく「戦争犯罪」と認識されるようになりました。ここ数年、かなり人口に膾炙するようになった「法的解決」、「法的責任」という言葉は、事実上、慰安婦問題を戦争犯罪とみなしているということを意味します。
しかし、大韓民国と日本の関係は戦争犯罪が成立しうる交戦国ではなく、厳然として宗主国―植民地の関係です。たとえ局地的戦闘があったとしても、その事実を否認することはできません。好むと好まざるとにかかわらず、現代の韓国に存在する大部分の制度が植民地時代に作られ、施行された法に基づいているからです。

朝鮮人慰安婦は植民地支配が作った存在です。私は『帝国の慰安婦』でそのことを指摘しました。そこを直視してこそ、韓国が始めた慰安婦問題運動の意味が全うされるし、正しい解決も可能だと考えたからです。それで書名にあえて「帝国」を入れたわけです。『帝国の慰安婦』とは、帝国に動員された慰安婦という意味です。
しかし、関係者たちは長い間この事実に言及することはありませんでした。「戦争犯罪」と強調することがはるかに刺激的であり、何よりも「強制連行=不法」ならばこそ、いわゆる「賠償」が可能になるからです。日本が90年代に続いて二度目の謝罪と補償を試みた「韓日合意」に関係者たちが反対する理由も、そこにあります。しかし、謝罪と反省と記憶は「法」に頼らなくても可能です。たとえ「賠償」してもらっても、相手が納得しない賠償が記憶の継承につながるわけもありません。
苦痛を伴うかもしれませんが、今からでも事態を正さないと、結局最も苦しむのは慰安婦ハルモニたちでしょう。私がこの場に立った理由です。
北朝鮮の話をしましたが、私はいわゆる「従北」云々の話をしているのではありません。むしろ北朝鮮と日本が国交正常化をすることを望んでおり、今からでもそれが推進されることを願っています。むしろ1990年代初めもしくは2000年代初めに北日修交が可能だったなら、慰安婦問題がこれほど長く続くことはなかっただろうと思います。

4. 徴用は「国家」が主導
徴用問題について簡単に申し上げます。企業資産の現金化が懸念されていますが、徴用は国家が主導したものでした。実際、徴用は徴兵に準ずるものであり、朝鮮人も企業の労働者を越えて「臣民」として動員され、「国家のために」働くことが要求されました。賃金の一部を国が支払ったという事実がそれを物語っています。したがって、企業を対象に訴訟をしている昨今の状況は、最初からボタンをかけ違えています。もともと日本とアメリカで提起された訴訟の対象は、国家でした。敗訴したので対象を企業に変えたのですが、そのような対応は徴用問題の本質から外れた対応に過ぎません。
たとえ企業資産を現金化していくらかの補償金が支払われたとしても、肝心なのは日本人がこれら徴用被害を記憶することであり、それがなければ、何の意味があるでしょうか? 慰安婦問題でも同じですが、重要なのは、日本人が徴用についてもその本質を理解し、記憶することであるはずです。これについては本日付で発刊された『歴史と向き合う』という本に詳しく書きましたので参考にしてください。私は、日本人がこの点を理解し、きちんと向き合うことを望んで、この本を先に日本語で出したのです。
この30年間で、歴史問題に法廷が関与することになったのは、慰安婦をめぐる日本軍の行為を「強制連行」、「虐殺」として理解した法律家たちが、この問題を戦争犯罪とみなし、戦争犯罪を処罰したニュルンベルク裁判と東京裁判を参考にして対応策を講じてきたからです。私はその状況を「歴史の司法化」と呼びました。
しかし、実際には法廷は学者たちの議論を参考にしています。問題は学者さえも、歴史論争において、どの陣営にいるかで事案を判断する「学問の政治化」現象があったということです。慰安婦問題などの歴史問題が30年も続いているのは、その結果でもあります。
最近数年間、その流れを変えようとする人々が現れましたが、今回は正反対の方向に導こうとする動きが濃厚です。しかし、そのような状況は、過去30年を、やり方を変えて繰り返すことになるだけです。

最後に付け加えます。
告発を主導したチェ・ボンテ弁護士やパク・ソナ弁護士は現在、慰安婦をめぐる議論の場にほとんど出てきません。ナヌムの家の所長は横領の嫌疑で解任され、起訴中です。原告として名前が上がった慰安婦ハルモニ11名のうち、現在生存していらっしゃるのは何名にもなりません。
いったいこの告発の主体は誰なのでしょうか? 私が請求された一人当たり3千万ウォンは、私が敗訴した場合、誰の手に渡るのでしょうか? 昨年判決が出たある慰安婦裁判で、当事者の代わりに原告として名前が上がっていたのは前挺対協代表の尹美香氏でしたが、私の裁判もそんなふうになるのでしょうか?
韓日関係が行き詰っていることや、私がまだ裁判から解放されていないのは、これまで「主流」の声が依然として大きいからです。言い換えれば、メディアがこれまで彼らの声だけに耳を傾けてきたからです。もちろん30年間にわたって定着してしまった認識なので、簡単に変わるとは思いません。『帝国の慰安婦』 訴訟がまだ終わっていないということは、そのような声のほうが韓国社会においてまだ強い力を持っているということを意味します。
しかし、大切なのは世論です。韓国社会の一人一人がどのように考えるかによって、歴史とどう向き合うかによって、韓日関係も前に進むことができるでしょうし、私と私の本も、裁判所から解放されることでしょう。声の大きな両極端の声ではなく、小さくても重要な声に皆さんが耳を傾けてくれれば、韓国社会も変わります。
私が『帝国の慰安婦』を書いたのは、日本社会に韓国に対する失望と嫌韓感情が広がり始めた頃でした。しかし、私は告発され、そのあと韓日関係は解放後最悪と言われる時代が続きました。
行動は政治家がしますが、社会を変えるのは世論です。韓日関係の改善は、国民一人一人の認識の転換があってこそ可能になります。私が日本に向けて慰安婦問題に関する「謝罪と補償が必要だ」と10年ほど前から機会あるたびに書いてきたのは、そのためでもあります。『帝国の慰安婦』もまた、そのような本なのです。
過去8年間、数は多くなくとも私の声に耳を傾けてくれる方々がおられたからこそ、認識は少しは変わったと思います。私がこの場に立つことができる理由でもあります。
もっと多くの方々が耳を傾けてくだされば、韓国社会も韓日関係も、そして私を取り巻く状況も変わると信じています。その日が一日でも早く来ることを願って、今日の会見を終えたいと思います。ありがとうございました。

世宗大学国際学部教授、朴裕河

 

(朴裕河 フェイスブック参照、2022年8月29日)

(翻訳:八田浩)

(コラム)【時論】韓日歴史和解5カ年計画を作ろう[中央日報]

朴裕河(パク・ユハ)/世宗(セジョン)大国際学部教授
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版(2022.05.04)
からの抜粋引用
支援団体と文政権が主張してきた法的責任とは研究がまだ不十分だった時代に導き出された主張だ。法的責任だけが最高の価値であるのではない。1990年代に多数が謝罪する気持ちを持っていた日本国民がいまはそうでないならば日本に対する批判とともにもう慰安婦運動の失敗も振り返らなければならない。支援団体の声に遮られ当事者の声がまともに伝えられないことはもうあってはならない。
コラム全文は、下記リンクをご覧ください。

(コラム)【中央時評】コンプレックス民族主義と歴史清算

キム・ギュハン/作家・『鯨がそう言った』発行人
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版(2021.06.29)
からの抜粋引用

「親日派ではなく「日帝加担者」と直して言わなくてはならない。慰安婦に関連した学問的見解のために、正義連とナヌムの家と対立して魔女狩りに遭った朴裕河(パク・ユハ)さんに対して、その団体に対する社会的尊敬が崩壊しても知識社会の再評価がないのは印象的なことだ。朴さんの再評価には自分たちの間違いを認めることが伴うためではないか。議論は事態の構造ではなく個人の倫理次元に留まらなければならない。今では尹美香(ユン・ミヒャン)が新たな魔女であり、過去の魔女である朴裕河は沈黙により排除される。彼らは依然としてハンナ・アーレントに民族裏切り者の烙印を押した「悪の陳腐性」をいう。」

コラム全文は、下記リンクをご覧ください。

[関連記事] ニューヨーカー記事とAndrew Gordon教授の「帝国の慰安婦」評価

「慰安婦の真実を追い求めて」
『The New Yorker』2021年2月25日の記事から抜粋引用

「その一方、韓国では日本側の責任軽視の姿勢に対する憤りが募るあまり、朝鮮人の処女達が日本軍によって銃口を突きつけられながら誘拐された、という純粋主義的な説明以外の記述に対して、時に不寛容な状況が生まれていた。同じく2015年には韓国人学者で、従軍慰安婦の徴集において朝鮮人が果たした役割や、「奴隷的な状況」の中で監禁されながらも慰安婦と日本兵との間に時に芽生えた愛情関係について探求した本を出版した朴裕河氏に対して、元慰安婦によって名誉毀損の民事訴訟が起こされ、さらに氏は韓国の検察当局によっても刑事訴追を受けた。この本は、一部の人が主張しているように、日本の責任や慰安婦が受けた残虐な虐待を否定するものではなかった。日米の67人の学者によって発表され、韓国政府による朴氏の起訴に対して「強い驚きと深い憂慮の念」を表明するとともに彼女の著書の研究成果を評価した声明には、ハーバード大の近代日本史家であるゴードン氏も署名している。朴氏は最終的に民事訴訟では敗訴し、元慰安婦に対して賠償金を支払うように命じられた。名誉毀損についての刑事訴訟では彼女の学問の自由に言及した裁判所によって無罪判決を受けたが、その後上級裁判所がこの判決を破棄し罰金を科した。」

 

記事全文のリンクはこちら

 

(<帝国の慰安婦>と裁判をテーマにした修士論文) <国民感情と歴史問題:『帝国の慰安婦』をめぐる裁判より>より抜粋

(高松好恵修士論文抜粋)

<帝国の慰安婦>について

 

“それは、慰安婦問題をこれまでのように「戦争」に付随する問題ではなく、「帝国」の問題として考えたことです。「慰安婦」を必要とするのは、普段は可視化されない欲望――強者主義的な〈支配欲望〉です。それは、国家間でも、男女間でも作動します。現れる形は均一ではありませんが、それをわたしは本書で「帝国」と呼びました。”[1]

それまで戦争犯罪としてのみ扱われてきた慰安婦問題を朝鮮人慰安婦に限定しつつ植民地支配が引き起こした問題として考え、しかし、これまで日本がその点を認識したことはなかったことを強調し、したがって、それに基づく謝罪と補償が新たに必要、としたのがこの本だった[2]

 

“本書で試みたのは、「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませることでした。というのも、一九九〇年代に問題となって二〇年以上時間が経つうちに、いつのまにか当事者たちの声はかき消され、日韓両国の政府や市民団体の声ばかりが大きくなった気がしたからです。確かに人前に現れた元「朝鮮人慰安婦」たちは何人もいますが、それでも全体からするとごく少数だったと言えるでしょう。そこで、より多くの人たちの声を集め、改めて聞こうとしたのです。しかし、彼女たちの声を元に「朝鮮人慰安婦」の総体的な像を描きなおす作業は、孤独な作業でもありました。というのも、それは「韓国の常識」や「世界の常識」に異議申し立てをすることだったからです。”[3]

 

“現在まで出ている慰安婦証言集を読む限り、『日本軍に強制連行』されたと話している人たちはむしろ少数である」としながらも、軍による慰安婦の募集要請に関する資料が多く発見されていることから「軍が慰安婦を必要とし、そして募集と移動に関与したことだけはもはや否定できない」とする。”

 

“日本軍の責任は「他国に軍隊を駐屯させ、長い間戦争を遂行することで巨大な需要を作り出したという点」にあるとする。その「〈巨大な需要〉に誘拐やだましの原因を帰せずに、業者のみに問題があるとするのは、問題を矮小化することでしかない」とする。そして、「数百万の軍人の性欲を満足させられる数の「軍専用慰安婦」を発想したこと自体に」軍の問題があり、「強制連行があったか否か以前に」、巨大な需要にこたえるために誘拐やだましが横行しても〈黙認〉してきたことに日本軍の責任があるとする[4]。さらに、軍の問題は戦争を始めた「国家」に責任があるとする。

 

“からゆきさんが「最初から軍人を慰安するために動員された「軍慰安婦」と同じ存在ではない」としながらも、慰安婦の本質は「からゆきさんの後裔」にあるとした。経済・政治的勢力拡張のために移動した男性たちをその地に縛っておくために、からゆきさんが動員されたとしており、「性的慰安を含む〈故郷〉の役割を果たすことで男たちの郷愁を満たし、故郷へと向かう心を抑制する」のが慰安婦の役割であり、「国家とその共犯者たちに身体を管理されながら、本格的に帝国主義に乗り出した国家に協力する存在となっていった」とする。”

 

“「植民地化」とは、「国家(帝国)に対する協力を巡って、構成員の間に致命的な分裂を作る事態」であるとする。”

 

 

“1990年代の「慰安婦問題」の発生後、「「慰安婦」をめぐる韓国における集団記憶を形成し固めてきた」のは挺対協であるとする。挺対協は、韓国内で「「慰安婦」に関する情報提供者として絶対的な中心位置に存在してきた」歴史があり、その「運動は成功し、今や〈強制的に連れていかれて性奴隷となった20万人の少女〉の記憶は、〈世界の記憶〉となった」とする。”

 

“また、挺対協の「アジア太平洋全地域に渡る各国の未婚女性が慰安婦になったが、その中の80%が韓国人未婚女性だった」とする説明では、「だまされて行ったとはいえ、「朝鮮人の未婚女性」が〈帝国支配下の日本国民〉として戦場へと移動させられたこと」がみえにくく、「朝鮮人女性が「日本人」として動員された、日本人女性を代替・補充した存在だったこと、軍人を励まし補助するために動員された存在であること」がみえないとする。”

 

“「植民地だったことが、最初から朝鮮人女性が慰安婦の中に多かった理由」ではなく、「内地という〈中心〉を支える日本のローカル地域になり、改善されることのなかった貧困こそが、戦争遂行のための安い労働力を提供する構造を作」り、「朝鮮を政治的のみならず、経済的にも隷属する、実質的な植民地として、人々を動員しやすくした」とする。朝鮮人女性は、日本語の理解度も他地域の女性に比べて高かったこと、外見も日本人女性に近かったことにふれ「日本人を代替するにもっともふさわしかったからであろう」とする。”

 

“「朝鮮人慰安婦」という存在を作った原因として、「植民地の貧困、人身売買組織が活性化しやすかった植民地朝鮮の社会構造、朝鮮社会の家父長制、家のために自分を犠牲することを厭わなかったジェンダー教育、家の束縛から逃れたかったため」などを列挙しつつも、それらを考慮しても、最も大きな原因は「朝鮮が植民地化した」ことであるとする。だからこそ、「日本軍の強制連行」のみに慰安婦の原因を帰すのは、「朝鮮人慰安婦を多く出した植民地の矛盾をかえって見ないようにするだけ」であるとする。

 

“そして、朴教授は自らのこうした指摘を「慰安婦の悲惨さを軽く扱うためではない」とする。「戦争に動員されたすべての人々の悲劇の中に慰安婦の悲惨さを位置づけてこそ、性までもを動員してしまう〈国家〉の奇怪さが浮き彫りになるから」であり、「それぞれの境遇が必ずしも一つではなかったことを認識して初めて、「慰安婦問題」は見えてくるだろう」とする。”

 

“「性奴隷」というイメージについては植民地の国民として、日本という帝国の国民動員に「抵抗できずに動員されたという点において、まぎれもない日本の奴隷だった」とする。しかし、慰安婦=「性奴隷」という認識が「〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り、朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような「奴隷」でない」とする。「性奴隷」は「性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽してしまう言葉」であることを指摘し、「「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる」とする。”

 

“「韓国が植民地朝鮮や朝鮮人慰安婦の矛盾をあるがままに直視し、当時の彼らの悩みまで見ない限り、韓国は植民地化されてしまった朝鮮半島をいつまでも許すことができないだろう」とする。それは、「植民地化された時から始まった韓国人の日本への協力――自発的であれ強制的であれ――を他者化し、そのためにできた分「日本は1945年の大日本帝国崩壊後、植民地化に関して実際には韓国に公式に謝罪したことはない」とする。裂をいつまでも治癒できない」、つまりは、「いつまでも日本によってもたらされた〈分裂〉の状態を生きていかなければならないことを意味する」とする。「〈責任〉を負うべき主体を明確にし、その責任を負わせることが運動の目的なら、まずは慰安婦問題をめぐる実態を正確に知る必要がある」とする。”

 

日韓基本条約は「少なくとも人的被害に関しては〈帝国後〉補償ではな」く、「あくまでも〈戦後〉補償でしかなかった」とする。だから、「日韓協定自体を揺るがすのは、あまりにも問題が複雑になる」が、「いま必要なのは、当時の時代的限界を見ることであり、そのうえでその限界を乗り越えられる道を探すことではないだろうか」と問いかける。“

 

“1995年に、戦後初めてアジアを相手とした戦争や植民地支配について公式に謝罪した村山富市首相による「戦後処理問題についても、我が国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私はひき続き誠実に対応してまいります」[5]とした言葉を受けて、「基金」が発足したことを指摘し、「談話の志は果たして引き継がれてきたのだろうか」と疑問を投げかけるも、「いまだ全うされていない」とし、日本政府はこの「「志」の完遂を、めざすべきであろう」とする。

 

“しかし、支援団体を否定しているわけではなく、「当事者主義を取り、誰よりも慰安婦たちの身になって考え行動してきたであろうことは疑いの余地がない」とする。しかし、「正義自体が目的化してしまったために、皮肉にも慰安婦は、そこではすでに当事者でなくなっていた」とする。”

 

“そして、「そのような日本国内の左右の対立こそが、慰安婦問題を解決させなかったもの」とする。韓国においてもまた、「戦時の性暴力と女性の人権を訴え」るはずの挺対協の運動が「「慰安婦問題」自体の解決以上に〈左翼が世界を変える〉政治問題により関心があった」とし、そうした構造が見えてこなかったのは、「冷戦的思考を引きずったものであるにもかかわらず、単に民族と女性の運動に見えた」ことに起因するとする。”

 

“しかし、「日韓や左右の分裂と対立によって生まれる苦痛は、結局のところ、慰安婦たちが受け持つことになる」とする。「日韓政府はただちに、この問題の解決を話し合う国民協議体(当事者や支援者や識者をまじえた)を作るべき」であり、「期間を決めて(半年、長くても一年)ともかくも〈合意〉を導きだすことを約束して対話を始めるのが望ましい」とする。さらに、「日韓のマスコミは、この20年の誤解を正し、お互いへの理解を深められるような記事を書くべき」であるとする。「両国の植民地・帝国経験者たち」、つまり「当事者たちの生存中に」問題を解決する必要があるとし、「日本が、日本人の犠牲を中心においた戦争記憶だけでなく、〈他者の犠牲〉に思いをはせるような、反支配・反帝国の思想を新たに表明することができたら、その世界史的な意義は大きいはず」であるとする。 「民族の違いや貧困という理由だけで他者を支配し、平和な日常を奪ってはならないという新たな価値観を、慰安婦問題の解決に盛り込みたい」とする。“

 

 

<鄭栄桓の朴裕河批判について >

 

“鄭のいう「慰安婦」の本質が〈日本軍に強制的に連れて行かれた少女〉のことであるなら、朴教授はその本質を修正しようとしたのではない。その理由は、第一に朴教授は「日本軍に強制的に連れて行かれた少女」のイメージを否定しているのではない。これについての直接的な言及として、千田による研究を引用し「「日本軍に強制連行」されたと話している人たちはむしろ少数である」と指摘している程度である。第二に、朴教授は「「慰安婦」の本質を見るためには、「朝鮮人慰安婦の苦痛が、日本人娼妓の苦痛と基本的には変わらないという点をまず知る必要がある」と指摘するが、この言葉は、韓国社会において慰安婦の本質であると考えられてきた〈日本軍に強制的に連れて行かれた少女〉の姿さえも包括する、植民地支配の被害者としての慰安婦を朴教授が描き出そうとしていることを示すとみることができる。したがって、少なくとも鄭の指摘する本質の修正にはあたらない。

 

“鄭書は『帝国の慰安婦』をどのようなものとみているのか。鄭は『帝国の慰安婦』の特徴について、「日韓対立を『慰安婦』のイメージの修正により調停し『和解』を図ろうとするところにある」[6]としている。”

 

(鄭のいうような)“ 日本において『帝国の慰安婦』を絶賛する状況が実際にあるとすれば、朴教授を擁護する知識人たちがすべきことは、例えば、日本が元慰安婦に対してこれまで取ってきた措置を細かく検証し、そうした措置では達成されなかった部分を補うような措置、あるいは過去の試みを包括した、より誠意ある対応が実行されるよう政府にも国民にも働きかけることではないだろうか。なぜなら、朴教授は『帝国の慰安婦』全体を通じて、慰安婦問題は植民地支配が引き起こした問題であるとの認識の下、日本に対し植民地支配への反省に基づく謝罪と補償を求めているからである[7]。そして、そのために思念するのも議論するのも実際に実行するのも、日本の側が主体となるべきであると考えていることが読みとれる。”

 

“だからこそ、鄭が『帝国の慰安婦』の絶賛状況を問題視するのであれば、それは結果として日本の側が自らの責任や謝罪および補償について再考する機会を失わせることにすらつながるのである。”

 

“繰り返しになるが、日本の謝罪や補償を求めているという点では、朴教授と鄭は同じである。鄭が日本の知識人たちについて、朴教授が日本を免責した書籍を出し、それにもともと日本の責任を否定する立場の者が呼応したというように考えているのであるとしたら、これも明らかな状況の読み誤りであるといえる。朴教授は、実際に一部の保守派の人間が、この意味で『帝国の慰安婦』を利用したことを指摘もしたが[8]、それも保守派が書籍の内容を理解しなかったために起きたことにすぎない。結局は『帝国の慰安婦』の叙述が明晰さを欠くというのも、根拠のない批判であるとするよりほかにない。”

 

(鄭による)「(b)日本軍には制度を「発想」し、「需要」を作り出した責任だけがある」という指摘は朴教授の論旨からは導き出すことはできない。朴教授は、兵士たちの人間としての自然な性欲を、戦時という特殊な状況の下で慰安所の設置によって解消しようとしたことが日本軍の責任であると述べているのであり、兵士個々人に責任を転嫁したのではない。その慰安所という「発想」も、それに対する「黙認」も、鄭のいう性欲自然主義を「需要」として作り出すに至ったと読みとれるため、兵士たち個人の「性欲」に責任があることにはならないのである。”

 

“本論では『帝国の慰安婦』にいち早く反応し、批判的な検証を試みた書籍として『忘却のための「和解」』を取り上げた。この書籍でなされるすべての指摘を検証することはできないが、恣意的な判断に基づく批判を含んでいると考えざるを得ない。”

 

<裁判について>

 

“第三審においてもし朴教授が有罪とされた場合、韓国社会において確たるものとして築かれてきた「慰安婦」のイメージと対立する別の「慰安婦」イメージを提示することは、犯罪行為として認定されることになる。

 

“(朴裕河は裁判所で)「『帝国の慰安婦』は、慰安婦問題に無関心だった日本に向けて、慰安婦問題を思い起こしてもらい、解決に乗り出すべきだと促すために書き始めた本」であったが、「日本のみならず韓国でもこの問題を考え直すことが急務だと思い、結局先に出したのは韓国語版」となったとする。だからこそ、「当初は日韓両国で同時に出したかった」が、起訴後、和田春樹が「日本で慰安婦問題を喚起させる機能がある」としたことは、「私の努力が無駄ではなかったということを証明」するとする。”

 

“(朴裕河は裁判所で)『帝国の慰安婦』は、民族とジェンダーが錯綜する植民地支配という大きな枠組みで、国家責任を問う道を開いた」とする加納実紀代[9]の発言などを取り上げ、「こうした評価が、『帝国の慰安婦』の日本への批判をきちんと受け止めてのものであることは言うまでもありません」とする。”

 

“朴教授の『帝国の慰安婦』は、何よりもまず「日本に向けられた」書籍である。朴教授の頭の中には常に傷ついた慰安婦の姿があり、彼女たちに対し未だ責任を果たしていない日本へのメッセージが込められた書籍である。これまで「解決のために」行われたはずの措置がその目的を果たせずに終わり、朴教授はその方法に問題があったとしたが、彼女の「既存の「常識」を見直して、それに基づいて「異なる解決法」があるかどうかを考え」[10]るという言及は、慰安婦問題が戦争によって引き起こされたとする通念を見直し、「帝国」に付随する問題であると考えることで新たない解決法を見出す余地が生まれるということである。

だからこそ『帝国の慰安婦』を正確に読んだ者は、日本人であれ韓国人であれ、あるいは第三国の人間であろうとも、日本が未だに果たしていない責任に改めて気付かされ、河野談話やアジア女性基金、さらには日韓合意を経ても、元慰安婦のための措置が必要だということを痛感するはずである。“

 

“つまり、原告側代理人や検察等は、自分たちとはその方法や論拠は違えども、朴教授もまた日本の責任を追及する論旨を展開する立場にあるということに気がついていないということになる。したがって、「日本の責任を免罪する意図がある」という非難はやはり誤読によるものでしかないが、裁判を通していろいろな資料を提示されれば、彼らの「誤読」はより浮き彫りになるはずである。”

 

“つまり、彼らは『帝国の慰安婦』の論旨を実は正確に捉えていながら、それを意図的に歪曲したということになろう。そして、意図的な歪曲を行わざるを得なかったのは、朴教授の元慰安婦への名誉毀損の罪を成立させることによって、元慰安婦と朴教授との関係を完全に断ち切り、元慰安婦らを支援団体のこれまで築いてきた「慰安婦」イメージの中に留め、また、日本の責任を追及する運動の力を維持するためであるといえる。したがって、朴教授の民事裁判の敗訴は、結果として司法によって意図的な歪曲が守られてしまったことになり、想像以上に重い問題であるといえよう。”

 

“支援団体の築いた「慰安婦」イメージとは「強制的に連れて行かれた少女」であるが、朴教授はこれを否定しているのではなく、「慰安婦」といえば「強制的に連れて行かれた少女」というように、慰安婦を代表するイメージとして成立していること、さらに言えば、もともとは慰安婦の中でも一部のものでしかなかった記憶が、韓国国民に受け入れられ公的記憶にさえなり得たことを問題視しているのである。

そしてこれこそが、支援団体や原告側代理人、検察が見過ごすことのできなかった記述である。慰安婦イメージを「強制的に連れていかれた少女」として定着させることで、その悲惨さを強調し(もちろん悲惨であったことは間違いないが)、ひいては植民地支配を受けた韓国という国自体の悲惨さを物語る象徴の役割を慰安婦に与えた。しかし、ただでさえ慰安婦の中では少数派であった「強制的に連れていかれた少女」は、象徴の役割を与えられたことによって、強制的に連れていかれた少女ですらなくなったのである。朴教授がソウルの日本大使館前の少女像に〈まったき被害者〉のみが表象されているとするのはこうした理由からである。そしてそのような指摘は、支援団体の運動の根拠そのものが揺らぎかねない指摘であり、彼らは当事者の名前のみを借りて裁判を起こしたが、結果として運動そのものに当事者がいなかったともいえる状況も明らかになったといえよう。“

 

“学問の自由を阻害する判決であることも間違いないが、何より司法が「慰安婦」の認識を決定づけるような判断をしたという点に着目すべきであろう。”

 

 

“繰り返しになるが、朴教授の『帝国の慰安婦』での指摘は、挺対協の側に立てば自らの運動の根拠が脅かされるものであった。『帝国の慰安婦』が裁判の俎上に載せられたことで、そこで展開される論の根幹であった多様な慰安婦の存在は、今後韓国では再び認知される可能性は限りなく小さくなった。なぜなら、朴教授は民事裁判の判決によってこれにかかわる記述を削除させられたからである”

 

 

“『帝国の慰安婦』の内容は本論第2章において示したとおりであるが、これを正確に読むことができれば挺対協が構築してきた「強制連行によって連れていかれた少女」イメージに固執しなくとも、日本の責任を追及することは可能であると理解できるであろう。”

 

“つまり、日本国民の間には、韓国が謝罪や補償を何度も繰り返し要求してくるというとらえ方が浸透している。(それは韓国国民の間で、慰安婦が「強制的に連れていかれた少女」と理解されている状況と非常によく似ているとみることもできるのであるが)、そうした認識が、韓国に対するいわゆる「呆れ」となって現れるのであり、もはや挺対協が声高に日本の謝罪や補償、そして真相究明を求めたところで、大多数の日本人、そして日本政府にとっては意味をなしていないとさえいえよう。”

 

“では、挺対協の運動がもはや意味をなさないというのであれば、朴教授が提供した解決方法はどのように考えることができるであろうか。朴教授は、これまで慰安婦問題の議論において当事者が主体的にかかわることができなかった状況を危惧しており、『帝国の慰安婦』においては「日韓政府はただちに、この問題の解決を話し合う国民協議体(当事者や支援者や識者をまじえた)を作るべき」であり、「期間を決めて(半年、長くても一年)ともかくも〈合意〉を導きだすことを約束して対話を始めるのが望ましい」とする。これからなされるべき解決に向けての議論には、当事者が加わるべきであるとする考え方である。”

 

 

“そういった意味でも、慰安婦問題が「帝国」による支配の枠組みの中で起きたこととらえ、さらに韓国が解放後も帝国と切っても切り離せない関係の中で国家を構築してきたことを指摘した朴教授の論旨が理解されたときに初めて、日本への責任追及も意味を成すのである。朴教授は、これまで韓国の支援団体によってなされてきた運動以上に、日本政府や日本国民に対し重くのしかかるような指摘をしているのである。”

 

[1] 朴裕河(2014)『帝国の慰安婦』朝日新聞出版、10頁。以下、引用に当たっては原著である韓国版を(韓)、日本版を(日)との表記を題名に添える。

[2] 朴裕河(2016年10月4日)「慰安婦問題との出会い、『帝国の慰安婦まで』<http://www.huffingtonpost.jp/park-yuha/meeting-with-former-comfort-women_b_12303834.html>(参照2017年11月13日)

[3] 『帝国の慰安婦』(日)、10頁。

[4] 本論第2章で取り上げた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」から、朴教授がここで指摘する日本軍による黙認を読みとることができる。

[5] 「村山談話」の一部。「これらの国々」とは、談話のこれより前の部分で「近隣アジア諸国」と表現した部分を指す。

[6] 鄭書、8頁。

[7] 本論2-3参照。

[8] 朴裕河「[裁判関連]『帝国の慰安婦』刑事訴訟 最終陳述」<https://parkyuha.org/archives/5737>(参照2017年12月29日)

[9] 敬和学園大学教授

[10] 朴裕河「[裁判関連]『帝国の慰安婦』刑事訴訟 最終陳述」<https://parkyuha.org/archives/5737>(参照2017年12月29日)

 

【原文情報】

「国民感情と歴史問題:『帝国の慰安婦』をめぐる裁判より」

著者:高松好恵

東京外国語大学大学院 博士前期課程 総合国際学研究科世界言語社会専攻・国際社会コース修了

問い合わせ [email protected]

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 従軍慰安婦を国家主義や植民主義における女性搾取という普遍的問題から問う研究書に、韓国の世宗大学教授・朴裕河『帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い』がある。同書をめぐっては、元慰安婦らの名誉が傷つけられたとしてソウル高裁が朴に有罪の判決を出した。同書は日本の責任を問う一方で、女性たちを収奪した責任の一端を朝鮮の民間業者にも見る点などが削除を要請された。まさに「表現の自由」が争われた事例といえる。
朴は、森崎和江の『からゆきさん』を引き、こう述べる。韓国併合以前から、朝鮮半島に渡って来た日本人男性の相手をするため、困窮の末や騙されて身売りされてきた日本人女性(=からゆきさん)はいた。彼女たちを、国家権力と民間業者は黙認してきたが、その意味で「『慰安婦』の前身は、『からゆきさん』、つまり日本人女性たちである」と。
からゆきさんと慰安婦をつなぐ線は、日韓の国際政治の現状を超え、深く苦しい女性搾取の歴史と戦争の暴虐性にたどり着く。

東京新聞(夕刊) 「社会時評」 2019年9月24日

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(主戦場を)「見終わった方にぼくは朴裕河著『帝国の慰安婦』を読むことをお勧めする。「主戦場」は映画としてよくできているがあくまでもレポートであって、論理の骨格に欠ける。それを補うのにこの本は役に立つ。両国と諸勢力を公平に扱って、感情的になりがちな議論の温度を下げ、明晰な構図を与えてくれる。」

朝日新聞コラム 「終わりと始まり」 2019年7月3日