[裁判関連]『帝国の慰安婦』刑事訴訟 最終陳述

Huffington Post link (1)
Huffington Post link (2)

2016年12月20日、1年間続いた刑事裁判の結審があった。以下はその日、法廷で読んだ最終陳述の全文である。私は準備公判が進行中だった5月に反論証拠資料として1000枚余りの資料を提出している。慰安婦に関して知ることのできる証言、手記、記事などである。慰安婦問題全体が理解しやすいように、時代順、そして当事者、周辺人物、学者順ににした(資料が出てきた時期が遅かったとしても、同時代の人々の発言や彼らが見た光景順に並べて提出した。リンク資料参照、刑事訴訟 公判記2)。そしてその後、『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』が、慰安婦を名誉毀損する本ではないことを証明する他の様々な資料を「参考資料」として提出した。本文で「証拠資料」「参考資料」と記述しているものは、そのように区別した2種類の資料のことである。但し、参考資料の中にも証拠資料以上に重要なものもある。例えば、元慰安婦の方との電話録音記録や映像である。

参考資料は結審までに160以上提出し、この手記を書きながら新しく言及した資料を「追加資料」とした。本文と一緒に裁判所に提出する予定である。リンクなど、まだ不備のところがあるのを承知で公開しておく。

検察はこの日、私に懲役3年を求刑した。「歴史的事実を意図的に歪曲した点、反省していない点、被害者たちの名誉を著しく毀損した点を考慮しなければならない」と述べながらのことである。

この言葉を聞いて気がついたが、検察は私の「反省」を引き出そうとしたようだ。私は刑事の全ての審問に対して反論できたが、反省の態度を示さなかったことに不満があったかもしれない。

確かに、検察と関係者は、起訴の前に調停を勧めつつ「謝罪」「韓国語削除版の廃刊」「日本語版の削除」を要求した。私を非難してきたある教授も、原告側に告訴の取り下げの仲介の役を引き受け「日本語版の廃刊」を要求してきた。そして、私が最後まで応じられないと言ったのは、日本語版の削除・絶版のみである。

しかし彼らは私に何を要求したかは言わず、私が調停で謝罪を要求したと言って、あたかも私が元慰安婦の方に謝罪を要求したかのように非難した。私が要請したのは、私の本を歪曲して告訴して全国民の非難を浴びるように仕向けた周辺の人たちの謝罪である。元慰安婦の方々を非難したり、何かを要求したりしたことは私には一度もない。

私が絶望するのは、求刑そのものではない。私が提出し説明したすべての反論資料を見ておきながら、見ていないかのように厳罰に処してほしいと言ってしまえる検事の良心の欠如、あるいは硬直に対してである。もちろんその背後にあるものは、元慰安婦の方々ではなく周辺の人々である。

この求刑は、歪曲と無知の所産である論理を検事に提供して、おうむのように代弁させた一部”知識人”たちが作ったものである。

———-

尊敬する裁判長、

形事裁判が始まってからもう一年になろうとしています。その間、私にも発言権を与えていただき、私の説明に耳を傾けつつ公正に進めて下さったことに対して、まず、深く感謝申し上げます。

1.故意性(犯意)があったという主張に関して――『帝国の慰安婦』を書くまで

まず、私が『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』を書くようになった経緯に対して話します。

1)私は25年前、留学が終わる頃に東京に証言をしに来られた元慰安婦の方々のためにボランティアで通訳をしたことがあります。そして白いチマチョゴリを着て泣き叫ぶ元慰安婦の方の証言を聞きながら涙した経験があります。この時から慰安婦問題はこの25年間、私の頭の中から消え去ったことはありませんでした。

帰国後は、慰安婦問題を巡っての支援活動のあり方に矛盾を感じ、また活動に加わる特別な機会もなかったため、長い間見守るだけでしたが、10年前に慰安婦問題に関する初めての本を書くまでに、水曜デモに参加したり、「ナヌムの家」を訪ねて慰安婦の方々と話をしたりしたこともあります。

2)その後2004年に、ナショナリズムを超えて日韓問題を議論する日韓有識者のグループを作ることになるのですが、私がこのグループを作るようになった最も重要な契機も、実は慰安婦問題にありました。新しい歴史教科書採択に反対する会の代表でもあった小森陽一・東京大学教授と意気投合してこの会を作りましたが、わたしが誰にも先にこの会に参加してほしいとお願いした方が、日本を代表するフェミニスト学者の上野千鶴子教授だったのも、そのためでした。

そして翌年、同じように長年、慰安婦問題解決のために先頭に立って活動してこられた和田春樹教授と上野教授をソウルに招いてシンポジウムを開きました。この時私は、この方々の話に対するコメントを、慰安婦支援団体の韓国挺身隊問題対策協議会の事務局長だった尹美香氏にお願いしました。挺身隊問題対策協議会が、和田教授が中心となって活動していたアジア女性基金を非難してきたため、両者の接点を見いだそうとしたからです(この時の内容は『東アジア歴史認識のメタヒストリー』という本に収録されています)。しかしこの時、尹美香氏はこれまでと同じ主張を繰り返すのみで、結局接点を探すことはできませんでした。

3)実は私はシンポジウムの少し前の秋に『和解のために-教科書・慰安婦・靖国・独島』という本を出版していました(慰安婦問題関連は第二章。参考資料98.)。挺身隊問題対策協議会の活動の問題点や、それまで知られていなかった、世間に知られているものとは異なる元慰安婦の方々の声をより多くの人々に知ってもらい、この問題をみんなで改めて考えてみないといけないと思ってのことでした。

私がこの本で強調したことは,「対立する問題を解決するためには、まず、その問題に関する正確な情報が必要。支援団体がマスコミと国民に出す情報が必ずしも正確でもなく一貫性がないので、まず正確に知ろう。そのあと議論し直したい」ということでした。

そして韓国社会は私の本をとこれといった拒否反応なしに受け入れてくれました。いくつかのメディアに書評が載り、翌年には文化観光部が選ぶ優秀教養図書に指定されたりもしました(参考資料86,87)。

4)翌年『和解のために』が日本語に翻訳されてから、日本での発言機会も多くなりました。そのたびに私は、慰安婦問題解決に日本がもう一度向き合うべきだと言いました。1995年に設立された日本のアジア女性基金は、2003年までにいくつかの国の元慰安婦の方々に日本の首相からの手紙を添えた「償い金」を渡し、医療福祉の支援をしてから、2007年に解散していました。その後、慰安婦問題への日本の関心が急激に冷めたように感じたためです。

例えば2010年、日韓併合100周年になった年に、その年にすべきことがいろいろ議論されましたが、日本政府はいうまでもなく韓国政府さえも慰安婦問題に言及しませんでした。そこで私は日本のメディアに向けてその年に「日本がすべきもっとも重要なことは慰安婦問題の解決」と書きました(参考資料59.)。

5)そして、翌年の2011年冬、やはり日本のメディアに慰安婦問題について論じた、日本の保守層と政府と支援団体に向けての文を連載し始めました(WEBRONZA 2011/12~2012/6)。2年後に韓国で先に出版された『帝国の慰安婦』には、この時連載した内容も韓国語に翻訳され収録されています。

つまり、『帝国の慰安婦』は、慰安婦問題に無関心だった日本に向けて、慰安婦問題を思い起こしてもらい、解決に乗り出すべきだと促すために書き始めた本です。しかし日本のみならず韓国でもこの問題を考え直すことが急務だと思い、結局先に出したのは韓国語版です。まさにそのために、当初は日韓両国で同時に出したかったのです。慰安婦問題解決のために長年尽力してきた日本の和田春樹教授が、私が起訴されたあと「日本で慰安婦問題を喚起させる機能がある」と言及されたことは、私の努力が無駄ではなかったということを証明します(記事)。

6)まだこの文章を連載中だった2012年春、今度は日本で、私が2005年に試みたように、この問題の解決にともに関心を持っていながら方法において意見が異なる人々を呼んで接点を探ろうとするシンポジウムがありました。私も和田教授と一緒に招待され、和田教授と似た立場から意見を述べました(参考資料162)。

このシンポジウムのタイトルが「慰安婦問題解決のために」で、主催した人たちが、韓国の挺身隊問題対策協議会で活動していた人や、早くから慰安婦問題に関心を持ち、韓国挺身隊問題対策協議会の初代代表の尹貞玉教授とも親しい女性学者だったということは、その方々が、私の立場が和田教授に近い、つまり慰安婦問題解決のために、それなりに苦心してきた人物と理解してくれたゆえのことといえます。

7)2012年春、日本が謝罪・補償の案を持ちかけたのに対して、青瓦台(大統領公邸)関係者が支援団体の反対を予想して、慰安婦の当事者はもちろん支援団体に打診さえせずに拒否したという記事を見て、私はこのままだと慰安婦問題は永遠に解決できないと考えました。そこで、韓国に向けての本を書き始め、既に書いてあった日本語の文章も翻訳して収録しました。それが1年後、2013年に発刊された『帝国の慰安婦』です。

この頃私は、サバティカルを迎えて東京にいましたが、この時、長年交流して来た数人の学者たちと、慰安婦問題解決のための議論を数回行いました。そして帰国直前に東京大学で、またもや接点を探るためのセミナーを開いたりしました。

告訴の直後に書いたように(参考45-50)、『帝国の慰安婦』における私の関心は既存の「常識」を見直して、それに基づいて「異なる解決法」があるかどうか考えることでした。その悩みを共有することを通して、慰安婦問題をめぐる韓国人の関心と理解がより深まり、より多くの人々が納得できる解決策を模索し、元慰安婦の方々を一日でも早く楽にしてあげることでした。

そして、この本での具体的な提案は、単に「元慰安婦の方々の様々な証言が、慰安婦問題とその解決のための議論から排除されている。当事者を含む日韓協議体を作り、日本と話し合おう」と言うものでした。

裁判長、

慰安婦問題を知るようになってから、この問題における私の関心と行動と執筆は全て、元慰安婦の方々のためのものでした。既存の常識への異議申し立ては、学者としての当然のことであると同時に、韓国に居ながら日本について教える日本学専門家としての義務と考えていたためでもありました。何よりも、事態を正確に知ってこそ、生産的な対話の始まりと正しい批判が可能だということが、日韓関係に関する初めての本を出した時から、私の一貫した考えでした。『帝国の慰安婦』もまた、そうした考えから書かれた本です。

2.「元慰安婦の方々を非難する日本の右翼を代弁する」という主張に対して――日本の評価

ところで原告側弁護人と検察は、私の本に、日本の責任を免罪する意図があると非難します。私の本が日本の右翼を代弁し、太平洋戦争を美化したとする虚言に加えて、慰安婦問題の解決に「害悪」になる本とまで言いました。『帝国の慰安婦』を、学生たちを動員して分析させた「ナヌムの家」の顧問弁護士は、もう10年前の本『和解のために』を持ち出し、青少年に有害な図書だとして、政府に対して10年前の「優秀教養図書」指定を取り消すよう働きかけました。

しかし支援団体が刑事告訴するまでは、『帝国の慰安婦』もまた、期待以上の好評を得ています(参考資料5-12、新聞書評など)。

日本の責任を免除しようとしていると原告側から非難されましたが、重要なのは日本で私の本がどのように受け入れられているかでしょう。結論を先に言いますと、私の本を高く評価してくれた方々は、原告側が主張するような、(日本の)責任を否定する右翼ではなく、日本の責任を誰より深く認識してきた、いわゆる「良心的」な知識人と市民です。

そのことは、まず2014年秋に日本語版が出版された時、一番先に書評を載せたメディアが、この問題に長い間、最も高い関心を払ってきた朝日新聞だということからわかります。朝日よりもっとリベラルと認められている東京新聞、そしてリベラル中道と言われる毎日新聞も書評、コラムなどを通じて肯定的に言及した事実が、そのことを証明してくれています。

そのような記事が私の本をどのように評価したのか、原告側の嘘を明らかにするため、審査評、学者と作家の書評を一部読ませて頂きます。

軍に代表される公権力によって拉致され性的奉仕を強制された多くの被害者の声に耳を傾けようとする姿勢のかげには、単純な戦時下の人権侵害とする見方よりも、植民地主義、帝国主義にまで視野を広げて問題をとらえる鋭さが隠れている。それは戦時下の人権侵害的犯罪というとらえ方よりも厳しい問いを含んでいると言わなければならない。朴裕河は過去を美化し肯定しようとする歴史修正主義者の視点とは正反対のまなざしを慰安婦被害者に注いでいるのだ。(中沢ケイ「帝国の慰安婦が問いかけるもの」、WEBRONZA 2016年1月18日・作家、法政大学教授、2014)

女性を「手段化」「モノ化」「道具化」する構造への強い批判とともに、その中で人間として生きている 人々への共感を表す。これがこの本の叙述の中核である。(田中明彦、東京大学名誉教授、アジア太平洋賞審査評、2015年11月11日付毎日新聞)(参考資料71,72)

本書の 評価すべき点は、「帝国」すなわち植民地支配の罪を全面に出したところにある と思ってます。(上野千鶴子、東京大学名誉教授、2016、「『慰安婦問題』にどう向き合うか―朴裕河氏の論著とその評価を素材に」から)

マクロ な規定性を見据えながらもミクロ的な人々の生きざまを見ていくことこそが、そこに介在 するメゾレベルの状況をつぶさに 見ていくことが植民地支配を考える視点なのではないか、そうしないと植民地支配の暴力性は本当に は見えてこないという現在の植民地研究の一つの流れを朴裕河氏はくんで いる、と私は考える。(蘭信三、上智大学教授、2016、「『慰安婦問題』にどう向き合うか―朴裕河氏の論著とその評価を素材に」から)

かつて 欧米に追随し、強者としてアジアを支配した日本は、他者を支配する西洋起源の思想を越え、国際社会を平和共存へ導く 新たな価値観を示せるか 。韓国の理解を得て挑みたいものである 。(「風知草 帝国の慰安婦再読」2015年7月27日、毎日新聞)

以上が『帝国の慰安婦』に対する日本での論評の一部です。

にもかかわらず検察と原告弁護人は、いや彼らに論旨を提供した人々は、韓国が日本の事情をあまり知らないことを利用して、事態を正反対に歪曲して伝えてきました。

彼らの言う通り、一部の保守が自分たちの主張に私の本を利用した場合もありましたが、微々たるものです。いずれの保守系新聞もこの本の書評を載せてはいませんし、賞を与えるなどというところもありませんでした。

それなのに、この本は、二つの賞の受賞が意識されたたかのように、受賞の直後に起訴されました。そしてそれを引き受けて日本の代表的知識人たちが起訴反対声明を出すと、早くも『和解のために』の日本語版が出た後の2007年頃から私を非難してきた在日朝鮮人研究者や、日本人を含む支援者側の研究者や活動家たちが私の本を歪曲しつつ激しい非難を始めました。
するとこれを見かねた日本の知識人たちが、以下のように発言してくれました。

「『帝国の慰安婦』は、民族とジェンダーが錯綜する植民地支配という大きな枠組みで、国家責任を問う道を開いた」(加納実紀代、敬和学園大学教授、2016、「『慰安婦問題』にどう向き合うか―朴裕河氏の論著とその評価を素材に」から)

「こうした構造にこそ、植民地支配と戦争の大きな罪、そして女性の悲哀があったと私は思う。私は朴裕河氏が「同
志的関係」という言葉にこめた意味をそう解釈した」(若宮啓文、元朝日新聞主筆、2016、「『慰安婦問題』にどう向き合うか―朴裕河氏の論著とその評価を素材に」から)

「「日本の兔罪を意図するものではないことは、先入観を抜きに全体を読みさえすれば、誤解が生じるはずはない 。それうぃ「日本の兔罪」に道を開く妥協的は書物だと理解する 一部の 読みは、明らかに「誤読」であり、同書を「悪用」することだ」

こうした側面の強調は、「植民地支配」のより深い理解に道を拓きはしても、「日本の兔罪」を導き出すようなものでは ない」(西成彦、立命館大学教授、 「『慰安婦問題』にどう向き合うか―朴裕河氏の論著とその評価を素材に」から)

などです。こうした評価が、『帝国の慰安婦』の日本への批判をきちんと受け止めてのものであることは言うまでもありません。まさに、その部分こそが私の本が日本で評価された理由と私は考えます。

そして慰安婦問題解決の過程において、私の本がどのように位置づけられるべきかを論文に書いてくれた学者もいます(参考資料69,108)。また、これら以外にも同じような視点で『帝国の慰安婦』を支持する文章を集めた本が来年春に出版されると聞いています。

私の本は元慰安婦の方を「名誉毀損する本ではない」とする、日本の知識人たちの起訴反対声明に、河野談話を発表した河野洋平・元官房長官、村山談話を発表した村山富市・元首相、そして日本の「良心的」知識人を代表するノーベル賞作家の大江健三郎氏も賛同してくれました(参考資料73-1,2)。それは、その方たちが私の本を”正しく”読んでくれたからです。

告訴直後、まだ本が日本語に翻訳される前に自国を批判してきた日本の代表的思想家、柄谷行人さんが私に関するメッセージを仮処分の法廷に送ってくれたことも(参考資料140)、私のこれまでの仕事をよく理解し、認めてくれたゆえのことと思います。

それなのに原告側弁護人と検察は、私が日本の責任を否定して兔罪しようしていると主張します。もちろん彼らが、本事件の論点と関係がないにもかかわらずそうした主張を繰り返す目的は、朴裕河は日本からお金をもらって元慰安婦の方々を懐柔するような人物といった認識を拡散させたように、私に対する世間の評判を悪くして、私に元慰安婦の方々を名誉毀損するような「故意」がある人物と見せるためです。

3.慰安婦の名誉を毀損する本であるという主張に対して――韓国の評価

裁判長、しかし私の本が決して元慰安婦の方々を名誉毀損する本ではありえないことは、本を書くまでの経過と、そして2013年、発刊直後の韓国社会の反応、先に申し上げた2014年のシンポジウムについての韓国マスコミの反応だけでも十分に理解して下さると思います。

そして告発後も、すべてを把握できないほど多い、市民、知識人からの嘆願書、声明、書評、フェイスブックでの発言、有力雑誌の特集や記事、そして真実を伝えようとした記者たちの書評と記事が証明してくれています(参考資料4-34,36-44,66-2,73-1,2,75,76-1-10,79-85,91-95,124-139,142-155.)

訴訟の問題を見抜いた市民たちが集まり、支持と応援のためのグループを作り、フェイスブックに「帝国の慰安婦、法廷から広場へ」というページを開設して私をめぐる誤解を解くために努力してくれました。このページに、現在まで2000人近い人々が呼応してくれています。また昨日、私のための嘆願書が、ある若い評論家によって新たに作成され、賛同者の署名を募っている最中です。数は決して多くありませんが、私はそのような方々がいるからこそ、この国を去りたいとは考えずに、耐えてきました。

裁判長、

私のための嘆願や、メディアに記事を書いてくれた方々が主にテキストを読み分析し、書くことを仕事とする韓国文学研究者、評論家、作家であるということに注目して下さい。

多くの人々が読んでくれることを願って一般書として書きましたが、実は私の本は内容も文体も単純ではありません。したがって重要なことは、事実か否か以前に、本で私が何を言っているかを正確に把握することです。私たちはそれを読解力と言います。その読解力で韓国でも指折り数えられるほど優れた方々が、私の本を正確に読んで下さり、支持してくれました。

原告側弁護人と検察は私に名誉毀損の「意図」があるかのように疑って本を歪曲しましたが、私の本が彼らの言うような本であったなら、発刊直後にそのまま無視されたか、メディアが彼らより先に非難したはずです。

告訴後はもちろん、告訴前に出た批判に対しても、私はもうそのほとんどに答えています。(イ・ジェスン、「若い学者」たち、鄭栄桓、「帝国の弁護人」著者に対する反論。参考資料62-1-4,102-105.106,110、リンク)。支援団体だけではなく学者さえもどのような嘘をついたのか、多読家としても著名なある作家と私が反論した資料を読んで下さい(参考資料110,132)。まだメモ程度の文もありますが、彼らがどのように曲解しているのかお分かりになると思います。

4. 異なる声の抑圧――告発理由

ところで、原告側代理人はなぜ発刊後10ヶ月もの間沈黙していて、突然告訴をしたのでしょうか?

その直接の理由は、二つあります。一つは慰安婦の方の声を世の中に伝えるために有志とともに開いた2014年春のシンポジウムです。そして、告訴を前倒ししたのは、本を出した後、私がナヌムの家に暮らしている方をはじめとした慰安婦の方々の中で最も親しくしていた方が亡くなったからだと思います。実際に告訴状には、『和解のために』と、シンポジウムについて言及しながら、朴裕河の今後の活動を阻止しなくてはいけないと書いてありました。(参考資料)

彼らは私が慰安婦の方々と会うのを阻止したかったのです。彼らが本の仮処分のみならず、慰安婦の方々への接近禁止の仮処分まで申し立てた理由はそこにあります。そのように慰安婦の方々を独占したにもかかわらず、彼らは私の本に生前の慰安婦の方々の声が存在せず、空しい本だと主張します。

しかし、私が本を書く期間に慰安婦の方に会わなかったのは、慰安婦の方の証言が、時間が経つにつれて初期の頃と変わることがあったため、以前に出された証言集などが現在の証言よりも事態の把握に役立つと考えたからです。また、日韓関係が日に日に険悪になり、慰安婦の方々がこの世を去っていく中、一日でも早く本を世に送り出し、再び議論しなければ慰安婦問題は解決されないと思ったからでもあります。もちろん、それ以前に、昔会った方々との対話は私の中にしっかり残っていました。

本を出してから、慰安婦の方々に会い始めたのは、謝罪と補償について慰安婦の方がどのような考えを持っているのか直接聞いてみたかったからです。しかし、連絡先を簡単に知ることは不可能であり、挺身隊対策協議会の水曜デモに出てくる方々たちは一般人の接近が徹底的に遮断されていました。そのような制限があったため、会うことができたのは結局数人だけですが、会った方々は、私自身が驚くほど、本に書いた支援団体への批判が、他でもない慰安婦の方々の考えでもあったとことを教えてくれました。

一人の慰安婦の方は私にこのようにおっしゃいました。

「日本が本当にやる気があれば、慰安婦たちに直接謝罪して、慰安婦たちに直接お金をくれないと。なぜ、挺対協を通して」進めるのかと言いながら、「立法とかいうけど、なんのことだ…そんなものは必要ない。慰安婦たちにこう、直接、私たち、住所もあるし、電話番号もあるでしょう。それを教えてあげて」、「この方法で準備したから受け取りたい慰安婦の方たちは受け取ってください」とすれば、「受け取らない人がいたとしてこれで終了ですといえば、みんなもらうでしょう。ぜひ、そうなるようにしてください」とおっしゃいました。(参考資料65、ウ・ヨンジェさんの映像)

また別の方は、アジア女性基金についても知っているか、日本のどんな謝罪と補償を望むのか、法的責任について知っているかを尋ねると、「法的とかそういうのは、私達はわからない、それよりもまずは補償してくれれば」いいとおっしゃいました。(ハ・ジョムヨンさん、2014年シンポジウム映像、参考資料166)

要するに、20年以上支援団体が「被害者=慰安婦の方の考え」だとしながら主張してきた、さらに検察が本事件の争点とは何の関係もないのに私が否定したと批判してきた、日本の「法的責任」について、まったく認知していない方が少なくなかったということです。「朴裕河が日本から20億ウォンをもらってくれると言った」との偽証をしたユ・ヒナムさんでさえ、本当は私に、挺対協を批判しながら、補償さえしてくれればいいのにとおっしゃいました。

それで私はそのような声を世に送り出すことにしたのです。先に話した、2014年4月末に開いた「慰安婦問題 第三の声」というタイトルのシンポジウムでのことです。(参考資料35、映像資料追加)

日本から和田春樹教授、釜山在住の支援団体長、そして私が報告をしたこのシンポジウムは、実は私が費用を負担したものでした。

もちろん、わたしにはお金がありあまっているわけではありません。しかし、必要性を感じたので、個人的には大きな負担でしたが、葬られた慰安婦の方々の声が世の中に伝われば、その声を聞いた人たちが再び議論を始めてくれるだろうと考えたからです。そして期待以上に、初めて公的な場に出た「異なる」声に、日韓両国のメディアは大きく注目してくれました。(記事)

しかし、この時の映像を見るとわかりますが、ここに出てきた慰安婦の方々は全て顔をモザイク処理し、声も変えています。それはもちろん、その方たちが、自分が誰なのか知られるのを恐れたためです。

どうしてそのようなことが起きなければならなかったのでしょう?なぜ、彼女達は自分の考えを、日本への抗議デモに出てくる他の方のように堂々と顔を出して話せなかったのでしょう?

もちろん私たちはその理由を知っています。そのような発言が支援団体によって禁止されていたからです。慰安婦の方々の恐怖は、正確に言えば、禁じられていたことを破った時に不利益を被ることに対してのものであるのは言うまでもないでしょう。

裁判長、

6ヶ月間にわたる通話記録ですので、長いですが、参考資料として提出したペ・チュニさんの録音記録を読んでいただきたくお願いします(参考資料77)。私と電話で話す時、ペさんが何度も、スタッフが隠れて聞いていないかを確認し、気にしている様子も確認できるはずです。

私がこのような話をするのは、私に慰安婦の方を批判しようとする故意のようなものがある理由がないと申し上げたいからですが、後でお話しするように、慰安婦の方もまた、この問題に関して自由には発言できないという事実を知ることこそが、この告訴事態に対する正しい判断を可能にするものと考えるからです。

支援団体関係者が外部流出を止めようとしたのは、謝罪と補償についての慰安婦の方たちの考えだけではありません。支援団体が長い間メディアと国民に向けて話してきたもの、すでに一つのイメージとして定着した「軍人に強制的に連れて行かれた少女」というイメージに亀裂が生じる証言こそが、彼らが私を告訴までしながら阻止しようとした内容です(挺対協も告訴を検討したと聞きました)。

前の公判ですでにご覧になったように、ペ・チュニさんは、動員状況と慰安所での生活と朝鮮人慰安婦について、「強制連行はなかったと思う。慰安婦は軍人を世話する者だった。かっぽう着を着て、軍人のための千人針をもらった。日本を許したいが、それを話すことはできない」とおっしゃいました。(参考資料4他)

そして、早くに両親を亡くして祖母と暮らしていたが、職業紹介所に行ったと言いました(参考資料77)。そして、「日本政府は絶対にそのようなことをやっていない」、「日本人が捕まえて行ったというようなことはない」(参考資料77、90ページ)とまでおっしゃったのです。あまりにも確信に満ちた発言だったので、かえって私の方が、他にいろいろなケースがあるのでは?と話したほどです。

慰安婦動員に詐欺的な手法が多く使われたということは、周知の事実です。しかし、だましたのは日本軍ではない、業者とさらに職業紹介所でもあったということが提出した証言資料に出ています。それで当時の植民地警察も問題視して、女性がだまされて売られることがないよう取り締まったのです。(証拠資料3-1)

さらに、彼らの言う「生存中の慰安婦」の方々が暮らすナヌムの家の、別の方の口述録を見ると、これは原告側が提出した資料ですが、いわゆる「軍人が強制連行」したのは一人もいません。イ・オクソンさんは見ず知らずの朝鮮人による拉致、キム・グンジャさんは養父による人身売買、キム・スンオクさんは父親が勧めた人身売買、カン・イルチュルさんは義兄による「報国隊」の名の下で行ったケース、パク・オクソンさんは自ら行きだまされたケースです(証拠資料50ほか)。カン・イルチュルさんが「報国隊」に行ったと話したのは、カンさんをめぐる動員が募集当時からすでに「愛国」の枠組みの中でのものだったことを教えてくれます。

裁判長、私が『帝国の慰安婦』を通じて試したのは、そのような方々、自分の体験をあるがままに話すことができなかった、あるいは話したけれども忘れられた声を、ただ復元し、世の中の人々が聞くことができる空間へ送り出すことでした。

もちろん、そのような声だけが本当の真実だと主張するためではありません。慰安婦の方々をめぐる問題なのに、慰安婦問題が、当事者の一部を排除して進められる状況を見ながら、意図的か否かにかかわらず、沈黙してきた方の声も含めて一度は聞かなくてはならないと思ったのです。そして、当事者間の考えが違うなら、周囲の人ももう一度考えてみよう、ただそれだけでした。先のシンポジウムでもそのような提案を具体的にしました。

そして、私の気持がどういうものだったのか、ペ・チュニさんは正確に分かってくれました。私は結局その方を世の中に堂々と招いてあげることができませんでしたが、そんな私に「先生の気持は分かっているよ」(資料77、55ページ)「世話になってばかりだ」(同資料68ページ)と話してくださったのです。そして、その言葉に私は慰められながらも、深い申し訳なさに陥るのです。(参考資料113-118、リンク)

しかし、それ以後、私はもうそのような活動を続けることはできませんでした。私と最も緊密な対話を交わし、シンポジウムにも映像で声を届けてくださったペ・チュニさんが、シンポジウム後1ヶ月あまりで亡くなり、私もまたそれからわずか1週間後に訴えられたからです。

5.検察・原告側の誤読

裁判長、
『帝国の慰安婦』が虚偽ではないという事実を証明するための資料はすでに十分過ぎるほど提出したかと思います。しかし、重要な点を少しだけ付け加えます。まず、検察が問題にしている「矜持」と「同志的関係」について、もう一度簡単に説明します。

1)「矜持」の対象

まず、意図的あるいは無意識的な誤読についてです。

検察は私の本が慰安婦の「自負的愛国心」を語っていると言います。しかし、私は本にそのように書いたことはありません。『帝国の慰安婦』で「矜持」、「自負」という言葉は全て、「愛国」自体というより、どんな役割であっても自分が必要とされる場で感じる、自分の存在価値についての自負心という意味で使っています。例えば、私はこのように書いています。

それは不条理な国家の策略だったことは明確だが、外国で悲惨で暗い生活をしていた彼女たちにとって、その役割は自分に対する矜持となり、生きていく力になったであろう。そのような社会的認定は苦しい毎日を忘れ、生きていく上でも必要だったことだろう。「シンガポール近くには6000余りのからゆきさんがいて、1年に1000ドルを稼ぎ、その金を日本人が借りて商売」をしたという話は、海外のからゆきさんが日本国家の国民として堂々と生きていたことが教えてくれる。

からゆきさんの場合ですが、この文で重要なのは矜持という感情自体であり、その内容ではありません。私ははっきりと、矜持を持たせるのは、その「役割」だと書き、「社会的認定」と説明し直しています。そして、「国民」として堂々と生きることができたと書きました。要するに、貧困と娘を売るような家父長制と、あるいは「売春婦」として社会から排除され差別されていた位置を離れ、「国民」の一人として同等に扱われることによる感情自体が、私が言うところの「矜持」なのです。やっていることがなんであれ、「自分の存在を肯定する感情」、私はそれを矜持と言ったのです。矜持の対象は愛国心ではなく自分自身です。

他の文章でも、「彼女たちが”皇国臣民ノ誓詞”を覚え、特別な日には”国防婦人会”の服を着て、着物の上に帯を締めて参加したのは、あくまでも”国家が勝手に押し付けた役割」だと明確に強調し、続けてそのような行為が持つ誰かを慰労する役割について「彼女たちが置かれた過酷な生活に耐えしのぶ力になり得たということは十分に想像できる」と書いたように、「矜持」はあくまでも自分の存在に対する矜持でしかないのです。

自分の存在に対する意味付けが、人間が生きていくために必要不可欠なことだというのは、あえて言うまでもないでしょう。極端なことを言えば、その内容はなんだっていいのです。

告訴者と代理人と検察がこの部分を慰安婦が「愛国自体に矜持を持った」と解釈するのは、文脈を正確に把握できていない、誤読です。

たとえ愛国心自体に対する矜持と判断したとしても、それは構造的に強制された愛国に過ぎず、検察が主張する自発的/自負的愛国とは異なるものだということも、すでに申し上げました。

2)「同志的関係」の概念の意図

検察は私の本が日本軍との違い、日本人慰安婦との違いを消去したとしながら、「同志的関係」という言葉が慰安婦の名誉を傷つけたと言います。しかし、例えば、

表面的には「同志」的関係だったとしても、「朝鮮人のくせに包帯を上手に巻くことができるのか?」と(軍医が)考えていることからも、差別感情がベースになっていた。しかし、そのような隠された差別感情を知るためにも「朝鮮人慰安婦」という存在の多面性はむしろ直視されなくてはいけない。明確に見ることだけが、責任を負うべき責任主体と被害者の関係性を明確にしてくれるからだ。
と書いたことにも、私の意図を読み取ることができると思います。

さらに、「何よりも、”同志”的関係を記憶し、その記憶だけに固執した彼等を無条件に糾弾し拒否するのではなく、正しく応答し対話するためにも事実をあるがままに見なくてはいけない。慰安婦の苦痛を理解できない彼等をきちんと批判するためにも、彼らの内面に存在した差別意識を指摘するためにも、”同志的関係”はまず認める必要があった」と、「同志的関係」という言葉をあえて使う理由についても明らかにしました。

言いかえれば、検察が言うように、朝鮮と日本を同じように扱い、日本の責任を免罪しようとしたのではなく、むしろ目に映らない差異を見るために「帝国日本の構成員」という範疇-同質性を見ようとしたのであり、そのような論旨が日本の謝罪意識を引き出すことができるのを期待したのです。

まさに、日本に向かって書いた部分で「彼女たちは生命の危険の中で時には運命の「同族」(古山高麗雄『白い田圃』、14ページ)として日本の戦争をともに遂行する者でもあった」と書きながら、続けて「そのような意味で彼女たちに送られるべき言葉は、時に彼女たちに暴力を行使し過酷に扱ったことに対する謝罪の表現でなければいけない。軍人の暴力は、表面的には「内鮮一体」であっても、差別構造を温存させた日本の植民地政策がもたらしたものだった(162ページ)」と強調したのです。

6.支援団体・検察・学者の欺瞞と忘却

裁判長、

ここでは彼らが「虚偽」だと主張する三つの論点についてもう少し付け加えます。

1)売春/強制 日本人慰安婦の差異化

私は慰安所のことを「管理売春」であり、「強要された売春」であると言いました。そして、この部分については検察と原告側代理人ももはや反論していません。

ところが、挺身隊問題対策協議会の代表だった尹貞玉教授も、ハンギョレに連載された有名なルポ記事で、「売春を強要された」と言っています。(1990年1月4日付ハンギョレ新聞、韓国挺身隊問題対策協議会研究報告書『日本軍慰安婦新聞記事資料集』、2004、45,46ページ追加)

そして、この資料を含むこの報告書は、「京城地法日本軍慰安婦関連判決文」というタイトルで1930年代後半の裁判資料をまとめていますが、ここには戸籍謄本や印鑑証明等を偽造して連れて行った「私文書偽造行為詐欺」、「満洲にお嫁に行くとだまして酌婦契約」した「詐欺」、「人事紹介業者に長女の娼婦斡旋を依頼」した「詐欺」、「内縁の妻を酌婦に受け渡し、その利益を得」(41ページ)ようとした「営利誘拐詐欺」、「営利誘拐私文書偽造詐欺」等が列挙されています。

この資料と報告書のまえがきにある「朝鮮社会の貧困化とそれにともなう女性の深刻な人身売買を見ることができる」「相当数の女性が満洲に売られたという記事が出て」いるということは、支援団体が早くから慰安所の形態が管理売春であり、必ずしも軍人による強制連行ではなかったという事実を知っていたことを示すものです。2004年、もう12年も前のことです。

それでも支援団体と関連研究者達は長い間、メディアや国民にはこのような事実を隠し、「強制連行」と「総督府命令を受けた銃剣を携えた巡査」だけを強調してきたのです。その結果がまさに、今年の初めに300万以上が見たという『帰郷』での強制連行の場面です。そして検察の起訴はそのように作られた「国民の常識」を一度も疑わなかった結果だと言わざるを得ません。

また、2009年に発刊された国務総理傘下日帝強占下強制動員被害真相究明委員会が発行した『インドネシア動員女性名簿に関する真相調査』には、ソン・ボクソプという朝鮮人軍属の手帖を基に「光州で従軍慰安婦61人の名簿が確認され、日本帝国主義が韓国人慰安婦をインドネシアスマトラ島にも連行し売春を強要した事実が明らかになった」との新聞記事が収録されています。(1992/1/16、光州毎日)この記事にはまた、慰安婦の中に「3人の既婚女性が含まれていたとソンさんが証言」したと書かれています。

つまり、現在の私たちの記憶は、慰安婦問題発生初期の記憶の忘却とともに作られたものなのです。

どの程度意図されたものだったかはわかりませんが、原告側の代理人と検察は自分たちの無知あるいは欺瞞を隠して、日本人慰安婦は「自発的売春婦」であり、朝鮮人慰安婦は日本軍や総督府関係者によって「強制的に連行された少女」ということばかりを強調します。そして、私の本がそのような考えを否定するとして、私を厳罰に処せよと求めているのです。
しかし、日本人女性の中にも慰安所とは知らずにだまされて行ったケースが少なくなかったというのも最近刊行された日本人研究書でも明らかになりました。(『日本人慰安婦-愛国心と人身売買と』、22‐23ページほか)

また、日本の研究書だけでなく、韓国の報告書も「慰安婦や遊興業等への動員過程で誘拐誘引、就業詐欺、人身売買等、合法不法の各種手法が盛行していた」という指摘をしながら、「日本女性すら日本内務省、外務省が提示した原則が守られていなかった」と指摘しています。(『インドネシア動員女性名簿に関する真相調査』、71ページ、追加資料)

つまり、「日本人慰安婦は自発的売春婦」との検察の断定は何の根拠もありません。

原告代理人は、また、千田夏光の『続従軍慰安婦』を提示しながら、同様に朝鮮人慰安婦は何も知らない少女だったと強調しましたが、同じ本に「29歳の朝鮮人娼婦」(118ページ)も登場していることは言及しません。日本軍は朝鮮人慰安婦を卑下し「朝鮮ピー」と呼びましたが、日本人慰安婦も、卑下する言葉である「ピー」と呼ばれたという事実も、他でもない同じ本に出てきます。(韓国語翻訳書148ページ)

前述のナヌムの家の慰安婦の方々のケースのように、いわゆる強制連行とは異なる状況があっても、原告側はこれについて説明しながら、「イ・オクソンさんは拉致、キム・グンジャさんは軍服を着た人に連行、キム・スンオクさんはだまされて、カン・イルチュルさんは家で軍人と巡査によって強制的に連れて行かれた」とだけ書いています。(追加資料)。つまり、義兄が送ったという事実は隠ぺいし、パク・オクソンさんについてもただ「お金を稼げると思って行った」とだけ記述するだけで、どのように行ったのかについては言及していません。

原告側の代理人たちは、国民に向けて行ってきた長い間の欺瞞を、裁判でも行ったのです。『帝国の慰安婦』仮処分および損害賠償1審の法廷は、このような資料を詳細に見てはいなかったはずです。

2)制服を着た業者、朝鮮の「娘子軍」

裁判長、

前述の公判で軍服を着た業者についての資料を提出しました。その資料について追加説明します。

慰安婦の募集は時期によって形態が少しずつ変わったようです。30年代には主に業者の自主的な募集だったのに対して、日中戦争以降には戦争への国民総動員時代を迎えて「愛国」の枠組みでの動員の度合いが強くなったように見えます。

以前提出した証拠資料45号の中にある植民地時代の朝鮮在住日本人の回想には「金原始彦」という軍属が満洲で「皇軍慰安婦として引率活躍、要員を募集のために、偶々厚昌邑内に帰省」しているとし、「一人でも多くの娘子軍を集め、戦力増強に寄与しなくては、と覇気満々」(証拠資料45)だったと記述しています。

「娘子軍」とは、女性の戦力化を称賛してつけられた名前です。この言葉が業者によって使われていたことは、つまり韓国人の大多数が想像するような「強制連行」とは異なる形で慰安婦の募集が行われた可能性を示すものです。

また、当時軍属には軍服に似た制服が支給されましたが、普段でも制服を着ていた業者を、少女が「軍人」と錯覚した可能性は排除できません。そして彼らの態度によっては「軍人が強制的に連れて行った」とする証言はいくらでもありうると考えます。もちろん、先の公判で申し上げたように、実際の軍人による強制連行の可能性も、私は本の中で否定していません。

強制連行でなくとも、少女と女性の慰安所生活は十分に悲惨です。

なのに、長い歳月、支援団体は募集状況に関して国民とメディア、そして国際社会に向けて強制連行とのみ主張してきて、初期の間違った認識を修正しようとしませんでした。私の本はただそのことを伝え、「再び議論」することを願ってのものでしかありません。

3)軍属としての慰安婦

4回公判で説明したように、指定慰安所にいた慰安婦は「軍属」として待遇されました。そのような状況がわかる資料はこれ以外にも存在します。それだけでも、慰安婦が愛国の枠組みにあったとした私の記述が「虚偽」でないことは明白です。

しかも、私だけではなく、このような状況についてすでに知っていた研究者がいたことを、わたしは最近知りました。

例えば、「慰安婦を看護労働に従事させることは頻繁にあったこと」とし、彼女達が「文書に記載」された理由を「看護婦の仕事をしながら正式に名簿に記録して軍属待遇することが妥当だとの第7方面軍首脳部判断の結果」とし、「留守名簿に記録したということは」「援護と関連した各種処置も受けることができる」とし、「日本帝国の国民として保護を受けることができるという点もある」と、政府支援研究報告書は(『インドネシア動員女性名簿に関する真相調査』、2009)言っています。「植民地女性を相変わらず日本帝国の一単位として認識し、現地にいた日本人女性を組み入れたのと同じように、朝鮮人女性を組み入れたと見られる」というのです。先の公判で提出したように、実際に日本の国会で慰安婦を援護(支援)対象にするための論議が行われたということは、彼らの主張が正しいことを示しています。(証拠資料44)

また、ある日本の軍人が書いた本は、中国に慰安婦が8万人いたと聞いたとして、「県知事の呉錫卿氏が坐りその右に私がおり10名の女性がり囲んでいるもので、女性は着物を着ているが全部朝鮮人」(長嶺秀雄『戦場』、94ページ)と一枚の写真を説明しつつ、フィリピンの「セブ市にいた慰安婦約100名は、特殊看護婦の名で、軍の野戦病院と行動を共にしており、わが第1師団に配属されていました」とし、米軍に包囲された時も「某部隊が、陣内を右往左往している時、この看護婦部隊は毅然として動揺しませんでした(98ページ)」と書いています。

第4回公判で提出した、自分は軍属だったと言ったムン・オクジュさんの手記には慰安婦達が好きな人を「すーちゃん」と言っていたとし、ムンさんが「私たちは大概すーちゃんが一人ずついた」(証拠資料42、韓国語翻訳書87ページ)という記述があります。これも、まさにこうした関係の中で可能だったことなのです。今日この席に出られたイ・ヨンスさんもやはり、好きな人がいたと、私に話されたことがあります。(追加資料)

にもかかわらず、こうした状況を知らないまま、原告側と検察、そして一部の学者は、私の本を「例外の一般化」として、非難し続けてきたのです。

4)小説の使用について

ソウル大の金允植教授が慰安婦に関する韓国の小説に言及し、小説を「証言」とみなしたことを先の公判ですでに話しました。ところが、政府による教科書検定は違憲だと提訴した、いわゆる教科書裁判で有名な家永三郎教授も著書『太平洋戦争』で、私が使用した田村泰次郎の単行本『蝗』や『人間の条件』に触れながら、「高い資料価値が認められる」と書いています(追加資料)。なのに小説を一部使用したという理由で、私の本は「虚偽」だと言ってはばからない検察の発言は、文学に対する無知、そして慎重さに欠ける言葉がさせたものと言わざるを得ません。

7. 帰ってこられなかった慰安婦のために

裁判長、

先に申し上げたように、私もまたかなり早くから慰安婦問題に関心を持ってきました。しかし『帝国の慰安婦』で、具体的に名前を挙げて記述したのはたったひとりです。血を吐くような遺書を書き、インターネットに載せたシム・ミジャさんです。それもその方の慰安婦体験ではなく支援団体批判でしたし、誰も彼女の声を聞こうとしなかったという文脈で言及しました。

したがって、万が一私の本が慰安婦の方を非難した本であったとしても、私の本を読んで具体的に誰かを思い浮かべる人は誰もいないことでしょう。なぜなら、慰安婦体験はひとつではない、ということが私の本の主な論旨のひとつだったからです。

そのうえ多くの方が偽名を使っておられるので、たとえどんな方かを特定しようとしても、可能な構造ではありません。

裁判長、

慰安婦の戦場生活と帰還、あるいは未帰還について書いた第1章の最後に、私はこのように書きました。

「おそらく今私たちが耳を傾けなければならないのは、誰よりも彼女たちの声ではないだろうか。戦場の最前線で日本軍と最後までともにし、命を失った彼女たち―言葉のない彼女たちの声。
日本が謝罪しなければならない対象も、あるいは誰よりも先に彼女たちであるべきなのかもしれない。名前も言葉も失ったまま、性と命を「国家のために」捧げなければならなかった朝鮮の女性たち、「帝国の慰安婦」たちに。(韓国語版『帝国の慰安婦』 104ページ)

私が本を書きながらも頭から離れなかったのは、誰よりも戦場で死んでいった慰安婦たちのことです。当時も記録されず、死んでも他の軍属のように遺族が支援金を受けとることもなかった、そのような慰安婦たちです。差別を受けることを恐れて帰ってこなかった慰安婦です。

それなのにどうして私の本が、生きて帰ってきた生存する慰安婦の方を特定した本になるというのでしょう。私がこの本で考えてみたのは、日本人女性を含む、国家の無謀な支配欲と戦争によって犠牲になったすべての個人のことでした。

8. 「慰安婦の苦痛」は誰が引き起こしたのか

1)当事者が排除された代理告発

裁判長、

ところが、告訴と起訴は不当だというわたしに、原告側代理人と検察は言います。慰安婦の方がつらく感じたのだ、「慰安婦の方」が「苦痛」を感じる限り告発と起訴は当然だ、と。一部の学者さえそのように言います。最近も原告側代理人は私が「もっともらしい話術」で「慰安婦の方の胸に五寸釘」を打ちこんだと話しました。

しかし、慰安婦の方に「五寸釘」を打ちこんだのは一体誰でしょうか。私の本を歪曲して伝え、慰安婦の方に苦痛の思いをさせ、怒りを引き起こしたのは果たして誰でしょう。

私は告発直後にふたりの慰安婦の方と電話で話しました。ひとりはナヌムの家にいた方で、原告として名前が挙がっていた方です。

先に申し上げたように私はナヌムの家の一部の慰安婦の方々と親密に交流し、その中のひとりであるペ・チュニさんとは半年にわたって電話もたびたびしました。会った回数よりも電話のほうが多かったのは、ナヌムの家が私を警戒していたからです。そのためペさんもやはり、会うことに慎重でした。

ところが最も親しかったペさんは、告発の一週間前に亡くなってしまいました。そこで私は嵐のようだった告訴の衝撃が少し通り過ぎてから、ナヌムの家に住むユ・ヒナムさんに電話をかけました。この方もやはり、私と対話をしてきた方で、私が主催したシンポジウムに出る予定だった方だからです。

いったいどういうことなのかをうかがったところ、ユさんはおっしゃいました。

「(私は目が)見えないでしょう、それで(職員が)来て読んでくれたけど、強制連行ではなくて何…ただ行っただとか…まあ、読んでくれたのに、聞いたけど忘れてしまったよ」「なぜそのようなことを本に書いたの」と。(参考資料156)

この方は目が不自由で、私の顔さえはっきり見えないとおっしゃっていた方です。そしてこの言葉から、ユさん自身が読んだのではなく、慰安婦の方々を集めて職員が読んだということがわかります。また、ナヌムの家の安信権所長は今年1月の日本での講演で、慰安婦の方々は高齢で本を読めないから、一部分を抜粋して繰り返し聞かせていたと言いました。つまり慰安婦の方は全体を読んだのではなく、支援団体によって前後の文脈が切り離された、抜粋の文章だけを「聞いた」のです。

聞く行為が本にあっては間接的な行為だというのは言う必要もないでしょう。詳しく読んでも読者の数だけの読解が可能なのが一冊の本です。私のために苦しまれたというナヌムの家の慰安婦の方々の苦痛は、私が引き起こしたのではなく、ナヌムの家の顧問弁護士主導の下で行われた漢陽大法科大学院の学生たちの雑な読解と、それをそのまま伝えたナヌムの家の関係者です。

そこで私がユさんにそのような意図で書いた本ではないと言うと、「意図はそうだけれど…」と言葉を濁しました。ユさんは、私が悪い意図をもって書くような人間ではないとご存知だったからだと思います。

そして3日後、今度は一人暮らしのある方から電話がかかってきました。この方はユ・ヒナムさんから聞いたと怒っていて、そのような本ではないと説明しようとすると、「5人のソウル大教授があなたの本は悪いと言ったよ!」と繰り返し、聞こうとされませんでした。(参考資料157)

裁判長、

私に対する告訴において、慰安婦の方々は当事者ではありません。

すでにおわかりのように、本を読んだのはもちろん、告訴書類の作成、論理構成、私を告訴したすべての主体は周辺の人々です。告訴状に押されている慰安婦の方々の印鑑、同じ形の印鑑をご覧になってください(リンク)。私は、慰安婦の方々の中、2014年6月告訴以前に私の本について知っていた方はいなかったと思います。ペ・チュニさんでさえ、亡くなるまで私に告訴のことなど話していません。
私との親密な交流を知らなかったからでしょうが、ナヌムの家の所長は、ペさんも生きていれば告訴に加わっただろうと言いました。しかし、私との通話記録をご覧になれば、そのようなことなどありえないことがお分かりになると思います。

そのうえ、慰安婦の方々は検察が進めた調停課程をご存知ではありませんでした。私に日本語版の絶版という要求を含む調停案が来たとき、他のことはともかくそれは私が決められることではないと伝えて理解を求めるため、刑事告訴で原告として名前が挙がっていたふたりの方に電話をかけました。

告訴後1年も過ぎた秋の時点だったのに、そのうちのひとりユ・ヒナムさんは親しみを込めて受けてくれました。私の話を聞いて、調停問題のことは安信権所長に話しなさいとおっしゃいました。もうひとりのイ・ヨンスさんは、原告として自分の名前が挙がっていることさえ知ってはいませんでした。

ナヌムの家の安信権所長は、最近提出した嘆願書でも相変わらず嘘やいい加減な記事で私を非難しましたが、慰安婦の方々との通話内容や映像を確認すれば、なぜ彼が嘘までついて私を非難するのかがわかるでしょう。

遅きに失しましたが、告発前後に何があったのか、ようやく書き始めた私の文を御覧ください(『歴史との向き合い方』 )今も出回っている「20億懐柔説」がユ・ヒナムさんの偽証だというのも、ペさんとの通話記録を見ればわかります。そして安信権所長が繰り返し非難してきた、事前の許可なく訪ねてきたとしたNHK問題もやはり、彼の嘘であるとわかるでしょう。必要ならば、安所長と交わした携帯メッセージを提出できます。ペさんは日本人との対話を待っていた方で、記者たちは解決のために努力した人々です。

2)血を吐く声

裁判長、本裁判と関係ないような話まで長々として申し訳ありません。しかし、「法」とは正義と共同善を追求することだと理解しています。私がこのような話をするのは私自身のためでもありますが、それ以上に慰安婦の方々のためのことです。相変らず慰安婦の方々の一部は、世の中に届かない声を持っていますが、依然として世の中に送りだすことができない状況です。ペ・チュニさんとの対話から、それがひしひしとわかりました。

ペさんは、自分の経験が世の中に通用するものとは違うということを口にできず、私と対話するときも誰かが盗み聴いているのではないかと気にしていました。

同時に、支援団体の運動やケアの方法に批判的ながらも、自分の考えを思うままに話すことができませんでした。そして彼女たちの言葉を「半分は嘘」(参考資料77、16ページ)とし、慰安婦の方々の講演料が支援団体の建物に使われることに不満ながらも言えませんでした。私に会えないようにするために、体の状態が良くないのに病院からナヌムの家に無理やり移され、血を吐くように彼らに対する不満を吐露しました。亡くなる1か月前のことです。

「人は助けて命は救っておくべきじゃないか」「どんな人だって、命を救おうとすべきじゃないか」と。

その背景にどんなことがあったのか、通話記録を確認していただければありがたいです。メディアや検察がすべきことは、まさにそんなことではないでしょうか。

そうしてペさんは「敵は100万、私はひとり」と思いながら、孤独な生活の末に亡くなったのです。

実際、似たような言葉で支援団体を非難した方がかつておられました。その方の声を偶然聞いたのが、私が『和解のために』で慰安婦論を書くことになったきっかけのひとつです。2004年のことです。しかしそれから12年が過ぎても、状況は何も変わっていません。

韓国の社会は慰安婦に関心が高いです。しかし、私たちは彼女たちの心からの声を果たして聞いたでしょうか。間に合わなくなる前に、生存している方だけでも、本当の声を聞いてあげられる社会になればと思います。

裁判長、

原告側代理人は、最近提出した書類で「朴裕河の解決策がどんな説得力を持つことができるのか疑問」と言いました。

まさにこの言葉に、この告発と起訴の本質が込められていると考えます。

原告側は、すでに告訴状に明確に表れているように、ただ「異なる声」の拡散を防ごうとしました。以後のやり取りでも、彼らがこだわっているのはひたすらこの部分です。日本の「法的責任」を繰り返し主張した理由もそこにあります。

先に申し上げたように、私が会った慰安婦の方のほとんどは、なぜ解決が遅れているのかを知ってはいませんでした。ただただ、日本が何もせずにいるからだとのみ考えていました。もちろんそれは、関係者が彼女たちに情報を伝えず、当事者の多くを排除したまま自分たちがすべてを主管したからです。

私はそのようなやり方を批判しただけで、彼らの活動のすべてを批判したわけではありません。なのに私を、彼らは国家の力を借りて抑圧し、20年以上情報を共有した結果として支援団体と同じように考えるようになったメディアや国民を動員して、私に石を投げさせました。

3) 攻撃を引き起こす意識

裁判長、

彼らの攻撃は、いろいろな構造が複雑に絡み合わされたものです。

そのうちひとつだけ申し上げるなら、検事や代理人の攻撃、慰安婦は自負心を感じてはいけないと抑圧する考えは、女性差別、売春差別的な考えが生み出したのです。

それは、原告代理人が「被害者の声」として彼の書面で繰り返し記述する表現から明確にわかります。彼は絶えず日本人慰安婦に対して「娼婦」「体を売った」「達磨屋」等々の単語を引用・使用しています。そうして「自発的な売春婦」の日本人慰安婦を、強制的に、あるいはだまされて連れて行かれた朝鮮人慰安婦と私が同一視した、と非難しているのです。

しかし彼のこうした言葉こそ、日本人慰安婦たちが名誉毀損と訴えることができる発言ではないでしょうか。彼の単語の使い方には明確に売春婦に対する差別があり、名誉毀損の条件という「社会的評価を低下させる」認識が存在しているからです。

いわゆる「女工」や「売春婦」たちは、いたしかたなく生き続けた日々の苦痛の中で、1銭、2銭とためて故郷に送りました。そのお金で兄は上級学校に行き、仕事をすることができたのに、妹や姉の恋愛に干渉し、時には暴力や殺人さえいとわなかった心理こそが、長らく韓国社会で慰安婦の「異なる」声を殺してきたのです。同じ考えを内面化した女性たちもまた、韓国社会には少なくありません。

これまで私を罪人扱いし攻撃してきた原告代理人と検事、そして彼らに論旨を提供してきた活動家や一部の学者もやはり、そのような認識の持ち主です。慰安婦を抑圧し、自分の存在に何の意味も感じられないように差別し疎外させ、自殺に追い詰めたりした考えの主犯なのです。

このように私を抑圧する理由はただひとつ、そのような存在たちが自分を居心地悪くさせるからです。

裁判長、

自分たちの告発と起訴によって、また何の確認もなしに報道された記事によって、私が今も日本から金を受け取って慰安婦を懐柔しようとした売国奴であり、スカーフで首をしめて殺したくなる人物としてまで指さされているのに、私に対する非難を止めろという人が彼らの中からひとりも出てこないのはまさにそのためです。

告訴に達するもうひとつの背景には、慰安婦問題をめぐる日韓知識人の考え方の違いがあります。詳しくは申し上げませんが、参考資料とホームページに載せた告発までの経過を御覧ください。(参考資料46)

しかし、知識人間の考え方の違いが、法廷で争われるべきことでしょうか。しかも彼ら自身は現れることのない法廷で、検事と弁護士が代理してやるべきことでしょうか。

4) 攻撃の目的

ところで、彼らがこのように一貫して「自発的にいった人と被強制連行者」の差異を強調する理由はどこにあるのでしょう。どうやって行こうがおしなべて悲惨な状況であったことを、彼ら自身が誰よりもよく知っているはずなのに、差異を主張して私を非難する理由はどこにあるのでしょうか。それは、「強制連行」としなければ、彼らが初期に誤って要求してきた「法的責任」を引き続き問えないからです。自分たちの認識に誤りがあったことが明らかになるのを隠すためです。

裁判長、

支援団体は、国民やメディアが与えた市民権力、学界やメディア権力、そして国連や世界女性と市民連帯に至るまで、大きな力を持っています。支援団体の代表のひとりは、有数の学会の元会長であり、有名なマスメディアの元主筆の奥様であり、ウ・ヨンジェさんが言及した「ソウル大教授」でもあります。そして彼らの後ろには、長い歳月の運動を通して作られた固いつながりだけでなく、長官や国会議員を排出した人脈があります。さらに政府や企業、国民が集めてくれた資金があり、何より仕事をする「人」があります。

しかし、私はもっぱらひとりで、批判者たちが集団になって次々と出してくるすべての攻撃文を分析して反論を出さなければなりませんでした。その作業以上に苦しかったのは、その中に含まれる歪曲や敵愾心、根拠のない嘲笑でした。

彼らはひたすら、自分たちの考えを守るため、それまで国民に向かって行った数多くの矛盾をただ隠すため、運動の邪魔になるという理由で、それまで守ってきた権力と名誉が傷つくことなく維持できるようにするために、私を売国奴、親日派と追い立て排斥してきました。 変ることなく大衆の誤解や過度の非難を、知らぬふりをしました。

さらに、ただこの裁判で勝つために、何の根拠もなく私の本が慰安婦を「歪曲」するために資料を「意図的に」「巧妙に」「徹底して」「繰り返し使用」したとし、私に「悪辣」「残忍」「利己的」「悪意的」との単語まではばからないのです。このような態度や表現が典型的な魔女狩りの手法だということは、すでによくご存じでしょう。

裁判長、

これまで多くの資料と説明で、私の本が虚偽でないと主張してきましたが、本当はこの問題は本の問題でさえありません。

私が訴えられたのは、慰安婦の方々と私が親しく交流すること、それによりナヌムの家の問題が世の中に知られることを恐れたナヌムの家の安信権所長と、彼に同調したナヌムの家の顧問弁護士、そして慰安婦問題についてよく知らないまま、教授が指示した通りにいい加減な読解をもとに本を100か所以上めった切りにするレポートを作成した漢陽大法科大学院生の、反知性的な行為であり、謀略であり、陰湿な攻撃です。

裁判長、

「異なる」声に対する暴力的な抑圧と、それによって引き起こされた言葉に言い表せない苦しみの経験はもう私だけで充分です。

代理人は私を非難し、私を放置すれば「第ニ、第三の朴裕河」が出てくるだろうと言いました。

同じように申し上げたいです。私が言う意味での朴裕河を、いわれなき苦しみを経験する第二、第三の朴裕河を、もうこれ以上は生み出さないでください。

彼らは「厳しく処罰されずうやむやに終わっては」ならないと裁判長を脅迫までしました。彼らが私を処罰して守りたいものが何か、もう理解してくださったと信じています。

裁判長、

彼らの攻撃と告発によって私の学者生活二十数年の名誉が一瞬にしてめちゃめちゃにされ、この2年半もの間苦しみの中を生きてきました。

私は彼らの嘘と歪曲が犯罪的レベルのものと考えましたが、仮処分と損害賠償裁判所はそのような彼らの扇動を検証しませんでした。その結果として韓国の法廷を、世界の笑いものにしました。

ごく少数の人だけが私の本を正しく受け入れてくれ、苦しみながらも多くの人々に助けられてなんとか耐えてきました。告発事態でこうむったわたしの名誉毀損と心の傷は、たとえこの裁判で私が勝訴しても完全に消えることはないでしょう。

「社会的価値が低下」することが名誉毀損の定義だと聞きました。

どうか明晰な判断を下していただき私の名誉を回復させ、大韓民国に正義が生きていることを見せてくださるよう、切にお願い申し上げます。

2016年12月20日

[형사1심] ‘다른 목소리’는 처벌받아야 하는가 〈제국의 위안부〉 최후진술

허핑턴 포스트 링크 바로가기

<들어가며>

2016년12월20일, 1년 동안 끌어온 형사재판의 결심(結審)이 있었다. 이하는 그날 법정에서 읽은 최후진술 전문이다. 형사 재판에서 나는, 아직 준비공판이 진행 중이던 지난 5월 반박증거자료로 1000여매의 자료를 제출했다. 위안부에 관해 알 수 있는 증언, 수기, 기사 등이다. 위안부문제 전체를 아는데 도움이 되도록 시대순으로, 그리고 당사자/주변인/학자 순으로 배열했다.(나온 시기가 늦다 해도 저자나 발언자가 본 시대. 즉 동시대를 산사람들이 본 정황부터 배열했다. 자료 링크)

그리고 이후에, 〈제국의 위안부=식민지지배와 기억의 투쟁〉이 위안부를 명예훼손하는 책일 수 없음을 증명해 줄 다른 여러 자료들을 ‘참고자료’로 제출했다. 본문에서 ‘증거자료’ ‘참고자료’라고 쓰고 있는 것은 그렇게 구별한 두 종류 자료들을 말한다. 하지만, 참고자료들 중에도 증거자료 이상으로 중요한 자료들이 있다. 예를 들면 할머니와의 대화록이나 영상 등이다.

참고자료는 결심 이전에 160개 이상 제출했고, 이 글을 쓰면서 몇 가지 더 언급한 자료들을 ‘추가자료’라고 썼다. 본문과 함께 재판부에 제출할 예정이다. 아직 미완성인 부분이 있지만 양해해 주시면 좋겠다.

검찰은 이날, 나에게 징역 3년을 구형하면서 “역사적 사실을 의도적으로 왜곡한 점, 뉘우치지 않고 있는 점, 피해자들 명예를 심각하게 훼손한 점 등을 고려해야 한다”고 말했다. 이 말을 들으면서 깨달았는데 이들은 나의 ‘반성’을 끌어내려 한 것 같다. 나는 형사의 모든 심문에 반박할 수 있었는데, 반성의 태도를 표하지 않아 불만이었는지도 모르겠다.

하긴 검찰과 관계자들은, 기소 이전에 조정을 권유하며 ‘사과, 한국어삭제판 절판, 일본어판 삭제’를 요구했고, 나를 비난해 오던 어떤 교수는 최근에 ‘일본어판 절판’을 요구해 왔다. 그리고 내가 끝까지 응하기 어렵다고 한 건 일본어판 삭제/절판뿐이다.

그런데도 비판자들은 자신들이 무엇을 요구했는지는 말하지 않은 채, 내가 조정에서 사과를 요구했다면서 마치 할머니에게 요구한 것처럼 비난했다. 내가 요구한 건 나의 책을 왜곡해서 고소해, 전국민의 비난을 받게 만든 주변인들의 사과였다. 나는 한 번도 위안부할머니들을 비난하거나 무얼 요구한 적이 없다.

내가 이 구형에 실망하는 것은, 구형 자체가 아니다. 나의 모든 반박자료들을 봤으면서도 못 본 척하고 중죄를 내려 달라고 말할 수 있는 검사의 몰양심이다. 물론 그 배후에 있는 것은 할머니들이 아니라 주변인이다.

이 구형은 사실, 왜곡과 무지로 점철된 논리를 검사에게 제공해 앵무새처럼 대변하도록 만든 일부 ‘학자’들의 것이다.

<형사재판 최후진술>

존경하는 재판장님,
형사재판이 시작된 지 벌써 일 년이 되어 갑니다. 그동안, 저에게도 가능한 한 발언권을 주시고, 저의 설명에 귀를 기울여 주시면서 공정하게 진행해 주신 데 대해 먼저 깊은 감사말씀 드립니다.

1. 고의성(犯意)이 있었다는 주장에 대해 | 〈제국의 위안부〉를 쓰기까지

먼저, 제가 〈제국의 위안부 | 식민지지배와 기억의 투쟁〉을 쓰게 된 경위에 대해 말씀드리고자 합니다.

1) 저는 25년 전 유학 막바지 무렵에, 도쿄에 증언을 하러 오신 위안부 할머니들을 위한 통역을 자원봉사로 한 적이 있습니다. 그리고 하얀 치마저고리를 입고 울부짖는 할머니의 증언을 들으며 눈물 흘린 경험이 있습니다. 이때부터 위안부 문제는 이 25년 동안 저의 머리 속을 떠난 적이 없습니다.

귀국 후에는 위안부문제를 둘러싼 운동방식에서 모순을 보거나, 운동에 다가갈 특별한 기회도 없었기 때문에 오랫동안 지켜보기만 했지만, 10년 전에 위안부문제에 관한 첫 책을 쓰게 될 때까지, 수요집회에 참여하거나, 나눔의집에 찾아가 할머니들과 대화를 나눈 적도 있습니다.

2) 세월이 지나 2004년에, 민족주의를 넘어 한일문제를 논의하는 한일지식인 모임을 만들게 되었는데, 제가 이 모임을 만들게 된 가장 중요한 계기도 사실 위안부문제에 있었습니다. 일본의 문제적 교과서를 반대하는 모임 대표이기도 했던 고모리 요이치 도쿄대 교수와 의기투합해 모임을 만들면서, 제일 먼저 함께해 주기를 부탁했던 이가 일본을 대표하는 여성학자 우에노 치즈코 교수였던 것도 그래서이기도 합니다.

그리고 다음 해에, 오랜 세월 역시 위안부 해결을 위해 앞장서 활동해 왔던 와다 하루키 교수와 우에노 교수를 같이 초청해 서울에서 심포지엄을 했습니다.이때 저는 이 분들의 발제에 대한 토론을 위안부 지원단체인 한국정신대문제대책협의회의 사무국장을 맡고 있던 윤미향씨에게 부탁했습니다. 그 이유는, 정대협이 와다 교수가 중심적으로 활동한 아시아여성기금을 비난해 왔기 때문에, 이들 간의 접점을 찾아보고자 했던 것입니다. (이 내용은 2008년에 나온 〈한일역사인식의 메타히스토리〉라는 책에 수록되어 있습니다) 하지만 이 때 윤미향씨는 기존의 주장만을 되풀이했고 결국 접점은 찾을 수 없었습니다.

3) 실은 저는 그 심포지엄을 열기 직전에 〈화해를 위해서 | 교과서 /위안부/야스쿠니/독도〉라는 책을 냈었습니다. (위안부문제 관련은 2장. 재판부 기제출 참고자료 98. 이하 ‘참고자료’로 표기) 정대협의 운동방식과 함께, 그동안 알려지지 않았던 ‘또 다른’ 위안부 할머니들의 목소리를, 보다 많은 사람들이 알고 이 문제를 다시 생각해 보기를 바랐기 때문입니다.

제가 이 책에서 강조한 것은, ‘대립 중인 문제를 풀려면 우선 그 문제에 대한 정확한 정보가 필요하다. 지원단체가 언론과 국민에게 내보내는 정보가 정확하지 않고 일관성이 없으니 우선 정확히 알자. 그리고 나서 다시 논의했으면 좋겠다.’는 것이었습니다.

그리고 한국사회는 저의 책을 별 거부반응 없이 받아 주었습니다. 몇몇 언론의 리뷰를 얻을 수 있었고, 다음해에는 문광부 우수교양도서로 지정되기도 했습니다. (참고자료 86,87)

4) 〈화해를 위해서〉가 일본어로 번역되면서 일본에서의 발언기회도 많아졌는데, 그때마다 저는 위안부문제 해결에 일본이 다시 나서야 한다고 말했습니다. 1997년에 만들어진 일본의 아시아여성기금은, 2003년에 여러나라의 전 위안부들에게 일본수상의 편지와 함께 보상금을 지급한 후 2007년에 해산했고, 그 이후로 위안부문제에 대한 일본의 관심이 급격히 식어갔다고 느꼈기 때문입니다.

예를 들면 2010년, 한일합방 100주년이 되던 해, 일본정부는 물론 한국정부조차 위안부문제에 대해 언급하지 않던 때입니다만, 저는 일본 언론을 향해 그 해에 ‘일본이 가장 먼저 해야 할 일은 위안부문제’라고 썼습니다(참고자료 59. 교도통신 칼럼. 2010)

5) 그리고, 다음 해인 2011년 겨울, 역시 일본매체에, 위안부문제에 대한 글, 일본의 우익과 정부와 지원단체를 각각 비판하는 글을 연재하기 시작했습니다.(web Ronza. 2011/12~2012/6) 2년 후에 한국에서 먼저 책으로 나오게 된 〈제국의 위안부〉에는 이때 연재한 글도 한국어로 번역해 실었습니다.

다시 말해, 〈제국의 위안부〉는, 위안부문제에 무관심했던 일본을 향해, 위안부문제를 다시 환기시키고, 해결에 나서야 한다고 말하기 위해 쓰이기 시작한 책입니다. 일본뿐 아니라 한국도 이 문제를 다시 생각하는 일이 시급하다고 생각해서, 책으로 먼저 나오게 된 건 한국이지만, 바로 그 이유 때문에, 원래는 한일 양국에서 동시에 내려고 했던 것입니다. 위안부문제를 위해 오래 애써온 일본의 와다 하루키 교수가 제가 고발당하자 ‘일본에서 위안부문제를 환기시키는 순기능’이 있다고 언급한 것은 저의 노력이 헛된 것만은 아니었다는 것을 증명합니다.(기사 링크)

6) 아직 글을 연재 중이던 2012년 봄, 이번에는 일본에서 제가 2005년에 시도한 것과 같은, 똑같이 이 문제를 해결하고자 하지만 방법에서 의견이 다른 이들을 불러 접점을 찾아 보고자 하는 취지의 심포지엄이 있었습니다. 저도 와다 교수와 나란히 초청받아 와다 교수와 비슷한 입장에서 의견을 말했습니다. (참고자료 162)

이 심포지엄의 타이틀이 〈위안부문제 해결을 위해서〉였고, 주최한 사람들이 한국에서 정대협활동을 했거나 일찍부터 위안부문제에 대한 관심을 가져 한국 정대협 첫 대표인 윤정옥 교수와도 친분이 있던 여성학자였다는 것은, 그들이 저의 입장을 와다 교수와 비슷한, 다시 말해 위안부문제 해결을 위해 나름대로 노력해 온 인물로 이해해 주었다는 것을 말해 줍니다.

7) 2012년 봄, 일본이 시도한 사죄보상 움직임을 청와대 인사가 지원단체에의 반대를 미리 신경 쓰면서 위안부당사자는 물론 지원단체에게 말하는 일조차 없이 거부한 기사를 보고, 저는 이대로 가면 위안부문제 해결은 영원히 없겠다고 생각했습니다. 그래서 한국을 향한 글을 더 쓰기 시작했고 이미 쓴 일본어 글도 번역해 넣었습니다. 그것이 1년 뒤, 2013년에 발간된 〈제국의 위안부〉입니다.

이 무렵 저는 연구년을 맞아 일본에 있었는데, 이 기간 동안 오래 교류해 온 여러 학자들과 위안부문제 해결을 위한 논의를 자주 했고, 돌아오기 직전에는 도쿄대학에서 또 다시 접점을 찾기 위한 세미나를 열기도 했습니다.

고발 직후 기고와 다른 글들에 쓴 것처럼(참고 45-50), 〈제국의 위안부〉에서의 저의 관심은 기존 ‘상식’을 재검토하고, 그에 기반해 ‘또 다른 해법’이 있는지 고민하는 데에 있었습니다. 그 고민을 함께 나누는 일을 통해, 위안부문제에 대한 관심이 많은 한국인들의 진정한 관심과 이해가 깊어져서, 더 많은 이들이 납득할 수 있는 해결책을 찾고 위안부할머니들을 하루라도 빨리 편안하게 해 드리는 일이었습니다.

그리고 책에서의 구체적인 제안은, 그저 ‘위안부할머니들의 다양한 목소리가 위안부담론과 해결을 위한 논의에서 배제되어 있으니 당사자를 포함한 한일협의체를 만들고 일본과 대화하자’는 것이었습니다.

재판장님.
위안부문제에 대해 알게 된 이후, 이 문제에 관한 저의 관심과 행동과 집필은 전부 위안부할머니들을 위한 것이었습니다. 또한, 기존 상식에 이의를 제기하는 것은, 학자의 당연한 본분이자, 한국에 거주하면서 일본을 가르치는 일본학 전문가로서, 의무라고 생각하기도 했습니다. 무엇보다, 사태를 정확히 알아야만, 생산적인 대화가 시작되고 올바른 비판도 가능하다는 것이, 한일관계 관련 첫 책을 내놓을 때부터 저의 일관된 생각이었습니다. 〈제국의 위안부〉는 그런 생각에서 쓴 책입니다.

2. ‘위안부 할머니를 비난하는 일본의 우익을 대변한다’는 주장에 대해 | 일본의 평가

그런데 원고 측 대리인과 검찰은, 저의 책에 일본의 책임을 무화시키려는 의도가 있다고 비난합니다. 저의 책이 일본우익을 대변했고 아시아태평양전쟁을 미화했다는 거짓말에 더해, 위안부문제해결에 ‘해악’이 되는 책이라고까지 합니다. 〈제국의 위안부〉 분석을 학생들을 동원해 시켰던 나눔의 집 고문 변호사는, 오래 전 책인 〈화해를 위해서〉가 청소년 유해도서라면서 당시의 〈우수 교양도서〉 지정을 취소시키려는 운동에까지 나섰습니다.

하지만 지원단체가 고발하기 전까지는, 〈제국의 위안부〉역시, 기대 이상의 호응을 얻은 바 있습니다. (참고자료 5-12, 신문서평 등)

중요한 건, 제가 일본의 책임을 무화시키려 한다고 원고 측으로부터 비난당한 그 일본에서, 저의 책이 어떻게 받아들여졌는지일 것입니다. 결론을 먼저 말씀드리자면, 저의 책을 높이 평가해 준 것은, 원고 측이 말하는 것처럼 책임을 부정하는 일본우익이 아니라, 일본의 책임을 누구보다 깊이 인식해 온, 이른바 양심적지식인과 시민들입니다.

그건 우선, 2014년 가을에 일본어판이 나온 이후 가장 먼저 서평을 써 준 곳이 이 문제에 오랫동안 가장 많은 관심을 기울여 온 아사히신문이고, 아사히보다 더 진보적이라는 평을 받는 도쿄신문, 그리고 중도적인 마이니치 신문 등이 서평, 칼럼, 사설 등을 통해 긍정적으로 언급해 주었다는 사실이 보여 줍니다.

그런 글들이 저의 책을 어떻게 평가했는지, 원고 측의 거짓말을 밝히기 위해 심사평, 학자와 작가 등의 말을 일부 읽어 보겠습니다.

“군으로 대표되는 공권력에 의해 납치되어 성적봉사를 강요당한 수많은 피해자의 목소리에 귀를 기울이려는 자세의 뒤에는 단순한 전시하의 인권침해로 보는 견해보다도 식민지주의, 제국주의로까지 시야를 넓혀 문제를 파악하는 날카로움이 있다. 그것은 전시하의 인권침해적 범죄라는 이해보다도 엄중한 물음을 품고 있다. 박유하는 과거를 미화하고 긍정하려고 하는 역사수정주의자의 시점과는 정반대의 시선을 위안부피해자에게 쏟고 있는 것이다”(나카자와 게이, 작가, 호세이대 교수, 웹론자 2016년 1월 18일)

”여성을 수단화 물건화 도구화하는 구조에 대한 강한 비판과 함께 그 안에서 인간으로서 살아가는 사람들에 대한 공감을 표한다. 이것이 이 책의 중심축이다.”(다나카 아키히코, 도쿄대 명예교수, 아시아태평양상 특별상 심사평, 2015) (참고자료 71,72)

“이 책의 평가해야 할 점은 제국, 즉 식민지지배의 죄를 전면에 끌어낸 데 있다”(우에노 치즈코, 도쿄대 명예교수, 2016/3/28 도쿄대 연구모임 자료집 “위안부문제와 어떻게 마주할 것인가 -박유하 교수 저서와 평가를 소재로”에서)

“거시적인 규정성을 주시하면서도 미시적인 사람들의 삶의 모습들을 살펴보는 것이야말로 여기에 존재하는 중간적 차원의 상황을 꼼꼼하게 보아 가는 것이 식민지지배를 생각하는 시각이 아닐까. 그렇게 하지 않으면 식민지지배 폭력성의 진짜 모습은 보이지 않는다는 현재의 식민지연구의 하나의 흐름을, 박유하는 잇고 있다고 생각한다”(아라라기 신조 조치대학 교수, 2016/3/28 도쿄대 연구모임 자료집 “위안부문제와 어떻게 마주할 것인가 -박유하 교수 저서와 평가를 소재로”에서)

“일찍이 구미를 추종했고 강자로서 아시아를 지배한 일본은, 타자를 지배하는 서양기원의 사상을 넘어서서 국제사회를 평화공존으로 가져갈 가치관을 보여 줄 수 있을 것인가? 한국의 이해를 얻으며 도전하고 싶다”
“이제 물음은 일본을 향하고 있다” (야마다 다카오 마이니치신문 특별편집위원, 마이니치 신문 2015년 7월 27일)

이상이 〈제국의 위안부〉에 대한 일본평의 일부입니다.

그런데도 검찰과 원고대리인은, 아니 그들에게 정보를 제공한 이들은, 그동안 한국이 일본사정을 잘 모른다는 것을 이용해 완전히 사태를 반대로 왜곡해 전달해 왔습니다.

그들이 말하는 대로 일부 우익이 자신들이 하고 싶은 말을 위해 저의 책을 이용하는 경우도 없지 않았지만, 극히 미미한 수준입니다. 그 어떤 보수 신문도 이 책의 서평을 게재하지 않았고, 물론 상을 주겠다는 곳도 없었습니다.

그런데도 이 책이 두 개의 상을 수상하자 뒤이어 기소가 이루어졌습니다. 그리고 곧바로 일본을 대표하는 지식인들이 기소반대 성명을 내자, 이미 〈화해를 위해서〉 일본어판이 나왔던 2007년 무렵부터 저를 비난해 온 재일교포연구자와 일본인들을 포함한 연구자와 운동가들이 저의 책을 왜곡해 가며 격하게 비난하기 시작했습니다. 그러자 이를 보다 못한 일본의 지식인들은 다시 이렇게 말해 주었습니다

“제국의 위안부는 민족과 젠더가 착종하는 식민지지배라는 큰 틀에서 국가책임을 묻는 길을 열었다” (가노 미키요 게이와가쿠인대학 교수, 2016/3/28 도쿄대 연구모임 자료집 “위안부문제와 어떻게 마주할 것인가 -박유하 교수 저서와 평가를 소재로”에서)

“이러한 구조 야말로 식민지지배와 전쟁의 커다란 죄악, 그리고 여성의 비애였다고 나는 생각한다. 나는 박유하씨가 동지적관계라는 말에 담긴 의미를 그렇게 해석”(와카미야 요시후미 전 아사히신문 주필, 2016/3/28 도쿄대 연구모임 자료집 “위안부문제와 어떻게 마주할 것인가 -박유하 교수 저서와 평가를 소재로”에서)

“일본을 면죄하는 것이 아니라는 것은 선입견을 빼고 전체를 읽어 보기만 한다면 생길 리가 없다. 그런데도 일본의 면죄에 이용하는 것이라는 일부사람의 독해는 명백히 오독이며 이 책을 악용하는 것”
“이러한 측면의 강조는 식민지지배에 대한 보다 깊은 이해의 길을 열어 줄지언정, 일본의 면죄를 끌어내거나 하는 일은 없다”(니시 마사히코 리츠메이칸대 교수, 2016/3/28 도쿄대 연구모임 자료집 “위안부문제와 어떻게 마주할 것인가 -박유하 교수 저서와 평가를 소재로”에서)

라고 말입니다. 말하자면, 이들은 한결같이 제국의 위안부 안에 있는 일본에 대한 비판을 제대로 읽어 주었고 바로 그 부분이 저의 책이 일본에서 평가받은 이유입니다.

그리고 위안부문제 해결 역사에서 저의 책이 어떤 의미가 있는지에 대해 논문으로 써 주거나 저와 대담을 나눈 학자도 있습니다(참고자료: [위안부 문제가 조명하는 일본의 전후] -이와사키 미노루, 오사 시즈에 <주간 금요일> 편집위원 특별 대담: 박유하). 또 이들 이외에도 비슷한 시각으로 제국의 위안부를 옹호하는 글모임집인 책이 내년 봄에 나온다고 듣고 있습니다.

저의 책이 위안부할머니를 ‘명예훼손하는 책이 아니다’라는 내용의 일본지식인들의 기소반대 성명에, 고노담화를 발표한 고노 전 관방장관, 무라야마담화를 발표한 무라야마 전 수상, 그리고 일본의 양심적 지식인을 대표하는 노벨상 작가 오에 겐자부로 등이 동참해 준 것(참고자료 73-1,2)은 그들의 저의 책을 올바르게 평가해 주었기 때문입니다.

고발 직후, 아직 책이 일본어로 번역되기 전에도, 자국을 비판해 온 일본의 대표적 사상가 가라타니 고진 선생이 저에 관한 메시지를 가처분 재판부에 보내 준 것도(참고자료 140), 저의 그간의 작업에 대해 잘 이해하고 있었고 공감해 주었기 때문이라고 생각합니다.

그런데도 원고 측 대리인과 검찰은, 제가 일본의 책임을 부정하고 면죄하려 한다고 주장합니다. 물론 그들이, 본 사건 논점과 관계가 없음에도 불구하고 그런 주장을 되풀이하는 것은, 제가 일본 돈을 받고 위안부 할머니를 회유하는 인물이라는 거짓말을 퍼뜨렸던 것과 마찬가지로, 저에 대한 세간의 인식을 나쁘게 만들어, 제가 위안부할머니를 명예훼손하는 ‘고의’가 있는 인물인 것처럼 보이게 하기 위한 것입니다.

3. 위안부를 폄훼하는 책이라는 주장에 대해 | 한국의 평가

재판장님, 하지만 저의 책이 결코 위안부할머니를 명예훼손하는 책일 수 없다는 것은, 책을 쓰기까지의 경과와, 그리고 2013년 책 발간 직후의 한국사회의 반응만으로도 충분히 이해해 주시리라 생각합니다.

그리고 고발 이후에도, 일일이 다 찾아보지 못할 만큼 쏟아져 나온 시민/지식인들의 탄원서, 성명, 서평, 페이스북, 유력잡지 특집 등에서의 발언/글과, 진실을 전하고자 한 기자들의 서평과 기사가 보여 주고 있습니다. (참고자료 4-34,36-44,66-2, 73-1,2, 75, 76-1-10, 79-85,91-95, 124-139, 142-155.)

고발을 문제시하는 시민들이 페이스북에서 모여 지지하고 응원하는 모임을 만들었고, 페이스북에 〈제국의 위안부, 법정에서 광장으로〉라는 페이지를 개설하여 저에 대한 오해를 풀기 위해 노력해 주었습니다. 이 페이지에, 현재까지 2000명 가까운 사람들이 호응해 주었습니다. 또한 어제, 저를 위한 탄원서가 한 젊은 평론가에 의해 새로 작성되어 동참자들의 서명을 받고 있는 중입니다. 숫자는 결코 많지 않겠지만, 저는 그런 분들이 있기에 이 나라를 떠나고 싶다는 생각 없이 견뎌왔습니다.

재판장님,
저를 위한 탄원이나 언론에 글을 써 준 분들이 주로 텍스트를 읽고 분석하고 쓰는 일을 업으로 하는 한국문학자, 평론가, 작가 등이라는 사실에 주목해 주시기 바랍니다.

많은 이들이 읽어 주기를 바라 일반서로 쓰기는 했지만, 사실 저의 책은 내용도 문체도 단순하지는 않습니다. 따라서 중요한 건 사실 여부 이전에, 책에서 제가 무엇을 말하고 있는지에 대한 정확한 파악일 것입니다. 우리는 그것을 독해력이라고 합니다. 그 독해력에서 한국에서도 손꼽힐 만한 뛰어난 분들이, 저의 책을 정확히 읽어 주시고 옹호해 주셨던 것입니다.

원고 측 대리인과 검찰은 저의 ‘의도’까지 의심하며 책을 왜곡했지만, 저의 책이 그들이 말하는 것 같은 책이었다면, 발간 직후에 그냥 무시당하거나, 언론이 이들보다 먼저 앞장서서 비난했을 것입니다.

고발 이후는 물론 고발 이전에 나온 비판들에 대해 저는 이미 대부분 대답했습니다. (이재승, 젊은 학자들, 정영환에 대한 답변. 참고자료 62-1-4,102-105. 106, 110, 링크) 지원단체뿐 아니라 학자들마저 어떤 거짓말을 했는지, 다독가로도 유명한 한 작가와 제가 반박한 자료를 봐주시기 바랍니다. (참고자료 110, 132) 아직 완전한 형태가 아닌 글도 있지만, 그들이 어떤 왜곡을 했는지 아실 수 있으리라 생각합니다.

4. 다른 목소리의 억압 | 고발 이유

그런데 원고측 대리인들은 왜, 발간 이후에 10개월 동안이나 침묵하다가 갑자기 고발을 한 걸까요?

그 직접적인 이유는 두 가지가 있습니다. 하나는 할머니의 목소리를 세상에 전하기 위해 유지들과 함께 연 2014년 봄 심포지엄입니다. 그리고 고발을 앞당긴 것은 책을 낸 이후 제가 나눔의 집에 거주하시는 분을 비롯한 할머니들 중 가장 가까웠던 분이 돌아가셨기 때문으로 생각합니다. 실제로 이들의 고발장에는, 〈 화해를 위해서〉와 심포지엄에 대해 언급하면서, 박유하의 향후 활동을 막아야 한다고 쓰여 있었습니다. (참고자료 링크)

이들은 제가 할머니들과 만나는 것을 막고 싶었던 것입니다. 이들이 책의 가처분과 함께 위안부 할머니에 대한 접근금지 가처분까지 신청한 이유는 거기에 있습니다. 그렇게 할머니와의 만남을 독점했으면서도, 이들은 저의 책에 생존 할머니의 목소리가 없으니 알맹이가 없다고 주장합니다.

하지만 제가 책을 쓸 때 할머니를 만나지 않은 것은, 할머니들의 증언이 시간이 지나면서 초기와 달라진 경우가 없지 않았기 때문에, 예전에 나온 증언집 등이 현재의 증언보다 사태파악에 훨씬 도움이 된다고 생각했기 때문입니다. 또한 한일관계가 나날이 험악해져가고 위안부할머니들이 세상을 뜨는 가운데 하루라도 빨리 책을 세상에 내보내 다시 논의해야만, 위안부문제가 해결된다고 생각했기 때문이기도 합니다. 물론 그 이전, 오래 전에 만난 분들의 기억은 제 안에 오롯이 남아있었습니다.

책을 내고 나서 위안부할머니들을 만나기 시작한 것은, 사죄 및 보상에 관해서 할머니들이 어떤 생각을 가지고 있는지 직접 듣고 싶었기 때문입니다. 하지만 연락처를 쉽게 알 수도 없었고, 정대협의 수요시위에 나오는 분들은 접근이 철저하게 차단되어 있었습니다. 그런 제한 때문에, 만날 수 있었던 건 결국 몇 분 되지 않지만, 만난 분들은 저 자신이 놀랄 만큼, 제가 책에 쓴 지원단체 비판이 다름 아닌 할머니들 본인들의 생각이기도 했다는 것을 알려 주었습니다.

한 할머니는 저에게 이렇게 말씀하셨습니다.

‘일본에서 진짜 하려면, 할머니한테 직접 사죄하고 할머니한테 직접 돈을 손에 쥐어줘야지, 왜 정대협을 끼고’ 진행하느냐면서, ‘입법 하겠소 무슨 법 하겠소…… 그런 거 다 소용없으니까. 할머니들하고 이렇게 직접, 우리 주소 있고 전화번호 있고 계좌번호 있지 않아요, 그거 불러달라’고 하면서 상대를 하면서, 할머니들이 ‘이 방식으로 우리가 준비했으니까 할머니들이 받으시고 싶으신 분이 받아가세요.’ 하면, ‘이제 우리 둘 다한테 안 받는 사람은 이걸로 끝난다. 하면 다 받을 거예요. 그렇게 꼭 해주세요.’라고 말씀하셨습니다. (참고자료 65, 위안부 할머니 영상)

또다른 분은 제가 아시아여성기금에 대해서는 아시는지, 일본의 어떤 사죄와 보상을 원하시는지, 법적책임에 대해서는 아시는지 묻자, ‘법적이고 뭐고 그런 건 우리는 모르고, 다 떠나서 우선은 보상해줬으면’ 좋겠다고 말씀하셨습니다. (하점연 할머니. 2014년 심포지엄 영상, 참고자료 166)

말하자면, 20년 이상 지원단체들이 ‘할머니의 생각’이라면서 주장해 왔던, 또 검찰이 본사건의 쟁점과는 아무런 관계가 없음에도 제가 부정한다고 비난해 온, 일본의 ‘법적책임’에 대해, 전혀 인지하지 못하고 계신 분들이 적지 않았던 것입니다. 제가 일본에서 20억을 받아주겠다 했다고 위증하신 유희남 할머니조차, 정말은 저에게, 정대협을 비판하면서 보상만 해 주었으면 좋겠다고 하셨습니다.

그래서 저는 그런 목소리를 세상으로 내보내기로 했던 것입니다. 책을 낸 다음 해 봄인 2014년 4월 말에 연 ‘위안부문제 제3의 목소리’라는 제목의 심포지엄에서입니다.(참고자료 35, 영상자료 추가)

일본에서 와다 하루키 교수, 부산에 계신 지원단체장, 그리고 제가 발제한 이 심포지엄은 실은 제가 비용을 부담한 심포지엄이었습니다.

물론 결코 돈이 많아서가 아닙니다. 그럼에도 그 일은 필요하다고 생각했고, 개인적으로는 큰 부담이었지만 묻혔던 할머니들의 목소리가 세상에 전해지고 그 목소리를 들은 이들이 논의를 새로 시작해 준다면, 그만큼의 가치는 있다고 생각했기 때문입니다. 그리고 기대 이상으로, 처음으로 공적인 장에 나타난 ‘다른’목소리들에, 한일 양국언론은 크게 주목해 주었습니다. (링크)

그런데 이때의 영상을 보시면 아시겠지만, 여기에 나오는 위안부할머님들은 전부 얼굴을 모자이크 처리하고 목소리도 변조되어 있습니다. 그건 물론 이분들 자신이, 자신이 누구인지 알려지는 것을 두려워하셨기 때문입니다.

도대체 왜 그런 일이 일어나야 했던 걸까요? 왜 그분들은 자신의 생각을, 시위에 나오시는 다른 분들처럼 당당하게 얼굴을 드러내고 말하지 못했던 걸까요?

물론 우리는 그 이유를 압니다. 그런 발언들이, 지원단체에 의해 금기시되어 있었기 때문입니다. 할머니들의 두려움이, 직접적으로는 금기를 깼을 경우의 불이익에 있다는 것도 두말할 필요가 없는 일입니다.

재판장님,
6개월간에 걸친 통화기록이어서 길지만, 참고자료로 제출한 배춘희 할머니의 녹취록을 읽어 봐 주시기 바랍니다.(참고자료 77) 저와 통화하면서 할머니가 자주, 직원 등이 몰래 듣고 있는지 여부에 늘 신경을 쓰고 계시는 모습도 확인할 수 있을 것입니다.

제가 이런 이야기를 하는 것은, 제게 할머니를 비난하려는 고의 같은 것이 있을 이유가 없다는 말씀을 드리기 위해서지만, 나중에 말씀 드리는 것처럼, 할머니들 역시 이 문제에 관한 담론에서 결코 자유롭지 않다는 사실을 아는 일이야말로 이 사태에 대한 올바른 판단을 가능하게 해 줄 것이라고 생각하기 때문입니다.

지원단체 관계자들이 외부유출을 막으려 했던 건 할머니들의 사죄와 보상 관련 생각만이 아닙니다. 그들이 오랫동안 언론과 국민을 향해 말해 온 이야기, 이미 하나의 이미지로 굳어진, ‘군인에게 강제로 끌려간 소녀’라는 이미지에 균열을 낼 이야기야 말로, 이들이 저를 고발까지 해 가면서 막으려 했던 내용입니다.(정대협도 고발을 검토했다고 들었습니다)

지난 공판에서 이미 보신 것처럼, 배춘희 할머니는, 동원정황과 위안소에서의 생활과 조선인 위안부에 대해서, ‘강제연행은 없었다고 생각한다. 위안부는 군인을 돌보는 사람이었다. 에프론(국방부인회 제복) 두르고 군인을 위한 천인침(하얀 천에 천명의 여성이 놓은 바늘땀을 받는 일. 군인의 무운장구를 비는 부적 같은 것) 을 받았다. 일본을 용서하고 싶은데 그런 말을 할 수가 없다.’고 말씀하셨습니다. (증거자료 4 외)

그리고 당신은 일찍 부모를 여의고 할머니와 살다가 스스로 직업소개소에 가셨다고 했습니다.(참고 77). 그러면서 ‘일본정부에서 절대로 그런 짓 안 했다.’, ‘일본사람이 잡아가고 그런 건 없다'(증거자료 77, 90쪽)고까지 말씀하셨던 것입니다. 너무 단정적이셔서, 오히려 제가 다른 여러 케이스도 있지 않겠느냐고 말씀드렸을 정도입니다.

위안부 동원에 사기적 수법이 많이 사용되었다는 것은 이미 알려진 사실입니다. 그런데 속인 것은 일본군이아니라, 업자뿐 아니라 직업소개소이기도 하다는 것이 기제출 증거자료에 나와 있습니다. 그래서 당시의 경찰도 문제시하고, 여성들이 속아 팔려가는 일이 없도록 단속했던 것입니다. (증거 3-1)

제가 만난 몇몇 분의 목소리를 통해, 저는 오로지 증언집에 의거해서 쓴 저의 책이, 생존 할머니들의 목소리를 나름대로 대변한 것이었다고 확인할 수 있었습니다.

나아가, 이들이 말하는 생존해 계신 할머니 나눔의 집의 다른 분들 구술록을 보면, 원고 측이 제출한 자료입니다만, 이른바 ‘군인이 강제연행’한 분은 단 한 분도 안 계십니다. 이옥선 할머니는 모르는 조선인에 의한 납치, 김군자 할머니는 수양아버지에 의한 인신매매, 김순옥 할머니는 아버지가 종용한 인신매매, 강일출 할머니는 형부에 의해 ‘보국대’라는 이름으로 가게 된 케이스, 박옥선 할머니는 스스로 갔는데 속은 케이스입니다.(증거 자료 50) 강일출 할머니가 ‘보국대’에 갔다고 말씀하신 건, 이분들이 모집 당시부터 ‘애국’의 틀에서 동원되었음을 보여 줍니다.

재판장님, 제가 〈제국의 위안부〉를 통해 시도한 일은 오로지, 그런 분들, 자신의 체험을 드러내놓고 말하지 못하고, 말했으나 잊혔던 목소리를 그저 복원하고, 세상사람들이 들을 수 있는 공간으로 내보내는 일이었습니다.

물론 그런 목소리만이 진짜 진실이라고 말하기 위해서가 아닙니다. 위안부할머니들을 둘러싼 일임에도 위안부문제가 당사자의 일부를 점점 제쳐놓고 진행되는 것을 보면서, 자의 반 타의 반으로 침묵하게 된 분들의 목소리도 일단 들어야 한다는 것이 저의 생각이었습니다. 그리고 당사자들 간의 생각이 다르다면, 주변사람들도 함께 다시 생각해 보자, 오로지 그것뿐이었습니다. 앞서 말씀드린 심포지엄에서도 그런 내용을 제안했습니다.

그리고, 저의 진심이 어떤 곳에 있었는지, 배춘희 할머니는 정확히 간파해 주셨습니다. 저는 결국 할머니를 세상으로 당당하게 불러내 드리지 못했지만, 그런 제게 “선생님 마음은 내가 알고 있다.”(자료 77, 55쪽) “신세만 지고 있다.”(같은 자료 68쪽)고 해 주셨던 것입니다. 그리고 그 말씀은, 지금도 제겐 위안과 함께 죄송한 마음을 불러 일으킵니다. (참고자료 113-118, 링크)

하지만 그 이후, 저는 더이상 그런 활동을 이어갈 수 없었습니다. 저와 가장 긴밀한 대화를 나누었고 심포지엄에도 영상으로 목소리를 내보내 주셨던 배춘희 할머니가 심포지엄 후 한 달여 만에 돌아가셨고, 저 또한 그로부터 불과 일주일 후에 고발을 당했기 때문입니다.

5. 검찰/원고 측의 오독

재판장님,
〈제국의 위안부〉가 허위가 아니라는 사실을 증명하기 위한 자료는 이미 지나칠 만큼 충분히 제출했다고 생각합니다. 하지만 중요한 점을 조금만 더 보충해 보겠습니다. 먼저 검찰이 문제 삼는 ‘긍지’와 ‘동지적 관계’에 대해 다시 한 번 간단히 설명하겠습니다.

1) ‘긍지’의 대상

우선 이들의 의도적 혹은 무의식적 오독에 관해서입니다.

검찰은 저의 책이 ‘자긍적 애국심’을 말했다고 말합니다. 하지만 저는 책에 그렇게 쓴 적이 없습니다. 〈제국의 위안부〉에서 ‘긍지’, ‘자긍’이라는 단어는 전부, ‘애국’ 자체라기보다 그 어떤 역할이건 자신이 필요시되는 공간에서 느낄 수 있는, 자신의 존재가치에 대한 자긍심이라는 의미로 사용하고 있습니다. 예를 들면 저는 이렇게 썼습니다.

그것은 분명 부조리한 국가의 책략이었지만, 외국에서 서러운 음지생활을 하던 그들에게는 그 역할은 자신에 대한 긍지가 되어 살아가는 힘이 되었을 수 있다. 그런 사회적인 인정은 고통스러운 하루하루를 잊고 삶의 끈을 이어가기 위해서도 필요했을 것이다. “싱가포르 근처에는 거의 6000명의 가라유키상이 있었고 1년에 1000달러를 벌었는데, 그 돈을 일본인들이 빌려 상업을 했”다는 이야기는 해외의 가라유키상들이 일본 국가의 국민으로 당당할 수도 있었다는 것을 보여준다.

가라유키의 경우이지만 이 글에서 중요한 건 긍지라는 감정자체일 뿐, 그 내용이 아닙니다. 저는 분명히 긍지가 되는 건 그 ‘역할’이라고 말했고, ‘사회적인 인정’이라고 고쳐 설명했습니다. 그리고 ‘국민’으로서 당당할 수 있었다고 썼습니다. 다시 말해, 가난과, 딸을 파는 가부장제와, 혹은 ‘매춘녀’로 사회의 지탄과 차별을 받던 위치를 떠나 “국민”의 한 사람으로 동등하게 취급받는 일에 따른 감정자체가 제가 말한 ‘긍지’입니다. 하는 일의 내용이 무엇이건 , ‘자기존재를 긍정하는 감정’, 저는 그것을 긍지라고 말했던 것입니다. 긍지의 대상은 애국심이 아니라 자기자신입니다.

다른 글에서도, “그녀들이 ‘황국신민서사’를 외우고 무슨 날이면 ‘국방부인회’의 옷을 갈아입고 기모노 위에 띠를 두르고 참여한 것은 어디까지나 ‘국가가 멋대로 부과한 역할'” 이라고 분명히 강조했고, 이어서 그런 행위가 담고 있던 누군가를 위로하는 역할에 대해 ‘자기 존재에 대한 (다소 무리한) 긍지’라고 분명히 기술했으며, ‘그녀들이 처한 가혹한 생활을 견뎌낼 수 있는 힘이 될 수도 있었으리라는 것은 충분히 상상할 수 있는 일이다’라고 쓴 것처럼, ‘긍지는 어디까지나 자기존재에 대한 긍지일 뿐입니다.

자기존재에 대한 의미부여가, 인간이 살아가기 위해 필요불가결한 것이라는 것은 굳이 첨언하지 않아도 될 것입니다. 극단적으로 말한다면 그 내용이 어떤 일이건 상관 없었다고까지 말할 수 있습니다.

고발자와 대리인과 검찰이 이 부분을 위안부가 ‘애국자체에 자긍심을 가졌다’고 읽은 것은 문맥을 정확하게 파악하지 못한 오독입니다.

설사 애국심자체에 대한 긍지로 판단한다 해도, 그것은 구조적으로 강요된 애국일 뿐, 검찰이 주장하는 자발적/자긍적 애국과는 다른 것이라는 것도 이미 말씀 드린 바 있습니다.

2) ‘동지적 관계’ 개념의 의도

검찰은 저의 책이 일본군과의 차이, 일본인 위안부와의 차이를 소거시켰다면서 ‘동지적관계”라는 단어가 위안부의 명예를 훼손시켰다고 말합니다. 하지만, 예를 들면,

표면상으로는 ‘동지’적 관계였어도, ‘조선인 주제에 붕대를 잘 감기나 하겠어?’라고 생각하는 데에서 보이는 것처럼 차별감정은 깔려 있었다. 그러나 그런, 감추어진 차별감정을 보기 위해서도 ‘조선인 위안부’라는 존재의 다면성은 오히려 직시되어야 했다. 명확하게 보는 일만이 책임을 져야 할 책임 주체와 피해자의 관계성을 명확하게 보여주기 때문이다.

라고 쓴 데서 저의 의도를 읽으실 수 있을 것입니다.

저는 또 ‘무엇보다, ‘동지’적 관계를 기억하고 그 기억만을 고집했던 이들을 무조건 규탄하고 거부하는 것이 아니라, 올바르게 응답하고 대화하기 위해서도 사실을 있는 그대로 봐야 했다. 위안부의 고통을 이해하지 못하는 이들을 제대로 비판하기 위해서도, 그들의 내면에 존재했던 차별의식을 지적하기 위해서도, ‘동지적 관계’는 우선 인정될 필요가 있었다.’고, ‘동지적관계’라는 말을 굳이 사용한 이유에 대해서도 명시했습니다.

다시 말해 검찰의 말처럼 조선과 일본을 똑같이 취급해 일본의 책임을 면죄하려 한 것이 아니라, 오히려 눈에 띄지 않는 차이를 보기 위해 ‘제국일본의 구성원’이라는 범주 – 동질성을 보고자 했던 것이고, 그런 논지가 일본의 사죄의식을 이끌어 낼 수 있을 것을 기대했던 것 입니다.

바로 그래서, 일본을 향해 쓴 부분에서 ‘그녀들은 생명의 위협 속에서 때로 운명의 ‘동족'(후루야먀 고마오, 「하얀 논밭」, 14쪽)으로서 일본의 전쟁을 함께 수행한 이들이기도 하다’고 쓰면서 이어서 ‘그런 의미에서는 그런 그녀들에게 돌아가야 할 말은 때로 그녀들에게 폭력을 행사하고 가혹하게 다룬 데에 대한 사죄의 표현이어야 한다. 군인의 폭력은 표면적으로는 ‘내선일체’였어도 차별구조는 온존시켰던 일본의 식민지 정책이 만든 것이기도 했다.(162쪽)’고 강조했던 것입니다.

6. 지원단체/검찰/학자의 기만과 망각

재판장님,
이제 이들이 ‘허위’라고 주장하는 세가지 논점에 대해 조금 더 보충해 보겠습니다.

1) 매춘/강제 | 일본인 위안부의 차이화

저는 위안소의 틀이 ‘관리매춘’이자 ‘강요된 매춘’이라고 말했습니다. 그리고 이 부분에 대해서는 검찰도 원고 측 대리인도 더 이상은 반박하지 않고 있습니다.

그런데 정신대문제대책협의회의 대표였던 윤정옥 교수도, 한겨레에 연재되어 유명한 글에서 ‘매춘을 강요당했다’고 말하고 있습니다. (1990년, 1월 4일. 일본군위안부 신문기사 자료집, 정대협 연구 보고서, 2004, 45,46쪽. 추가)

그리고 이 자료를 포함한 신문기사들을 정리한 정대협의 보고서는, ‘경성지법 일본군 위안부 관련 판결문’이라는 제목으로 1930년대 후반 재판자료들을 정리해 놓고 있는데, 여기에는 호적등본이나 인감증명등을 위조해서 데려간 ‘사문서위조행사사기’, ‘만주로 시집을 가는 것으로 속이고 작부계약’한 ‘사기’, ‘인사소개업자에게 큰 딸의 창기 주선을 의뢰’한 ‘사기’, ‘내연의 처를 작부로 넘기고 그 이득을 챙기'(41쪽)려 한 ‘영리유괴사기’, ‘자신의 첩을 창기로 만들어 그 이득을 챙기려 시도’한 ‘영리유괴사기’, ‘영리유괴사문서위조사기’ 등이 열거되어 있습니다.

이 자료들과, 보고서 머리말에 있는 ‘조선사회의 빈곤화와 그에 따른 여성에 대한 심각한 인신매매를 볼 수 있다.’ ‘상당수의 여성들이 만주로 팔린다는 기사가 나오’고 있다는 말은, 지원단체가 일찍부터 위안소형태가 관리매춘이었고 군인에 의한 강제연행만은 아니었다는 사실을 알고 있었다는 것을 보여 줍니다. 2004년, 무려 12년 전 일입니다.

그럼에도 지원단체와 관련연구자들은 오랫동안 언론이나 국민에게는 이런 사실을 숨기고 ‘강제연행’과 만 ‘총독부 명령을 받은 총칼 찬 순사’만을 강조해 왔던 것입니다. 그 결과가 바로, 금년 초에 300만 이상이 보았다는 〈귀향〉에서의 강제연행 장면입니다. 그리고 검찰의 기소는 그렇게 만들어진 ‘국민의 상식’에 단 한 번도 의구심을 갖지 않았던 결과라고 해야 합니다.

또한 2009년에발간된 일제강점하 강제동원피해 진상규명위원회가 발행한 〈인도네시아 동원 여성명부에 관한 진상조사〉를 보면 송복섭이라는 조선인 군속의 수첩을 근거로 한, ‘광주에서 종군위안부 61명의 명단이 확인돼 일제가 한국인 위안부를 인도네시아 수마트라 섬에까지 끌고 가 매춘을 강요한 사실이 밝혀졌다’는 신문기사가 수록되어 있습니다. (1992/1/16, 광주매일)이 기사는 위안부 중에 ‘세 유부녀까지 포함됐다고 송옹은 증언’했다고 쓰고 있기도 합니다.

다시 말해 현재의 우리의 기억은, 위안부문제 발생 초기의 기억의 망각과 함께 만들어진 것입니다.

얼마만큼 의도된 것인지 알 수 없으나, 원고측 대리인들과 검찰은 자신들의 무지 혹은 기만을 숨기고, 일본인 위안부는 ‘자발적 매춘부’이고 조선인 위안부는 일본군이나 총독부관계자에게 ‘강제로 끌려간 소녀’라고만 강조합니다. 그리고 저의 책이 그런 생각을 부정한다면서 저를 엄벌에 처해 달라고 말하는 것입니다.
하지만 일본인여성 중에도, 위안소인 줄 모르고 속아서 간 경우가 적지 않았다는 것도 최근 간행된 일본의 연구서에서도 밝혀 진 바 있습니다(『日本人慰安婦ー愛国心と人身売買と』, 22-23쪽).

또 일본의 연구서뿐 아니라, 한국의 보고서 역시, ‘위안부나 유흥업 등으로의 충원과정에서 유괴유인, 취업사기, 인신매매등 합법과 불법을 오가며 각종 수법이 성행하고 있었’다는 지적을 하면서 ‘일본여성들조차 일본 내무성, 외무성이 제시한 원칙이 지켜지지 않고 있었다’고 지적하고 있습니다. (〈인도네시아 동원 여성명부에 관한 진상조사〉,71쪽, 추가참고자료)

즉 ‘일본인 위안부는 자발적 매춘부’라는 검찰의 단정은 아무런 근거가 없습니다.

원고 대리인 또한, 센다 가코의 〈속 종군위안부〉를 제시하면서, 마찬가지로 조선인 위안부는 아무것도 모르는 소녀였다고 강조했지만, 같은 책에 ’29세의 조선인 창녀'(118쪽)도 등장한다는 것은 말하지 않았습니다. 일본군들은 조선인위안부를 비하해서 ‘조센삐’라고 불렀는데, 일본인 위안부에게도 비하의 말인 ‘삐’라고 부르고 있었다는 사실도, 다름 아닌 같은 책에 나옵니다(148쪽).

앞서의 나눔의집 할머니의 경우를 본 것처럼 이른바 강제연행과는 다른 정황이 보이는데도 원고측은 이 분들에 대해 설명하면서, ‘이옥선 할머니는 납치, 김군자 할머니는 군복을 입은 사람에게 끌려갔다, 김순옥 할머니는 속아서, 강일출 할머니는 집에서 군인과 순사에 의해 강제로 끌려갔다고만 쓴 바 있습니다. (추가자료) 다시 말해 형부가 보냈다는 사실은 은폐하고, 박옥선 할머니에 대해서도 그저 ‘돈을 버는 줄 알고 갔다’고만 기술할 뿐, 어떻게 갔는지에 대해서는 말하지 않습니다.

다시 말해 원고대리인은, 국민을 향해 행해 온 오랜 기만을, 재판부를 향해서도 행했던 것입니다. 물론 〈제국의 위안부〉 가처분 및 손해배상 1심재판부는 이러한 자료들을 면밀히 보지 않았을 것입니다.

2) 제복을 입은 업자/조선의 ‘낭자군’

재판장님,
앞서의 공판에서 군복을 입은 업자에 관련한 자료를 제출했습니다. 그 자료에 대해 보충설명하겠습니다.

위안부 모집은 시기에 따라 형태가 조금씩 달라진 것으로 보입니다. 30년대에는 주로 업자의 자율적인 모집이었던 데 반해, 중일전쟁 이후에는 전쟁으로의 국민총동원시대를 맞아 ‘애국’의 틀이 강해진 것으로 보입니다.

앞서 제출한 증거자료 45호 중에 있는 조선거주 일본인의 회상에는 ‘金原始彦’이라는 군속이 만주에서 ‘황군위안부로서 인솔 활약, 요원을 모집하기 위해 후창읍으로 귀국`해 와 있다면서 ‘한사람이라도 낭자군을 모아 전력증강에 기여해야 한다면서 패기만만'(증거 45)했다고 기술되어 있습니다.

‘낭자군’ 이란, 여성들의 전력화를 칭송하며 붙여진 이름입니다. 이 단어가 업자에 의해 쓰여졌다는 것은, 이른바 한국인들 대다수가 상상하는 ‘강제연행’과는 다른 모습으로 위안부모집이 이루어졌을 가능성을 보여 줍니다.

또한 당시 군속에게는 군복을 닮은 제복이 지급되었으니, 평상시에도 군속제복을 입고 다니던 업자들을 소녀들이 ‘군인’으로 착각했을 가능성은 배제할 수 없습니다. 그리고 그들의 태도에 따라서는 ‘군인이 강제로 끌고 갔다’는 증언은 얼마든지 나올 수 있었다고 생각합니다. 물론 앞서의 공판에서 말씀 드렸던 것처럼, 실제 군인의 강제연행 가능성도 저는 부정한 적이 없습니다.

강제연행이 아니라도 소녀와 여성들의 위안소 생활은 충분히 참혹합니다.

그럼에도 오랜 세월 지원단체는 모집정황의 국민과 여론, 그리고 국제사회를 향해 강제연행이라고만 주장해 왔고, 초기의 잘못된 인식을 수정하려고는 하지 않았습니다. 저의 책은 오로지, 그것을 전하고 ‘다시 논의’하기를 바랬던 책일 뿐입니다.

3) 군속으로서의 위안부

4회 공판에서 설명드린 것처럼 지정 위안소에 있던 위안부들은 ‘군속’대접을 받았습니다. 그런 정황을 보여 주는 자료는 이 밖에도 존재합니다. 그것만으로도, 위안부들이 애국의 틀 안에 있었다고 한 저의 책이 허위가 아니라는 것은 명백합니다

그런데, 저 말고도, 이런 정황에 대해 간파하고 있던 이들이 있었다는 것을 저는 최근에 알았습니다.

예를 들면, ‘위안부를 간호노동에 종사시키는 일은 빈번히 일어난 일’이었다면서,이들이 ‘문서에 등재’된 이유를 ‘간호부일을 하면 정식으로 유수(부재)명부에 기록하여 군속대우를 하는 것이 타당하다는 제7방면 군 수뇌부 판단의 결과’라면서, ‘유수명부에 등재하였다는 것은’ ‘원호와 관련된 각종조치도 함께 받을 수 있어서’이고, ‘일본제국의 국민으로서 보호를 받을 수 있다는 점도 있다’고, 앞서의 정부연구용역보고서는(〈인도네시아 동원 여성명부에 관한 조사〉, 2009) 말합니다. ‘식민지여성들을 여전히 일본제국의 한 단위로 인식하고 현지에 있던 일본인 여성들을 편입한 것과 마찬가지로 조선인 여성을 편입하였다라고 보여지는 면이 있다’는 것입니다. 앞서의 공판에서 제출한 것처럼, 실제로 일본 국회에서 위안부를 원호(지원)대상으로 하기 위한 논의가 있었던 것은, 이들의 추정이 옳다는 것을 보여줍니다.(증거자료 44)

또, 한 일본군인이 쓴 책은, 중국에 위안부가 8만명 있었다고 들었다면서 ‘현지사인 오석경씨가 앉아 있고 그 오른 쪽에 내가 있고 10명의 위안부에 둘러싸여 있는데 여성들은 기모노를 입고 있지만 전부 조선인'(長嶺秀雄〈戦場〉, 私家版, 昭和62年, 94쪽)인 사진에 대해 설명하고 나서, 필리핀 세부도에서 ‘위안부 약 100명이 특수간호부의 이름으로 군의 야전병원과 행동을 같이 했으며 우리 제1사단에 배속되어 있었’다면서, 미군에게 포위되었을 때도 ‘부대가 진지 안을 우왕좌왕할때 이 간호부 부대는 의연한 태도로 동요되지 않았다(98쪽)’고 말합니다.

제4회공판에서 제출한, 자신이 군속이라고 말한 문옥주할머니의 수기에는 위안부들이 좋아하는 사람을 ‘스짱’이라고 했다면서, 문할머니가 ‘우리들은 대체로 스짱이 한 사람씩 있었다'(버마전선 일본군 위안부 87쪽)고 했다는 기술이 나옵니다. 이 역시, 바로 이러한 관계속에서 가능했던 것입니다.오늘 이 자리에 나오신 이용수 할머니 역시, 좋아하는 사람이 있었다는 사실을 저에게 말씀하신 바 있습니다 (추가자료)

그럼에도 이러한 정황을 알지 못한 채, 원고측과 검찰과 일부학자들은, 저의 책을 두고 그저 ‘예외의 일반화’라면서 비난해 왔던 것입니다.

4) 소설 사용에 대해

서울대 김윤식 교수가 위안부 관련 한국소설에 언급하며 소설을 증언이라 했다는 말씀을 앞서의 공판에서 이미 드린 바 있습니다. 그런데 정부에 의한 교과서 검정은 위헌이라고 제소했던 이른바 교과서 재판사건으로 유명한 이에나가 사부로 교수도, 그의 저서 <태평양전쟁>에서 제가 사용한 다무라 타이치로의 작품 <메뚜기> 등에 언급하면서 소설도 역사적 진실을 말할 수 있다는 취지의 말을 하고 있습니다. (추가참고자료) 그럼에도 소설을 일부 사용했다는 이유로, 저의 책이 ‘허위’라고 말했던 검찰의 발언은, 문학에 대한 무지와 함께 경박성이 시킨 일이라 하지 않을 수 없습니다.

7. 돌아오지 못한 위안부를 위해서

재판장님.
앞서 말씀드린 것처럼 저 역시 오래전부터 위안부문제에 관심을 가져 왔습니다. 하지만 〈제국의 위안부〉에 구체적으로 이름을 들어 기술한 것은 딱 한 분입니다. 피를 토하듯 한 유서를 써서 인터넷에 올려 두었던 심미자 할머니입니다. 그것도 그 분의 위안부체험이 아니라 지원단체 비판이었고, 아무도 이분의 목소리를 들으려 하지 않았다는 문맥에서 언급했습니다.

따라서, 설사 저의 책이 위안부할머니를 비난한 책이었다 해도, 저의 책을 읽으면서 구체적으로 누군가를 떠올릴 사람은 아무도 없을 것입니다. 왜냐하면 위안부 체험은 하나가 아니라는 것이 저의 책의 주요논지중 하나였기 때문입니다.

심지어 많은 분들이 가명을 쓰고 계시니, 설사 어떤 분을 특정하고 싶었다 해도 가능한 구조가 아닙니다.

재판장님.
위안부의 전쟁터 생활과 귀환 혹은 미귀환에 대해서 쓴 제 1 장 마지막에 저는 이렇게 썼습니다.

‘아마도 지금 우리가 귀기울여야 하는것은 누구보다도 이들이 아닐까. 전쟁터의 최전선에서 일본군과 마지막까지 함께 하다 생명을 잃은 이들-말없는 그녀들의 목소리에.

일본이 사죄해야 하는 대상도 어쩌면 누구보다도 먼저 이들이어야 할지도 모른다. 언어와 이름을 잃은 채로, 성과 생명을 ‘국가를 위해’바쳐야 했던 조선의 여성들, ‘제국의 위안부’들에게. (〈제국의 위안부〉 104쪽)

제가 책을 쓰면서도 머릿속을 떠나지 않았던 것은, 누구보다도 전쟁터에서 죽어간 위안부들입니다. 당시에도 기록되지 않았고, 죽어서도 다른 군속처럼 유족들이 지원금을 받는 일도 없었던, 그런 위안부들입니다. 또, 차별받을까 무서워 돌아오지 못했던 위안부들입니다.

그런데 어떻게 저의 책이, 살아 돌아온 생존 할머니들을 특정한 책이 된다는 것일까요. 제가 이 책에서 생각해 본 것은, 일본인여성을 포함해, 국가의 무모한 지배욕과 전쟁으로 인해 희생된 모든 개인이었습니다.

8.’할머니의 아픔’은 누가 만들었는가

1) 당사자가 배제된 대리고발

재판장님,
그런데 고발과 기소는 부당하다는 이들에게 원고 측 대리인과 검찰은 말합니다. 할머니가 아파하셨다, ‘할머니가 ‘아픔’을 느끼는 한 고발과 기소는 당연하다고. 학자들조차 일부는 그렇게 말합니다. 최근에도 원고 측 대리인은 제가 ‘그럴싸한 언변’으로 ‘할머니 가슴에 대못’을 박았다고 말했습니다.

그런데, 할머니들께 ‘대못’을 박은 건 도대체 누구일까요?

저의 책을 왜곡해 전달해서 할머니들의 가슴을 아프게 하고 이어서 분노하게 만든 건 과연 누구일까요.

저는 고발 직후에 두 분의 할머니와 통화한 적이 있습니다. 그중 한 분은 나눔의 집에 계셨던 분이고 원고로 이름이 올라가 있던 분입니다.

앞서 말씀드린 것처럼 저는 나눔의 집 할머니 중 일부 분들과 가깝게 교류했고, 그중 한 분인 배춘희 할머니와는 반년에 걸쳐 전화통화도 자주 했습니다. 만난 횟수보다 전화횟수가 많았던 이유는 나눔의 집에서 저를 경계했기 때문입니다. 할머니 역시 그래서 만남을 조심스러워 하셨습니다.

그런데 가장 가까웠던 배 할머니는 고발 일주일 전에 돌아가시고 말았었습니다. 그래서 저는 폭풍우와도 같았던 고발의 충격이 좀 가신 후에, 나눔의 집에 거주하시는 유희남 할머니께 전화를 걸었습니다. 그분 역시, 저와 대화를 나누어 왔고 제가 주최하는 심포지엄에도 나올 예정이었던 분이기 때문입니다.

어떻게 된 일인지 여쭈었더니 할머니는 말씀 하셨습니다.

‘(내가 눈이) 안 보이잖아, 그래서 (직원이)와서 읽어 주었는데 강제동원이 아니고 뭐야.. 그냥 갔다던가.. 하여간, 그렇게 읽어 줬는데도, 들었는데도 잊어 버렸네.’ ‘책에다가 뭐하러 그런 말을 썼어’라고요. (참고자료 156)

이 분은 눈이 불편하셔서 저의 얼굴조차 또렷이 안 보인다고 말씀하셨던 분입니다. 그리고 이 말씀은, 할머니 자신이 읽은 것이 아니라, 할머니들을 모아 놓고 직원이 읽어 주었다는 것을 알려 줍니다. 또한 나눔의집 안신권 소장은 올해 1월 일본에서의 강연에서, 할머니들은 고령으로 책을 읽을 수 없기에 일부분을 발췌해서 반복해서 들려드렸다고 했습니다. 즉 할머니는 전체를 읽으신 것이 아니라 지원단체에 의해 앞뒤 문맥이 잘린, 편집된 문장만을 ‘들었’던 것입니다.

듣는 행위가 책에 있어 간접적인 행위라는 것은 말할 필요도 없을 것입니다. 자세히 읽어도 독자의 숫자만큼 독해가 가능한 것이 한 권의 책입니다. 저 때문에 아파하셨다는 나눔의 집 할머니들의 아픔은, 제가 만든 것이 아니라, 나눔의 집 고문변호사 주도로 이루어진 한양대 로스쿨 학생들의 거친 독해와 그것을 그대로 전달한 나눔의 집 관계자들입니다.

그래서 제가 유할머니께 그런 의도로 쓴 책이 아니라고 하자, ‘의도는 그렇지만은……’이라고 말끝을 흐리셨습니다. 그건, 유할머니가 제가 나쁜 의도로 쓸 사람이 아니라는 것을 알고 계셨기 때문이라고 생각합니다.

그리고 사흘 뒤, 이번에는 혼자 사시는 어떤 분께서 저에게 전화를 하셨습니다. 이분은 유희남 할머니께 들었다면서 노여워하셨고, 그런 책이 아니라는 설명을 드리려 하자, ‘서울대 교수 다섯 명이 당신책을 나쁘다고 했다’는 말을 반복하시면서 들으려 하지 않으셨습니다. (참고자료 157)

재판장님,
저에 대한 고발에서 할머니들은 당사자가 아닙니다.
이미 보신 것처럼, 책 읽기는 물론, 고발서류작성, 논리구성, 저를 고발한 모든 주체는 주변인들입니다. 고발장에 찍혀 있는 할머니들의 도장, 똑같은 모양의 도장들을 살펴 봐 주시기 바랍니다.(링크) 저는, 할머니들 중에 2014년 6월, 고발 이전에 저의 책에 대해 알고 있던 분은 안 계셨다고 생각합니다. 배춘희 할머니조차, 돌아가실 때까지 저에게 그런 이야기를 하지 않으셨기 때문입니다. 저와의 친밀한 교류를 몰랐기 때문일 텐데, 나눔의 집 소장은 배할머니도 생존해 계셨다면 고발에 참여했을 것이라고 말했습니다. 하지만, 저와의 대화록을 보시면, 그런 징후는 전혀 찾아볼 수 없다는 것을 아실 수 있을 것입니다.

심지어 할머니들은 검찰이 진행한 조정과정도 모르고 계셨습니다. 저에게 일본어판을 절판하라는 요구를 포함한 조정안이 왔을 때, 다른 건 몰라도 그건 제가 정할 수 있는 것이 아니라는 것을 말씀드리기 위해 형사고발에서 원고로 이름이 올라 있던 두 분께 전화를 걸었습니다.

고발 후 1년이나 지난 가을 시점이었는데, 그중 한 분인 유희남 할머니는 반갑게 맞아 주셨습니다. 제 얘기를 들으시고, 조정문제는 안신권 소장에게 말하라고 하셨습니다. 또 한 분, 이용수 할머니는 자신이 원고로 이름이 올라 있는 것조차 모르고 계셨습니다.

나눔의 집 안신권소장은 최근에 제출한 탄원서에서도 변함없는 거짓말과 엉터리 기사로 저를 비난했지만, 할머니들과의 통화내용과 영상을 확인하시면 왜 그가 거짓말까지 해 가며 저를 비난하는지 아실 수 있을 것입니다.

너무나 늦었지만, 고발전후에 무슨 일이 있었는지 이제야 쓰기 시작한 저의 글을 봐주시기 바랍니다. (〈역사와 마주하는 방식〉) 지금도 돌아다니는 ’20억 회유설’이 유희남 할머니의 위증이라는 것도 배할머니와의 통화기록을 보시면 아실 수 있습니다. 그리고 안신권 소장이 반복적으로 비난해 온, 사전 허락 없이 할머니들을 찾아오고 찍으려 했다는 NHK문제 역시, 그의 거짓말임을 아실 수 있을 것입니다. 필요하다면 안소장과 나누었던 문자를 제출할 수 있습니다. 배할머니는 일본인들과의 대화를 기다리셨던 분이고, 그 기자들은 해결을 위해 노력했던 사람들입니다.

2) 피를 토하는 목소리

재판장님, 본 재판과 상관없어 보이는 이야기를 길게 해서 죄송합니다. 하지만, ‘법’이란 정의와 공동선을 추구하는 것이라고 이해하고 있습니다. 제가 이런 이야기를 하는 것은 저 자신을 위해서이기도 하지만, 그 이상으로 할머니들을 위해서입니다. 여전히 할머니들 일부는 세상이 들어주지 않는 목소리를 갖고 있고, 그럼에도 세상에 내보내지 못하는 정황이기 때문입니다.

배춘희 할머니와의 대화에서 저는 그것을 여실히 알았습니다.

배할머니는, 자신의 경험이 세상에서 통용되는 것과는 다르다는 사실을 말하지 못했고, 저와 대화할 때도 누가 엿들을까 조심하곤 했습니다.

동시에, 지원단체의 운동방식과 돌봄방식에 비판적이면서도 그런 생각을 마음대로 말하지 못했습니다. 그리고 그들의 말을 ‘반은 거짓말'(참고자료 77, 16쪽)이라고 했고, 할머니들의 강연료가 지원단체의 건물에 사용되는 일에 불만이면서도 말하지 못했습니다. 저를 만나지 못하게 하느라 상태가 안 좋으신데도 병원에서 나눔의 집으로 강제로 이송당하신 후, 돌아가시기 한 달 전에는 피를 토하듯 그들에 대한 불만을 토로하셨습니다.

‘사람은 살려놓고 봐야 되잖아’, ‘ 어떤 사람이든 살려놓고 봐야되잖아..’라고.

그 배경에 어떤 일들이 있었는지, 대화록을 확인해 주시면 감사하겠습니다. 언론과 검찰이 해야 할 일은 바로 그런 일이라고 생각합니다.

그러면서 배할머니는, ‘적은 100만 나는 혼자’라고 생각하며 고독한 생활 끝에 돌아가셨던 것입니다.

사실 이미 이와 비슷하게 지원단체를 비난한 분이 일찍이 계셨습니다. 그분의 목소리를 우연히 듣게 된 것이 제가 〈화해를 위헤서〉에서 위안부론을 쓰게 된 계기 중의 하나이기도 합니다. 2004년의 일입니다. 그런데 그로부터 12년이 지나도록 정황은 변하지 않았습니다.

우리 사회는 위안부할머니에게 관심이 많습니다. 하지만 그분들의 마음으로부터의 목소리를 우리는 과연 들었을까요.

더 늦기 전에, 생존해 계신 분만이라도, 진짜 목소리를 들어 드릴 수 있는 사회가 되었으면 좋겠습니다.

재판장님,
원고측 대리인은 최근 제출한 서류에서 ‘박유하의 해결책이 어떤 설득력을 가질 수 있는지 의문’이라고 말했습니다.

바로 이 말에, 이 고발과 기소의 본질이 담겨 있습니다.

원고 측은, 이미 고발장에 뚜렷이 나타나 있는 것처럼, 그저 ‘다른 목소리’의 확산을 막고자 했던 것이고, 이후의 공방을 통해서도 그들이 구애하는 것은 오로지 이 부분입니다. 일본의 ‘법적책임’을 반복적으로 주장한 이유도 거기에 있습니다.

앞서 말씀 드린 것처럼 제가 만난 할머니들 대부분은, 왜 해결이 지연되고 있는지 모르셨습니다. 그저 일본이 아무것도 하지 않아서라고만 알고 계십니다.

물론 그건 관계자들이 할머니들께 정보를 전하지 않고, 당사자를 배제한 채 자신들이 모든 것을 주관했기 때문입니다.

저는 그런 방식을 비판했을 뿐, 그들의 활동 전부를 비판하지 않았습니다. 그럼에도 그런 저를, 그들은 국가의 힘을 빌려 억압하고, 20년 이상 정보를 공유해 그들과 똑같이 생각하게 된 언론과 국민을 동원해 저에게 돌을 던지도록 만들었습니다.

3)공격을 만드는 의식

재판장님,
이들의 태도는, 여러가지가 복잡하게 얽혀 만들어진 것입니다.

그중 하나만 말씀 드리자면, 검사와 대리인의 공격, 위안부는 자긍심을 느끼면 안된다고 억압하는 생각은, 여성차별, 매춘차별적인 생각이 만든 것입니다.

그건, 원고대리인이 ‘피해자 목소리’라면서 그의 서면에서 반복해 기술하는 표현들에서 명백히 드러납니다. 그는 끊임없이 일본인 위안부에 대해 ‘창녀’, ‘몸을 팔았다.’, ‘갈봇집’ 등등의 단어를 인용·사용합니다. 그러면서 제가 자발적인 매춘부인 일본인 위안부를, 강제로, 혹은 속아서 끌려간 조선인 위안부와 동일시했다고 비난합니다.

그런데 그의 이런 말이야 말로 일본인 위안부들이 명예훼손을 걸 수 있는 발언은 아닐까요? 그의 단어 사용에는 명백히 매춘부에 대한 차별이 있고, 명예훼손의 조건이라는 ‘사회적 평가를 저하시키는’ 인식이 존재합니다.

이른바 ‘여공’이나 ‘매춘녀’들이, 죽지 못해 사는 고통 속에서 한 푼, 두 푼 모아 고향에 보낸 돈으로 상급학교에 가고 사업할 수 있었던 오빠가, 여동생의 연애에 간섭하고 윽박지르고 때로 폭력과 살인을 마다 하지 않았던 심성들이, 바로 오랫동안 우리사회에서 위안부의 ‘다른’ 목소리를 죽여 왔습니다. 그런 생각을 내면화한 여성들 또한, 우리사회에는 적지 않습니다.

그동안 저를 죄인취급하며 윽박질러온 원고대리인과 검사, 그리고 그들에게 그런 생각을 불어 넣은 운동가와 일부학자들 역시, 그러한 인식의 주인공들입니다. 위안부를 억압하고, 때로 자기존재에 아무런 의미를 느낄 수 없도록 차별하고 소외시켜, 자살에 몰아넣기도 했던 생각의 주범들인 것입니다.

그렇게 저를 억압하는 이유는 단 하나, 그런 존재들이 자신을 불편하게 만들기 때문입니다.

재판장님,
자신들의 고발과 기소로 인해, 또 아무런 확인 없이 보도된 기사들로 인해, 제가 지금도 일본에서 돈을 받아 위안부를 회유하려 한 매국노이고, 그래서 머플러로 목을 졸라 죽이고 싶어지는 인물로서 손가락질 당하고 있는데도, 저에 대한 비난을 멈추라고 말하는 이들이 이들 중에서 아무도 나오지 않는 것은 바로 그래서입니다.

고발에 이르는 또 하나의 배경은, 위안부문제를 둘러싼 일본지식인들의 생각의 차이가 있습니다. 자세히 말씀드리지 않겠지만, 참고자료와 홈페이지에 올린 고발까지의 경과를 봐 주시기 바랍니다. (참고자료 46)

그런데 지식인 간의 생각 차이의 싸움이 법정에서 이루어져야 합니까? 심지어 그들 자신은 나타나지 않는 법정에서 검사와 변호사가 대리해서 이루어져야 합니까?

4) 공격의 목적

그런데 그들이 이토록 일관되게 ‘지원자와 강제연행’의 차이를 강조하는 이유는 어디에 있을까요. 어떻게 갔든 모두 비참한 정황이었다는 것을 그들 자신이 누구보다 잘 알 터임에도 차이를 주장하며 저를 비난하는 이유는 어디에 있는 걸까요. 그건, ‘강제연행’이라고 해야만 그들이 초기에 잘못 알고 요구해 왔던 ‘법적책임’을 계속해서 물을 수 있기 때문입니다. 자신들의 인식에 오류가 있었다는 것이 밝혀지는 것을 덮기 위해서입니다.

재판장님,
이들은, 국민과 언론이 부여한 시민권력, 학계와 언론권력, 그리고 유엔과 세계여성과 시민연대에 이르기까지 막강한 힘을 갖고 있습니다. 지원단체 대표 중 한사람은, 유수학회 전 회장이자 유수 언론사 전 주필의 사모님이자, 참고자료 65의 위안부 할머니가 언급했던 ‘서울대 교수’이기도 합니다. 그리고 이들의 뒤에는 오랜 세월 운동을 통해 만들어진 끈끈한 유대관계뿐 아니라, 장관과 국회의원을 배출한 인맥이 있습니다. 나아가 정부, 기업과, 국민이 모아준 자금이 있으며, 무엇보다 일할 인력이 있습니다.

하지만 저는 오로지 혼자, 이들이 집단으로 내놓는 모든 공격 글들을 분석하고 반론을 내놓아야 했습니다. 그 작업 이상으로 힘들었던 것은, 그 안에 담긴 왜곡과 적대와 조롱이었습니다.

이들은 오로지, 자신들의 생각을 지키기 위해서, 그동안 국민들을 향해 저지른 수많은 모순들을 그저 덮기 위해서, 운동에 방해가 된다는 이유로, 그동안 지켜온 권력과 명예를 흠결 없이 유지하기 위해서, 저를 매국노, 친일파로 몰아 배척해 왔습니다. 대중들의 오해와 지나친 비난을 변함 없이 모른 척했습니다.

그러면서, 오로지 이 재판에서 이기기 위해, 아무런 근거 없이 저의 책이 위안부를 ‘왜곡’하기 위해 자료들을 ‘의도적으로’, ‘교묘하게’, ‘철저하게’, ‘반복사용하였다’면서 저에게 ‘악랄’ ‘잔인’ ‘이기적’ ‘악의적’이라는 단어마저 서슴지 않은 것입니다. 이러한 태도와 표현이 전형적인 마녀사냥의 수법이라는 것은 이미 잘 아실 것입니다.

재판장님,
그동안 수많은 자료와 설명으로 저의 책이 허위가 아니라고 변론해 왔지만, 정말은 이 문제는 책문제조차 아닙니다.

제가 고발당하게 된 것은, 위안부 할머니들과 제가 가까워지는 것, 그에 따라 나눔의 집의 문제가 세상에 드러나게 되는 것을 두려워한 나눔의집 안신권 소장과 그에 동조한 나눔의 집고문 변호사, 그리고 위안부문제에 대해 잘 모르면서 교수가 지시하는 대로 엉터리 독해를 바탕으로 책을 100군데 넘게 난도질한 리포트를 작성한 한양대 로스쿨생들의, 비지성적인 행위이자, 모함이고 음해입니다.

재판장님,
‘다른’ 목소리에 대한 폭력적인 억압과 그에 따른 끔찍한 고통은 저 하나로 족합니다.

대리인은 저를 비난하면서 저를 방치하면 ‘제2, 제3의 박유하’가 나올 것이라고 말했습니다,

똑같은 말씀을 드리고 싶습니다. 제가 말하는 의미에서의 박유하를, 제2 제3의 고통받는 박유하를, 더 이상은 만들지 말아 주시기 바랍니다.

이들은 ‘엄하게 처벌받지 않고 어물쩍 넘어가면’ 안 된다고 재판부를 협박마저 합니다. 이들이 저를 처벌해 지키고자 하는 것이 무엇인지 이제 잘 이해해 주셨을 줄 믿습니다.

재판장님,
이들의 공격과 고발로 인해 저의 학자 생활 25년의 명예가 한순간에 깨졌고 이 2년 반 동안 고통받아 왔습니다.

저는 이들의 거짓말과 왜곡을 범죄적 수준이라 생각했지만, 가처분과 손해배상재판부는 그러한 이들의 선동을 검증하지 않았습니다. 그리고 결국 한국 법정을 세계의 웃음거리로 만들었습니다.

아주 극소수만이 저의 책을 올바로 받아들여 주었고, 끔찍한 고통 속에서 많은 이들의 도움으로 그럭저럭 견뎌 왔습니다. 고발 사태로 입은 명예훼손과 상처는 설사 이 재판에서 제가 승소한다고 해도 완전히 사라지는 일은 없을 것입니다.

‘사회적가치가 저하’되는 것이 명예훼손의 정의라고 들었습니다.

부디 명철한 판단을 내리시어 저의 명예를 회복시켜 주시고, 대한민국에 정의가 살아 있다는 것을 보여 주시기를, 간곡히 부탁드립니다.

2016년 12월20일

박유하

축약도

백옥주사니 태반 주사니에 이어 나온 비아그라 얘기는 실소할 수 밖에 없지만, 웃을 일이 아니라고 생각한다. 감기들면 가는 동네의원에도 무슨무슨 주사를 맞을 수 있다는 “안티에이징 치료”가 나붙은 지 이미 오래고, 그건 수요가 있었기 때문이다. 지금 벌어지고 있는 사태는 우리사회의 축약도이고, 그런 의미에서 어쩌면 이번 사태는 잘 된 일이다.
시간이 갈수록 점입가경인 이 사태를 두눈을 크게 뜨고 바라보자. 결코 자랑이 되지 않는 우리의 자화상을 상징해 주는, 청와대의 수치를 외면하지 말고 잘 보자. 중심에 있는 이들의 외모와 젊음과 권력에 대한 끝없는 욕망은, 학대와 가난으로 죽어가는 약자들의 존재와 대비되어, 오늘의 대한민국을 보여준다. 다른 나라의 양극화와도 결코 같지 않은.
오늘은 법무장관등이 사퇴했다는 소식이 들려와 그나마 기쁘다. 대통령도 수치를 모르는 나라에서, 수치감의 표명으로 보이는 첫 행보.

https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1551686404858268

위로하는 힘

재판을 위한 최종 자료체크를 하다가 발견한 원고.
5년전 봄에 오에겐자부로 <익사>(水死)심포지엄에 참석했을 때 오에선생께서 그날 발표한 원고에 나에게 주는 메시지를 적어서 건네 주셨다. 애석하게도 원본은 같이 참석했던 중국인학자에게. 그걸 보고 농담으로 “저도 주세요.”했더니 “복사지만…”하면서 써 주신 거였다.
오에선생은 나의 <수사>해석이 마음에 드신 것 같았다. 써 주신 말은
“다이오라는 인물이 만약 실재하는 사람이었다면, 그는 (박선생한테) 깊이 이해받았다는 느낌에 행복한 인생을 누릴 권리를 되찾은 것 같았을 겁니다”.
소중한 한단계를 넘어선 것으로 느껴지는 <새로운 박유하>에게!”
기쁜 칭찬이었지만, 3년후에 나는 한국에서 나쁜 책을 썼다는 비난과 함께 고발당했다.
그동안 잊고 있었지만 우울한 재판준비를 다시 하면서, 새삼 위안이 된다. 위로는,기억해야 힘이 된다.
“새로운 나” 역시도 희망사항일 뿐이지만, 희망은 품는 일 자체로 삶을 지탱한다.
우리 모두 누군가에게 위로가 될 수 있기를.
(오에선생 악필도, 위로가 된다. 글씨는 능력이나 인품을 늘 표현하는 건 아니다. ㅎ)

https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1550575881635987

대통령의 근무

연구자들은 연구실에서만 연구하지 않는다. 출퇴근 시간을 아끼기 위해서도, 나도 “사저집무실”(서재)에서 재택근무하는 거 좋아한다.
하지만 그건 혼자 해야만 하는 일(읽고 쓰기/연구와 집필)이 교수의 직무중 하나기 때문이다. 사람과 마주보며 해야 하는 일– 회의나 강의까지 서재에 앉아 이메일(서면보고란 종이였을까)이나 전화로 하진 않는다.
대통령은 그 시간에 왜 회의를 하지 않았을까. 왜 다른 이들의 지혜를 모으려 하지 않았을까.
대통령이 모든 판단에서 우월하리라고 생각하는 사람은 아무도 없다. 그저 우수한 인재들을 주변에 둘 수 있는 사람보는 눈과 인덕이 있어서, 그 브레인들의 능력을 최대한 이끌어내 줄 수 있는 사람이기를 바랄 뿐이다.
대통령은 “출퇴근 개념이 없고 모든 시간이 근무시간”이라는데, 정말이지 그러길 바랐다. 구하지 못한 생명들과, 하다못해 구해야 할 생명들 생각으로라도, 잠못드는 대통령이기를 바랐다.
관저건 본관이건, 집무실을 그저 지킨다고 “근무”가 되는 건 아니다.

https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1549562481737327

[형사1심] 제4회 공판기

제4회 공판기 (2016/11/8)

박유하

11월 8일에 네번째 공판이 있었다. 이번에는 나와 변호인이 제출한 서증(주장의 근거자료)을 검증하는 순서였다.하지만 시간이 충분치 않아 지난 5월에 제출했던 증거자료 43개 에 대해 설명할 수 있었을 뿐이다. 하나의 문서 안에서 여러개 자료를 제시한 경우도 하나로 묶었으므로 실제로는 휠씬 더 많다. 결국 참고자료로 제출한 160개 정도 문서에 대해서는 따로 설명할 수 없었다. 배춘희 할머니와 나눈 대화의 녹취록도 참고자료로 제출했다.
나의 책이 허위가 아니라는 것을 증명하기 위해 협력이나 자발성 자체를 강조해야 했기에 이번 공판은 특별히 마음이 무거운 자리였다. 나의 책은 그런 것을 강조하는 일 자체에 있지 않았기 때문이다. 법정에서의 공방이란 책의 취지를 협애한 것으로 만드는 행위였다. 물론 그것은 내가 시작한 사태는 아니다.

——————————

변호인: 가난한 여성이 매춘업에 종사했다는 사실이 쿠마라스와미 보고서, ICJ 보고서에도 나온다. 쿠마라스와미 보고서에는 마을 이장이 공장 일자리 구해주겠다 약속했고 집이 가난해서 받아들였다는 이야기가 나오고, ICJ 보고서에도 위안부의 대부분이 ‘가난한 소작농 가족 출신’이라고 나온다. 그리고 원고측 고소보충서에는 센다 가코의 책에서는 일본군 위안부문제가 보여주는 식민지 지배나 문제, 가부장제 문제를 정확하게 볼 수 없다고 쓰여 있는데, 이런 문제를 지적한 것이 바로 피고인이다. 그런 의미에서는 고소보충서 내용과 피고인의 제국의위안부 내용이 큰 차이가 없다. 근대 공창제 하에서 형성된 여성 인신매매 매커니즘과 농촌경제 파탄에서 비롯된 빈곤한 사회경제적 생활이 ‘위안부’ 동원의 배경이 된 것이다.
그런데 어떻게 ‘위안부는 자발적으로 간 것’이라고 피고인이 말했다고 주장할 수가 있는가? 검사의 논리라면 위안부와 ‘매춘’을 연계시켜 언급한 쿠마라스와미는 물론, 정부위원회 보고서 작성자들, 원고측 대리인조차 이 자리에 서야 할 것이다.

검사: 그렇게 씌어 있다.

변호인: 공소사실 12번에 있는 ‘강간적 매춘, 매춘적 강간’의 의미는 ‘위안’이란 매춘과 강간 둘 다 포함한다는 뜻이다. 쿠마라스와미 보고서에도 “대가로 돈을 받았고 돈 대신 전표를 받기도 했다. 전쟁이 갑자기 끝나서 자신이나 가족 먹여 살리겠다던 희망도 의미가 없어져 버렸다.”는 위안부의 증언이 인용되어 있다. 맥두걸 보고서에는 “성노예는 강제매춘의 거의 모든 행태를 포함한다.”고 쓰여 있다. 그러면서 강제매춘에 대해서도 ‘명예와 존엄을 심각하게 훼손한 행위’로 인정했다. ‘전쟁법을 위반한 강제 매춘, 강제 강간’ 등의 표현이 나온다.
또한 검찰이 증거자료로 제출한 정부간행 증언집 <들리나요 열 두 소녀>이야기에도 수익에 대한 부분이 명확히 나온다. ICJ 보고서에는 아예 요금표까지도 나온다.

판사: 정리하면, 변호인의 주장은 <제국의 위안부>에 나오는 매춘, 강간의 혼용 표현이 비단 이 책만이 아니라 쿠마라스와미, 맥두걸 등 여러 국제 보고서에서도 나온다는 주장이다.

검사: 이 책에 기재된 문구는 “위안부를 부정하는 이들은 위안부를 매춘으로만 생각했고 우리는 강간이라고만 생각했다, 그러나 그 두 요소를 모두 포함한 것이었다.” 고 되어 있다. 위안은 매춘과 강간 두 요소를 포함한 것이라는 거다. ‘위안’에 어떤 매춘적 요소가 포함 되어 있었다는 것인가?

변호인: 일본군은 위안부를 관리매춘의 형태로 운영했다. 그 지적이 잘못된 것이라는 말인가?

검사: 일본군이 체계적인 요금 노동시간 등 책정해서 위안부 제도를 처음부터 철저하게 계획하고 관리했다. 변호인이 말한 보고서의 취지는 오히려 그만큼 체계적으로 관리해서 반인도적 범죄를 저질렀다는 취지로 이해된다. 보고서는 매춘으로 인지했다는 취지의 것이 아니다.

판사: 어쨌든 맥두걸 보고서에도 강제매춘이라는 표현이 나오는 거 아닌가?

검사: 위안부가 된 건 자발적인 게 아니라 본인 의사에 반해서, 사기나 유인의 방법에 의해서였다. 이게 중심이다. 그런데 이 책은 그 사실을 부정하고 있다. 이 책에서 매춘도 위안의 두 요소 중 하나라고 쓴 뜻은, 위안은 매춘이고 자발성에 기초했다는 거다. 이게 문제라는 거다.

변호인: 피고인이 위안부의 성노예성을 부정했다는 것인가? 하지만 피고인은 책에 이렇게 쓰고 있다. “물론 위안부들은 자신의 몸의 주인이 아니었다는 점에서 성노예임에 틀림없다. 식민지가 된 나라 백성으로서 일본 국민동원과 모집을 구조적으로 거부할 수 없었다. 정신적 자유와 권리를 빼앗겼다는 점에서 분명 노예였다. 그들이 총체적인 피해자였음은 틀림없다.” 피고인은 성노예성을 부정하지 않았다.

검사: 위안부들은 자발적으로 가지 않았다. 본인 의사에 반해서 간거다. 그런데 피고인이 말하는 성노예라는 건 위안소생활을 말하는 것이다. 내가 말하는 성노예와는 본질적으로 다르다. 강제로 끌려 왔다는 말이 이 책에 어디 있나? 296쪽 보자. ‘자발적 매춘부라는 기억을 부정’. 그건 우리가 애써 부정해왔다는 말 아닌가?

변호인: “근본적으로 매춘의 틀 안에 있었다는 것을 알고 있었던 것이다.”라는 부분도 기소대상이 되었지만 이 부분은 쿠마라스와미 보고서에 대해 언급했을 뿐이다. 여성들이 기만당해 성노예가 된 것이다.
성노예성을 주장하고 싶은 것이라면 검찰의 주장과 결국 다르지 않다.
기소된 30번을 보자. “조선인 위안부란 이렇게 해서 조선이나 중국 여성들이 일본 공창제도에 편입됐다.”이 부분도 다른 학자의 말을 인용한 부분인데 기소되었다. 한국정부산하위원회 보고서 발간서 등도, 공창제에 편입됐다는 식으로, 같은 취지로 설명하고 있다.

검사: 그러면 위안부제도가 합법인가? 아니다, 불법이다. 그런데 지금 이렇게 똑같이 취급해놓았기 때문에 명예를 훼손한 거라고 주장하는 거다.

판사: 당시 일본 제국 하에서 공창은 합법인 것으로 안다. 위안부의 경우는 어떤가?

검사: 당시 국제법상 불법이다. (판사: 그럼 일본법상으로는? )
다수 학자들이 일본에서 미성년자매춘은 법률로 금하고 있다. 그런데 위안부에는 미성년자가 많았으므로 불법으로 보고 있다.

판사: 위안부가 불법제도라는 건 피고와 검사 다 인정하는 부분. 그런데 검찰은 지금 위안부가 합법제도가 아닌데 그 제도에 위안부를 편입했다고 주장한 것이다.

변호인: 합법인지 불법인지가 왜 문제되는 지 이해되지 않는다.
책에는 “자발적으로 간 매춘부라는 이미지를 우리가 부정해온 것 역시 그런 욕망 기억과 무관하지 않다.”라고 쓰여 있다. 그런데 쿠마라와스미 보고서에 보면, (1)이미 매춘부였으며 자발적으로 일하고자 하는 여성과 소녀, (2)식당이나 군인을 위해 요리하고 빨래하는 보수 좋은 일자리를 제공한다는 속임수에 속아서 온 여성들, (3)대규모의 강제적 폭력적인 여성 납치, 이렇게 다양한 경우가 있다고 쓰고 있다.
위안부의 이미지를 부정해왔다는 문장은 다양하게 해석 가능하다. 무엇보다 이 부분은 분명한 인용이다. (일본우익들이) ‘그들이 주장하는 자발적으로 간 매춘부’ 라는 이미지. 그리고 우리가 자발적 매춘부라는 이미지를 부정해왔다는 건 명시적 사실일 수 있다고도 해석할 수 있다. 이렇게 다양하게 해석될 수 있는 문장을 오로지 “피고인이 자발적 매춘부라고 주장했다.”라고 하는 것이야말로 자의적이다. 이런 식으로라면 쿠마라스와미, 맥두걸, 고소보충서, 더 나아가 각종 위원회가 발간한 책자들, 위안부 할머니 증언서, 이런 것들을 전부 부분 발췌해서 당신의 취지는 매춘 강조에 있지 않느냐면서 명예훼손 걸 수 있다.

검사: 이게 인용이라는 증거가 있는가? 각주도 없다. 인용했으면 어디서 인용했다고 써야 한다. 그리고 이 책에 그렇게 안 쓰였지만 다른 인용은 괄호 안에 문헌 이름과 쪽수가 쓰여 있다. 검찰 혼자 이 책에 문제가 있다고 하는게 아니다. 이 책이 나온 이후 많은 역사학자와 연구자들이 머리 맞대고 토론해서 나온 책이 있는데 보았나?

박유하: 이 부분은 총정리하는 부분이다. 즉 앞에서 이야기한 내용을 되짚은 것이고 앞 부분에 나오는 ‘자발성의 구조’ 라는 절의 내용을 반추한 부분이다. 말하자면 그 부분내용을 총체적으로 가져온 부분이기 때문에 따옴표를 친 것이다. 문헌 인용은 앞부분에 있다.
명예훼손이 되려면 대상이 특정되어야 하는데 검찰은 목소리를 낸 사람들 숫자가 적어서 특정된다면서 여가부에 올려져 있는 자료에 생존위안부할머니들 이름이 나와 있다는 이야기도 했다. 하지만 그 분들 중에는 가명을 사용한 분들도 계시다. 지원단체가 낸 증언집도 마찬가지다. 즉 특정되지 않는다.
정대협이 재작년인가에 서울시에 위안부문제관련 대학생이벤트를 신청하면서 만든 포스터에는 <20만명의 조선 소녀들 끌려가서 2만여명이 학살당하고 2백수십명만 돌아왔다>고 쓰여 있다. 나는 위안부경험을 한 조선인 전체를 대상으로 책을 썼다. 특히 가장 감정적으로 이입한 건 전쟁터에서 죽어간 분들이었다. 생존해서 목소리 낸 사람만 피해자일 수 없고, 지원단체의 주장에 따르면 20만명이나 되는데, 책에 나오는 케이스를 어떻게 누군가의 것으로 특정되었다고 할 수 있는가?
작년에 일본에서 <일본군위안부>라는 책이 나왔다. 부제목은 <애국심과 인신매매>다. 지은이는 <전쟁과 여성에 대한 폭력>이라는, 위안부문제해결을 위해 오랫동안 노력해 온 지원단체다. 일본인위안부문제는 그동안 묻혀져 있었는데 뒤늦게 문제화되기 시작한 것이다.

중요한 것은, 부제목에 있는 것처럼 위안부란 ‘인신매매와 애국’의 틀이 중심이었다는 사실이 인식되기 시작했다는 점이다. 표지에는 ‘매춘부는 피해자가 아닌가’라고도 쓰여 있다. 바로 이것이 나의 문제의식이기도 했다. 검찰은 ‘매춘부’라는 말에 비난을 담아 말한다. 나의 책에서 그 단어는 인용일 뿐이지만, 무엇보다 검찰이 말하는 그런 의미로는 ‘매춘부’라는 말을 쓰지 않았다.
강제성에 관해서도, ‘공적으로는’ 없었다고 쓴 취지는, 일본군이 위안소를 만들고 관리하기도 했지만 납치나 속임수까지 써서 데려오라는 것이 일본의 공식방침은 아니었다는 뜻이다.
현장에 도착했을 때 너무 어린 사람은 업자를 다그쳐 돌려 보냈다는 증언이 존재한다. 다른 곳에 취직시키기도 했다는 자료도 있다. 그 경우 업자를 처벌하지 않은 것이 문제라고 말하는 학자도 있지만, 업자에게 제재를 가하지 않았다고 적혀 있지도 않고, 위안부의 실질적 주인은 돈을 주고 사 온 업자였으니 제재에도 한계가 있었을 수 있다. 식민지나 본토의 유괴현장을 단속하는 것과는 다르다고 봐야 한다.
그리고 나는 그런 묵인도 포함해 책임을 물었다. 내가 강조한 것은 ‘일본군에 의한 물리적 강제연행’이 결코 위안부동원의 중심모습이 아니라는 것이었다.

검사: 21세 이하는 중국 등지로의 이동을 허가하지 않았다. 그런데 그런 단속을 일본 본토에서만 적용했고 식민지에선 아니었다. 많은 학자들이 이 책을 비판했다.

박유하: 통첩문이 식민지에서 발견되지 않는다고 해서 존재하지 않았다는 증거는 없다. 실제로 식민지 경찰도 유괴 등을 단속했다. 그런 자료는 강제성을 주장하는 일본학자도 보지 못했을 것이다. 나는 25년 전에 위안부 할머니를 만났고 10년 전에 위안부문제에 대해 책을 썼다. 검사는 짧은 시간에 많은 공부를 한 것 같지만 모르는 일이 여전히 많다. 그런데도 기존 연구와 지원단체 말만 믿는 이유가 무엇인가? 많은 학자들이 이 책을 비판했다고 말하지만, 대부분은 위안부연구자가 아니다. 즉 실제 자료에 접한 이들이 아니다. 나를 위해 증인으로 나오겠다는 역사학자도 없지 않지만 서로 증인을 채택하지 않기로 했기 때문에 부탁하지 않았을 뿐이다.

검사: 피고인은 ‘자발적으로 간 매춘부’ 따옴표가 인용 표시라고 했지만, 그 부분의 따옴표는 작은 따옴표다. 피고인은 다른 인용은 큰 따옴표를 썼다. 그러니 인용이 아니라 강조다.

판사: 작은 따옴표는 인용할 때도 쓰고 강조할 때도 쓴다. 검찰은 인용이 아니라고 하고 피고는 인용이라고 한다. 서로 견해차이가 있으니 판단에 맡길 문제인 것 같다.

변호인: 그러면 증거자료에 대해 설명하겠다. 우선 증거 1호, <마리아의 찬가>. 일본인 위안부가 쓴 수기다. 일본인도 인신매매 틀 안에 있었다는 것을 보여 주기 위해 제출했다. “2500엔 빌려주어 그걸로 가구라자카의 빚을 갚고 700엔을 아버지에게 드리고 대만으로 건너갔다.”고 쓰여 있다.
또 하나의 자료는 같은 책에서 발췌한 것인데, 일본인 여성도 하루에 수많은 군인을 상대했다는 사실을 보여준다. 피고인이 ‘위안부의 고통이 일본인 창기와 다르지 않다’고 쓴 부분에 대한 보충 설명자료다. “한 여자에게 10명이고 15명이고 달려드는 모습이란 마치 짐승과 짐승간의 싸움 같았다.”고 쓰여 있다.

검사: 증거 1호는 일본인 위안부에 대한 내용이니 이 사건 공소사실과 무관하다. 마리아 찬가 발간일이 1971년도다. 91년 8월 김학순할머니 진술 이후에 대해 쓰여진 것이 제국의 위안부다. 공소사실과 무관하다.

판사: ‘일본인창기’라는 말에 관계되는 부분이니 무방하다.

변호인: 증거 2.< 빨간 기와집>. 일본군 위안부가 된 한국인 여성이야기다. 식민지에서 배로 떠날 때 일본인 여성이 2명 있었다고 기술하고 있다. 한반도에 살던 일본인 여성도 위안부로 갔다는 것을 보여주기 위해 제출했다. 식민지라고 해도 <일본제국>의 국민이 되어 있는 이상 군인이 강제로 끌어갈 수 있는 구조는 아니었다.

검사: 일본 매춘부는 성병 감염자가 적지 않았다. 그래서 조선인 여성이 많이 끌려갔다. 일본 창기 일부는 돈을 벌기 위해 자발적으로 갔다. 그걸 나타내기 위한 책이다.

박유하: (일본인 여성도 가난한 집 소녀들이 조선으로 팔려 오기도 했다. 그들도 위안부로 갔다. 그런 이들의 존재가 간과되고 있다. 조선인 소녀들도 물론 많았지만 결혼해서 아이가 있는 여성도 있었다. 식민지는 순결해야 한다는 강박관념이 만든 생각이다. 당시 조선사회는 성병이 만연해 심각한 문제가 되기도 했다.)
조선인 위안부와 일본 위안부는 대우에 차이가 있었고 직접 차별받기도 했지만, 가부장제 하의 가난한 여성으로서 동원된 구조는 다르지 않다.

판사: 피고인은 불가피한 상황이 아니면 말하지 말라. 변론은 원칙적으로 변호인이 해야 한다.

변호인: 증거3호 1, 2, 3은 위안부동원이 주로 인신매매로 이루어졌고 후반에는 14세이상 40세까지 400만명이 국가를 위한 근로봉사대 등 다양한 이름으로 총동원체제에 동원되었음을 보여주는 자료다. 이때 유곽의 창기까지 애국청년단등의 이름으로 애국을 강요당했다.
직업소개소가 속여서 보낸 정황, 그런 직업소개소를 경찰이 단속한 상황, 허가를 강화하려는 상황 등을 볼 수 있다. 식민지의 일본인 여성도 함께 했고, ‘병원선’에서 일해야 했던 정황도 나온다.
3-3은, 당시 사람들이 ‘만주’를 꿈의 땅으로 생각하고 이주하려 했음을 알 수 있는 자료다. 그런 틀 속에서 업자들이 인신매매등으로 여성들을 모아 데려간 것이었다. 물론 의뢰를 받은 경우도 있지만, 받기 전부터 움직인 사람들은 있다.
당시도 사기 등으로 이루어진 인신매매는 처벌받았다. 피고인은 그러한 정황도 전쟁을 일으켜 식민지의 가난한 여성들이 전쟁터로 동원된 것을 식민지화의 결과로 보고 구조적강제성이라고 말했다. 업자에 대한 처벌이 필요하다고 한 것은 당시도 사기에 의한 인신매매는 불법이었고 처벌받았기 때문이다. 군의 개입 자체는 충분히 서술했다.
4호증은 배춘희할머니의 영상 녹취록이다. 에프런을 두르고 군인들을 위해 천인침을 받았으며 위안부는 ‘군인을 돌보는 존재’라고 했다.
5호증 <들리나요>에도, 마찬가지로 물리적 납치 주체가 일본군이 아니고 유괴범들이라는 사실이 다수 적혀 있다. 부모를 위해 몰래 가거나 소개업자를 통해서 간 케이스도 많다. 소개소가 세탁을 한다고 거짓말을 한 경우도 나와 있다.

검사: 인신매매로 와도 묵인하고 넘어간 경우가 많았다.

판사: 일본군이 인신매매임을 알면서 묵인했다는 건지, 아니면 몰랐는데 아무튼 위안부가 필요했기에 받았다는 건지?

변호인: <제국의 위안부>에는 일본군이 묵인했으며 그에 대한 책임을 져야 한다고 기술되어 있다.

판사: 결국 헌병이 와서 직접 잡아간 게 아니니까 물리적 강제가 없었다는 것이고, 묵인하는 것에 대해서는 책임이 있다고 주장한 것으로 보면 되나? (피고인을 바라봄)

박유하: 그렇다. 하지만 부대마다 어떻게 처우했는지는 다를 수 있고 다양한 케이스가 있었을 것으로 본다. 군이 관리했다는 것은 업자를 통해 부대로 왔을 때 업자가 계약서를 부모에게 받았는지 확인하는 게 원칙이었다는 이야기다. 속았다면서 우는 경우에 다른 곳에 취직시킨 경우가 있고, 나이가 너무 어리면 돌려 보낸 경우가 있지만, 그렇다고 해서 모든 부대가 잘못되었다는 것을 알았을 때 전부 돌려 보냈을거라고는 말하지 못한다. 말할 수 있는 것은, 공식적인 규율은 업자로 하여금 계약서를 확인토록 했다는 사실이다.

판사: 20만명의 위안부가 있다. 8만인지 20만인지 몰라도 그 경우는 원칙대로 안 된 경우인데, 원칙이 안 지켜진 경우가 더 많은지 확인되는가?

박유하: 그건 확인하기 어렵다. 그러나 안 지켜진 경우가 많다 해도 그 이유는 대부분 업자들이나 다른 주변인들에게 있는 것으로 보인다.

변호인: <빼앗긴 청춘, 돌아오지 않는 원혼>이라는 증언집에는 “3~40대 가량 보이는 남자가 오더니 배불리 먹을 것을 주고 좋은 신발도 주는 곳을 알아봐 준다고 따라오라 했다.”고 쓰여 있다. 가 봤더니 여관에 농민의 딸들 14~15명 있었다고 한다. 무엇 때문에 어디로 끌려가는지 모르고. 자물쇠로 잠겨있어 도망도 못해. 현장에 도착했더니 카키색 군복입고 각반을 찬 일본군 3명이 기다렸고 중국 상해역으로 갔다는 등의 이야기가 있다. 농민의 딸들, 경제적으로 어려운 이들을 대상으로 위안부 모집이 이루어졌음을 알 수 있다.

검사: 이 이야기는 오히려 강제로 위안부가 모집이 됐고, 군인이 모집 과정에 가담했다고 봐야 한다. 강제동원, 강제연행의 주체는 일본군이다. 그게 역사적 사실이다. 근데 이 사건 도서에서는 강제동원, 연행의 주체가 결코 일본군이 아니라고 서술하고 있다.

변호인: 물리적 주체가 일본군이라는 건가?

검사: 물리적, 구조적 주체 모두 일본군이다.

판사: 공소사실보면 일본군이나 국가가 강제연행을 지시했다고 볼 증거는 없다는 입장이다. 업자가 어떻게 데려왔든 이걸 묵인한 것에 대한 책임은 있을지라도… 일본국이 강제 연행이라고 끌고 갔다는 증거가 없다고 말했으니.

변호인: 증 7호-1-3. 이하는 <강제로 끌려간 일본군 위안부들>이라고 하는 정대협이 만든 증언집이다. 위안부가 국방부인회에 가입해서 협력을 강요당한 정황이 나온다. 어깨띠를 걸고 모자 쓰고 병사를 배웅하기도 하고 훈련을 받기도 했다. 황국신민서사를 외워야 했고 기미가요를 부르고 방공연습도 했고 간호활동도 했다. “안에 들어가 계급 높은 사람 만났다. 조선에 가고 싶다 말했다. 간호원이 부족하니 가겠냐고 물었다. 간호원은 3층에서 잤다.” 성노동 이외에 전쟁 협력을 강요받았다는 이야기이고, 강요된 애국, 강요된 협력에 대한 증언자료다.

검사: 이 증언집에 조선으로 보내줬다는 게 나온다. 그런데 떠나기 전 새로운 조선인 여자가 보충돼 왔다는 내용이 있다.
동원양상에는 일본인이 데려간 경우도 많다. 9-3에는 총검을 들이대고 알아들을 수 없는 일본말을 외쳤고 강제로 트럭에 실려 끌려갔다고 나온다. 이는 직접적으로 강제로 끌고 갔다는 걸 말한다. (여복실의 경우)

변호인: 피고인은 책에 “군인이나 헌병에게 끌려간 경우도 있다.”고 명시했다. 다만 그 경우는 개인적 일탈로 봐야한다고 했을 뿐이다.

박유하: 현재 학계의 이해는, 점령지에선 강제연행도 있을 수 있으나 식민지에서는 그럴 이유가 없다는 것이 중심적이다. 학계나 관계자라면 다 아는 이야기가 일반인에게 알려지지 않았을 뿐이다. 내가 한 이야기는 일본군이 모집과 관리는 했지만 수단 방법을 가리지 않고 데려오라고 하지는 않았다는 의미다. 물론 군인이 강제로 데려갔을 경우를 완전히 배제할 수 없지만 그 경우는 개인적 일탈이라고 해야 한다. 식민지라 하더라도 표면적으로는 국민의 한사람이니 강제로 끌어가는 건 불법이기 때문이다. 군인이라고 말하는 경우는 많지는 않고 그 경우도 군복을 입은 업자였을 가능성이 높다.
(보충-물론 진짜 군인이 함께 왔을 수 있으나 그 경우 오히려 더 형식적으로는 자원의 형태를 띈 듯한 정황이 <여자의 병기>에 보인다. 그것이 바로 식민지통치 방식이다.)

판사: 업자가 군복을 입었을 수도 있다. 개인의 일탈일수도 있다. 업자가 군복을 입었다는 사료가 있나?

박유하: 업자가 군복을 입었던 것으로 보이는 자료들이 있다. 추후 제출하겠다.

(하단에 재판정에서 말하지 못한 추가 내용을 덧붙인다 이하에서는 “박유하 보충”으로 표시: 7-4에는 위문단에 참가해서 간 여성의 증언이 나온다. 그런데 그 위문단 중에는 일본인 여성도 있었다고 나온다. 이 역시 한반도에서 강제연행이 상식적으로 있을 수 없었다는 증거다
8호증은 요금표 등 위안소규칙들이다. 부상병을 돌보고 빨래하고 전쟁터로 배웅한 이야기가 나오고 병원에 입원한 위안부를 군인이 문병 온 이야기도 있다. 9-1에는 위안부생활이후 군수공장을 한 여성 이야기도 나오고, 그 행위를 이적행위로 인식해 그런 경험은 말하지 않았다는 이야기도 나온다. 9-2에는 조선에서 떠난 일본인 여성 이야기가 나오고, 9-3/4에도 위안소의 또다른 정황들이 나타난다.)

변호인: 10호증 <강제로 끌려간 조선인 군위안부들 4>에는 “나라를 위해서 나갔다.”는 증언이 나온다. 그러니까 보상해야 한다고 말하고 있다. ‘조선이 가난에 빠져서 돈벌러’가야 했다는 이야기도 나온다.

검사: ‘나라를 위해서’라는 말은 일본제국을 위해서라는 뜻이 아니다. 당시는 나라를 못 세워놨으니까 ..

변호인: 11호증도 같은 증언집 5권이다. 위안소의 정황을 알 수 있다.

검사: 증언집에 오히려 명쾌하게 정리 돼 있다. 기존 연구에 의하면 군위안소 유형으로는 군직영위안소, 군전용위안소 및 일반위안소 중 군도 이용하는 위안소 세 가지다. 군 직영, 형식상 민간업자가 경영하나 군이 관리통제하는 위안소, 셋째는 군이 지정한 위안소. 이 요시미 교수의 정의는 아주 적절하다. ‘형식상 민간업자가 경영하나 군이 관리통제하는 군인군속전용의 위안소였다.

(박유하 보충: 12호는 <해남도로 연행된 조선인 성노예에 대한 진상조사> 는 정부산하 위원회가 만든 것이고 조선인 일본군의 증언이 수록되어 있다. 조선인 위안부 나이가 군인들보다 많아서 누님이라고 불렀다는 이야기가 나온다. 대부분 일본여성이었다거나 일본여성이 조선인보다 젊었다는 이야기도 나온다. 이러한 이야기는 일부분의 이야기겠지만, 그렇다고 해서 이런 이야기들이 무시되어야 할 이유는 없다. 장소와 시간에 따라 수많은 다른 경우들이 있었다고 생각해야 한다.
13호증은 <일본군위안소 관리인의 일기>라는 책이다. 위안소경영에 위안부의 ‘작부허가서’, ‘취업허가서’, ‘폐업허가서’등이 필요했고 그 서류를 군대에 보고해야 했다는 것을 알 수 있다. 위안소 업자들은 같이 조합을 만들기도 했고 업자가 위안부를 대신해서 조선에 송금했다.
이동의 자유가 있었고, ’여자청년대’로서 응급처치법을 배우는 등 협력강요정황도 나온다.)

변호인: 14호증은 조선인 일본군이 쓴 책이다. 위안소에 대한 내용인데, 번역한 부분을 보면 위안소이름이 ‘애국봉사관’이었다. 일본군이 위안소의기능을 군인 전투력 향상을 돕는 것으로 ‘애국’하는 곳으로 생각했다는 증거다.
15호증은 일제시대 작가 최명익이 쓴 <장삼이사>라는 단편이다. 소설이지만 조선인 업자가 주체적으로 일본군인을 따라다니면서 위안소를 운영했음을 알 수 있다. 자발적인 것은 업자였다.

검사: ‘애국’은 공소사실 중 하나다. 위안부가 애국적 동지적 관계였다, 나라를 위해 기꺼이 했다, 띠를 둘렀다… 이런 서술을 하고 있는데 이건 모두 조선인이 아니라 일본인 위안부의 내면에 대한 기술이다. 아무런 근거없이, 이 사건 도서에서는 조선인과 계속 등치시키고 있다. 유곽여자들이 하찮은 존재로 자신을 인식했는데 국가를 위해 봉사한다는 자긍심을 갖게 했다는 이야기다. 이 사건 도서에서는 아무런 근거없이 등치시키면서 위안부가 위안부와 동지적 관계였다고 적시하고 있다.

변호인: 그 부분이 일본인 위안부 경우라는 것은 피고인 자신이 책에 명시하고 있다. 그러나 그 앞에 조선인위안부가 빨래하고 간호했다는 증언을 인용했고, 그래서 “조선인 위안부도 기본적인 관계는 같다고 해야 한다. 그렇지 않고서는 패전 전후 위안부가 부상병 간호하고 빨래, 바느질했던 배경을 이해할 수 없다. 조선인 위안부들도 사유리 등으로 불렸다. 대체 ‘일본인’이 되는 일…” 이 부분은 조선인 위안부에 부여된 역할이 일본 위안부와 같다는 걸 말하고 있다. “‘거짓 애국’ 과 ‘위안’에 몰두하는 게 그녀들에게 하나의 선택일 수 있었다.”고 쓴 것이다.
구조적으로는 일본인위안부와 같은 처지에 놓였지만 일본인 위안부와 다르다는 것도 분명히 말하고 있다.

(박유하 보충: 16호는 국방부인회에 대한 책이다. 위안부들이 왜 에프론을 입고 띠를 두르고 ‘애국’적인 행동을 해야 했는지 알 수 있게 해주는 자료다. 이른바 창기들도 ‘우리도 일본여자’, ‘나라를 위해’라고 말하면서 이러한 동원에 적극 나서도록 만든 것은, 사회의 매춘에 대한 차별이었다. 조선인 위안부도 그 틀에 포섭된 것이다.
17호는 동시대 위안부모집광고다. 소개소가 18-30세 여성을 모집한 것을 알 수 있다. 신문에 이런 광고가 났다는 것은 위안부라는 존재가 공적인 존재였다는 것을 말한다. 하지만 하는 일을 명시하지 않고 있고 이러한 점이 사기모집을 가능케 했을 것이다.)

변호인: 증 18호는. 위안소 입구 사진인데, <몸과 마음을 바치는 일본 여성의 서비스>라고 입구에 씌여 있다. 다른 하나는 위안소 이름이 <고향>이거나 <애국 식당>이다. 이는 위안소에게 요구된 역할이 신체적/정신적 위안이었음을 말한다. 고향에 대한 향수를 달래기 위한.

검사: 조선인위안부는 동지적 관계가 아닌데 동지적 관계로 허위사실을 표현했다는 사실을 두고 기소한 것이다.

변호인: 피고인은 조선인위안부를 자발적인 동지적 관계라고 하지 않았다.
19호증은 당시 일본군인이 위안부는 ‘군속’이었다고 쓴 자료다.

검사: 그건 일본군위안부에 관한 것 아닌가. 공소사실과는 관련이 없다.

변호인: 20호증이다.
<여자의 병기>라는 조선인 위안부의 수기다. 모집되어 강간당하고 울지만 나중에는 국방부인회에 가입하여 기뻤다고 하고 애국봉사단이 되어 일반창기와는 다르다고 자신을 인식한다. 그런 식으로 변해갔던 경우도 있다. 어떻게든 살아가기 위해서일 것이다.
21호증은 일본인 위안부 경우지만, 많은 군인을 상대한 데 따른 고통이 나타나 있다.
22호증은 일본군군의가 쓴 <한구위안소>. 게이코(조선인 위안부)에게 사령관이 표창했다는 내용도 있다. 군인이 업자의 착취에서 보호하려 했던 내용도 나온다. 이 책에 나오는 위안소 이름도 ‘평화관’이다. 위안부가 사모님 취급을 받은 이야기도 나온다.
앞서 말한, 사기를 당해서 왔는데 다른 곳에 취직시킨 정황은 이 자료에 나온다.
23호는 금년 6월에 마이니치신문에 발표된 자료다. 미군의 포로를 심문한 자료이고 조선인이(군속일 가능성이 높다) 증언한 부분이다. 포로들에게 일본의 식민지통치 전반에 대한 생각을 물어 본 자료인데, 이 중에 위안부관련 언급이 나온다. 이들이 “한국 매춘여성 모두는 자원자였거나 또는 부모에 의해 매춘업에 팔려온 여성들이었다. 일본인에 의한 강제적 징발이 있었다면 남자들이 격분했을 것”이라고 말했다고 쓰여 있다.

검사: 이 보고서에 군속이라고 나온다. 민간인 이박도, 백승규, 강기남 이렇게. 위안소를 경영한 업자들로 추정된다. 그러니 이렇게 말할 수 밖에 없었을 것으로 보인다. 왜냐하면 여기 에 끌고 온, 협조한 사람들은 처벌대상이 될 것이기 때문이다. 당연히 자원자라고 말할 수밖에 없다. 내가 강제로 데려온 것이 아니라 스스로 온 것이라고 말하려고 이렇게 증언을 한 거다. 따라서 이 증언은 신빙성이 낮아 위안부 자발성을 뒷받침하는 진술로는 보기 어렵다

변호인: 검사의 추측만으로 이 자료가 신빙성이 없다고 볼 수는 없다.

판사: 이 사람들이 그렇다고 말한 내용이 신빙성 있느냐. 이건 좀 봐야 할 문제다.

변호인: 24호증은 70년 8월14일자 서울신문 기사다. ‘화류계 여성을 동원하던 일제는 점차 인원이 달리자 일반처녀들까지 소집’이라고 서술했다.
25호는 센다가코 인터뷰 내용이다. “일종의 매춘부였다.”고 하면서 “그녀들 스스로가 그것은 나라를 위해서라고 믿고 있었다.”고 말한다. <종군위안부>라는 책에도 같은 인식이 나타나 있다.

검사: <종군위안부>라는 책에는, 일본인 위안부에게는 ‘조국을 위하여’,’군인을 위하여’ 라는 의식이 있었고 자신의 행위를 애국심이라는 설탕으로 장식했다. 그러나 조선인은 강제연행되서 위안부로 일했던 여성들이다. 조선인과 일본인 위안부를 다르다고 규정하고 있다. 그런데도 이 사건 도서에서는 일본인과 조선인을 등치시켜서 같다고 말해 동지적 관계에 있다고 말하고 있다.

판사: 강제연행이란 구조적 강제성이라는 얘기가 없을 때 아닌가. 물리적 강제성을 말하는 것일텐데.

변호인: 강제라고 해도 업자에 의한건지, 군에 의한 건지를 구별해야 한다. (동의함)
27호는 한국정부보고서다. 외교부 정신대문제실무대책반이 1992년 7월에 낸 것이다.
여기서도 군이 위안소 직접 경영하기 보다는 경영은 매춘업자에게 맡기고 군은 위탁 관리 등을 한 게 일반적이라는 인식이다. 모집 방법도 38년까지는 도시지역 여공모집, 식당종업원 등 인신매매 수법이고 38년~40년까진 빈곤 농부의 딸들을 모집했다고 쓰여 있다.
위안부에게 수입이 있었고 업자와 나누었다는 것 등 관리매춘형태임을 알고 있었다.

검사: 이 보고서는 일본군이 목적을 위해 군대를 위한 매춘업을 했고 군대가 직접 전면적으로 개입하여 철저하게 관리할 수 있도록 했음을 알 수 있게 해 준다. 군대에 종속된 집단이었다. 매춘업이라는 단어를 보고, 한국 정부도 매춘업이라고 인식했다고 입증취지로 제시했지만 한국 정부가 위안부를 매춘업으로 인식한 게 아니다. 보고서를 보면 일본군 시각에서 볼때 군대에 의한 강간 예방하고 성병 예방하는 등. 이를 위해 매춘업에 군대가 개입해서 철저하게 관리하도록 했다는 내용이 위안부 연구 초기 시점이고 그래서 제목도 중간보고서다. 한국정부는 위안부를 매춘으로 인식한 적이 없다.

변호인: 이 당시 한국정부는 위안부를 관리매춘으로 인식했다. 그리고 그에 근거해 고노담화가 작성되었다.
28호 증4에는 각 대장에게 내리는 지시가 있다. 이 부분에는 ‘정신적 위안’에 대해 쓰여 있다. “현재 특수위안소는 위안부 수가 적어 단지 정욕 채우는데 불과하니 좀더 수를 늘려서 정신적 위안도 주도록 지도해라.”고. 신체적 성욕 뿐 아니라 정신적 위안도 줄 수 있도록 하는 것이 위안부의 역할이었다는, 강요된 역할이라는 증거자료로 제출한다.

검사: 오히려, 계획적으로 위안부가 운영됐다는 걸 보여준다. 자료 29에서 33은(<종군위안부 관계 자료집성>)은 아시아여성기금에서 펴낸 자료이다.

(박유하 보충: 이 자료들에는 계약서,영업허가서,취직허가서등이 나와 있다. 허가제라는 것은,미성년을 고용하거나 사기 등으로 데려온 사람이 없도록 하는 취지였다.
군인이 폭행도 많이 했지만 헌병이 단속했다. 말하자면 폭행은 있었지만 공적으로 허용된 것은 아니라는 이야기다. 유곽을 위안소로 지정한 정황도 나온다. 군속에게 제복을 착용하도록 한 정황도 보인다. 군속취급을 받은 업자에게도 군복이 지급되었으니 위안부가 군인이라고 착각했을 수도 있다. 위안부는 처음엔 동향사람이 모집되었다. 그 쪽이 더 정신적위안에 안성맞춤일 것으로 기대한 것이다. 위안단중에 일본인이 90명 있었다는 이야기도 나온다.)

변호인: 다음은 위안부 문제해결 방안 연구 ‘여가부 용역 보고서. ‘일제강점하강제동원피해진상규명위원회가 낸 보고서. 연구책임자는 민디 코틀러(아시아정책연구소) 다. 이 사람은 미국하원결의를 이끌어내는데 공헌한 사람인데도, 위안부모집은 인신매매를 통한 것으로 보고 있다.

검사: 인신매매에서 매매주체는, 대상자가 아니고 ‘대상자를 강제 또는 기망에 의해 취득한 사람과 그 사람으로부터 대상자를 사려는 사람’이다. 대상자가 자발적으로 자신의 몸을 팔았다는 것은 결코 아니다

변호인: 이것은 단순강제연행이 아니라 부모등에 의해 팔려가는 등 형태였다는 말을 하기 위한 자료다

검사: 그럼 부모들이 아이가 위안부 일 한다는 걸 알고 팔았겠느냐. 인신매매 대상자가 무슨 일을 하는지 알고 팔았다는 거냐?

변호인: <제국의 위안부>는 속아서 간 경우도 스스로 간 경우도 모두 있다고 한다.
36호증은 2015년에 미국의 일본(역사)학자들이 내놓은 성명서다. 2015년 위안부 할머님들을 위하는 입장에서 나온 보고서다. 성폭력과 인신매매 없는 세계 만들기 위해, 아시아의 평화와 우호를 촉진시키기 위해 과거 잘못을 청산해야 한다고 말한다. 그런데도 위안부 문제는 인신매매라고 인식하고 있다.

검사: 위안부는 군대에 의한 조직적 관리가 행해졌다는 점에서, 그리고 일본 식민지와 점령지에서 가난하고 약한 여성들을 착취했다는 점에서 문제다. 여성의 이송과 위안소 관리에 대한 일본군 관여를 밝히는 자료가 상당수 발굴됐다. 피해자들 증언에도 중요한 증거가 포함되어 있다. 증언들 차이가 나는 점이 있을지라도 전체로서 호소력 있고 공문서로 입증되고 있다. 증거도 존재하지 않고 증언은 일관성 없어 보이지만 전체적 증언은 분명 한 곳으로 향하고 있다.

변호인: (피고인은 그 부분에 대해 의견이 다르지않다.) 위안부와 공창제도에 관한 학자들의 연구도 많다. 일부를 읽겠다. “폐업신고는 폐업신고서를 내야 하는데 그 서류에는 주인업자들이 연명날인을 하도록 돼 있었다. 업자들이 자신들 이익에 반해 창기의 자발적 폐업을 인정할 리가 없었다.”, “군인의 성욕 처리와 성병 예방을 위해 공창을 설치했다.”…등

검사: 증거 38~41호가 공소사실과 무슨 관계가 있나. 위안부가 공창제와의 관계가 무슨 관계가 있나?

변호인: 위안부는 공창제도에 편입된 것이라고 여기에 기재되어 있다. 그러니 명예훼손이 아니라는 증거제출이다.

검사: 모집 장소는 일본 내지다. 차마 군에서 직접 손 댈 수 없는 일이어서 생각해 낸 것이 위안소다. 군속으로 되어 있지만 정식 군 소속이 아니며 내부에서 ‘어용 상인’으로 여겨지는 이시바시 도꾸다로오 같은 존재를 이용했다.

변호인: 인용한 부분은 필요성에 의해 인용했을 뿐이다. 동지적 관계라는 틀 안에서 물건 취급을 받는 것으로 명시적으로 말했고, 말 그대로의 네덜란드, 중국인 위안부 등 전쟁상대국 여성들과 비교되는 개념으로 쓰고 있을 뿐이다.

검사: 연합뉴스 자료 보겠다. 정대협 조치 제안이 2015년 4월23일 나왔다. 군 위안부문제 해결 시민단체와 김복동이 23일 도쿄에서 제시한 방안이다….(생략) 피고인은 책임을 인정한다고 하는데 법적책임이 아닌 무슨 책임을 인정한다는 말인가.

변호인: 그런 것을 왜 문제삼아야 하는가. 하지만 정대협도 법적 책임에 관한 허들을 낮췄다고 표현한 바 있다. 법적 책임을 요구사항에 명시적으로 포함하지 않았던 것이다.

판사: 일본국에 법적 책임이 있느냐 아니냐는 쟁점과 상관이 없다.

박유하 :간단히 보충하겠다.
1) 일본인 위안부와 조선인 위안부를 동일시한다고 하는데 차이에 관해서도 썼다. 장교를 상대하면 인원이적으니 환경과 입장이 더 편할 수는 있다. 하지만 조선인 위안부도 장교를 상대한 경우가 없지 않았다.
조선인 위안부들 중에 일본인처럼 행동한 이들이 있는 건 오히려 이중의 차별이 있기 때문이다. 일본인 창부조차, 일반여성처럼 ‘동등한 일본여성’ 취급을 받기 위해 국방부인회에 적극 가입하고 군인을 전송한다든지 하면서 사기를 드높이기 위한 행동을 했다.

2) 한반도에서도 일본인 여성들이 위안부로 나갔다. 위안단에도 섞여 있었다. 한반도에서 일본인여성이 나가는데 조선인만 따로 강제연행하는 일은 상식적으로 생각하기 힘들다. 당시에 갑자기 연행된 것은 주로 반체제 사상범들이었다. 전쟁터와 식민지의 차이를 봐야 한다.
검사는 안병직교수가 ‘위안단’ 모집을 강제라고 말했다고 했지만, 그 안에 일본인 여성도 많았다는 사실을 간과한 인식이다. 그들도 하루에 수십명 상대하기도 했고 정도의 차이는 있을 수 있었겠지만 여성으로서 동원되어 당한 고통의 질은 같다.

3) 군복지급에 관한 지적이 위안소출입뿐이라고 검사가 말했는데, 한반도로 업자가 모집하러 왔을 때 군복을 입은 것으로 보이는 자료가 있다. 추가로 제출하겠다.

4) 위안소로 가는 걸 알고도 딸을 일부러 판 부모가 있겠느냐 했는데 그런 부모도 적지 않았다. 단 수양딸인 경우도 많았다. 가난에 따른 제도의 희생양이 된 케이스가 많은 것으로 본다.

<중국으로 끌려간 위안부 2>의 일부를 읽어 보겠다

“ 그때가 뭐 열몇살인지 몇인지. 아, 열여섯살 났을 거요. 술집에도 한 2년 있었으니까는. 할머니 할아버지까지 도장 받아오랩니다. 할머니 할아버지까지 도장을 찍어 주겠나. 그래서 우리 아버지가 내 말이라면 또 믿습니다. 그래서 아버지를 데리고 손을 잡고 도랑카에 나가서 사정을 했지요. “아바이 나, 누가 색시 사러 왔는데, 얼마얼마 주겠다는데, 내가 먼 데로 가서 돈 벌러 가갔소.” “여, 그럭하면 어떠카갔니? 내가 너 하나 보고 사는데 안된다.” “안될 일 없다구. 아버지 잘 사는 걸 보구 죽어야지.우리 아버지 돈 쓰고 그저 잡숫고 싶은 거 잡숫구, 나 하나 없는줄 알고 아버지, 나 소개해 주소. 어떡하갔어. 술집에 빠져서 2년동안 돌아 먹었는데 나 촌에 안 있갔시오.” “정 그렇다면 내가 소개해주지.” “그래 어머니 아버지 이름 다 쓰고 도장 다 찍고” “근데 할머니 할아버지 도장 다 찍으랍니다. 어카갔나? 아버지” “그럼 내가 쓰지” 아버지가 써가지구 할머니 도장 할아버지 도장 찍어서 그 다음에 다 동의를 받았수다. 그래가지구 박천으로 올라갔죠 올라가니까네 보더니 우리 아버지 하는 말이 “당신에게 내 딸을 팔았으니까는 다른 데 못넘긴다.” 그렇게 약속을 했단 말요.”

이런 이들은 적지 않았고, 가족을 위해 자신을 희생한 사람들이다.

판사: 중요한 자료같다. 왜 제출하지 않았는가? 제출하라.

박유하: 검사의 질책을 들으면서 제출필요성을 뒤늦게 깨달았기 때문이다. 비슷한 자료는 너무나 많다.

5)허가 신청서를 업주 측 서류라고 검사는 말하지만 ‘작부’(당시는 위안부를 작부라고 부르기도 했다)로 본인들의 허가원도 필요했다. 또 센다가코를 인용한 것을 부정적으로 말하는데, 센다를 책에서 앞부분에 인용한 건 ‘애국’ 의 틀에서 이 문제를 본 저자가 내가 아는 한 센다 밖에 없었기 때문이다. 나도 10년전에 같은 인식을 가졌지만 그 때는 읽지 않았었고 나중에 봤기 때문에 앞선 인식에 대한 예의 차원에서 인용한 것이다.

6) 검사는 위안부가 군속이어도 성노예다, 라고 말한다. 그런데 일본 국회에서 논의된 자료에 대해 쓴 글을 보면, 일본 위안부들이 전투자로 인식되었던 것을 알 수 있다. 수류탄 나르거나 빨래 하거나 한 것에 대해서다. 보상책을 만들어야 한다는 논의가 있었다. 추후 제출하겠다.

7) 18번 연합군 자료를 신빙성이 없다고 하는데, 그 발언의 앞뒤는 일제의 가혹함에 대해 쓰고 있다. 그러니 그 부분만 검사가 원하는 뉘앙스가 아니었다는 이유로 신빙성이 없을 이유가 없다. 더구나 세 발언자 중 한사람에 대한 개인조서가 있는데 탄광부였던 사람이다. 검사가 추측하는 ‘책임을 피하기 위해 거짓말을 하는 업자’가 아니다. 일제의 가혹함에 대한 비판을 전체적으로 말하고 있는 사람이 위안부 관련 사항만 다르게 말할 이유는 없다. 추후 제출하겠다.

8) 미국역사학자들도 위안부문제에 관해 나와 비슷한 인식을 내놓았다. 2015년 5월의 일이다. 내가 <제국의 위안부>에 이들의 성명을 수록한 이유이기도 하다. 오랫동안 위안부문제에 대해 가장 양심적으로 보도해 온 아사히신문이 2014년 8월에 노예사냥을 했다던 요시다세이지 증언을 검증하고 허위라는 결론을 내렸다. 그러나 한국에는 그런 취지가 잘 보도되지 않았다.

9) ’동지적 관계’에 대해 다시 한 번 설명드린다. 우선은 형태적인 의미다. 그저 한국이 일본제국에 포섭되었으니 ‘일본’인으로서 동원되었다는 의미다. 그런 이야기를 한 것은 위안부를 전쟁터에서 처녀들을 끌고 가 군인들이 강간한 것으로만 이해되어 왔기 때문이다. 식민지 통치 하에서의 국민동원의 일종으로 보아야 한다. 그랬을 때 실제로 얼마나 마음으로부터의 행위였는지 여부의 판단은 지극히 어려운 문제다.
그런 속에서 군인과 위안부가 사회 가장 최하층의 인간으로서 고향을 멀리 떠나온 사람들로서 감정적 교감을 할 수 있다. 형식적 틀은 민족적 관계지만, 실제관계는 남녀관계거나 계급적 관계다. 민족 관계로서의 동지적 관계일까봐 겁내고 부정해야 할 이유가 없다.

그런 정황에 대해 알 수 있는 자료를 하나 더 읽어 보겠다. <버마전선 일본군 위안부 문옥주>라는 책이다. 작고한 분이다.

“ 나는 군인들의 기분을 나쁘게 하지 않게, 즐거워하도록 할 수 있는 한 노력했다. 병사들의 가족이나 고향 얘기를 들어주었고, 같이 일본노래를 부르기도 했다. 가정이 있는 병사들도 불쌍했다. 그 사람들은 늘 아내와 아이들을 생각하는 것 같았고 그 중에는 울면서 이런 노래를 부르는 사람도 있었다. 전장에 있는 군인들의 마음과 우리들의 마음은 결국 같았던 셈이다. 전쟁터에 온 이상은 아내도 아이들도 목숨도 버리고 천황을 위해 열심히 일하지 않으면 안된다는 그 사람들의 마음을 이해할 수 있었기 때문에 그들을 열심히 위로하고 그런 생각을 잊어 버릴 수 있도록 얘기해주곤 했다.”

이 분은 좋아하던 군인도 있었는데 그가 전쟁 끝나면 일본에 가자고 해서 자신은 조선으로 가야 한다고 했더니 그 군인이 “그렇다면 내가 조선으로 가지. 요시코가 일본인이 되어도 좋고, 내가 조선인이 되어도 좋아.”라고 했다고도 말한다. “그렇게 일주일에 한번 야마다이치로가 찾아오는 걸 삶의 낙으로 여기며 나는 위안부 생활을 이겨낼 수 있었다.”고. 또,

“ 그 칼은 천황 폐하로부터 받은 거잖아. 적에게 향할 것을, 왜 이렇게 험하고 먼 곳까지 당신들을 위안하러 온 나를 향해 겨누는 거야. 조센삐, 조센삐 하며 사람을 바보 취급하고. 우리들 조선인도 일본인이고, 일본인이 되었다고 그랬잖아.”
“ 세상이란 것이 정말 뒤집히는 경우가 실제로 있긴 있었다. 어느날 갑자기 입장이 바뀌면 인간관계도 변해 버린다. 그것이 또 다르게 나의 슬픔을 자아냈다. 그때까지 “일본은 세상에서 가장 강한 나라다. 일본인은 가장 우수한 인간이다.” 라고 했던 군인들이 나라가 전쟁에서 지자 순식간에 작아 져버렸다. 그건 너무 비참하지 않나 생각하자 또 눈물이 났다. 그 때까지만 해도 나는 여전히 일본인의 마음을 가지고 있었는 지도 모르겠다.”
“나는 타테8400부대의 군속이었다.”

판사: 그 두권의 책을 증거로 제출하라. 다음에는 피고인 심문 진행을 2~3시간 진행하겠다. 다음 기일에 피고인심문까지 하고 자료를 다음기일까지 받겠다. 최종변론은 3주후쯤 최종변론하고 결심하면 어떨까. 11월29일 오후 2시로 바꾸면 어떻겠느냐. 3주 후인 12월20일 화요일에 결심공판을 하자.

허핑턴 포스트 링크 바로가기

[裁判関連] 刑事訴訟 公判記3

[裁判関連] 刑事訴訟 公判記3

過去2回の公判は『帝国の慰安婦』自体の検証であった。言うなれば、本だけを前にして、名誉棄損と指摘された34項目を順番に指し示しながら、検事と弁護人双方が各自の主張を繰り広げる場だった。すでに書いた通り、検事が本についての主張を行うときに根拠としてきた資料の大部分は、学者または支援団体など関係者の話だった。そして、告発がなされた以降の資料が多かった。

だが、検察が提出した資料の中には、国連報告書をはじめとする過去の資料もあった。その大部分は民事裁判に提出された資料だった。そして、それらの資料を援用しながら、仮処分裁判でも損害賠償裁判でも「世界と日本はこう言っているのに、朴裕河だけが慰安婦問題をめぐって戯言を述べている」という原告サイドの主張を受け入れていた。無論私は、一人の学者として私から見た慰安婦問題をめぐる認識を発表したまでだ。その認識が正しいかどうかは、当然、アカデミズムを含む世間で検討されるべき事項だ。だが不幸にも、私の著書についての検証はそうではなく法廷に一任されてしまい、この日は、それらの資料の主張が、検事によって再び代弁された日となった。

10月11日。 3回目の公判では、そんな「犯罪の証拠資料」と共に、検察の主張に反論するための、私の主張の根拠となる「証拠資料」の検証が行われる予定だった。だが、検察の主張とこちらの反論に時間がかかり過ぎたため、こちらの証拠資料についての説明は次回公判に持ち越された。

検事の資料は60件余りで、大きくは告訴状と告訴状補充書、告訴人の意見書、私の著書に検討を加えた法科大学院生のレポートなど、周辺人物の考えを汲んだ述べた資料だ。

そして、ナヌムの家に住む元慰安婦の方5人の口述、慰安婦のおばあさんの口述記録集『トゥリナヨ(聞こえますか)』、証言ドキュメンタリー映像、『55人のオキナグサの少女達』というタイトルの慰安婦の体験資料、日本軍「慰安婦」被害者e-歴史館の資料などの元慰安婦の口述、ナヌムの家に居住されていた慰安婦の1人だったユ・ヒナムさんの捜査官陳述調書が、原告サイドの資料として提出された。さらに、尋問調書、捜査報告書、犯罪経歴等の照会回答書など、私にかかわる検察の資料が、言うなれば、当事者の資料だった。

周辺資料のうち、検察が独自に提出した資料は「捜査報告」という名前で提出された、一般人のブログ上の著書についての感想だけだった。(文学評論家・孫鐘業氏のフェイスブックの文章が添付されている文書。彼は私をアイヒマンになぞらえて非難した人物だ)。

より公的な文書では、慰安婦問題解決のために韓国外交部が積極的に動かないのは違憲と判断した憲法裁判所の判決文、河野談話、 クマラスワミ報告書(1996年 )、マクドゥーガル報告書、アムネスティ・インターナショナル報告書、国際法律家委員会(ICJ)、国際労働機構(ILO)など国際機構による慰安婦問題関連の資料集、アメリカ連邦下院決議文など、慰安婦問題解決運動の結果出されてきた、過去20年あまりの、第三者の認識を示す資料、そして告発がなされた以降に私の著書に下された判断である、仮処分決定書と損害賠償判決文があった。これに、「帝国の慰安婦を語る」というタイトルの若手歴史研究者の座談会資料、在日女性研究者金富子氏の論文、私に対する批判書『帝国の弁護人、朴裕河に問う』に掲載されたいくつかの文章(学者の李在承、金昌禄、金富子、李娜榮氏。評論家のキム・ヨソプ氏 、歴史評論家のキム・スジ氏など。さらに日本人の前田朗氏の文)が追加されていた。

私は今でも、彼らが自分自身の文章が資料として裁判所に提出されていることを知っているかどうか知らない。もっとも、民事裁判のときから出されていたので、知らないはずはないだろう。いずれにしても、私への告発と処罰要求に力を添えたのは、これらの資料だった。

その他は全て、告発以降に出された私を非難する新聞のコラムや記事などだった。

新聞記事の中に、「慰安婦の強制動員を確認」したというものがあり、マッカーサー作成の機密文書にそうした内容が含まれていたという記事があった。ところが、その原文が同じく資料として出されていた国際法律家委員会の勧告文に入っていた。ところがその内容は、狭い意味の強制動員とはむしろ違った状況である。おそらく検事は、数多くの報告書を資料として出していながら中身まですべてチェックできなかったのだろう。当然といえば当然のことで、そうした資料は検事が探してきたものではなくすべて原告の周辺にいる学者や運動家たちが提供したものだからである。さきの仮処分と民事裁判関係者も、同じくそうした資料を内容まで読んではいなかったに違いない。

以下に、この日の公判での検察の主張、そして私と弁護人の答弁を書いておく。双方とも、パワーポイントやOHPを用いて進行したため、私と弁護人は証人席に一緒に座って、検事が提示する資料を見ながら発言した。裁判官はこの裁判に十分な時間をかけようという態度で臨んでおり、今回の公判では、私も十分発言できるよう配慮してくれた。

この日の公判も朝10時に開始され、昼食時間をはさんで夜7時近くまで続けられた。だから、やはり今回の公判記も、やりとりの全記録ではない。メモできたことのみ、さらに、メモから内容を十分推測・記憶できたことだけ書いてみた。

<午前>

検事:過去の損害賠償請求に関する民事判決は、朴裕河氏の主張を「事実の摘示」と判断している。したがって、朴氏の主張は意見の表明ではなく、「事実の摘示」とみるべきだ。慰安婦の方を売春婦と書いたことに、非難しようとする「故意」があったことを立証したい。被告は日本の責任を免罪したいがため、日韓併合が法的に有効だったとまで述べている。自分の解決方法を貫くため(慰安婦は売春婦であると非難しようとする故意を込めて)この本を書いた。

裁判官:今日の公判に入る前に、いくつか確認を行う。

1)検察の意見書によると、被告は「慰安婦の本質は売春」だと述べた。そして、「故意」(意図)があって売春を強調したという。だとすれば、「売春」を「事実」と認めているのか?であれば、「売春」の事実について、双方の意見の違いはないことが前提となる。そして、だとすれば、本の前後の部分―脈絡をよく調べてみなければならない。

2)「同志的関係」についても脈絡を調べる必要があり、検察は同志的関係にはなかったという事実を論証で明らかにすべきである。言うなれば、売春が事実でなく、同志的関係であった根拠がないといえる証拠を提示すべきである。

3)強制性の否定について、検察は被告が日本の責任を否定しようとしたというが、この裁判では日本に責任があるかどうかについては扱わない。

答弁:日本の責任をなかったことにするための「故意」という主張は、思想の検証だ。本書は、日本による物理的な強制性はなかったとしても、日本に責任があるという主張を展開した本だ。これまでに支援団体などが物理的な強制性、つまり、狭い意味の強制性だけを主張したことよって日本の反発が起きたため、被告は広い意味の強制性を主張し、それについても責任があるとしている。被告が日本に”法的責任を負わせることは難しい”としたことをめぐって、日本に”責任はない”と述べたと主張しているが、むしろ、その反対だ。しかも、日本の責任に関する議論は、裁判官もおっしゃった通り、名誉棄損とは関係のない話だ。

検事:パク・ソンア漢陽大教授が学生とこの本について検討を加えたレポートについて、被告は「学生のレポート」だとしているが、学生の感想は一般人がこの本についてどう感じているかをよく表している。つまり、名誉棄損となる。

答弁:パク・ソンア教授はナヌムの家の顧問弁護士でもある。彼女がナヌムの家の依頼を受け、学生たちに分析させた内容が客観的であり得るだろうか。彼らは「一般人的感覚ではなく、初めからこの本について否定的な態度で検討を加えたとみるべきだ。その上、支援団体が流布した知識以外は、慰安婦問題について知らない学生たちだ。全く同じ本について、慣れない認識の提起に戸惑いながらも肯定的に受け入れ、「元慰安婦の方の痛み」をより深く知ることができたとした一般人も少なくない。刊行直後の新聞等の書評やインタビュー記事はほとんど好意的なものであったし、メディアの反応こそ「一般人」の代表的な反応とみるべきだ。

例えば、リベラルインターネットメディアのオーマイニュースは、この本が「軍隊が女性を性的に搾取する構造」を「普遍的な女性問題として提起」した本であるとし、「帝国の最も恐ろしい点は、被害者を加害者に仕立て上げたところ」だと受け止めている。

検事:(ここでは主に原告サイドが民事裁判で提出した告訴状の内容を発言)この本は自分の解決方法を貫くため、慰安婦について虚偽を書いた本だ。ところが、国際社会も慰安婦制度は性奴隷制度であったと言っている。一方、被告は日本の責任をの免罪するのため、一部の事実をもって全体の事実であるかのように述べている。植民地化していたのに合邦と述べており、『正義とは何か』のマイケル・サンデル教授の主張に照らし合わせてみても、被告は共通善と正義に背いている。他の学者も被告を批判している。ホロコーストを否認した外国の作家は処罰されたのだ。

答弁:被告はこの本で具体的な解決方法を主張してはおらず、法的解決にこだわらず、当事者も含めた協議体を作って議論しなおそうと述べたまでだ。そして、日本語版には植民地支配に関する反省を述べる国会決議をすればよいと書いた。結論が初めからあったわけではなく、証言集や各種の資料、そして慰安婦問題についての研究と運動に検討を加えた結果の言葉だ。国際社会の結論にも疑問を持っている。一部のみをもって主張を行ったというが、前回答えた通り、私が使った証言は必ずしも少なくもなく、少ないとしても、それは記録者の期待に添う口述が多くなる。

運動が長引いているのに解決が遠い状況がもどかしく、9年前に本を書いたが、支援団体等の関係者は無視した。ここ数年来、日韓関係が行き詰まり、国民間の誤解と葛藤状態が深刻になる一方だった。そこで何が問題だったのか改めて考えてみた本だ。

この本のサブタイトルは「植民地支配と記憶の闘争」だ。日韓併合とは不平等な宗主国と植民地の関係と考えるゆえのタイトルだ 。問題の深刻さを他の事案事柄になぞらえて訴えるのは良いが、ホロコーストと慰安婦問題はまったく異なる問題だ。ホロコーストは民族抹殺を意図したものだが、帝国は植民地人を資源として利用するものである。

この本は慰安婦ではなく支援団体を批判した本だ。そしてそれこそが、訴えられた原因だ。実際に、100か所以上にわたる指摘部分の半数近くが挺対協を批判した部分だった。仮処分申請裁判で、原告が指摘した部分のうち、3分の1だけが裁判部で受け入れられたことも、そうしたことをあらわしている。支援団体は物理的な強制連行と考られていた時期の解決方法だけに20年以上拘泥してきていたので、他の方法はないだろうかと問題提起したまでだ。彼らは問題提起を訴えたのだ。

検事:被告は慰安婦が日本軍と同志的な関係にあったため、日本人の軍人と同等の待遇を受けるべきだと述べている。被告のいう補償とはそういうものだ。

答弁:慰安婦が日本軍と同等の待遇を受けるべきだと述べたわけではない。戦場に動員されながら、男性であれば法的保障によって補償されるのに、女性にはそれがなかった。慰安婦も、徴兵と同じ範疇の被害と考える必要があるはずだというのが被告の主張だ。補償については、日本兵ではなく、朝鮮人日本兵と比較した。朝鮮人日本兵にすら法的保障はあったが、それは彼らが男性だったからだった。日本の敗戦のため朝鮮人日本兵はすぐに補償を受けとることはできなかったが、日韓条約以降、少額ながら補償されており、2006年以降にもう一度補償金が渡された。(死亡者の場合、2000万ウォン)

元慰安婦の方の中には「国のために行けと言われたのだから私たちも補償をもらうべきだ」と発言した方もいる。被告のいう同志的関係とはそのような脈絡での話だ。

裁判官:弁護人側は集団名誉棄損に該当しないという論旨について補完を行われたい。

<午後>

答弁:検事は被告の主張に反論するため、マクドゥーガル報告書を提出しているが、マクドゥーガル報告書は慰安婦問題を「強制強要された売春」との言及があり、そのうえで日本は補償の責任を有すると述べている。特記すべきは、この報告書が業者にも言及しており、民間人の関係者も処罰を受けるべきだと書いてある点だ。

検事:マクドゥーガル報告書は法的責任を認めているが、被告は日本の法的責任を認めない。それがこの図書で被告が強制連行ではないと主張している理由だ。

答弁:マクドゥーガルは日本軍が直接に誘拐し、売春を強制したと考えている。被告は、朝鮮半島の場合誘拐もしくは拉致を行った主体のほとんどは業者だということを述べたのであり、強制連行の主体は日本軍だとする少数証言まで否定したわけではない。クマラスワミ報告書などの国連報告書も、慰安所が売春施設であったと述べている。占領地で軍が直接、拉致強姦を行ったことがあったとしても、植民地の女性に起こったことはそうした状況とは異る。報告書も占領地と植民地を区別している。オランダ人慰安婦の場合は占領地の例だ。

検事:ユ・ヒナムさんの陳述書によれば、朴裕河氏が日本政府から20億ウォンをもらってあげると述べたという。

答弁:被告が20億ウォンをもらって来るとか告訴を取り下げれば20億ウォンあげると言ったとかいう悪意に満ちた虚偽が報道され、被告の名誉はとてつもなく傷つけられている。検察がこういう資料まで使わなければ言及せずに済んだことなのに、すでに故人となった方について言及せざるを得なくなってとても残念だ。ユ・ヒナムさんは民事裁判でも同様の話をし、ナヌムの家の所長もその話を広めたが、それは偽証だ。

被告が20億ウォン発言を初めて耳にしたのは、本を出した後で知り合った元慰安婦ぺ・チュニさんとの会話の中であり、その金額を言ったのはユ・ヒナムさん自身だ。アメリカにおいて日本政府と企業を相手取った訴訟の一人当たりの請求金額として提示された金額だと聞いているが、その話を聞いた被告は日本が補償するとしても、そんな金額にはならないと思うと、その会話で述べている。ぺ・チュニさんもまた、ユさんの話を批判するような話を何度もされた。該当する会話が入った記録は、全て提出することにする。

検事:被告は韓国語版と日本語版の内容を変えて書いている。例えば、韓国語版では日本が謝罪をしなかったと書き、日本に向かっては謝罪したと書いた。

答弁:その話は在日研究者の鄭栄桓氏が自分の著書に書いた話だ。だがそれは、韓国人のほとんどが原文を確認できないことに乗じた嘘だ。鄭栄桓氏の指摘が実は意図的な「誤読もしくは嘘」(蔣正一)だという事実を、作家の蔣正一氏が、日本語ができる人の助けを借りて確認し、指摘した文章がある(https://parkyuha.org/archives/3727)。検事の指摘もまた、根拠のない中傷に過ぎない。

検事:被告は韓国語版の発刊後に行われたインタビューで「悪口を言われる覚悟で書いた本」だと発言している。この言葉は、被告自身が慰安婦を売春婦と称した事実について悪口を言われるだろうと考えて書いたものだ。つまり、被告に慰安婦の名誉を棄損しようという「故意」があったことを物語っている。

答弁:その言葉は被告の発言ではなく、インタビューのタイトルだ。インタビューのタイトルはインタビューされる側が決めるものではない。記者がそう解釈したまでであり、その記事も、この本が慰安婦の名誉を棄損しているため悪口を言われる覚悟をしたという内容ではない。
被告が著書の序文に「少し恐れの気持ちもある 」と書いたのは、元慰安婦の方に対するものではなく、支援団体への批判に対する支援団体の反発、そして長い間支援団体の認識のみを共有してきたメディアと一般人の反発に対する恐れだった。

検事:(私が提出したぺ・チュニさんの映像を画面に掲げ、話を起こした文を読み進めたあと、ぺ・チュニさんが挺身隊に入ったという記事を示しつつ)被告は自発的に行った人もいると述べているが、ぺ・チュニさんの場合は挺身隊に行った人だ。

答弁:ぺ・チュニさんは自分で職業紹介所に行ったと話されていた。死後に出された記者の記事と、生前、直接話しておられたご本人の言葉のうち、どちらを信頼すべきだろうか?これについては録音記録で確認してほしい 。

検事:金富子教授の論文によれば、慰安婦は未成年者が大部分だというが、被告はその事実を否定している。

答弁:被告は「未成年者が少ない」とはしていない。映画『鬼郷』に出てくるような14、5歳の少女、大使館の前の少女像に代表される「10代前半の幼い少女」が慰安婦の中心ではなかったと述べたまでだ。

検事:若手歴史学者の指摘によると、小説を使用するなど、問題が多い。

答弁:その座談会こそ、問題が多い。例えば「解放70年」に触れながら韓国の自省を促す 部分をもってきて、元慰安婦の方を批判したと誤認し、非難するなど、基礎的な間違いと曲解がほとんどだ。これについては反論を書いたので、ご参考願いたい(https://parkyuha.org/archives/3759)。

歴史研究者たちは小説はフィクションだとしか考えなかったようだが、前に述べた通り、小説というものは、長い間口にも出せなかった「真実」を込めた告白のメディアでもあった。慰安婦が「数千回もの性交」をしなければならなかったと書いたのも、軍人として慰安婦をそばで見ていた日本人の手による小説だった。検事は日本人の小説なら日本中心主義だろうと無条件に断定するが、それは人によって異なる。被告があえて日本人の小説を使用したのは、慰安婦の証言は嘘だとして否定し続けてきた一部の日本人に向かって、同じ空間にいた日本人がこう書いていると示すためでもあった。

検事:河野洋平・元官房長官が被告のための声明に参加しているということだが、韓国語版を読んでいないからだろう。日本は謝罪したと日本語版に書かれた部分が気に入ってのことに違いない。河野談話は強制性を認めた談話だ。

答弁:被告は著書で河野談話についても再解釈を試みている。河野元官房長官が、被告の著書についてよく知らないまま被告を起訴したこと対する反対声明に参加することなどあり得ない。河野元官房長官は同じ自民党だが、安倍首相の発言を批判するような人物だ。

検事:被告は笑顔で写っている慰安婦の写真を使用している。この写真が朝鮮人であるという証拠はない。

答弁:被告がこの写真を使用した理由は笑顔を強調するためではなく、そのような表情を撮影した記者の胸中が写真に添えられた説明に表れていたためだ。記者は慰安婦の笑顔に「望郷の念を振り払うため」と読み取っていた。被告は韓日の人々の相互理解に努める人物だ。記者のそうした目や気持ちも伝えたくそのキャプションを添えて使った。当時の日本人も悪魔のような日本人ばかりではなかったことを示すために。さらに、写真を取った記者が朝鮮人と書いている。

(6) 20억 회유설에 대해서

12월 18일 대화를 정리하면서 생략한 부분이 있다. 나눔의 집 할머니들이 미국에서 소송을 일으킬 준비중이고, 그 재판에서 요구하게 될 금액은 20억이 될 거라는 대화내용이다. 배 할머니는 이 20억 문제에 대해 이 날만 두 번, 이후에도 몇 번 언급하셨다. 대부분 그 금액은 타당치 않다는 말씀이셨다. 당연한 일이지만 위안부 할머니들은 가치관도 생각도 같지 않다.
그런데 20년 이상, 한국사회에는 그 사실이 인식되지 않았다. 주변인들에게는 한사람 한사람 다른 “개인”으로서 존재했겠지만 대부분의 한국인에게 “위안부할머니”란 그저 “일제에게 수난을 당한 피해자”이외의 모습으로는 존재하기 힘들었다.
생각하면, 1997년에 일본이 아시아여성기금을 만들어 속죄를 시도했고 (이 때 일본이 모은 국민모금에 붙인 이름은 “속죄금”이었다), 이후 받은 분들이 60명 이상 된다는 사실이 그 동안 전혀 알려지지 않았던 것도, “위안부할머니”라는 존재가 그저 “위안부할머니”로서만 존재하도록 만드는 일에 일조했을 것이다. 하나의 사태에 대한 위안부 할머니들의 감정과 생각이 결코 같지 않다는, 너무나도 당연한 사실이 우리 앞에 가시화 된 것은 고작 한일합의 이후, 그러니까 아직 일 년이 채 되지 않았다. 그나마도 한일합의 직후에 합의를 받아들이겠다고, 자신의 목소리로 말했던 한 분의 목소리는 곧바로 묻히고 말았다. (기사링크: [위안부 타결] 유희남 할머니 “만족은 못하지만 정부 뜻 따르겠다” 쿠키뉴스)
또, 2000년대에 심미자 할머니라는 분이 피맺힌 목소리로 정대협을 비판했음에도 우리는 아무도 그 목소리를 들으려 하지 않았다. 한 사람의 위안부 목소리가 묻혔던 90년대 중반이후 10여년 동안, 운동의 목소리는 국내외적으로 한껏 커졌다.
배춘희할머니로 하여금, 처음 만난 나에게 갑자기 일본을 용서하고 싶다고 말씀하시도록 만든 것은 아마도 그런 세월일 것이다. 배할머니는 이미 90세였다.

그리고 그 한마디는 이후에 이어질 긴긴 대화의 서두였지만, 어쩌면 그 이후 대화의 핵심은 바로 그 말씀에 있었다고, 나는 이제서야 생각한다. 일본을 용서하고 싶다는 건 법적책임은 물론 보상조차 필요없다는 말이었다. 심지어 배할머니는 위안부문제가 문제시 된 일조차 납득할 수 없다는 식으로 말하기도 했다.
배할머니는 하얼빈의 유곽에 있었던 분이다. 그러니 그런 생각은 최전방에서 군인들과 함께 이동해야 했던 위안부들의 체험을 몰랐기 때문일 것으로 생각한다. 그러나 위안부문제를 그렇게 생각하는 분이 있다는 사실을 꽤 오랜 세월 관심을 가져왔던 나조차, 그렇게 늦게 알았다는 사실에 자괴감을 갖지 않을 수 없다.

20억에 관한 배춘희 할머니의 이야기까지 쓰기로 한 이유는, 오로지, 제3회 형사공판기에 쓴 것처럼(https://parkyuha.org/archives/5548), 검사가 유희남 할머니의 거짓진술을, 나의 도덕성을 의심하는 자료로서 제출하고 언급했기 때문이다. 사실 최초의 증언에서 2년, 언론보도에서 1년 가까이 지나도록 내가 확실한 반박자료가 되어줄 이 얘기를 공개하지 않았던 것은, 나를 위한 해명이 위안부할머니에 대한 신뢰상실, 나아가 한국에 대한 신뢰상실로 이어지는 것을 우려했기 때문이다.
유희남 할머니의 이야기를 실었던 많은 언론 중 일부는 나의 반박도 실어 주었지만 대부분은 무시했다. 가장 악의적으로 보도한 매체중 하나였던 “서울의 소리”라는 인터넷매체는 직접 항의했음에도 이 기사를 내리지 않았다. 그리고 그 기사를 반복해 인용하며 나를 “친일매국녀”, “찢어죽일 여자”, “더러운 버러지년”, “왜놈들의 씨받이”라면서 비난하는 이들은 지금도 있다.

—–
2013년 12월 18일

(7:28)
그 사람들은 요구는 뭐.. 돈은 뭐 지금 정부는 130만원씩 주고 있잖아요, 갚아주고 있잖아요, 할머니가 죽을 때까지 다 주고 있는데 그것도 다 무시하고, 김대중씨 돈 준 것도 다 무시하고, 다 무시하고, 어디까지…

유희남이도, 유희남이도. 요번에 돈 달라고. (나한테) 온 것은 재판이 열리면 일본돈 20억 달라 하라고, 이칸다고(이런다고), 20억 요구하라고.

(저도 지난번에 들었어요. 지난번에 말씀하시기를, 옛날에 5천만원이었으니까 지금 받으려면 5억은 받아야 된다 이렇게 말씀하시던데.)

아니야 그거 20억. 넉달 전엔가 회의를 했거든. 내가 아플 때, 내가 병원에서 나와서 아플 때 날 보고, 와 가지고 한단 소리가, ‘너도 20억 달라 해라’. 나는 이유를 모르니까, 뭘 20억 달라고 하노, 하니까 ‘재판할때 한 사람 앞에 20억 달라고 대답해’ 라꼬 말하더라고. 아이고…

(넉달전이면 2013년 7·8월경이고 내가 아직 위안부할머니를 만나러 가기 전 일이다.)

(저 그 서류 봤어요. 어떤 내용인지? 제가 처음 갔을 때, 김국장인가… 사무국장. 그 사람이 저한테 그 서류를 보여 줬는데. 할머니 말씀하시는 거 들으니까 그게 그거 같은데요. 저한테 설명하기로는, 지금 현 상태로는 해결이 안 되니까 재판을 다시 하는데, 그 재판 내용이, 일본을 이기자는 내용이 아니라 합의를 이끌어내는 재판이다, 조정을 하는 재판이다 이렇게 얘기를 하면서, 그렇게 하기로 했다… 이렇게 얘기를 했거든요. 그런데 거기에 할머니 열 분 정도 이름 다 있고 다 동의하신 것처럼 되어 있더라구요.)

어 나는 아파서 병원에서 나와서 둘러보는데, 자기들이 회의하더라고, 회의하고 나오는데 김양도 나한테 와가지고, “20억…” 막 그래서 깜짝 놀랐어. 그게, 20억이 무슨 소리냐고.

(아 그럼 김국장도 20억이라고 얘기했어요?)

뭐 그랬겠지. 마지막에, 가다가 우리 방에 들어와서, “할매, 돈 받을 때 20억 달라고, 할매도 그래야 되는데, 내가 이름 적어놓을게” 이러더라고. 그래서 나는 이유를 몰라서, ‘무슨 20억이라고 하노?’ 그렇게 물어보니까, 나중에 가만히 들어보니까, 유희남이가 한 얘기라. 유희남이 20억달라고 하라고 시켜 가지고, 20억 달라고 재판한다고. 전부 다가 요구한다고 하면서 이름을 다 적어놓은 모양이야. 나중에 알고 보니깐.

(아 네… 할머니 그게 한 사람당 20억인가요? 전부해서 20억이 아니고요?)

아니아니 한사람. 그러니까 내가 ????. ~~가 난줄 알고. 아이고 20억이라고? 2억도 아니고.. 그 사람들도 그 사람들인데 어떻게 20억을 달라 하나, 하고 생각하고 가만히 있었다고.

(그건 가능한 일이 아닐텐데… 그거 혹시 김국장이나 안소장이 말한 금액은 아니구요? 할머님들이 생각하는 금액일까요?)

아니 저, 유희남이.

(아 그건 안 될.. 제가.. 여러 사람들, 일본쪽도 만나고 사람들을 많이 만나는데요, 그건 가능한 일이 아니예요.)

그렇지, 꿈에도 생각 못할 일들을 얘기하고 있는 거야.

(근데 왜 그렇게 불가능한 일을 하려고 할까요?)

그래서 내가 아까 둘러 봤거든, 내가 둘러보는데 나한테 와 가지고 “무슨 소리 하거들랑 20억 달라고 해”라고 이 소릴 하더라고. 나는 “20억이 남의 이름인 줄 알고? 근데 이유가 뭔데?”하니까 가 버리고 없어. 나중에 보니까 회담하던 사람들 다 가고 나중에 보니까, 유희남이가 그 의견을 낸 것 같아.

(아.. 그런 방식으로는.. 절대로 해결이 안될 거예요.)

유희남이는 원래 根性(근성, 곤죠)가, 통이 크잖아. 생각하는 게, 정말 とんでもない(말도 안되는) 생각을 하는 사람이거든.

—–
배할머니와의 대화가 마지막으로 녹취된 날짜는 5월 18일이다. 첫 대화 이후에도 여러 번 20억에 대해 언급하셨지만 5월 3일 통화에서도 이 얘기를 하셨다. 이 무렵 배할머니는 이미 건강이 많이 안 좋으셨다. 그리고 나에게 많은 이야기를 유언처럼 하셨다. ‘알아두라’, ‘써 놔라’, ‘기억해 두라’는 말과 함께.

2014/5/3

아니 뭐 이 얘기는 알아두라 이거지. 자꾸 위안부.., 그.., 그 일본 사람들을, 일본 생각하는 사람도 있다.. 철저하게 장사를… 유희남이 말마따나 한 앞에 20억씩 받아낸다…, 그런 인간들이 있으니까는.

나도 돈 싫지는 않지만, 누구 말마따나 돈 주면 거절 안 해. 그런데 돈에 그런 욕구를 가지고. ..
(이하 생략)

배할머니가 몸이 아픈 와중에도 이런 이야기를 하신 이유를 나는 이 얘기의 앞 부분에서 알 수 있을 것 같다. “아니 뭐 이 얘기는 알아두라 이거지.” 할머니는 “(나만)알고 있으라”는 말을 많이 하셨다. 그리고 살아 생전에 그런 얘기가 공개될 경우 할머니께 미칠 영향이 두렵기도 해서 나는 할머니와의 약속을 지켰다.

하지만 할머니가 두려워한 건 자신의 생각이 세상으로 나가는 일 자체가 아니었다. 오히려 언젠가는 알려지기를 원하셨다. 자신이 있었던 유곽이 실제로 존재했다는 사실을 확인해 달라며 받아 적으라고 하신 적도 있다.

20억 얘기를 반복해 하신 이유는, 꼭 유희남할머니를 비난하기 위해서가 아니었을 것이다. 그 얘기는 오히려, 모두가 멋대로 상상하고 다 아는 것으로 생각하는 “위안부할머니”가, 정말은 결코 하나의 모습이 아니라는 것을 세상사람들에게 전하기 위한 것이 아니었을까.

“그 일본 사람들을, 일본 생각하는 사람도 있다..”는 술회가 그것을 말해 준다. 할머니는 분명 당신의 생각을 나뿐 아니라 세상에 전하고 싶어하셨다. 아마 일본에도.

배할머니는 나눔의집에 거주한 20여년 동안 많은 일본인들을 만나셨을 것이다. 그런데 직접 그런 속내를 들은 일본인은 있었을까. 너무나 늦었지만, 이제야 세상에 전한다.

물론 이 또한 한 분의 생각에 불과하다. 그러나 동시에 혹 단 한분이었다면 더더욱, 그 “목소리”는 소중히 여겨져야 했다. 그럼에도 직접 전할 수 있도록 하는데 도움이 되지 못한 나 자신의 무력에 대해, 나는 앞으로도 오래 생각해야 한다.

(5) 元慰安婦、もう一つの考え:「敵は100万、味方は自分ただひとり

ぺさんは、早くに親を亡くし、祖母の下で育ったということだった。慶尚道出身で、小学校に5年生まで通っていたという。そして友だちと一緒に職業紹介所に行ったのが慰安婦になったきっかけと話した。

女性として小学校教育を受けたということは、無学が多かった当時にしては相当な学力といえる。ペさんは慰安所の名前などを紙に漢字で書いて見せたりしたが、驚くほど達筆でもあった。

その後、私とぺさんの話が主に電話を通してのものになったのは、この日のナヌムの家の警戒の結果である。家族のいないぺさんは、私によく電話をかけてこられた。そしてそのように心を開いてくださったことが私はありがたかった。ぺさんはよく日本語を混ぜて話された。おそらく、私が日本語を知っているということが、日本語で教育を受けたはずのぺさんの心を開かせた一因だったのだろう。

私はぺさんの許可を得て二人の対話を録音することにした。

以下は、その録音内容の一部である。最初の録音は12月18日。ペさんからの電話で、その日わたしたちは一時間以上話した。

長くなりすぎないように、話を整理し、文脈がわかるように私の話を入れたところもある。この日ペさんは、強制連行を含む慰安婦問題に対する考え、韓国社会の対応に関する考え、ナヌムの家の元慰安婦の方々との葛藤、ナヌムの家の事務所との関係などについて語った。尊敬語は適宜省略する。

話の端々に、ぺさんがこれまで経験した孤独がにじみ出ていた。言うまでもなく、ぺさんの考えや意見だけが正しいと言いたいわけではない。重要なのは、この日もまた「敵は百万、味方は自分ただ一人」と語ったことである。ぺさんはそのように孤独を訴えたが、私は結局、その孤独な状態を変えてあげることができなかった。

(会話に出てくる個人名は伏字とした。録音状態が良くなく内容が確認できないところも一部ある。括弧部分は私がハルモニに対して語ったことや、この文を書きながら追加した私の考えである。意味が確かでないところのうち、把握・類推可能なところは補完し、語尾など形を整えた部分も多少ある。省略処理した部分は、公開する意味がないと思われるものや、他の元慰安婦の方との葛藤の部分である。)

(録音日2013年12月18日 18:19:24)

<不信>

ぺさんは何度も、慰安婦問題をめぐる周辺の状況について批判していた。この日は、慰安婦が軍隊を追っかけていたと記述した教学社の教科書が問題化した日だったようである。ナヌムの家に記者たちが取材に訪れた話をし、記者たちに対するナヌムの家の対応に対して不満を述べた。

ぺさんは、教学社の教科書を否定するためにナヌムの家が出した資料について「テレビでは相変わらずそれだけを十数年、、、私がここに来てから十八年になるのに、いつもその写真一枚だけ出している」と考えていた。

そして「あの場面は中国ではない。フィリピンか、他の国だろう」と話しながら、「東洋の軍人が服を脱いだ姿で」映されている写真について「そんなことになったら大変だよ。憲兵たちがしょっちゅう見張ってるのだから」とも。そして

「昔、私たちも見たけど、日本人たちが朝鮮で何の、、、そんな商売した人は朝鮮にも中国にもいない、、ここだけの話だけど、みんな、朝鮮人だよ、、、中国では中国人が経営したし、朝鮮人たちが中国語を習って、、、全羅道の人?テアン(?)の人たちがやったよ。日本人は、昔キャバレー、キャバレーや飲み屋みたいなのはやったかもしれないけど、そこで、お客相手に体を売るような商売はしてないよ。日本人は。中国にもいない。」

(でもハルモニたちは日本人もたくさんいたと仰ってますよ)

(日本人業者がいなかったとい発言について、私はぺさんが間違っていたか、日本人業者がそこに少なかったゆえのことかもしれないと考えていた。最近見たある資料によるとハルビンには各種業者のうち朝鮮人が占める割合が90パーセントだったという。(韓錫正『満州モダン』、2016)

「あれはめちゃくちゃなこと言ってるのよ。ならば住所とか、、どこで、そういうことしたというのか(聞きたいものだよ)。そういう人たちに、自分がいた場所を聞いてみないと。そういうの、私が思うには、まあ、また言うけれど、この世では通るかしらないけど、あの世では通らないよ。」

(そういう話、他の人にされたことないのですか?)

(ぺさんの考えがどこまで正しいのか、私にはわからない。いずれにしても、ぺさんは、他の元慰安婦のかたの一部が嘘をついていると考えていた。ぺさん がナヌムの家で孤独だった根本的な理由でもあるだろう)

「たまに、私が、他のことでね、まぁこのこともそうだけど、`あらまあ、この世では通るかもしれないけどあの世では通らないわよ`〜というと、拗ねちゃって、、、」

(中略)

<ナヌムの家と元慰安婦>

「***が美しい財団(注:現ソウル市長朴源淳氏が始めた市民団体)に、日本政府からの秘密の、政府の金じゃなくて民間の金を五千万ウォンもらって、それに自分の五千万ウォンを、、。美しい財団に寄付したのね。(中略)ところが、二千五百万ウォンを事務所にあげた。事務所も、寄付してくれるならありがたいと、受け取ったのよ。だけど、おばあさん同士で争いが起きると、、、(中略)。」

(ハルモニたちが事務所にお金をあげることもあるんですね。知りませんでした。)

(ここで言及されている方は、アジア女性基金を受け取った方である。聞く所によると、ナヌムの家に居住している方はみんな基金を受け取ったという。ところがぺさんですらそのお金を「日本政府の金でじゃなく民間の金」と理解していた。そしてそのお金が美しい財団に寄付されたという。美しい財団は、その金が元慰安婦のための「日本国民のお金」でもあることを知っていながら受け取ったのだろうか。皮肉と言うほかない。

私は朴市長がソウル市長選に出た時、彼を支持した。朴市長は二〇〇〇年に東京で女性国際戦犯裁判が開かれたとき「検事」として参加してもいる。ソウル市長当選後、少女像設置の許可のほか挺対協に対するソウル市の支援が目立っているのもそうした関係の延長線上のことなのだろうか。

<懐疑>

(中略)

「まったく、あれこれ、ここ、全然わけがわからない。(中略)学校出た人がいるんだか。。本人の話じゃ2年生だった時、、なんとかいうけれど、あそこに行けば、娘さんがいる、誰々さんのところに行けばその家の娘がいるとか、、、(というけれど)おばあさんたちがそれを全部知るわけないでしょ。おかしいじゃない。」

(知ってるのがおかしいとうことですか?)

「ここの人たちに、、、連行された、と言うから。外にいたのに連れていかれたとか、、」

(あ、どこの家に娘さんがいるのか、村人じゃないならどうやってわかるのかということですね?)

「その人たちがどうやってそれを知って連行しに行くの?。。おかしいじゃない。」

(中略)

(ぺさんは、一貫して支援団体と一部の元慰安婦の方のいわゆる「強制連行」主張に対して懐疑的だった。

(私を非難する運動家たちは、挺対協が纏めた証言集にそうした話も全て入っているのだから元慰安婦たちの声を押さえつけたことになるわけではないと言う。
しかし、重要なのは、なぜ外への伝達過程で「異なる声」が排除されたのかという点だ。また、国内メディアと日本社会と国際社会に向けての運動で、なぜこうした声とは反対の声だけが強調されたかという点である。わたしはその理由について、最近ようやく理解できた気がしている。それについては後述することにする。

<憐憫・孤独>

(ぺさんは、自分は尼になるべき運命と言われたのにそれとは「反対」の人生を生きることになったと自嘲的に語った。アフリカの貧しい子供たちを助けたいと考え、一緒に暮らす元慰安婦の方に促してもいたという。ところが「私たちの方がもっと可哀想だ」と言われ、同調してもらえなかったことに残念な気持ちを繰り返し語ってもいた。そうした情けの気持ちは、あるいは「尼になるべき運命」への自覚からきていたのかもしれない。

ぺさんは中国で日本からの独立を迎え、韓国戦争の頃日本に渡ったという。そこで長く暮らし、56歳になってから健康を壊して韓国に戻った。帰国の時は甥に韓国から来てもい、永住権を返還して韓国に来られたようだ。)

「日本を離れる時、故郷に帰ったところで誰もいない。どうして私はこんな運命になったのだろう、、、という気持ちになってね。故郷に帰ってみたら、いとこたちが9人もいたのに皆死んで一人だけ残ってたの。あと、腹違いの弟が一人、プチョン(?)にいた。(中略)、、、これはもう小説にも書けない。。、」

(最初のうちは慶尚南道の倭館で暮らし、九十二年、金泳三大統領の時代に元慰安婦を探している放送を見たという。)

「あの時、腹違いの弟もいたし、こんなこと知られちゃいかんと思って知らんぷりしたのよ、、」

「(ところが)金泳三が、あの方が、そういう経験ある人はあらいざらい書いて申し出ろって、そういう経験のある人は申し出ろって言って。正直、私は大邱出身で、つれて行かれたわけじゃなく、大邱に行って、人事紹介所、そこに行って、そういう話をしたのが、、、」

「あの時は郡庁とかで、チラシで広告だしてて、スウォンからどこどこに行けばいいっという、そういうチラシをたくさん出していたから、それを見て、(申し込みに)行ったんだ。」

(ぺさんの人生もまた、小説のごとく数奇である。幼い頃に親を亡くし祖母に育てられ、おそらく独立のために、職業紹介所にみずから赴いた少女(1923年生まれということだったが、何歳に行ったのかは聞いてない。)友だちも親戚もいない日本で、戦後も長く暮らし帰国した一人の女性。ぺさんの話を聞きながら、私は「天涯孤独」という単語を思い浮かべた。ぺさんが初期に手を挙げたのは、そうした孤独から逃れたかったからかもしれない。)

<沈黙・信念>

(何故、ハルモニの話を聞こうとする人がいなかったのでしょう。他のハルモニたちのお話はほとんど記録されて世の中に出ているのに。どうしてハルモニの話は聞こうとする人がいなかったのでしょうね。)

「いや、わたしだって大体はするけど、あの人たちが書いてるのを見ると、まあ、何を言っているんだか、わからない。小説を書ける人たちはうまく書くのだろうね」

(自分の人生は小説にも書けないと言っていたぺさんは、今度は「小説」という表現を使ってほかの元慰安婦の証言に強い違和感を示していた。一般に通用する「小説」に対する相反した二つの理解(一般人が経験することのできない波乱万丈な「真実体験」。また、その逆の意味としての「虚構」。)をぺさんもまた共有していた。

元慰安婦たちの経験は言うまでもなく重いが、自分とまわりの人の体験に限定される。したがってぺさんが見届けることがなかったというだけで、ほかの元慰安婦が語った事実が存在しなかった、ことになるわけではない。しかし私は、ぺさんの違和感を理解した。

早くに声をあげ、慰安婦問題とほぼ同じ月日を生きてきたぺさんの違和感。長い間共に運動に関与してきた方々が、いつかこの違和感に応えてくれることを願いたい。)

(中略)

(ハルモニのお話はとても興味深いのですけれど、何故他の人たちはその話を聞こうとしなかったんでしょうね。ハルモニが話されなかったのですか?)

(中略)

「研究者たちが来ても、特別に私のところに来て聞く人はいなかった。おばあさんの中には、アルツハイマーになった人もいるし、寝たきりの人もいるし、ものごとへの理解ができてたりできてなかったりするひともいるしねえ。。

知ったかぶりをする若い人たちには、まぁ、何も言いたくないの。まあ、、まためちゃくちゃだろうと思ってね。勝手に話を進めるのだけどそれに向けて、私が、歴史を知りなさいよ、知りなさいよ、、、と(ことさら)言う必要もないしね、、、」

(ぺさんの語る「知ったかぶりをする若い人」が誰だったはわからない。いずれにしても、ぺさんはその人に対してご自分の体験を「語る」ことは無意味だと考えたようだった。口述記録者が、既に決まっている「正解」を期待してとりかかったのだろうか。ぺさんの話が残されてなかった背景にはそうしたことがあった。
他の元慰安婦の健康状態に対してのぺさんの言葉は、ご自分の健康への自信とエリート意識が作ったものなのだろう。真実は、ナヌムの家の関係者たちだけが知っているはずだ。この時から丁度半年後、私はナヌムの家に暮らす九人の元慰安婦の名前からなる告訴状を受け取ることになる。

(中略)

「日本軍につれていかれたと言うし、、軍人が十三歳の子供を殺したとか。。。(しかしわたしは)自分で聞いてない話は聞く必要がない。これは間違いない、そういう質問だったら(答えて)残すかもしれない。しかしこういう話、おかしいな、と思うと、私はもう話さない。」

 (それで話をされなかったのですね。ほかのハルモニたちと話が異なるようです。)
(ぺさんの信念が垣間見える気がした。ぺさんにとっては、ただ自分の話を聞いてもらうことより、真実を残すことが重要だったようである。)

「その人たちも個人向けではあまり話さない。他の人たちが来ると話すかもしれないけれど。、、、)

(そうだったんですね。ありがとうございます。色々話してくださって。)

「あんたはまぁたまたま日本語もできるし、私がしようとしてしてるわけではない。たまたま、その、、喋りたいという、そういう(気持ちが)、、、」

(このあいだも、偶然テーブルで同席しただけなのに、ハルモニが色々お話ししてくださって驚いたけど、嬉しかったです。)

「私は日本と親戚でもないし、日本が特別に、まぁ、私についてきてあれこれやってくれたわけでもない。お金をもらったこともないしね。

私は正々堂々。私はお釈迦様を信じてるから、正々堂々と、私が知ってるのは自分の心のうちだけ。ここにいる人たちにたまに聞いてみると、直接は聞いてないけど、***は、まぁ、口を開けば、全部〜から殺した、〜から殺したと。まぁ殺したとして、噂とはいつも、何ヶ月後にでも噂は立つもので、どこかで何かがあったら噂になる。しかし、私は噂を聞いたことがないのだよ。なのに、(そういう)私が(話を)作って喋らなきゃならないの?

短い命じゃないの、ひとは。生きてったって。ちょっとだけこの世に来て、また帰ることになっている人たちなのに、何のために嘘つく。言葉を作ったり。そんなこと絶対ないよ(中略)。」

(ぺさんの信念は、仏教徒であることから来ているようだった。ぺさんは誰よりも自分に素直であろうとした。そして、そうした自分を「正々堂々」という言葉で表現した。「短い命」「ちょっとだけ」来てまたあの世に帰る人生。私がぺさんに親近感を覚え、一人の人間として好意を持ったのは、こうした性格と価値観のためだったように思う。

 ぺさんは、自分が考える真実を語る理由が日本との特別な関係のせいではないということも強調したがった。

もちろん、他の元慰安婦の方たちに対するぺさんの視線がどこまで正当なものであるかは、現場にいなかった第三者が判断すべきことではない。ぺさんは、他の元慰安婦たちは喜ぶ「高い(栄養)注射」を断り、それほど高価でない注射を受けたという話もした。そういう話も、他の方たちがより体調が悪かった結果と考えるべきだろう。

 ただ、ぺさんが自らの健康と命に対しての執着があまりなかったということだけは、確かだった。)

<日本人訪問者>

(中略)

(ハルモニたちの中には、証言で「日本の首相は私たちが死ぬのを待っている」という風におっしゃる方もいます。)

「あぁ、あの人たちは、首相だけじゃなくほかの場合も、`私たちが死んだかどうか見に来たのか`という風に言う。だから、(日本の)学生たちがそれを知って泣くの。

(中略)日本人に、本音かどうかは関係なく、日本人が訪ねてくれば、ただ、ようこそいらっしゃいました、っとでも挨拶して、日本としても、その、あれこれ苦労が多いですねとか、心がこもってないとしてもそう言えばいいのに、「あんたら何しに来たのか、わたしたちが死んだか死んでないか見に来たのか」***がそう言いながらつめよるだよ、お客さまに。」

(学生たちにもですか?)

「あぁ。そのように韓国語で言って睨むから、学生たちは理由がわからなくて泣いてるの。」

(だけど、見ればわかりますよね。嫌われているというのは、、、)

「そう、良い言葉ではないなあ、とわかるだろう。」

(やさしい子たちが多いのに、(ハルモニたちは)どうしてそうされたのでしょうね。。)

以上が、2013年冬のある日の夕方の、ぺさんとの電話内容を纏めてみたものである。ぺさんの話は、多くのことを語っている。訪ねてくる日本人に向けての「態度」はただの礼儀の問題ではない。ひとつの態度は、目の前の対象に対する理解と感情、さらにその人の性格と価値観が形造るものである。

私がこの文を書くことにしたのは、ひとりの元慰安婦のこうした「態度」を伝えたかったからでもある。

日本に対する態度にとどまらない、世界に対する態度と平和の関係については、第3章で書きたい。


ハフィントン・ポストのリンク

[형사1심] 제3회 공판기

박유하

지난 두번의 공판에서는 <제국의 위안부> 자체를 검증했다. 말하자면 양측이 책만을 놓고, 명예훼손이라고 지적된 34개 항목을 순서대로 짚어가며 검사와 변호인이 각자의 주장을 펼친 자리였다. 이미 쓴 것처럼 검사가 책에 대한 주장을 말할 때 근거로 가져온 자료는 대부분은 학자 혹은 지원단체 등 관계자들의 이야기였다. 그리고 고발 이후 자료가 많았다.

하지만 검찰이 낸 자료중에는 UN보고서를 비롯한 과거의 자료들도 있었다. 그 자료들은 대부분 민사재판에 제출된 자료들이었다. 그리고 그 자료들을 원용하면서 가처분재판부도 손해배상재판부도 ‘세계가 이렇게 말하고 있는데 박유하만 위안부문제에 대해 딴 소리를 한다’는 원고측 주장을 받아들였다. 물론 나는 한 사람의 학자로서 내가 본 위안부문제인식을 내놓았을 뿐이다. 그 인식이 옳은지 여부는, 당연히 학계에서 검토되어야 할 사항이었다. 하지만 불행하게도 나의 책에 대한 검증은 학계가 아니라 법정에 맡겨지고 말았고 이 날은 검사에 의해 그런 자료들의 주장이 다시 대변되는 날이기도 했다.

세번째 공판에서는 그런 ‘범죄증거자료’와 함께, 검찰의 주장을 반박하는 나의 ‘증거자료’에 대한 검증이 이루어질 예정이었다. 하지만, 검찰의 주장과 우리측 반박에 시간이 많이 걸려, 우리쪽 증거자료에 대한 설명은 다음번 공판으로 미루어졌다.

검사의 자료는 60여개였다. 크게는 고소장과 고소보충서, 고소인의 의견서, 나의 책을 검토한 로스쿨 학생들의 보고서등 주변인들의 생각을 담은 자료.

그리고, 나눔의집 거주 위안부 할머니 5인의 구술, 다른 위안부할머니들의 구술기록집 <들리나요>, 증언다큐영상, ’55인의 할미꽃 소녀들’이라는 제목의 위안부의 체험자료, 일본군 ‘위안부’ 피해자 e-역사관자료 등 다른 위안부 할머니 구술, 그리고 나눔의 집 거주 위안부 중 한분인 유희남 할머니의 수사관진술조서가 원고측 자료로 제출되었다. 거기에 신문조서, 수사보고서, 범죄경력 등 조회회보서 등 나에 대한 검찰의 자료와 그 외 자료들이, 말하자면 당사자들의 자료였다.

주변 자료중 검찰이 독자적으로 제출한 자료는 ‘수사보고’라는 이름으로 제출된, 일반인 블로그에 있던 책에 대한 감상(여기에 문학평론가 손종업 씨의 페이스북 글 첨부, 그는 나를 아이히만에 빗대면서 비난한 사람이다) 뿐이었다.

보다 공적인 문서로는, 위안부문제해결을 위해 외교부가 적극적으로 나서지 않는 것은 위헌이라고 판단한 헌법재판소의 판결문, 고노담화문, 쿠마라스와미 96년 보고서, 맥두걸보고서, 국제앰네스티 보고서, 국제법률가회의, ILO 등 국제기구의 위안부문제 관련 자료집, 미국연방하원결의안 등의 위안부문제에 관한 제3자의 기존인식등, 위안부문제해결 운동의 결과로 만들어진 과거 20여 년의 자료, 그리고 고발 이후 나의 책에 대해 나온 판단인 가처분 결정서와 손해배상 판결문이 있었다. 여기에 <제국의 위안부를 말하다>라는 제목의 ‘젊은’ 역사연구자들의 좌담회 자료, 김부자 교수 논문, 나에 대한 비판서 <제국의 변호인-박유하에게 묻는다>에 실린 몇몇 글 (학자 중엔 이재승, 김창록, 김부자, 이나영 교수 등. 평론가 김요섭, 역사평설가 김수지 등의 글과 일본인 마에다 아키라의 글도 포함)들이 추가되었다.

나는 여전히, 이들이 자신의 글이 제출된 것을 아는지 모르는지 모른다. 아무튼 나에 대한 고발과 처벌 요구에 힘을 보태게 된 자료들은 이런 자료들이었다.

그 이외엔 모두, 고발 이후에 나온 나에 대한 비난 신문칼럼이나 기사들이었다.

신문기사 중에 ‘위안부강제동원을 확인’했다는 내용이 맥아더가 작성한 기밀문서에 들어 있다는 기사가 있었는데, 자세한 내용이 국제법률가회의의 권고문에 들어 있었다. 그런데 그 내용은 오히려 좁은 의미에서의 강제동원과는 다른 정황이었다. 아마도 검사는 수많은 보고서들을 내용까지 일일이 검토하지는 못했을 것이다. 한국에서는 ‘국제사회도 위안부문제를 강제연행으로 인정’했다고 자주 말해 왔지만, 기존 재판부나 관계자들 역시, 대부분은 그 내용까지 읽은 적이 없지 않을까.

이하에 이 날 공판에서의 검찰의 주장, 그리고 나와 변호인의 답변을 써둔다. 양쪽 다 파워포인트나 OHP를 사용하며 진행했기 때문에, 나와 변호인은 증인석에 함께 앉아 검사가 제시하는 자료를 보면서 발언했다. 판사는 이 재판에 충분히 시간을 들여 판단하고자 하는 태도를 보여 주었고, 이번 공판에서는 나도 충분히 발언할 수 있도록 배려했다.

이 날 공판도 아침 10시에 시작해, 점심시간을 사이에 두고 저녁 7시 가까이까지 이어졌다. 따라서 이번 공판기 역시 오고 간 내용의 전부는 아니다. 메모 가능했던 것만, 또한 메모에서 내용을 충분히 유추/기억 가능한 것만 쓰기로 한다.


<오전>

검사
지난 손해배상민사판결은 박유하의 주장을 ‘사실적시’로 판단했다. 따라서 박의 주장은 의견표명이 아닌 ‘사실적시’로 보아야 한다. 위안부할머니를 매춘부로 쓴 일에 비난하려는 ‘고의’가 있었음을 입증하겠다. 일본의 책임을 무화하기 위해 한일합방을 법적으로 유효하다고까지 말한다. 자신의 해결방법을 관철하기 위해 (위안부는 매춘부라고 비난하려는 고의를 담아) 이 책을 썼다.

판사
오늘의 공판으로 들어가기 전에 몇가지 확인하기로 한다.

1) 검찰의 의견서에 따르면 피고는 ‘위안부의 본질은 매춘’이라고 했다. 그리고 ‘고의'(의도)가 있어서 매춘을 강조했다고 했다. 그렇다면 ‘매춘’을 ‘사실’로 인정하는 것인가? 그렇다고 한다면 ‘매춘’ 사실에 관해서는 쌍방에 의견차이가 없는 것으로 전제하겠다. 그리고 그렇다고 한다면 책의 앞뒤 부분—맥락을 잘 살펴야 한다.

2) ‘동지적관계’에 대해서도 맥락을 살펴야 하며, 검찰은 동지적 관계가 아니었다고 하는 사실을 논증으로 밝혀야 한다. 말하자면 매춘이 사실이 아니고, 동지적관계라고 말할 근거가 없다는 증거를 제시해야 한다.

3) 강제성 부정을 두고 검찰은 피고가 일본의 책임을 부정하기 위한 것이라고 하는데, 이 재판에서는 일본에 책임이 있는지 여부는 다루지 않는다.

답변
일본의 책임을 무화시키는 ‘고의’를 주장하는 것은 사상검증이다.

본서는 일본에 의한 이른바 물리적 강제성이 없었다 해도 일본에 책임이 있다는 주장을 펼친 책이다. 그동안 지원단체 등은 물리적 강제성, 즉 좁은 의미에서의 강제성만을 주장했고, 그에 따라 일본에서 반발이 일어났기 때문에 피고는 넓은 의미의 강제성을 주장하면서 그에 대한 책임이 있다고 한 것이다. 더구나 피고가 일본에 법적책임을 지우기는 어렵다고 한 것을 두고 일본에 책임이 없다고 했다고 주장하는데, 오히려 그 반대다. 더구나 일본의 책임에 관한 논의는 판사님도 말씀하신 것처럼 명예훼손과 상관없는 이야기다.

검사
박선아 한양대 교수가 학생들과 이 책을 검토한 보고서를 두고 피고는 ‘학생의 리포트’로 폄훼하지만, 학생들의 감상은 일반인들이 이 책에 대해 어떻게 느끼는지를 잘 보여준다. 그러므로 명예훼손이 된다.

답변
박선아 교수는 나눔의집의 고문변호사이기도 하다. 그런 그가 나눔의집의 의뢰를 받아 학생들을 시켜 분석한 내용이 객관적일 수 있겠는가. 그들은 ‘일반인’적 감성이 아니라 처음부터 이 책에 대해 부정적인 태도로 검토했다고 보아야 한다. 더구나 지원단체가 유포한 지식 외엔 위안부문제에 대해 전혀 알지 못하는 학생들이다. 똑같은 책을 두고 익숙하지 않았던 인식제기에 당혹스러워 하면서도 이 책을 긍정적으로 받아들이고 ‘할머니의 아픔’을 더 잘 알게 되었다고 말한 일반인은 적지 않다. 발간직후 신문등의 서평, 인터뷰 기사들은 대부분 호의적이었고, 언론 반응이야 말로 ‘일반인’의 대표적 반응으로 보아야 한다.

예를 들면, 오마이뉴스는 이 책이 ‘군대가 여성을 성적으로 착취하는 구조’를 ‘보편적인 여성문제로 제기’한 책이며 ‘제국의 가장 무서운 점은 피해자를 가해자로 만든다는 점’을 제기한 것으로 받아들였다.
제자리 걸음인 위안부 문제, 무엇이 문제인가 [책수다] <제국의 위안부>… ‘위안부=피해자’ 구도 거부한 도발적 문제제기

검찰 (이 부분은 주로 원고측이 민사재판에 제출한 고소장을 중심으로 발언)
이 책은 자신의 해결방법을 위해 위안부에 관해 허위를 쓴 책이다. 그런데 국제사회도 위안부제도는 성노예제도였다고 말한다. 그런데 피고는 일본의 책임을 면죄하기 위해 일부 사실을 가져와 전체 사실인 것처럼 말한다. 식민지화했는데 합방이라고 말하고 있으니 `정의란 무엇인가`의 마이클 샌델의 주장에 비추어 봐도 피고는 공동선과 정의를 배반했다. 다른 학자들도 피고를 비판한다. 홀로코스트를 부인한 외국작가는 처벌당했다.

답변
피고는 이 책에서 구체적인 해결방법을 주장하지 않았고, 법적해결에 고집하지 말고 당사자도 포함하는 협의체를 만들어 다시 논의하자고 했을 뿐이다. 그리고 일본어판에서는 국회결의를 하면 좋겠다고 썼다. 결론이 처음부터 있었던 것이 아니라, 증언집 등과 각종 자료, 그리고 위안부문제에 관한 연구와 운동을 검토한 결과로서 한 말이다. 국제사회의 결론에도 의문을 가졌다. 일부를 가져와서 주장한다고 말하지만, 지난 번에 답한 것처럼 적지도 않으며 적다고 해도, 기록자의 기대에 부응하기 위한 결과일 수 있다.

운동이 오래되었음에도 해결되지 못하고 있는 정황이 안타까워 10년 전에 책을 썼지만 지원단체 등 관계자들은 무시했다. 최근 몇년 한일관계가 경색되고 국민간 오해와 반목상태가 커지는 상황이 안타까워 다시 한 번 문제가 무엇인지 생각해 본 책이다.

이 책의 부제는 ‘식민지책임과 기억의 투쟁’이다. 한일합방이 불평등한 종주국/식민지관계였다고 생각하기 때문에 그런 제목이 된 것이다. 문제의 심각성을 다른 사안에 빗대 호소하는 것은 좋지만 홀로코스트와 위안부문제는 엄연히 다른 문제다. 홀로코스트는 민족말살을 시도한 것이지만, 제국은 식민지인을 자원으로 이용한다.

이 책은 위안부가 아니라 지원단체를 비판한 책이다. 그리고 그것이 바로 고발된 이유다. 실제로 100곳 이상 지적된 곳 중 반 가까이가 정대협을 비판한 부분이다. 실제로, 가처분 재판에서 지적된 곳 중 3분의 1만 받아들여졌다는 것도 그 사실을 말해준다. 그들은 자신들의 해결방식을 20년 이상 주장해왔고 다른 방식도 있지 않을까라고 문제제기한 책을 고발한 것이다.

검사
피고는 위안부가 일본군과 동지적 관계였으니 일본인군인과 동등한 대우를 받아야 한다고 말한다. 피고가 말하는 보상이란 그런 것이다.

답변
위안부가 일본군과 동등한 대우를 받아여 한다고 한 것이 아니라 전쟁터에 동원되면서 남성들에게는 법으로 보상이 보장되었는데 여성에게는 그런 것이 없었으니 징병과 같은 범주의 피해로 생각해야 한다는 것이 피고의 주장이다. 보상에 관해 일본군과 비교한 것이 아니라 조선인 일본군과 비교했다. 조선인 일본군조차 법적인 보장이 있었고 그것은 그들이 남성이었기 때문이라고 한 것이다. 패전으로 인해 일본군 조선인은 보상을 곧바로 받지는 못했지만, 한일조약이후 적은 금액이나마 보상받았고, 2006년 이후 다시 한번 받았다. (사망한 경우 2000만원)

위안부 할머니 중에는 ‘나라를 위해서 나가라 했으니 우리도 보상해 주어야 한다’고 발언한 할머니도 계시다. 피고가 말한 동지적 관계란 그러한 맥락에서의 이야기다.

판사
변호인측은 집단명예훼손에 해당하지 않는다는 논지에 관해 보완해 주기 바란다.

<오후>

답변
검사는 피고의 주장을 반박하기 위해 맥두걸 보고서를 제출했지만 맥두걸 보고서는 위안부문제에 대해 ‘강요된 매춘’이라고 언급하고 있고 그에 대해 일본이 보상책임이 있다고 말하고 있다. 특기할 것은, 이 보고서는 업자에 언급하면서 관련된 민간인도 처벌 받아야 한다고 쓰고 있다는 점이다.

검사
맥두걸보고서에서는 법적책임을 인정하고 있고 피고는 일본의 법적책임을 인정하지 않는다. 이 도서에서 피고가 강제연행이 아니라고 주장하는 이유이기도 하다.

답변
맥두걸은 일본군이 직접 유괴해 와서 강요된 매춘을 하도록 만든 것이라고 생각한 것이다. 그러나 피고는 유괴/납치를 한 주체의 대부분은 업자라는 사실을 말한 것이고, 강제연행주체가 일본군이라는 소수 증언마저 부정한 것은 아니다. 쿠마라스와미보고서 등 유엔보고서도 위안소가 매춘시설이었음을 말한다. 점령지에서는 군이 직접 납치강간을 했지만 있었어도 식민지 여성에 대해서는 달랐다. 보고서들도 점령지와 식민지를 구별하고 있다. 네덜란드 위안부의 경우는 점령지의 경우다.

검사
유희남 할머니의 진술서에 따르면 박유하가 일본 정부로부터 20억을 받아주겠다고 했다고 한다.

답변
피고가 20억을 받아주겠다거나 고발을 취하하면 20억을 주겠다는 등, 악의적인 허위가 보도되어 피고의 명예가 심각하게 훼손되었다. 검찰이 이런 자료까지 사용하지 않았다면 언급하지 않아도 되었을 텐데 이미 고인이 된 분에 대해 언급하지 않을 수 없게 되어 안타깝다. 안타깝지만 유희남할머니는 민사재판에서도 같은 이야기를 하셨는데 위증이다.

피고가 20억 발언을 처음 들은 것은 책을 낸 이후 알게 된 배춘희 할머니와의 대화에서였고 그 금액을 말한 것은 유희남 할머니 자신이다. 미국에서 일본정부와 기업을 상대로 일으킨 소송에서 1인당 청구금액으로 제기한 금액이라고 들었는데 그 얘기를 들은 피고는 일본이 보상한다 해도 그런 금액은 가능하지 않을 것으로 생각한다고 이 대화에서 말하고 있다. 배춘희 할머니 역시 그런 생각이었고 그래선지 그 얘기를 여러번 언급했다. 해당 대화가 들어 있는 녹취록을 전부 제출하도록 하겠다.

검사
피고는 한국어판과 일본어판을 다르게 쓰고 있다. 예를 들면 한국어판에서는 일본이 사죄를 하지 않았다고 쓰고 일본을 향해서는 사죄를 했다고 썼다.

답변
그 얘기는 재일교포연구자 정영환씨가 자신의 책에서 한 이야기다. 하지만 그것은 한국인 대부분이 원문을 확인하지 못하는 것을 이용해서 한 거짓말이다. 정영환의 그 지적이 실은 의도적인 ‘오독 혹은 거짓말’이라는 사실을, 작가 장정일씨가 일본어 가능한 이의 도움을 받아가며 확인 후 지적한 글이 있다. 검사의 지적 역시 근거 없는 중상일 뿐이다.
박유하 죽이기 | 정영환·이명원의 오독

검사
피고는 한국어판 발간 후 행한 인터뷰에서 ‘욕먹을 각오로 쓴 책’이라는 말을 하고 있다. 이 말은 피고가 위안부를 매춘부라 칭한 사실에 대해 욕먹을 것이라고 스스로 생각했기에 쓴 말이다. 즉 피고에게 위안부의 명예를 훼손하려는 ‘고의’가 있었음을 말해준다.

답변
그 말은 피고의 말이 아니라 인터뷰 제목이다. 인터뷰 제목은 인터뷰이가 정하지 않는다. 기자가 그렇게 해석했을 뿐이고 그 기사도 이 책이 위안부명예를 훼손하는 것이라서 욕먹을 각오를 했다고는 말하지 않는다.

피고가 책 서문에 쓴 두려움이란 할머니에 대한 두려움이 아니라, 지원단체 비판에 대한 지원단체의 반발, 그리고 오랜 세월 지원단체의 인식을 공유해 온 언론과 일반인들의 반발에 대한 두려움이었다.
정신대연구소 링크
검사(박유하가 제출한 배춘희 할머니 영상을 보여주고 녹취록을 읽고 나서 배할머니가 정신대로 갔었다는 기사를 보여주며)
박유하는 자발적으로 간 사람도 있다고 말하지만 배춘희 할머니의 경우는 정신대로 간 분이다.

답변
배 할머니는 스스로 직업소개소에 가셨다고 말씀하셨다. 사후에 나온 기자의 기사와 생전에 직접 말씀하신 본인의 목소리 중 어느 쪽을 신뢰해야 하는가? 이에 대해서는 녹취록에서 확인할 수 있을 것이다.

검사
김부자 교수의 논문에 따르면 미성년자가 대부분인데 피고는 그 사실을 부정한다

답변
피고는 ‘미성년자가 적다’고 하지 않았다. 영화 귀향에 나오는 14,5세 소녀, 대사관 앞 소녀상이 대표하게 된 ‘어린 소녀’가 위안부의 중심은 아니었다고 말했을 뿐이다.

검사
젊은 역사학자들의 지적에 따르면 소설을 사용하는등 문제가 많다

답변
그 좌담회야 말로 문제가 많다. 예를 들면 ‘해방 70년’에 대해 자성적인 부분을 쓴 부분을 가져와 위안부할머니를 비판한것으로 오인하고 비난하는 식이다.

기초적인 오류와 곡해가 너무 많다. 이에 대해서는 반론을 썼으니 참고바란다: “젊은 역사학자들의 ‘제국의 위안부’ 비판에 답한다”

역사연구자이다 보니 이른 바 소설을 허구로만 생각하는 것이지만, 앞서 말한 것처럼 소설이란 오랫동안, 말로 하지 못하는 ‘진실’을 담은, 고백의 매체이기도 했다.

위안부들이 ‘수천번의 성교’를 해야 했다고 쓴 것도 군인으로서 위안부를 옆에서 지켜본 일본인의 소설이었다. 검사는 일본인의 소설이면 무조건 일본중심주의일 것이라고 단정하지만, 그건 사람에 따라 다르다. 피고가 굳이 일본인의 소설을 사용한 것은, 위안부의 증언은 거짓말이라고 외치는 일본인을 향해 당신들의 선조도 이렇게 쓰고 있다고 보여주기 위한 것이기도 했다.

검사
고노 전 관방장관이 피고를 위한 성명에 참여했다고 하는데, 그가 한국어판을 읽지 않았기 때문일 것이다. 일본은 사죄했다고 일본어판에 쓴 부분이 마음에 들어서일 것이다.

고노담화는 강제성을 인정한 담화다.

답변
피고는 책에서 고노담화에 대한 재해석을 시도했다. 고노 전 관방장관이, 피고의 책에 대해 잘 모르는 채로 피고에 대한 기소반대성명에 참여한다는 것은 있을 수 없는 일이다. 고노 전 관방장관은 같은 자민당이지만 아베 수상의 발언도 비판해 온 사람이다.

검사
피고는 웃는 얼굴이 찍힌 위안부의 사진을 사용했다. 이 사진이 조선인이라는 증거는 없다.

답변
피고가 이 사진을 사용한 이유는 웃는 얼굴을 강조하기 위해서가 아니라, 그런 얼굴을 찍은 기자의 심중이 사진에 붙은 설명에 나타나 있었기 때문이다. 기자는 위안부들의 웃는 얼굴에서 ‘망향의 념’을 읽어내고 있었다. 피고는 한일양국국민들의 상호 이해를 위해 노력하는 사람이다. 기자의 그런 감정 역시 당시의 일본인 역시 악마같은 일본인만 있었던 것을 보여 주기 위한 사용이었다. 또한 여러 정황상 조선인임이 분명하다.

허핑턴포스트 바로가기

盧 志炫, 「朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』」

書評 朴 裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(盧 志炫)

早稲田大学地域・地域間研究機構 次世代論集 第 1 号

朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』

プリワイパリ社 2013年 327頁/ 朝日新聞出版2014年 336頁

東亜日報記者

早稲田大学 アジア太平洋研究科 博士課程満期退学

盧 志炫

2016. 3. 6

1. はじめに―「20年公的記憶」への挑戦としての本書の意義―

韓国で2013年8月、朴裕河 (パク・ユハ)教授の『帝国の慰安婦』が出版されたときは、社会的反響がこれほど大きくなるとは予想できなかった。発売日がちょうど8月15日「光復節」(植民地から解放された日)だったため『帝国の慰安婦』を扱ったメディアは多かった。2013年8月、多くの文化部記者は「社会的論議があり得るにしても、解決できないままにいる慰安婦問題に対する新しい視点を示している」という立場が多かった。少なくとも2016年現在のようにパク・ユハ教授の本を「正しいか正しくないか」の二者択一の観点からは取り扱っていなかった。「現在の韓国では、パク教授の主張はまさに親日派だと言われる。実際インターネットでは彼女をめぐって「隠れ日本右翼」というふうに批判する意見が少なくない。68周年を迎える光復節を控えての出版という大胆かつ論争的な『帝国の慰安婦』は韓国でどのように受け止められているのか。([本と人生]慰安婦解決法、日本政府はもちろんのこと、韓国の民族主義も障害物)『京郷新聞』2013年8月9日」)

一方では、より大胆な評価もあった。「著者のこのような挑発的主張に肯定するのは確かに容易ではない。しかし、慰安婦問題に関して日本のみを激しく睨みつけてきただけだった私たち自身の姿を一度鏡に映して見るべき時期にも来ているのではなかろうか。」(「慰安婦、半分の真実…隠されている残りの半分をあばく」『東亜日報』2013年8月10日)

もちろん、パク教授の趣旨が誰にでも受け入れられたわけではない。「民族主義的な観点で安易に問題を捉える人々にとっては確かに衝撃的である。しかし、その衝撃は直ぐさま疑問をもたらす。特に・・・帝国と冷戦が残した問題を解決しないままでは慰安婦問題の真の解決にはほど遠いとの虚無主義的主張からは、著者の意図と関係なく日本右翼の影はちらついている」(『ハンギョレ21』第974号、2013年8月16日)からうかがえる。ただし、当時パク教授の本が法的訴訟につながると予想したメディアは、多くなかった。

10ヶ月後事態は急変した。2014年6月「ナヌムの家」で生活している慰安婦被害者のおばあさん9人は、『帝国の慰安婦』が慰安婦被害者たちを「自発的売春婦」・「日本軍協力者」などと名誉を毀損したとして、出版差し止め・販売等禁止の仮処分申請を行うととともに一人あたり3000万ウォンの損害賠償を求める請求訴訟を起こした。裁判所が2015年2月仮処分申請を一部受け入れることで現在『帝国の慰安婦』は問題となった34ヶ所が削除された状態で再販されている。パク教授は1審で9000万ウォン(日本円で約900万円)の損害賠償の支払を命じる判決を下された。

彼女の民事控訴審は現在進行中である。民事とは別に、刑事訴訟のためにパク教授は国民参与裁判(2008年から始まった国民が評議して有罪・無罪を決める「陪審制」と、裁判官と国民が協同する「参審制」から成る)を申請し、自身の本の原稿すべてをホームページに公開した。2015年12月知識人約190名は、パク教授の刑事起訴に反対するという内容の声明を発表した。彼らは、『帝国の慰安婦』の主張には議論の余地はある。しかし、慰安婦問題自体が最初から葛藤を抱える複雑な事案」だと述べながら「起訴により研究と発言の自由が制限されることがある」と主張した。(「朴裕河への刑事訴訟に対して知識人190人が声明」『ノーカットニュース』2015年12月2日)

12月末の韓国政府と日本政府による電撃的な外交的合意は、パク教授を非難する側をより刺激した。「韓日政府が共謀して(好き勝手に)合意を決定した」と主張する側からは、パク教授の1審での敗訴を「正義が勝利した」と解釈した。

このように韓国の状況を詳しく説明する理由は、『帝国の慰安婦』が単なる学術書の領域に止まらない影響を持っているからである。

2.増えていく登場人物、薄れていく加害性

この本は、大きく三つの部分に分けられている。まず、一つ目は朝鮮人慰安婦がどのような経路で日本軍が駐屯している所まで行くようになったのか、また、彼女らがそこでどのような事を経験したのか、慰安婦からの生前の証言に基づいて説明している。二つ目は、日本大使館前での水曜集会を主導している韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)などの支援団体が何故問題解決をさらにむずかしくさせたのかについて指摘している。最後の三つ目は、国際社会で軍慰安婦に関連した内容と合意内容について説明している。

この本が不都合に思われる理由は、長年韓国人が抱いていた一つの物語(Plot)を壊したからである。「幼い少女たちは無理やり連れ去られ、遠く離れた異邦で性奴隷として操られ、苦しめられたが、これについて日本は謝罪を行わず、右翼政治家たちの妄言が相次いでいる。」というものだ。このような、かわいそうな朝鮮人少女と悪い日本国という登場人物が二人の物語を『帝国の慰安婦』は揺るがしている。少女を朝鮮から中国へ、名の知らないある東南アジアの島へ移動させた大勢の登場人物たちが新しく登場してくる。(韓国版26p、日本版34p) 共同体は少女を守ることができなかった。日本人業者だけでなく朝鮮人業者が人身売買と就業詐欺に関わったと著者は説明している。(韓33p、日40p)

韓国人にとって植民地時代の朝鮮人とは、「独立のために抗日運動を行った救国の英雄」と「祖国を売って自分自身の個人的栄達を求めた親日派」の二つのイメージしかなかった。著者は、その両極の間に数多くの人間たちがいたことを指摘している。お金のため、生きるためという理由と、女性の人権を重視しない家父長主義とが、歯車のように噛み合っていたこともあったのだ。 この本は、朝鮮人が介入していたという理由で日本を兔責していない。戦争と帝国主義、強制動員により自らの意思に反して犠牲にされた女性たちについて悲しんでいる。また、彼女らの尊厳と名誉は保護されるべきだとも語っている。

しかし、著者のこのようなアプローチは、必然的に反発を招きかねない。慰安婦を苦しめたり搾取したりした人が民間業者であること、軍が関わってはいたが、その関与した形は私たちが想像しているものとは違っていたと著者が語れば語るほど「一つの敵」が消えていくためである。銃と刀で少女の性を蹂躙した悪のイメージが薄れていくなかで、「だとすれば加害責任は誰に問うべきなのか」という問いだけが残されてしまう。著者は幾度もなく帝国主義システム下で犠牲になった朝鮮人慰安婦問題に対して日本が積極的に乗り出して解決すべきだと促しているが、韓国で「日本の立場を代弁している」と非難されるのもそのためである。

日本軍に対する「他の証言」も韓国読者たちを混乱させている。特に、「同志意識」という部分が非難された。(韓75p、日92p)日本軍は、邪悪な集団としてのみ知られていたが、慰安婦証言集の中の軍人も人間であった。馬に一緒に乗ったり傷を治療してあげながら故郷の話しを語り合ったりする姿、戦闘を前に恐いと言って泣く兵士、死を前に「もう自分には要らない」といいながらお金を置いていった兵士…。「日本軍人と互いに愛し合い、数十年が過ぎた今も忘れられない」と言いながらいまだに彼の名前を憶えているという慰安婦の証言に、韓国人読者が憤りを覚えるのもある意味では当然である。この記憶では加害性が薄れているからである。著者は、慰安婦を闘士としてのみ理解するのは、彼らに記憶を強制することであり、慰安婦たちから自らの記憶の主人になる権利を奪うことだと非難している。(韓117p、日143p)

3.アジア女性基金についての再評価

この本は、それまで失敗したと評価されてきたアジア女性基金についても再解釈を行っている。韓国内では支援団体と学者たちの説明から「日本は、政府レベルの謝罪と補償を行わないために民間基金の形で「適当に」はぐらかそうとしている」という常識がある。著者は、アジア女性基金が韓日両側の支援団体による度を越した憶測が原因で失敗したと評価した。著者は、アジア女性基金について再評価するととともに、韓国社会内で「存在するものの存在しないがごときに声を失っていた」慰安婦おばあさんたちの意見を紹介している。(韓122p、日145p)韓国メディアでは、それまでアジア女性基金に対して反対したり、受け取りを拒否したりしたおばあさんたち、特に支援団体が主管する水曜集会に参加するおばあさんたちの声を多く紹介した。

これに対して、著者は沈美子(シン・ミジャ)おばあさん(2008年死亡)など合計33人が組織した「ムクゲ会」について詳しく述べている。彼らは、1990年代はじめは挺対協を受け入れようとしたが、その後は挺対協の闘争方法に反対する形で組織された。挺対協または支援団体の関係者たちがおばあさんたちを大事にせず、政治活動にのみ没頭しているということが反対の理由だった。アジア女性基金がスタートした際、挺対協は本当の謝罪ではないという理由で、おばあさんたちが日本からお金を受け取ってはいけないと主張した。韓国政府に登録されている軍慰安婦被害者238人のなかで61人だけが基金を受け取った。著者は、アジア女性基金を通して日本の謝罪を受け入れた慰安婦おばあさんたちの声は支援団体によって排除されたと主張している。それまで彼女らは、お金のために裏切った、戦列を乱した裏切り者であった。この本は、彼女らの声も復元させている。

慰安婦おばあさんたちに対する韓国人の心は、罪責感である。国が弱く、力がなくて女性たちを守ってあげることができなかったという申し訳なさと、彼女らの恨みを70年が過ぎている今でも代わりに晴らしてあげるべきだという気持ちを持っている。しかし、これまで「一つの声」だと思われてきた慰安婦おばあさんたちの考えが、実は多様であったのだとすれば、最終解決策や終着駅はどこにすべきなのか。その終着駅について明確だったはずの一つの正解が不透明になったのである。

4.終わりに:解決方法についての根本的な問い

著者は、支援団体が主張する「国会立法による解決」は現実的に不可能だと言っている。日本の法的責任についても既存の主張とは対立する主張を繰り広げている。加害性は薄れてしまった。今まで一元化された慰安婦おばあさんたちの代弁人と思われていた支援団体に対しても批判している。だとすれば、どうすべきだろうか。

この本は、「0」(日本総理の公式謝罪と国会立法による補償)と「1」(朝鮮人慰安婦は自発的売春婦であり、日本は間違ったことをしていない)の極端だけが存在すると思っていた韓国読者に不都合さと驚きを与えた。0と1の間に0.2、0.4、0.7も存在すると語っている。この本は、混乱している読者に一つの明快な答を提示することはできない。「被害者はいるが加害者はいない」という状況を創り上げている。そうだとすると慰安婦の悲しみは、個人の悲劇にすぎないものなのか。

支援団体という中間代弁者について批判をすることで、著者は読者を「それではどのように解決すべきなのか」について悩ませている。韓日合意を受け入れる慰安婦おばあさんがいて、そうではないおばあさんがいるとすれば、何を基準にすべきなのか。最終合意とはどの場合に行われるものなのか。一人でも容認できないのであれば最終合意には至らなかったことになるのか。 『帝国の慰安婦』は、明快な勧善懲悪のストーリーを非常に複雑にさせた。話が複雑なために韓国内では「慰安婦おばあさんを売春婦のように描いた」と非難されることもあり、日本の右翼から「私達と同じく考えている韓国人もいる」と一部分のみを抜き取られて引用されることもある。しかし、両者ともに自分が見たい部分だけを抜き取って利用しているに過ぎない。

韓日の若者達が憤怒を再生産したり、あるいは無関心になるのは防がなければならない。生存者も残りわずかであり、90歳になるおばあさんが憤怒と悲しみを抱いたままこの世を去らないことを期待している。この本は、その和解に至るまでにどうすればよいのか韓日市民に問いを投げかけている。韓日の両国政府が合意履行過程をどのように進めていくのかをまず見届けたいという人が多い。その過程の如何によって『帝国の慰安婦』は互いに対する理解の地平を広めた本になることも、または慰安婦おばあさんたちの尊厳を損ねた本になることもできる。結局、『帝国の慰安婦』は今後の政治状況によって引き続き議論にならざるを得ない、悲しい運命に生まれたのである。

参考文献

1)京郷新聞 2013年8月9日付 (2016年3月6日閲覧)

http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?code=900308&artid=201308092100545

2)東亜日報 2013年8月10日付(2016年3月6日閲覧)

http://news.donga.com/3/all/20130810/56940279/1

3) 「解決されない日本軍「慰安婦」問題を覗いてみた二つの視線」『ハンギョレ21』第974号 (2013年8月13日) (2016年3月6日閲覧)
http://h21.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/35183.html

4)ノーカットニュース2015年12月2日付 (2016年3月6日閲覧)
http://www.nocutnews.co.kr/news/4512471

 

 

PDF File Link

<제국의 변호인>에 관한 반론 노트

2016. 10. 5

박유하

이하는 2016년 봄에 발간된 <제국의 변호인>에 대한 미완성 메모.
이탤릭체는 비판자의 지적내용, 인용, 혹은 요약. 전체적으로 근거없는 허위와 논지부재의 인신공격.

1. 서문-근거 없이<제국의 위안부>를 거짓으로 단정.

1)위안부의웃는 사진’’
이 사진 배치한 이유는 정형화된 위안부와 다른 모습의 위안부를 보여주기 위해서. 또 사진을 찍은 동시대 기자의 연민의 시선도 보여주기 위한 것.

2)일본어판이 한국어판과 다르다

이 책은 역사를 다루기는 하지만  ‘어떻게 보아야 하는지’ 가 중요한 “메타역사서”이기 때문. 역사인식이란 ‘사실’이 중요하기도 하지만 하나의 사실을 어떻게 보는 지가 중요. 물론 그것을 위해서 최대한 많은 정보(사실)필요. <제국의 위안부>는 그런 책. 일본인들을 설득하기 위한. 동시에, 단순번역이 아니라 초벌번역을 바탕으로 다시 쓴 책이니 표현등이 달라지는 것은 오히려 당연.

3)‘민족의 거짓말지적에 대한 반발
정영환에 대한 반론 (4-10) 참조.

여기서 말하려 한 것은 ‘슬픈’ 거짓말의 구조. 업자의 경우 악의적 거짓말이겠지만 그 거짓말을 믿는 척 했던 부모나, ‘정신대’로 간다고 말하지 않고 간다고 말해야 했던 당사자의 ‘슬픈’ 거짓말을 상정. 그런 구조를 ‘그(업자의 거짓말)구조로 빠지기 쉽게 만드는 무의식’으로 판단한 것.
비판자의 지적은 일본어판에서 ‘그렇게 해서 이루어지는 마지막단계에서의 (일본에 의한) 민족적인 유린’ 이라고 쓴 부분을, 멋대로‘민족적 차별’로 쓰고 있음. <제국의 변호인>에는 이런 식의 부정확한 인용이 다수. 정영환의 책처럼. 정에 대한 반론 참조할 것.

4)종잡을 없는 화법/거짓말/변검술
박유하 개인에 대한 오해와, 손종업의 곡해가 만든 인신공격.

`없는 증거 만들기`(김부자)?라면서 구체적인 근거는 말하지 못함.증언집 외에도 다수 다른 자료 사용.
`복화술` (이재승)

얼핏 모순되는 것처럼 보이는 이야기를 한 것은 <제국의 위안부>가 처음부터 한일 양국의 독자를 대상으로 쓰인 책이기 때문. 똑같은 내용을 두고 논하면서 조금은 다르게, 자기반성적으로 바라보는 시선을 제안한 결과.

`곡예적사고`(마에다 아키라)

<제국의 위안부>가 ‘민간업자의 책임을 묻지 않는다’는 마에다의 지적은 책을 제대로 안 읽었다는 증거. 같은 책 안에서 누군가는 업자의 책임을 물어서 문제라며 비난하고 누군가는 업자의 책임을 묻지 않는다고 비난.  <제국의 위안부>에 비난과 고발이 오히려 결국은 비판자들의 (주로 기존 위안부문제관계자) `자의적인` 독해에 있다는 것을 드러내고 있음.

`예외의 일반화`(김창록)

증언집에서 양적으로 소수라 해서 ‘예외’라고 치부할 수는 없음. 드러난 숫자를 두고 예외라고 하려면 증언집 안에서 강제연행이 오히려 극소수인데도 중심인 것처럼 주장해 온 비판자들부터 문제시해야.
또한 구술은 채록과 간행과정에서 정리되고 누락됨. 이에 대해서는 야마시타영애교수의 2016년 발표자료 참조할 것. 검찰이 법정에서 대변하기도 한 김교수의 의견에 대해서는 <형사공판기>참조.

[형사1심] 제1회 공판기 – 아이러니의 한가운데에서

학술서로서의 기본을 갖추고 있는지 의심스럽다’’라는 생각에 대해서는 정영환반론 참조(링크1 링크2).

정영환은 위안부문제자체에 대해 잘 모르고 있고 기존 연구에 의존해 박유하를 비난. 또 다른 이들이 그대로 인용하면서 비난하는구조. 한국의 경우 언론과 지원단체가 20년간 만들어온 `상식`에 위배되는 것으로 보이기 때문에 반발.

비난어법은 근거없는 마녀사냥―‘지능적’, ‘다양한 방식의 화법’, ‘사실이 아닌 것을 사실처럼 꾸며서’, ‘어이없는 거짓말’, ‘시치미

‘자발적으로 간 매춘부라고 하지 않았다’는 해명은, 비판자들이 말하는 문맥으로는 결코 말하지 않았다는 뜻. 그들 자신이 부정적으로 받아들여 반발.

위안부제도가 기본적으로 공창의 틀 안에 있었다는 것은 여러학자들이 지적한 사실(밥원 제출 참고자료 참조)

5)`식민지근대화론 위안부편`

일본의 책임을 흐리는데 목표’(황진미)

식민지근대화론 위안부편’(김수지)

낯선 이론이면 무조건 기존 개념에 대입시키려 한 결과로서의 비난. 이후, 정영환의 ‘역사수정주의자” 김부자의 “하타교수/ 우에노교수와 같다”는 비난도 마찬가지. 완전히 다른 개념임에도 무리하게 대입시켜 이해했다고 생각하는 무지가 만든 지적.

특히 “‘오래전부터 친일파’, ‘식민지 근대화론자’, ‘역사수정주의자소리를 들었다고까지 말하고 있으나 그런 사실 없음. 일부 극단민족주의자들의 생각일지 모르나 한국에서의 활동과 평가 참조(참고자료 홍진수기자  경향신문 정리뉴스등).

6) 악의적/ 명예훼손적 발언들

제국의 변호인’ (손종업)

경솔’,’비학문적

7)‘가부장 남자들이 못나서 외적을 물리치지 못하고 나라를 뺏긴데서 생긴 고통’,

일본정부에 사죄를 요구하기 전에 대한민국남자들이 할머니들에게 무릎꿇고 사죄할

위안부할머니를  조선인 남자들이 지켜야 했다고 생각하는 이러한 발상이 한 여성을 `민족의 딸`이라는 틀에 가두고 싶어하는 욕망과 이어지면서  `일본군과의 연애`를 `민족의 일탈`로 생각하고 부정하도록 만드는 것. 그러나 연애는 민족아이덴티티가 아니라 남녀아이덴티티가 만드는 관계.

거짓말을 양치기 소년과도 같다’—명예훼손적 발언

‘수정주의자로 자리잡았다’(이재승)- 자신들과 다르면 무조건 우익 혹은 수정주의자로 모는 냉전적 사고 .정영환 반론 참조

 

  1. 손종업 (비평가)

명백한 결함이 있고 파괴적인 논증효과를 불러 일으킬 논증을 볼테르적 양심으로 옹호할 만큼의 윤리계량주의는 아닙니다’ (손아람 페이스북)

박유하 반론 참조(페이스북 링크)

법정으로 간 ‘주요한 원인이 박유하의 모호하고 이중적인 언술에서 기인’?

문제적인 기술 자체를 부인하는 사람과 학술적인 논증자체가 가능할까?’

문제적인 기술로 읽게 만든 것은 손종업의 왜곡된 시각일 뿐.

일본군 위안부들의 명예가 심각하게 훼손되었고 이를 다른 방법으로 회복할 없을 때에 법에 의지하는 것이 보장되어야 헌법적 권리’(백승덕의 발언에 대한 손의 해석)

훼손되었다는 생각은 지원자들의 자의적 독해의 결과. 이 책이 그런 책이라면 발간 직후 긍정적인 서평의 존재는 어떻게 설명되는가 ? 나아가 이 고발은 할머니가 주체가 아니라 주변인들. (배춘희 할머니. 유희남할머니. 우연재할머니 녹취록 제출)

유리한 판결을 위해 학문적 비판마저 중단하라는 주장은 과도

국가가 학문에 개입하는 사태에 지식인들이 가담하는 사태에 대한 우려를 표명했을 뿐.

지식인의 담론이 사법부—국가에 의해 한 학자의 ‘범죄증거’로 내밀어지는 사태에 대한 탄식. 더구나 비판자들의 비판은 대부분 학문적 비판이 아닌 감정적 비판.  위안부문제연구자는 극히 소수.

삭제판을  ‘살포’—-가처분 판결에 따른 일.

반박을 못하고 있다’ -이미 논문 혹은 그 밖의 형태로 반론.

집단으로 공격하면서 재판중인 사람에게 반박을 못하고 있다는 말로 다시 공격.

`이런 일들이 아무렇지도 않게 슬쩍 수행`수많은 얼굴을 감추고 있는 ’(28)-

다른 의견에 대한 강한 의구심과 일본에 대한 무지가 만든 비판. 학문적 반박은 없고 인격에 문제가 있는 것으로 몰아 감정적 비난을 환기시키려는 의도.

과도한 주장과 변론을 동시에 포함했기 때문에선택적으로 반박할 있게 된다’?

‘과도’함을 결정하는 건 누구인가? 모순되는 것처럼 보이는 이유는 거듭 말한 것처럼 여러 독자를 상정한 책이기 때문. 남모르는 의도를 확인하려 하는 것도 마녀사냥의 흔한 수법.

새롭게 제시한 자료는 거의 없다’?-

역사수정주의의 관점들로 다시 읽어낼 ’—- 가치폄하를 위한 명예훼손적 발언. .

박유하를 엉터리학자로 보이도록 만들기 위한 레토릭.

그러기 위해서 위안부를 모욕하는 한편 조선청부업자에게 죄를 떠넘김으로써 제국에 면죄부’(29)-”그러기 위해서라는 목적/의도를 근거없이 상상.

면죄여부에 대해서는 정영환에 대한 반론 참조.

`구조적 책임`을  ‘재정지원’ 의 책임만 있다는 뜻으로 사용하지 않았음. 왜곡.
일본의   ‘사과나 반성은 ’다는 진부한 인식.

과장과 왜곡, 심지어는 허위적인 내용 존재’(30)- 왜곡하는 건 이들. 자신들이 몰랐던 사실이 있음에도 허위라 말하는 만용.

군인이 직접 끌어간 것이 아니라는 것도 근거가 없다’ -—끌어간 경우를 부정하지 않았으며 사기나 유괴를 허용했다는 근거도 없음. 오히려 단속한 자료를 제출.

강제연행 인정이 ‘모순’이라는 손의 논지는 파탄. 구조적으로 그런 일이 없었다는 것이고 강제연행을 당한 경우가 있다면 개별적 행동이라고 했을 뿐. 자신의 논지 파탄을 전제로 해서 ‘자기모순’이라고 규정하는 난폭한 논지.
이러한 비판에서 벗어나는 방식’(30)을 멋대로 설명. 곡예적인 비난.

대중적인 정치서사’ —정치적 의도가 있는 것처럼 지적해서 순수성을 훼손하려는 발언.
김창록의 ‘일반화, 자의적..’(2016/2/19, 한겨레) 등을 인용, ‘학술서로서의 기본을 갖추고 있는지 의심스러운 ’(31)-김창록에 대해서는 후술, 공판기 참조. 다른 학자에 대한 기본적인 존중조차 없는 난폭한 발언.

감정적인(근거 없는) 비판에 치중하다 보니 이하와 같은 완전한 왜곡/오류마저.

내셔널 아이덴티티와 젠더 있다가 책속에 편입되면서 사라진 다음과 같은 구절’ (32)이라면서 비판하나,

김창록이 언급한 이 논문은 <내셔널 아이덴티티와 젠더> 와 관계 없음. 아직 단행본에수록하지 않은  논문. 완전한 오류.
<내셔널아이덴티티와 젠더>는 나츠메소세키를 분석, 일본 근대를 비판한 저서임에도 (박이) ‘근대주의자로서 제국주의를 제대로 비판할 없다’ 는 엉뚱한 비판.

소세키가 식민지지배를 긍정적으로 받아들이고 있었다 일본인 학자의 주장은 마지못해 시인하면서도 오히려 식민지지배의 정치적 무력적 측면을 긍정적으로 받아들이고 있었던 것은 아니다. 소세키는 어디까지나문명 측면을 받아들이고 있었다.’ 선에서 머문다’?

작품과 사상에 나타나는 은밀한 구조를 지적한 것. 소세키가 민비 살해에 긍정적이었다는 것은 젊었을 때 일이고, 박유하가 일본학계에서 처음 지적한 사실.

그러나 작품과 상관없음.  손의 지적대로 박이 근대주의자였다면 이런 비판서를 쓰지도 않았을 것. 일반적으로는 이 책을 읽었다면 박의 사고를 이해하고 오해를 풀 만 함에도 오히려 왜곡. 비난하고자 하는 의도가 앞선 결과.

자신의 자의적 해석과 오독이 만드는 일임에도 자신이 생각한 이미지와 다르게 보인다는 이유로  기존 상식에 근거해 ‘다른 얼굴들을 통해 변명을 늘어놓는’것으로 인지하는 경박성 .

‘대중선동의 방식’으로 일제가 박은 쇠말뚝은 없다고 했다고 선언?

박유하의 과거의 책까지 가져와 대입시키는 사상 검증.
그러나 이 책은 민족주의를 비판한 대중서.

당시 긍정적으로 평가받았으며  이런 비난은 근거 없는 비난.

일본제국주의에 불리한 증거들은 가능한 기피’(33) ‘가미카제를 특공대원으로 번역?(33)-137

쇠말뚝 담론마저 왜곡, 선택적으로 반박

―곡예수준의  왜곡독해.

착종된 논리’, ‘대중의 시선을 끄는 광대’, ‘집요하게 구조적인 강제성을 지우려 한다

정말 그렇다면 박유하가 일본에 대해  사죄보상이 필요하다고 한 이유가 설명이 안되는 비판.

경박한 언어를 누가 학문이라 하는가(34)라고까지 말하는 경박성.
<제국의 위안부>담론이 학자의 것이 아니라변호인 ?
그녀의 옆에 앉은 자들은 일본의 군대 혹은 제국주의’ ‘그들이 폐기한 증거를 제시할 것을 요구하며 정황을 유리하게 만들어 가려 한다

새로운 근거는 거의 없다’, ‘빈곤한 사료는 그나마 선택적으로 사용된다’, ‘구술사가로서의 그녀의 태도는 위험하기 짝이 없다

자신이 얻고자 하는 바만을 채택’(35)

박유하에 대한 근거없는 선입견이 만든 악의적 비방이자 `위험`이라는 단어로 대중의 혐오를 유발하려는 의도. 위험한 것은 바로 이러한 담론들.
끝에 한일정부의 불가역적인 협정
근거없는 연계. 자신들이 원한 방식이 아니었다는 이유로 무조건 비난.

한나아렌트와 달리 해결책’을(36)

피해자를 침묵하게 하면서 강자의 논리로 맺은 화해박유하의해결책을 반기는 쪽은 거품경제 이후의 불황 20, 고베대지진, 일본대지진의 위기를 통해 보수화하는 일본
서경식, 정영환등의 논지를 검증없이 빌려온  진부하고 경박한 이해.

그녀가 내민 화해의 손길을 잡은 아베정권’ (37)

자신들이 원하는 해결책이 아니라는 이유만으로 비난,일본 민주당 정권조차 법적배상에는 부정적이었고 한일합의와 거의 같은 제안을 했음.

아베의 강제연행 부정발언이 국제사회를 당혹스럽게 만들었던 ’, ‘아사히 신문을 필두로 마이니치신문도 예외없이 박유하를 종종 지면에 등장

박유하의 화해론의 표출이 위안부문제 해결에 혼란을 점은 부인할 없다(니시노)는 말을 인용하며 비판하나 니시노는 지원자. 일본지원자들중 강경파. 박유하의 지원단체 비판에 한 반감. 박유하의 책이 받아들여지는 이유를 무조건 우경화의 증거로 단정하는 선동성.

학문적 엄밀성을 얻는데 실패’, `학문은 결코 폭력적인 언사들도 보호되어야 하는소도 없다.”

학문은 해결책이 아니라 진실 또는 사실을 통해 기존의 패러다임과 맞서야 한다’‘해결책에의 조급증’?

오만한 설교. 그들자신이 20년이상 해결하라는 운동을 해 왔음에도. 자신들이 주장한 해결책 이외에는 모두 부정하는 오만.

 

  1. 김요섭 1

이재승.윤해동등  ‘반론에 대한 오랜  침묵’(41)?

윤해동에 대해선 서평회에서 반론. 이재승에 대해서는 2015년 여름에 작성. 완성본이 아니어서 방치. 그렇게 시간적여유를 못가지도록 만든 것이 재판.

윤해동의 경우 일본을 면죄한다고 생각하는, 비판자들에게 공통된 내용이어서 근본으로 돌아가 고찰하는 다른 글에서 논의할 생각.

본인의 반론이 제기되지 않은 상태에서 논쟁으로 확대될 없었다

2015년 여름과 가을에 두개의 반론, 비판자들의 논지는 대동소이하므로 대충은 대답이 되었을 것. 그에 대한 반론 없음.
학계/지식인의 대부분은 고발이후에도 침묵상태. 정영환등 재일교포 중심으로 일본에서 조금씩 나오던 비판이 2015년 가을의  일본어판 수상과 한일합의 이후 쏟아짐.

법적책임의 문제를 제기했다고 이를 무시’(43) ‘논쟁을 기피’, ‘오랜 침묵의 이유 법적책임문제를 다루었기 때문’ 이라는 것은 악의적 곡해.

상찬은 기소 이후에 발생’한 것이 아님.
한국의 경우 발간직후에도 여러 매체가 주목, 일본도 호의적 서평 다수. 그리고 1년후 이시바시탄잔상, 아시아태평양상등 수상이 발표되자 직후에 기소. 그리고 격한 비난들이 한일 양쪽, 그리고 미국에서까지 본격화.

사태를 반대로 말하고 있는 악의적인 해석.

두 개의 반론을 시도한 것은 그 글이 주요 역사잡지에 실려 영향력이 있을 것을 우려했기 때문.

위안부의 모습을 단일화’(45)
’(정영환 지적대로)조선인 위안부와 일본인 위안부를 동일시’(45)?
지적된 부분이 일본인임은 박유하가 책에서 지적. 그럼에도 이러한 지적이 반복되는 이유는 어떻게든 저항민족의 모습을 보고 싶은 욕망.

지속적인 민족차별 경험’(46)은 박유하도 기술.-—정영환 반론에 본문 발췌. 참조할 것.(링크)

 

<오류>

‘부합하지 않는 증언자들은 용기의 부족과 미성숙으로 비판받는’다?
—-젊은 학자들에 대한 반론 참조할 것. 해방 후 70년을 위안부 할머니의 나이로 착각하고 한국비판을 위안부할머니 비판으로 간주. 웃지 못할 오독.

일본군과의 행복한 시간이 존재했을 것이란 가정’ ‘특정한 증언을 보편적 사례로 설정’-존재하지 않았다는 생각이 오히려 월권이자 폭력적.

‘극단적인 고통’을 <제국의 위안부>도 기술. 그런 부분을 무시한 불구적인 독해.

증언의 신빙성에 각기 다른 무게’(48)
피해자들의 증언은 비판대상’(위에 쓴 것처럼 그렇게 쓴 적 없음)

총체적으로 고통에 대해서도, 고통을 견디기 위한 다른 시간도 기술. 다만 기존과는 다른 방식으로.

증언을 취사선택해서 전달한 건 연구자 혹은 지원단체.

특정한 증언과 사례들이 특권화’, ‘검증의 과정 없이 긍정’?

박유하는 버려진 증언들에 귀를 기울여 들려오지  않았던 목소리 복원.

지원단체의 대외 발언의 편향성 혹은 이중성을 드러내 보였음.

담론전략이후 형성된 사회적 맥락’(49)

위안부논리를 탈구축하기(윤해동)라는 목표를 향해 논의를 정비’?

이를 위해서 정대협의 논리를 뒷받침하는 위안부의 증언은 비판’? (49)

근거없는 곡해. 결과를 목적으로 단정. 없는 사실을 전제로 논지전개.

박유하에게는 학계는 중요한 대결의 대상이 아니다’(54)’학계대신 정대협’?

정대협에도 학자 다수. 그러나 동시에 일반인들에게 사실을 알리기 위해 쓴 책

이재승에 대한 침묵이

엄정한 학문적 검증을 견딜 있을 만큼 견고한 것이 아니기 때문’?-논지가 아닌 추측.비판이 아닌 감정배설.

아이히만은 히틀러에 대한 협력자.  협력자의 책임을 물은 것이 <제국의 위안부>

그런데 이들은 아이히만이 ‘인도에 반한 죄’로 단죄된 것에만 주목.

국제법논리`인도에 반한 ’?(56)

위안부문제가 국제사회에서 주목받게 된 것은 관계자들이  물리적 강제연행으로 주장했고 그렇게 받아들여졌기  때문. 그에 이어진  강간과  학살로 원래 납치주체에 의해 갇혀 성폭행당한 사람에 대해 쓰여진  `성노예`와 같은 개념으로 이해한 결과.

이를 의식한 박유하는 홀로코스트에서 유태인들의 협력이 매우 제한적이었다며 양자의 구분을 시도’(56)

홀로코스트는 민족말살을 꾀한 것. 제국주의는 자원으로 이용. 이 차이를 무시한 곡해.

유태인 단체도 최근에 지원단체의 이러한 주장에 대해 비판제기.

조선인과 일본인 업자들의 존재는 학계에 있어서 새로운 사실도 아니며

박유하 역시2005년에 지적. 처음 지적했다고 하지 않았으며 증언집에 나와 있는데도 국민과 언론에 총체적인 사실을 알리지 않고 호도한 데 대한 이의제기일뿐.

결과적으로 반발만 커지고 문제도 해결되지 않았던 상항에  대한 이의제기.

일본제국에 동원된 하위 수행자이기 때문에 위안부문제의 성격을 결정짓는 요소가 아니다

업자는 위안부에게 고통을 준 주체. 그들 자신의 책임을 묻기보다 그들의 후예로서의 자기반성 촉구.

위안부 배치를 관리하고 이송에 필요한 장비를 동원한 것은 일본군’(요시미) 임을 부정한 적 없음.

(옹호자 김규항/장정일을 비판하며)

위안부연구자나 역사가들이 대략의 합의를 연구성과를 바탕으로 <제국의 위안부> 서술’ (57)

<제국의 위안부>는  담론 분석. 증언과 기존 담론(운동과 연구) 을 재해석한 책.
그것을 위한 필요최소한도의 사료를 사용한  메타역사비평서.

‘새로운 자료’라고 강조한 바도 없고 업자문제는 중요하지도 않음. 기존연구가 법적책임에만 구애했기 때문에 그렇다면 업자에게 `먼저`책임을 물어야 한다고 했을 뿐.

기존학자들이 다 알고 있었다면 왜 말하지 않았는가? ‘강제연행’설을 방치한 의도는?
새로운 사료의 발굴 없이 기존학계의 자료에 전적으로 의존

정대협과 정신대연구소에서 발간된 증언집에 수록

증언집사용은 당연. 증언집은 누구나 사용가능한 1차자료.

그들이 무엇을 강조하지 않았는지를 강조했을 뿐.

학계의 연구에서 업자의 존재는 오래전부터 인지’?(58)했다?

<제국의 위안부>에서업자문제,매춘문제는 중요하지 않음.책내용의 왜소화.

일본어판에서도 “강제연행인지 매춘인지 더이상 중요하지 않다”고 했음.

그들이 드러내지 않은 사료를 일반인에게 보이도록 한 것이고 이유는 제국의 구조를 보기 위한 것.
소송을 통해서 정대협과는 다른 주장이 대중사이로 확산
발간 직후에 이미 어느정도 확산. 다음해 심포지엄에서 할머니 목소리가 매체를 통해 확산.
소송을 통해서’ 오히려 소수나마 존재했던 책에 대한  올바른 이해가 묻혀지고 지원단체가 악의를 담아 만든  자발적 매춘부라고 했다”는 왜곡된 내용이 확산.

박유하에 대한 상찬이란 엄밀하게 연구의 성과에 대한 검토를 통해서 내려진 것이 아니라 논쟁이 발생한 상황적 맥락에서 내려진 ’(58)이라는 인식은  사태에 대한 몰이해.  앞서 말한 것처럼 발간 직후에는 문제없었음.

자신이 개입하는 지점을 학문이 아니라 민족국가의 행위로 파악 ‘(60)

박유하는  개인으로서 여성으로서 한국인으로서 개입.

자기논리에 부합되지 않는 개별적인 체험들을 배제

위안부의 다른 목소리를 배제한 건 오히려 지원단체.

피해자들에게 가해진 비판과 왜곡

‘학문적 검증을 견디지 못한 주장이 무비판적으로 확산’(60)

악의적 왜곡담론이 확산.

국민적 관심거리가 되었다 해서 학문적 검증을 유보’하라고 했다?
비판이 있으면  고발사태가 되기 전에 해야 했으나 하지 않았으니  재판종료 이후에 하라는 것. 사태를 파악하지 못한 채  학자/지식인의 글이 국가/사법부논리에 가담하는 일이 되지 않도록.

이 고발은 운동 ,기존 연구, 기존 상식을 지키기 위한 고발. 위안부할머니가 아니라 운동과 기존연구자와 (국가의) 명예와 위신유지를 위한.

 

  1. 김요섭 2

김규항의 옹호비판 -’그리도 애처롭게 떠받드는 제국의 위안부’(64)

`그리도 애처롭게`– 논지없는 감정적공격.

박유하가제국이란 개념을 동원하는 방식은 오직식민 지배가 오래 되었으므로 스스로 일본인이라고 인식했을 이라며 조선인 위안부의 경험을 일치시키려는 초민족적 국민국가를 불러내기 위함이다’(63)

`제국에 포섭되었었다는 사실을 잊고 이루어진 담론들이 오히려 사태를 정확하게 보지 못하게 하고 해결을 지연시키고 있다는 문제의식’

일본군 위안부문제가 희생자들의 목소리를 구조적으로 억압했다는 김규항

요약자체가 이미 왜곡.

‘위안부문제`가 아니라 정대협이 주도한 위안부담론을 지적.

`박유하의 주장과는 달리 위안부문제의 공론화 이전까지 한국에서 이들은 완벽히 배제되어 왔다’(66)

사태는 반대. 정대협 담론이 일부 위안부를 배제. 의도여부와 상관 없이.

구조적 책임이란 모호한 영역으로 배치’(67) ‘일본에는 어떤 법적책임도 없다 결론에 도달하기 위한 준비작업일 ’(67)

학문적 고찰의 결과일 뿐. 전도된 상상.

홀로코스트는 위안부문제와 달리 협력자문제가 없다는 왜곡에 매달리면서까지’(67)
-앞서의 반론 참조.

평화집회에 참여하는 위안부 목소리를 배제하려는 시도’(68)’여성피해자들을 정치적 주체로 만들어 기반을 공격하고 이들이 가졌던 주체성을 부정’(68)

`여성피해자들을 정치적 주체로 만들어 ` 공적을 무시하려는 의도는 없음. 그러나 공적이 있는 것이  곧 문제가 없다는 증거는  되지는 않음.

평화집회에 참여하는 위안부’들에게 지원단체의 일방적인 생각이 전달되고 강요된 정황에 대한 문제제기.

 

  1. 마에다 아키라

제국의 위안부의 허위기술이나 사실오류에 관해서는 이미 많은 지적이 있었다’(72)

<제국의 위안부>를 허위이거나 오류라고 한 정영환등의 거짓말에 대해서는 반론, 참조 바람.(링크1링크2)

일본남성 작가의 소설을 근거로 삼고 있다. ‘-—정영환 반론 참조

박유하를 옹호하면 일본페미니즘의 선구학자도 ‘성차별주의 페미니스트에 불과’(73)하다고 폄하하는 심리의 자기분석필요.

민간업자의 책임을 물을 필요가 있지만 저자는 그렇게 하지 않는다
-같은 책에서 누구는 업자의 책임을 묻는다고 비난하고 누구는 비난하지 않았다고 말하는 모순.

법적책임을 지워야 하는 대상이라고 기술했음.

식민지지배의 책임을 물어야 하지만 저자는 그렇게 하지 않는다. 식민지에 협력한애국적 노력을 권장하기 때문이다

<제국의 위안부>라는 타이틀은 식민지책임을 묻고자 하는 제목.

부인하는 본서는인도에 반하는 죄로서의 성노예제 대한 법적 고찰을 방기하고 식민지 해장투쟁의 이론과 실천이나, 유엔국제법위원회에서 심의된식민지범죄론이나

인종차별반대 더반 세계회의에서 논의된식민지책임론도 탈색해 버린다. 식민지지배의 책임을 묻는 법논리가 나오지 않는다. (73)

비판자들이 주장하는 “법논리’란 이른바 `강제연행`이라는 인식에 바탕한 논리. 전제자체가 문제.

예전부터 한국내에서는 박유하의 저술이 피해자에 대한 명예훼손이자 모욕이라는 지적이 있어 왔다’(73)’일본에서도 명예훼손과 모욕 혐의는 예부터 거듭 지적되었다’(74)

근거없는 단정. 서경식, 윤건차, 김부자등  재일교포가 비판한 적 있으나 명예훼손이라는 문맥이 아니라  학문적 비판>

피해자의 고소와 고발이 있고 일정한 협의가 있으면 기소하는 것은 자연스러운 ’(74)—`피해자`중심주의적 발상이자, 이 사태에서 피해자는 박유하.

1) 피해자들은 판단을 강요당했다

2) 피해자에게 왜곡된 독해가 주어졌다

3)일본지식인의 박에 대한 옹호는 일본 학계등에서의 박유하의 활동에 대한 높은 평가와 (본인의 전공인 문학분야등) 신뢰가 만든 것. 즉 위안부를 폄하하거나 명예를 훼손할 리가 없다는 총체적 신뢰와 책자체에 대한 지식인으로서의 명확하고 정확한 판단이 만든 것.(지명도, 사회적 신뢰도에서 일본의 대표급 정치가와 지식인.  노벨상 작가 오에겐자브로, 고노담화의 주인공 고노 전관방장관,무라야마담화의 무라야마 수상,일본 여성학의 선구자인 우에노치즈코등이 참여)

그런 지식인들을 두고, 자신들의 생각을 지지하지 않고 <제국의 위안부>를 지지했다는 것만으로 오만하다는 주장.

성노예제의 피해자가 아니라 일본군인과 동지적 관계에 있었다든지 매춘부라고 비난하는 것은인간의 사회적 평가를 내리는

자신들이 구축해 온 성노예이미지만 주장하면서 그에 맞는 피해자만 피해자로 주장하는 격.

존엄의 회복을 추구하며 싸웠다’?

그 자체를 부정한 적 없음. 이미지의 단일화를 비판했을 뿐.

인간의 존엄은 국제인권법의 기본개념’?

(일본 지식인들이) ’인간의 존엄에 대해 한마디도 하지 않는 것은 도대체 무엇때문일까’(75)

일본지식인들은 <제국의 위안부>는  위안부 주변인들에 대해 비판. 그런  박유하를 지지했을 뿐,  위안부할머니를  부정한 것이 아닌데 바꿔치기해서 비난 .

허위사실을 통해서 명예를 훼손하고 인간의 존엄을 해치는 행위

멋대로 규정하고 그 규정을 전제한 비판.
인간의 존엄을 폄하하는 학문’(76)

나치의 우생학도 과거일본의 식민학도 학문의 자유가 된다

아이누, 식민학, 이슬람차별, 히틀러의 폭력과 동일시.

허위사실에 의거하여 위안부가 여성들의 명예를 훼손

헤이트스피치 처벌은 유럽국가에서는 상식
제국의 위안부를 읽기 위해서는 아우슈비츠의 거짓말에 대한 올바른 인식 필요

–<제국의 변호인>이야말로 헤이트 스피치.

일본지식인의 ‘항의 성명이 할머니피해를 부정

서울지검이 박유하를 체포하지 않고 자택에서 절차를 밟은 것에 침묵’(81)

형사조정의 기회를 주었음에도 합의에 실패했기 때문에 소추에 이른 ’?’항의성명이이런 중요한 사실을 은폐

형사조정이 이루어지지 않은 것은 일본어판을 삭제하라고 요구했기 때문.

어떤 학자는 일본어판을 절판하라고 요구.

국제문제의 논의에 위안부피해를 입은 할머니들도 동참

할머니들의 투쟁과 한국정신대문제대책협의회의 투쟁이 폭넓은 지지를 얻을 있었다’(82)

그런데 박유하의 제국의 위안부는 국제적인 식민지해방투쟁을 폄하했다

고모리나 우에노의 항의성명을 두고

잇달아 허위사실을 늘어놓으며 식민지 해방투쟁에 대해 냉담함을 드러냈다

지배한 상대에게 (일본지식인이) 근거없는 비방’(82)

피해자의 인간의 존엄회복추구를 정면으로 부정

근대민주주의의 기본원리를 날조하고 개찬’(89)

아우슈비츠의 거짓말에 해당하는 위안부의 거짓말
학문을 가장한 위안부에 관한 거짓말’(90)

민중선동’`반인도적행위

<제국의 위안부>를 제노사이드를 정당화하고 헤이트 스피치를 하는 책으로 간주하는 근거없는 헤이트스피치.

 

  1. 편집부

자발적 매춘부”라고 했다. (92-94)

신운용 ` 역사왜곡을 넘어 일본극우세력의 논리를 퍼뜨리는

증언과 자료를 짜깁기(정영환,94)-정영환 반론참조

동지의식을 가지고 있었다는 (중대한) 해석’-
—형식(틀)을 지적했을 뿐.

고노담화는 피해자의 증언 아니라 일본군의 강제연행을 뒷받침할 확실한 사건을 전제로 작성’(<그들은 위안부문제를 공격하는가?> 32쪽)

(95)

고노담화를 잘못 알고 있음.  지원단체조차 오랫동안 고노담화를 부정해 왔는데 그 이유는  이른바 `강제연행`을 인정하지 않았다는 데에 있었음.

위안부들은 50퍼센트가 일본군과 군이 직접 관여했다고 인식하고 는데이것을 무시’(최우석)

일본군의 관여는 박유하도 지적. 잘못된 오독의 예.

미군에 포로로 잡혔을 때는평균 23’ 2년전에 조선에서 징집연행되었을 때는평균 21

‘20명가운데 미성년이 과반’(김부자)

박유하가  비판한 건 소녀상이 상징하는 14,5세 소녀 (98)
그런데도 마치 20세이하  `미성년`자까지  부정한 것처럼 왜곡해서 비판.

소녀상을 철거하라 국민의 마음을 모욕하는 것과 같다
국민자존심을 묵살’(99)

철거하라고 한적 없음. 정부의 생각을 박유하의 생각으로 바꿔치기 해 비난 유도.

일본이 제대로 사과하고 반성한다고 하면 소녀상을 일본에 세우겠다 오히려 이렇게 이야기해야 한다

사태를 제대로 표현한  소녀상이라면 문제 없음. 그렇지 않은 것을 비판한 것. 나아가 사죄보상 하지 않았다는 상식적 전제를 비판하고 올바른 정보를 전달하려 한 것.

나눔의 집에서 활동하고 증언하는 생존자들을 배제’? (백승덕, 99)

같이 활동했다 해도 배춘희할머니처럼 다른 생각을 말하지 못하는 사람도 있음. 박유하는 지원단체에게  배제당한 할머니의 목소리에 귀기울였음.

다수의 일본인 포주를 배제’?

어느 쪽 포주가 많은지는 아직 연구되어 있지 않음. 배할머니는

조선인 뿐이었다고 구술. (“역사와 마주하는 방식 3회 참조). 폭력적인 일본인 포주에 대해서도 책에 기술.

정대협을 좋아하는 다수의 위안부 할머니를 배제

정대협과 함께 하면서 세상에 모습을 드러내는 할머니는 극소수

다수의 폭력적이었던 일본인 군인들을 배제’?(100, 김헌주)

강간하고 차별하는 군인들을 분명히  기술. 책의 반을 무시한 비난.

식민주의 비판이 소거된 민족주의 비판’?(김헌주)

“강제연행”이라는 인식은 식민주의의 폭력을 정확히 말하지 못함. <제국의위안부>가  일본에서 평가받은 것은 바로 식민주의의 보이지 않는 폭력을 지적했기 때문(수상평 등 참조—-정영환 반론 수록)

박유하교수가 그려내고자 했던 위안부의 모습은’’평균연령 25세의 못배우고 못살아단독으로 찾아가 `대부분 자발적으로 위안부가 수천명의 직업여성’?(101,최형익)

25세 여성이란,  하나의 자료를 언급했을 뿐. 마음대로 전체기술인 것처럼 왜곡.
나머지 요약부분도 자신이 본 (부정하고 싶은 심리 때문에 그것만 주목하게 만드는)독해에 의한 것.

박유하교수의 욕망을 위안부에 투사’ ‘제국의 위안부는 그래서 소설

박유하의 의도는 여러 번 설명.  위안부문제에 대해 잘 모르면서 다른 이의 저작을 `소설`이라 말해 버리는 오만.

피해자가 직접 아픔과 명예훼손을 호소하며 고소’(박선아)

국가는 소극적 공공장치로 소환된 것일 ’(김한상, 103)

박선아등 나눔의 집 관계자가 이 책을 왜곡전달.
억압적 국가기구의 탄압이라 규정하는 것은 과장

국가를 동원해 자신들을 비판한 학문을 억압중.

허위사실을 기술하고 도저히 묵과할 없을 정도의 피해자들의 명예를 훼손’(박선아,103-4)

‘매춘’등을 허위로 고발한 것은 학생들과 고문변호사의 무지의결과. 학자중에 위안부제도가 공창틀안에 있었다는 사실을 부정하는 이는 없음.

성노예문제라는 것이 여러가지로 보고서에 의해 확인이 되고 국제사회의 연대를 얻어놓은 입장인데 과연 부분에 있어서 중에서 지금 일본이 강제성을 부인하는 논거로 사용되는 부분을 전체적인 것인 하고 책을 작성’(박선아, 104)

박유하에 대한 고발이 지원단체의 운동에 방해가 되기 때문이라는 것이 명확히 드러나는 부분.

중국이나 북한에 대항하기 위해 역사적인 화해가 필요하다는 (일본 리버럴의)주장’(정영환)

박유하는 그렇게 쓴 적이 없음. 일부 일본인들 말을 가져와 박유하의 의견인 것처럼 전달하는 비열한  왜곡.

일본 현지에선 영웅대접’’일본의 역사왜곡에 책이 논리적 근거를 주었으니까요’(유희남), 105)여성신문

위안부할머니의 말로 전달되고 있지만 내용은  지원자들의 생각. 고발 또한 마찬가지 구조.
그리고 이들의 생각일 뿐.   `역사왜곡`하는 일본인들이 좋아했다면  아베정부가 한일합의에 나서는 일도 없었을 것.

삭제판 발간이사법적 판결을 외면한 비도덕적인 행동’(안신권) –여성신문

삭제판 발간은 가처분판결에 따른 것

강제연행은 거짓말이라고 없음.

화해는 베트남 사람들이 먼저 제안하는 ’(한홍구)

화해를 할 지 여부는 당사자가 정할 문제. 당사자의 생각도 여러가지.

 

  1. 김부자

참신함을 가장’(130)

종래의 위안부 이미지를 전면적으로 바꾸려고 하는 저작

한국에서는 출판당시 화제가 되지 않았지만`
조선일보. 한국일보. 주간동아 인터뷰. 다수 서평(이상 130)

박유하씨는 일본문학연구자인데 위안부문제나 역사학 연구자도 아니며위안부문제 해결운동에 영향을 끼치지도 않았다’(131)

<제국의 위안부>는 학제간연구.

그럼에도 이른바 `전문가`의 편협한 시각으로 불신유발 시도.
참신함을 가장’—근거없는 비난.

한국에서의 반응에 대한 설명도 왜곡—노지현기자 글 참조. 발간직후에도 관심을 많이 받았음을 기술 (링크)

화해를 위해서가오인이 많아서’’이러한 것들을 지적’?

2009년에 반론 썼음 (<위안부문제를 둘러싼 90년대의 운동과 사상에 대해>.2009. 일본어)

수정하기는 커녕, 이제까지 축적되어 위안부제도 연구와 증언들을 경시/ 무시하고, 참신함을 가장하여 조선인 위안부에 관한 사실 오인을 전면적으로 전개?’(131)-정영환을 무비판적으로 수렴. 10년전에  윤건차등이 김부자의 글을 가져와 박유하를 비판한 것과 같은 현상. )

소녀는 예외.

강제 5 9명의 연행당시의 연령은 모두 ‘20 이하’, 미성년이었다’(133)

‘78명중 73명이 미성년이었다는 사실을 박유하씨는 어떻게 설명할 것인가’(133)

자기 설에 유리한 증언만을 인용

‘20 가운데 미성년이 12명으로 과반수가 소녀’(133)

반도로부터 이는 (매춘의)전력도 없고 연령도 18,9 젊은 () 많았다 말했다

그러나 위안부는 14,5세가 아니었음을 김부자자신이 증명.김부자의 분석에 따르면 오히려 버마 미치키나의 위안부는 평균 23세이고  징집 당시도 21. 성년. 스스로 성년이 아니라는 것을 증명.

박이 비판한 것은 소녀상이 대표하는  14,5세가 중심인 것으로 착각하게 만드는  이미지. 더구나 그런  `소녀`를 강조할 수록 조선인의 책임을 봐야 하는 모순적 구조를 지적했을 뿐.

`성노예`

역사학과 국제법에 의한위안부제도의 실태를 가리키는 용어이며 논점을 슬쩍 바꿔치는 것에 지나지 않는다

과거 20년의 운동성과는  “강제연행된 소녀”를 강조해 얻은 성과.

국제적 기만 요소 있음.  추후  설명.

공창출신 일본인 위안부는 성노예가 아니라는 인식이 있다’(136)

일본인 위안부에 대한 인식부족을 드러내고 있다

적반하장적인 왜곡. 이미 <화해를 위해서> 와 오사라기지로수상 직후 글에서 일본인위안부에 대한 인식 표명.

<제국의 위안부>는 공창출신을 배제했던  정대협 비판

식민지 여성이 타깃’이라는 김부자의 인식은 잘못된 것. 숫자적으로 많을 수 있으나 타깃이어서가 아니라 식민지조선의 가난과 그것을  이용한  유괴와 사기, 인신매매가 횡행한 결과.

식민지에서의 징집이 국제법을 빠져나갈 구멍으로 여겨졌다

식민지인 대만과 조선에서 대량으로 징집해서위안부 삼고자 했다

‘성병대책을 위해 식민지의 성경험이 없는 미혼의 소녀가 표적이 되었다’

근거 없는 추론 .

아소의 의견서화류병 의혹이 있는 자는 극히 소수’’젊은 연령에다가 초심자가 많음’은 의도에 의한 것 (조선의 소녀들이 공동체의 보호를 받지 못한 결과. (138-9)이라거나 ‘일본군 스스로가 성병이 없는 아주 젊은 위안부 필요로 ‘다는 식의 단정은 추정일 뿐. 식민지를 처음부터 타깃으로 삼았다는 생각은 (139), 식민지를 여성으로 표상하고 종주국을 남성으로 표상했던 동시대  이미지의 현대판 버전.

위안부는 군속취급을 받았지만 정식으로(나쁜 의미에서의 `합법`으로 동원된 것이 아니기에)‘징집’이라는 단어는  사태를 정확하게 말하지 못함.

비도덕적 업자의 돈벌이에 이용당한 부분(상대한 숫자가 많을수록 업자도 돈이 벌리는 구조)크고  따라서 이용인원이 많은 곳으로 자발 혹은 타의에 의한 이동(혹은 배치).  조선인군인 모집등을 고려할 필요도 있음.

부녀매매금지에 관한 국제조약이 4. 일본은 조약에 가입(1904,1910,1921)

여기서 조선과 대만은 적용하지 `(그러면 불법이 아니게 됨)았는데

일본영토로 간주되는 일본의 선박을 사용하거나 일본군 중앙이 이송을 지시하면 적용제외는 되지 않는다는 것이 최근의 사고방식’(138)

이라고 김부자 자신이 설명하는 것처럼  비판자들의 논지는 오로지‘강제성”을 증명하기 위한 논지. 이는  오로지 강제성을 증명해야 자신들이 말해온 법적책임과 국가배상을 요구할 수 있기 때문.

대부분의 여성은 조혼이었으므로 결혼 10대에 징집하려고 했다’ ‘결혼전이라면 성경험이 없다`김부자가  생각하는 이유는  `유린당한 식민지` 인식에 사로잡혀 있기 때문.  그러나 바로 그러한 생각이 그동안 위안부제도의 공창적 성격을 부정하게 만들고 매춘부출신 여성을 세상의 시선에서 묻어 버린 .

물론 조선인 위안부 중에는 연행당시에 성인이었거나, 공창출신 여성도 있었다’(139)

물론 조선인 소녀 여성이위안부 최대이유는 당시의 조선이 일본의 식민지 지배하에 놓여 있었기 때문이다’(139)

이 지적은  박유하가 <제국의 위안부>.에서 강조한 내용. 인용없이 박유하의 논지로 박유하를 비판.

국제법의 식민지적용 제외나 일본군 장병의 성병대책이라는 측면에서 조선인 여성, 특히 경험이 없는 미혼의 소녀들이 타깃이 되었다’(139)

일본인 여성의 징집은 지장이 있지만 식민지조선의 여성이라면 미성년을 포함시켜서 어느정도 대량으로위안부로 삼아도 상관없다는 민족차별의식’ 이라고 김부자는 말하지만 식민지적 차별이란 그런 식으로 눈에 띄는 차별이 아니라  동화시켜 ‘자발적 동원`을 하도록 만들고 동시에 차별하는 제국의 성격에 대한 몰이해의 결과

조선의 위안부의 대부분이  김부자가 말하는 14,5세의 이른바 미성년=소녀가 아니었다는 것은 1965년에 학도병 출신이 만든  영화 <사르빈강에 노을이 진다>에도 나타남.

박유하씨의 군위안소에 대한 인식은 오로지 하타이쿠히코씨의 위안소=전지공창시설론에 의거’(141)

하타씨와 같은 수정파’―

하타씨의 위안부 이해에 대해서는 경원하는데 하카씨 스스로가 비슷한 이해라고 높이 평가한 박유하씨의 위안부 이해를 입을 모아 칭찬하는 일본의 진보파는 말할 필요도 없다.`

하타와의 단순비교. 하타가 칭찬하면 하타와 같은 의견인가?

박은 10년전 <화해를 위해서>에서도, 이미 <제국의 위안부>와 다르지 않은 인식을 내놓았고, 하타를 비판. <제국의 위안부>요약문에서도. (링크)

강제연행설과 성노예설을 부정’?-

그들이 말하는 물리적 강제연행만 부정. 14, 5세 소녀 성노예가 중심인 것처럼 생각하는 인식만 부정.  기본적으로는 부정하지 않았고 오히려 다른 방식으로 위안부의 비참성을 썼음.

우에노치즈코와 비슷?-피해자상의 해석에서?’양쪽 이론의 유사성’(142)

영향을 받은 것은 박유하 ?’’계급의 관점이 없다?

늘 누군가를 가져와 비슷하다고 말하는 식의  거친 범주화/유형화. 박유하는  우에노와 비슷한 입장에 있지만  <제국의 위안부>는 전적으로 증언집에 의거해 고찰한 결과.

조선에서는 여자정신 근로령이 공포실행되지 않았다고 오인

박유하는 매일신보 기사에 의거해서 기술.  추후 재확인 할 것임.

정대협은 우에노씨가 말하는 불순한 피해자를 배제하지 않고 숨기지도 않았다’? ‘문옥주증언을 넣었다?’

그러나 책은 오랫동안  절판된 상태였고, 2014년에야 재판발간. 여성과인권박물관에도 비치되어 있지 않았음.
언론과  외부를 향한  주장에서는  이들의 삶은 늘 배제 . 운동의 성공에 방해된다는 판단 때문이었겠지만 사죄보상문제에서 위안부와 갈등을 일으킨 것처럼 위안부의 과거와 현재의 삶을 양쪽 다 억압.

2014년 시점에도  언론, 해외, 시민, 국가지원등을 향해서는 늘 “20만명이 끌려가 200여명이 돌아왔다는 주장”을 이어가고 있음. 내부와 학회, 외부와 일반인에 대해  결이 `다른`담론.

불순한 피해자상을 전면적으로 전개`

증거를 만들어 내면서 까지 소녀상 부정으로 들어갔다’(145)

박유하씨의 주장이 사실에 근거하지 않았다’ —정영환의 왜곡을 검증없이 수용한 명예훼손적 비판.

<제국의 위안부>의 내용을 매춘지적에만 주목한 반발.

자타에 의한 정신적 억압에서 풀어주고자 한 일. 매춘인지 여부는 전체논지에서 크게 중요하지 않음.

일본인 위안부를 매춘 패러다임으로 포착해서 성노예가 아니라는 인식’(145)

오히려 반대. 소녀를 강조하는 일을 통해 일본인위안부는 매춘부라고 직간접으로 말해 온 건 비판자들.

일본의 책임을 가볍게 하고 싶다는 정치적 욕망’(146)

—근거없는 망상. 자신들의 정치적 욕망을 투사한 발언.

한국정대협의 운동은’’자기개혁을 하면서 이어지고 있다?

그런데도 2010년대에도 거짓말로 사울시등 지원금을 신청하는  이유는?

(박유하 책의 )’내실은 하카이쿠히코씨와 우에노를합체시켜일본군의 책임과 식민지지배책임을 부정하는 역사수정주의적인 위안부담론’. 그것이진보와 보수를 가리지 않고 높은 평가를 받는 이유”.

<제국의 위안부>가 평가받은 것은 식민지배를 지적했기 때문.

작가나 문학연구자들이 높이 평가하는 이유는 정확히 읽었기 때문.

식민지지배의 실상에 대한 얕은 이해’(147)

피해자의 아픔을 무시’’

`일본측에게  유리한 위안부 담론’?

피해자의 감정과 생각을 무시한 건 누구인가?
피해자는 하나가 아님.

식민지배 실상에 대한 일원적 이해에가 만드는 비난들.

 

  1. 김수지역사평설가

근거없는 폭언들.

가해자를 옹호하고 변호하는 논리’(199)

제국의 위안부를 썼을까’?’삭제판결로 원본에서 사라졌던 34곳을 찾아 의도를 짐작’-추정으로 논지 전개하겠다는 선언.

센다의책을 인용하여 위안부의 본질은매춘 같다고 말한다

-공판기등 재판 답변서 참조할 것.

애국관련 부분을 인용하면서 매춘이라 했다고 단정.

상동.

조선이 일본에 침략을 받아서 발생했던 사건이라는 특수성을 약화’(202)

근거없는 단정. <제국의 위안부>는 운동의 세계화와 함께 사라지고 만 `식민지지배책임`을 다시 말한 책.

조선인 위안부문제에 대한 책임은 민간업자 포주들에게 있다는 것을 각인시켜주기 위한 ’ (204)—상상에 의한 단정.

일본군과의 관계가 매우 돈독했음을 말해주는 증언 제시

그들에 의해 버려져 있던 증언을 복원. 전체체험을 이해하기 위해.더이상 일부관계자들의 정치적 도구로 사용되지 않도록..

아주 당연한 일이기 때문에 특별히 강조할 필요가 없는 사안이다’(206)

위안부 개인들의 일상을 계속 강조한다. 이것은 마치

식민지근대화론을 주장하는 사람들과 같은의도 가진 것처럼 보인다.’, ‘식민지근대화론 위안부편

개인들이 나름 행복했다고 강조’, ‘근본적인 제도적 폭력을 은폐’(206)

강제로 끌고 갔다는 것을 부인’(208)

위안부와 일본군의 관계를뜻을 같이 하는 사람’, ‘동지 표현(210)

모든 일은 조선인, 일본인 포주 했다는 점을 반복 강조하기 위해 동지라는 표현도 거침없이 것으로 보인다’(210)

`아주 당연`하다고 말하려면 국민인식이 되어 있어야, 그 작업을 하지 않은 채 이들에게는  `당연`했다고 강조하는 모순.

계속해서 `의도`를 근거없이 강조. 식민지근대화론자나 엄마부대봉사단 사진(210)을 같이 놓아 보수파로 몰아 비판을 부르려 하는 지극히 정치적인 비판.

일본의 양심적 지식인들이 과거를 반성하면서 다시는 한국을 침략할 의사를 가지고 있지 않기 때문에 한국이 과거의 츠라우마에 갇혀 배타적민족주의를 고수하는 것은 일본을 알려고 하지않고 배척하려고만 하는 편협한 태도라고 생각하는 같다’(213)—근거없는 단정.

애초에 일본의 지식인들이 조선에 들어올 매우양심적 태도로 들어왔다는 것을 알고 있는지 아니면 알고도 모른 하는 것인지 궁금’(213)-본주제가 아닌 이야기.

식민지초기 일반인은 양심적도 아니고 살기 위해 들어 왔고,후쿠자와, 이토히로부미등 언급하며 현대 일본도 같을 것이라고 단정하는 범주화의 오류.

일제 식민지시절의 본질을가해자와 피해자의 관계나침략과 저항의 구도로 보지 않는다’(215)—근거없는 단정.

가해자의 시선으로 위안부문제를 해설’—근거없는 오독.

소녀상을 제거해야 한다고 주장’(217)—존재하지 않는 거짓말을 쓰는 폭거.

범죄자들이 자신의 기록을 남겨 놓았겠는가’(217)—일본에 대해 모르는 이들의 흔한 단정.

적당한 선에서 합의를 보는 서로에게 좋은 것이다. 쓸데없이 억울하다고 증오심과 적개심만 키우면 뭐하나 누구에게도 이롭지 않다. 이것이 박유하가 주장하는 위안부 해법’(217)—허위.

강자에게 대들어 봤자 약자에게 좋을 것이 없으니 실현 가능한 것을 추구하라

—근거없는 단정. 이들은 도대체 누구를 향해 말하고 있나?

(‘일본은 1894 조선에 상륙해서 대략 5만명 이상의 농민을 학살’(220))

관계없는 이야기. 다른 폭력을 가져와 말하는 분노유발법 구사.

용서하고 싶은 욕망’(221)

용서에는 그에 맞는 의식과 절차가 필요

화해는 매우 정치적인 의미를 가진 행위’(222)

한일이 화해해서 군사동맹을 강화’(223)

입만 열면 한일양국이 화해해야 한다고 기염을 토하는 박유하

근거없는 비약과 추론. 무책임한 발언들.  군사반대주의자인 것도  모르면서 함부로 말하는 만용.

 

  1. 최진섭

반민족행위와 친일의 경계에 제국의 위안부

반민족행위로 단정, 독자의 분노 유발. 무책임한 추론으로 일관.

은밀한 속마음’(225)’은근슬쩍 다른 이유를 댄다’- 마녀사냥적 추정.

반민족행위자로 분류될 가능성’(226)—이미 반민족행위자로 호명.

독도공유론에 대해 일본지식인들은 우호적인 반응을 보였고 <화해를 위해서> 아사히신문사의 오사라기지로상을 수상’(228)

식민사관에 경도된사상활동을 벌이는 식민지근대화론자친일파 지식인’(신운용,228)
—박유하는 이전의 저서에서 식민지근대화론 비판.

전쟁범죄를 진정성 있게 반성하지 않는 일본에 분노하는 것이 정의감 아닌 증오심이란 말인가’(230)—`반성하지 않는 일본`이라는 피상적 이해.

책에 깔려 있는 기본정서가반좌파민족주의’(231)

—`반좌파`로 단정하는 일로 좌파들의 분노를 유발.

군국주의, 제국주의 일본을 편드는 식으로 전개’’일본군국주의에 대해서는 관대하기 그지없다’(232)

자신과 다른 생각은 무조건 일본편으로 생각. 한국인이면  모든 사안에서 한국을 편들어야 한다는 강박.

강자의 화해를 중시’
‘근거없는 단정.

반민족행위자로 처벌
다른생각은 처벌하고자 하는 욕망. 민족주의인 것 같지만 정확히는 가부장주의적 욕망. 유순하지 않은 여성에 대한 처벌욕망.

사실이 아님에도 사실인 것처럼 표현을 하여 할머니들에게 고통’(나눔의집), 233

1차자료를 보지 않은 이가 1차자료를 본 이에 대한 오만한 단정.

1948 법이 살아 있었다면

일제식민지배 옹호행위자 처벌’(235)—처벌 욕망. 국가보안법과 동질의  인식.

‘소녀상을 바라보는 불안한 시선’—추정.

철두철미 일본의 편에 있음을 느끼게 된다’(237)
-일본에 대한 비판 무시. 설사 일본편이라 해도 중요한 건 어떤 일에 편드는 일인지일 것.한국에 일본을 올바로 전하는 건 일본전문가의 의무.

위안부할머니를 희롱하고 폄훼하면서까지 일본정부의 입장을 대변’(237)

희롱,폄훼—정말 그렇게 하는 일본우익과 같은 취급.

자발적 친일파’(238)—명예훼손적 발언.

일본우익의 눈으로’’일본외교관의 입장에서

일본의 주장에 장단을 맞추는지 물가사의’(239)

전체적으로 논지가 부재하는 감정적 발언.

이것이 협력과 순종의 기억을 소중히 여기는 박유하의 속마음일 것이라고 추정’(240)

혹시라도 일본이 굴복할까봐 노심초사’(240)

서기석등 다른 이의 주장을 가져와  동일시.자신의 기존인식에 비추어 사고하는 지적 태만.

당신은 누구편인가?’

친구가 일본인’(241)

일본을 향한 애틋한 그의 마음’(242)

근대적 내셔널 아이덴티티의식을 내면화한 폭력적인 질문.

자발적으로 일본과 동지적 관계를 맺기로 작심했는지도 모른다’(243)

근거없는 단정.

일본인 작가의 작품 이상으로 일본정부의 이해와 역사수정주의 노선을 대변

제목자체가 일본군의 전쟁 법죄를 덮을 목적으로 고안된 같다’(243)

“제국에 동원된 위안부”라는 이중적 함의를 이해못한 결과

전략적 의도

범죄주체인 일본군이 빠져 나갈 틈을 만든다’(244)

일본군국주의 책임문제가 제국이라는 다분히 추상적인 이름으로 흐려진다

일본의 책임을 축소

일본군의 책임을 면죄’’서양에게 책임이 있다는 식으로 초점을 흐린다’?

식민지지배책임을 희석화, 추상화, 축소

독해력 문제.

저자의 속뜻을 쉽게 파악하기 어려운 ’(245)이라고 말하는 이유.

하지만 일본, 특히 우익이나 역사수정주의자의 입장에서 읽으면 아귀가 딱딱 맞아 떨어지는 ’-텍스트자체가 아니라 전제를 기반으로 읽은 결과.

오카모토 인용하며위안부는 매춘부라는 주장
—일부우익이 이용한다고 해서 책임을 돌리는 집단공격. 그러나 위안부는 매춘부라는 주장의 목소리가 높아진 건 이를 전면부정하고 거짓말까지 동원해 전세계를 향해 비방했기 때문.

화해를 위해 줄타기하는 것처럼 보이지만 속을 들여다 보면 민족보다는 제국을, 소녀상보다는 일본군을, 정대협 대신 군국주의 아베정권을, 민족단결보다는 한일화해를, 피해자보다는 가해자를, 약자보다는 권력화된 강자를 편애하는 것처럼 보이는 박유하 교수에게 어울리는 수식어는 무엇일까일본과 정신적동지 관계로 보이는 제국의 위안부저자에게 어울리는 말은 무엇일까. 그가 세상에 퍼뜨린 말을 그대로 돌려 보낸다(245) 제국의 위안부!

자발적으로 제국의 동지, 제국의 변호인이 박유하(246)

양심수, 순교자행세, 훈장처럼, 자랑스럽게, 영광의 상처, 펜대라는 권력,247-248

(위안부를) ‘인격모독/ 성적희롱

제국의 가미가제’’제국의 정신적 동지

가해자의 목소리로 짜여진 모든 언어

논지 없는 욕설들.

 

  1. 양징자

성적혹사 이외의 경험도 성노예 피해의 단면’(264)—부정한 적 없음.

성노예의 뜻을 잘못 이해’(264)

국제법에서 노예개념은

..

노예제도란 소유권 생사에 부속되는 권한의 일부 또는 전부의 지배를 받은 사람의 지위 또는 상황

성노예제노예 개념에 성적인 요소가 가미된 ’(아베코키) ‘ 또는 업자가위안부의 노동능력을 아무제한도 없이 전면적으로 사용할 권한인 위안부의 노동의 과실을 아무런 상응한 보수도 없이 수탈할 권한을 행사소유권에 따르는 권한이 행사된 상태’(265)

국제법 상의 노예제 요건에 합치’(아베)

연애를 해도 노예는 노예

박은 업자의 노예라고 했음. 그러나 정신적 신체적 노예상태임을 부정하지 않았

음. 지원단체가 말하는 의미, 국민들이 이해하는 의미의 성노예개념을 비판했을 뿐.

군인은 구매자일 뿐 주인이 아님.

원래는 무보수 구금강간의 뜻. 90년대 세계 여러나라에서 일어난 내전에서 일어난 부족간 강간을 위안부와 동일시. 처음에 위안부문제를 잘못 이해한 결과.

감금되어 무상으로 성을 착취당했다는 것을 의미하는 누가 그런 규정을 정한 것인지 전혀 설명이 없다
—90년대 유엔에서의 보편개념

보수를 받아도 노예’—박유하도 같은 의미를 기술.

업자의 노예.’ ‘노동에 상응한 보수가 아닌 이상

보수를 받은 경우도 있고 무보수였던 경우도 있다?’
—업자와의 관계일 뿐. 군표일 경우도 패전이 원인일 뿐. 오랫동안 무보수인것처럼 이미지 강화.

정대협이감금되어…’라고규정한 기록은 찾아 없다

유엔에서는 그렇게 운동.

감금요시미는 이동의 자유가 없는 것으로 파악.

외출과 폐업의 자유를 잘못 이해’-잘못 이해한 건 지원단체.

군인과 함께 갸야 외출할 있다는 것은자유로운 외출이 금지되었음 징표.그렇다면 일반인에게도 그렇게 알렸어야. 일반인에게는 그렇게 말하지 않고 해석의 논지를 자꾸 옮겨 가는 문제.

군인도 노예?

허락이 필요한 외출이나 폐업을 사람들은 자유라고 하지 않는다’?(267)

-해석의 문제. 위안부의 자유가 없다는 것을 그렇게 이해할 사람은 얼마나 있을 까.

지원단체는 그런 외출조차 없었던 것처럼 표상.

허락은 관리차원.―주재민. 정부로서. 경찰대신.군인과 같이 행동하는 경우는 위험방지차원.

`가슴아픈 미소`압도적인 슬픔

박유하가 강조한 것이기도.

노래하는 위안부.

좋은 기억들을 문제될까 말하지 않게 되었다고 주장
박유하의 말처럼 인용하고 있지만 이 부분은 위안부 자신의 말.

(일본어판 83쪽)

`자신에게 중요하고 핵심적인 증언들을 먼저’ 말해야 한다?

핵심/중요도를 정하는 건 누구인가?-20년이상 지원자. 관념적인 운동. 당사자와 유리.

어린 김복동이 기다린 것은 지옥에서의해방이었을 것이다. 그러나 위안소에 갇힌 김복동은불쌍하다고 봐주는 군인 기다렸다. 이것이 위안소의 실태이자 성노예가 여자들이 빠지게 되는 함정인 것이다.

박유하가 한 이야기.

“위안소란 설사 행복이 있어도 지옥 같은 곳.”

 그러나 동시에 군인을 기다리는 위안부의 감정을 `성노예가 여자들이 빠지게 되는 함정`이라고 말하는 양징자의  발언은 비당사자의 오만.   일찌기 <화해를 위해서>에서 지적한 것처럼, `위안부의 연애는 진짜 연애가 아니다`라고 말한 안연선의 지적과 동질의 . 기다리는 감정, 애틋한 감정을 무시. 지원자들이 정말은 위안부를 독립된 주체로 보지 않고 있는 시선을 여실히 나타낸 발언.

 박이처음으로나눔의 방문?
근거없는 단정. 2003년에 처음 방문.

직접 들은 증언이 아니라서’ ‘전혀 다른 해석 한다?

직간접의 문제가 해석의 정당성을 답보할 것이라는 근거없는 확신. 올바른 해석에 필요한 건 얼마나 자료를 보았는지. 다른 이들의 이야기는 얼마나 들었는지, 해석주체의 직관력,판단력등 여러 능력을 요하는 문제.

문학작품 읽듯이 증인들의 증언을 해석할 있다고 생각하는 것일까’(270)

문학작품과 텍스트 해석에 대한 무지한 발언.

 생존자들이 사람들 앞에서 했다고 그것을 의도적으로 당사자들이버렸다 단정지을 수는 없다

현재 일반국민이 어떻게 생각하고 잇는지가 20년운동의 결과. 당사자들이 버리기도 했지만 주변인들이 무시/누락시킨 부분도.

할머니의 인용. ‘핵심적인 이야기들을 몇번이고 강조

위안부문제의 본질이라는 것을 당사자가 알기 때문이다

본질/핵심의 독점. 위안부할머니를 무시한 것은 누구인가? 강조하고 싶은 이야기만 발췌해서 외부에 알려 온 건 누구인가?

자신이 주장하고 싶은 내용에 맞는 부분만을정성껏 모아서만든 책이 바로 제국의 위안부’(271)
지원단체에 해당되는 말.  증언집을 발간했으나 공식적발언은 취사선택.
누락된 부분에 대한 주목은 텍스트 읽기의 기본. 영화든 문학이든 인생이든. 본인조차 의식하지 못한 부분을 읽어내는 것이 해석자/학자의 역할.  혹은 역사학자와 문학자의 차이.`사이“공백`을  읽는 것이 텍스트 해석.

정영환의 저서나 <제국의 변호인>등 비판서와 고발이야말로, 책의 반을 누락시키고 나머지 반을 왜곡전달.

제국의 위안부가 제시한 담론과 같은 시각 때문에 생존자들이 말하지 않게 이야기들도 있기는 하다’—사태는 반대. 지원자들은 이용당할 까 봐 감추려고 애썼을 뿐/ 제국의 위안부는 같은 사실을  다르게 말해 지원자들이 두려워한 이들을 설득하려 한 책.

그러나 경청이나  논의가 아니라  일본우익의  ‘매춘부비난’과 같은 것으로 취급,고발로 대응한  폭력성은 이들의 운동의 취약성과 논리부족을 드러낸 일.

책의 부제목이 <위안부문제와 식민지지배책임>임을 완전히 무시.

장기간 감금된 피해자는 가해자에 대한 의존심이 깊어진다’(273)

가해자와의외상적인 유대이지 결코동지적인 관계 아니다?

의존심을 심화시키는 관계

스톡홀름 증후군과 같을 수가 없음. 처음부터 적과 동지의 관계가 아니므로. 적의 관계라고 생각한 건 식민지의 실상을 가르치지 않은 교육의  결과. 반발은 할지언정 표면적으로는 같은 공동체 구성원.반도인과 내지인으로서의.

생존자 증언을 들을 갖추어야 마음가짐

도저히 이해할 없다는 겸허함’?(275)

그런 마음가짐이 박유하에겐 없을 거라는 근거없는 단정으로 오만한 인물로 표상.

국가를 위해 함께 싸우고 잇다는 교육과 세뇌를 받으면서 수많은 남자한테 성폭력을 당하며 가해자에게 의존하고 집착하기까지 이른 피해자가 지닌 어둠’?

없다는 것을 알았을 처음으로 처음으로 우리 지원운동은 시발점에 있었다’?

어둠의 깊이를 인식하면서 알고자 하는 노력을 게을리 하지 않는 것이 생존자 지원운동’(276)

생존자에게서 배우고생존자들과 함께 변화해 운동이 정대협운동’ (277)

올바른 말이지만 동시에 `피해자`의 틀에 가두는 레토릭. 결코 해방시키지 않겠다는.

인간이해 부족의 결과.

이러한 한국의 지원운동에 대한 왜곡’?(277)

이들의 분노의 연원.

 

  1. 김창록

범죄에 대한 것이어서 법적책임? 국가책임?

사반세기동안 거듭 확인되어 상식

운동의 세월이 많이 흘렀으니 모든 것이 옳다는 근거없는 주장.

상식의 타파야말로 진보의 조건임에도 고수하겠다는 보수성.

각종 보고서등 운동의 문제는 다른 공간에서 다시 논의할 예정.

고노담화가 법적책임을 인정’?(376)하고 있다는 근거없는

단정.

일본의진정성 없는 태도’—`일본`이란 누구인가?

법적책임이 아니면 진정성이 없다는 법지상주의.

반인도적 불법행위 대상으로 아니다

청구권협정 문제자체가 존재하지 않았다’?(378)

1965년에 문제가 해결되었다는 애당초 논리적으로 성립될 없는 주장’?

위안부문제에 대한 고발은 필요하나 그것이 `반인도적 불법행위`였는지에 대한 재고 필요.

그럼에도 기존연구자와 운동가는 그러한 전제에 대한 의심이 전혀 없음.

부분의 전체화, 예외의 일반화, 저의적인 해석과 인용, 극단적인 납삽함, 근거없는 가정에서 출발한 과도한 주장’?

‘과도’란 누가 판단?  법학자의 오만. 부분운운은 앞서의 반론 참조할 것.

`법=규율은 내가 관장하는 것`이라는 생각이 전제.

 수많은 문제점으로 가득찬 제국의 위안부’?

학술서로서의 기본을 갖추고 있는지 의심스러운
—기본적인 존중도 없는 오만한 단정. 중요한 건 내용.

뒤틀린 법도그마’ (379)—한겨레 신문이 붙인 제목. 확인없이 비난하는 경솔.

조약이 강박에 의해 체결된 것이기 때문에 애당초 무효라는 한국정부의 공식입장을 오불관언
—한국정부아니라 세계정부라도 한 사람의 학자로서 의견을 말할 수 있음.

남성중심의 `한국정부`의견을 여성이 비판한 데 대한 분노.

문제자체가 존재하지 않았으니한국정부가 일본군 위안부의 권리를 소멸시켰다는 증거는 어디에도 없다’(380)?

박유하가 지적한 논점을 무시하고 문제자체가 없었다는, 일방적이고 비생산적인 주장.

헌법재판소와 대법원의 공식입장은 일본정부에 법적책임이 남아 있다는 ’?

헌재와 대법원이 정하면 무조건 진리?

명확한 근거는 제시하지 않은 ’?

박유하가 사용한 수많은 근거를 무시.

그래서 제국의 위안부의 모든 주장은 업자에게로

업자의 책임을 강조하기 위해 쓰인

업자의 책임에 매달린다

`매달린다“강조한다“모든주장`이라고 하는 왜곡요약. 박유하의 논지는 그토록 법적책임이 중요하다면 먼저 당시에도 법적단속을 받았던 업자부터 비판하는 것이 순리라는 내용. 그럼에도 이런 식으로 왜곡.

누가 업자에게 책임이 없다고 하는가!’?

책임의 본질은 일본의 국가책임이라고 하는

업자책임을 누가 지적했나? 아무도 말하지 않다가 이제서야 이렇게 말하는 비겁함. 박유하는 업자존재를 지적했다는 이유로 전국민적 비난을 받고 있음에도.
`업자의 책임이 알파요 오메가라고 주장’했다는 왜곡!

`매달린다애써서``외치며우긴다`

박유하의 인성에 불신을 품도록 만드는 표현들. 마녀사냥 수법. 논지 부족시의 수법.

일제의 불법에는 눈감고 말단의 실행행위에 가담한 업자의 작은 불법에 매달린다’(381)’

박유하의 문제의식은 국가의 나쁜 정책은 협력자가 있을 때 기능.바로 그 때문에 지적한 것. 이들은 실제 움직인 이들이 일본인도 많다거나 더 큰 책임을 물어야 한다거나 하면서 조선의 책임을 부정. 가부장제의 희생양임을 부정하기 위한 무의식적 태도.

책임은 일본이라는 국가가 아니라 개인에게만 물어야 한다고 우긴다’?

국가책임을 분명히 묻고 있음에도 이렇게 말해 책을 읽지 않은 이들의 분노를 유발.

위안부문제의 본질이 일본의 국가책임임을 도무지 이해못한 , 애써 부인하려고 결과’?

문학자일 법학자가 아니다’ ‘법에 대한 이해가 불충분’(381)

인문학자에 대한 사회학자의 근거없는 오만. 법에 대한 이해가  위안부의 인생이나 역사에 대한 이해의 정도를 심화시켜 준다는 보장은 없음.

그렇다고 해서 잘못된 이해에 터잡은 과도한 주장이 면책될 있는 것은 아니다

법지상주의적 발언.

역사를 법으로 판정하는 일에 대한 의구심 부재.

일본정부 스스로 보상한 적이 없다고 하는데 보상을 것은 틀림없는 사실로 우기니 일본정부보다 한걸음 나아간 ’(381)

`배신자`취급을 위한 전형적 레토릭.

법적책임의 도그마에서 벗어나야 한다고 외치면서’(381)

하지 않은 이야기를 확인없이 가져 올 뿐 아니라 `외친다`는 식의 표현으로 부정적 인상 만들기.

성노예피해자에게무의식적인 제국주의자라는 지위를 강요?(381)

강요가 아닌 분석. 또한 일부를 지적했을 뿐.

`일제가 식민지법에 따라 일이니 문제삼을 없다고 주장

거친 엉터리 왜곡. 책 전체가 그런 표현들로 범람.

식민지배. 국가주의, 남성중심주의, 근대자본주의, 가부장제가 문제라는, 이미 많은 학자가 제시한, 그 자체로서는 타당한 주장’(381)

누가 지적했나? 박유하의 오리지날리티를 부정하려는 무리수.

줄기를 부정하다 보니 잎사귀만 공중에 둥둥 떠다니는

자신이 중요시하는 것만 `줄기`라고 생각하는 오만.
문제 해법의 독점.